私の思いと技術的覚え書き

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人間のおろかさ

2011-06-22 | コラム
 今次の原発事故を考える時、人間のおろかさということを思わずにはいられません。
 自然界には大した絶対量もなく狭い地域に分布する極低濃度ウランを大量に集め、多大なコストを掛け濃縮し、それを使用しての核分裂をさせる原発を作ってきました。確かに単位容量当たりの発生エネルギーは膨大です。しかし、同時に生じる、元来自然界には存在しなかった多数の放射性核種ですが、これらには何百年、何億年という半減期で強烈な放射線を発し続け、接する物質に放射線を帯びさせ続けるのです。

 こんな毒物としての放射能ですが、例えばレントゲンなどによるX線の照射であれば高圧を止めれば止まりますし、科学物質であれば中和させたり、濾過や希釈、そして過熱、燃焼などにより毒性は問題ない程度になることでしょう。でも、放射能核種は、水に溶けることなく分散するだけで、容量当たりの放射能地は下がるものの、濾過したりすれば濾過され残った汚泥には人が近づけない程の高放射線を発するのです。それが、東京などの上水道における汚泥の問題なのでしょう。

 日本で原発が稼働を開始して、たかだか半世紀も経ていないのですが、この間に作られた元来自然界にない放射性核種と、日本人は今後それらが人体に無害な程度になるまでには100万年という単位で、それらを管理し付き合って行くしかないのです。しかし、既にそれらは管理の手を離れ、管理不能な状態にばらまかれてしまったのです。

 こんなことは、放射線を専門に研究してきた学者達には十分過ぎる程判っていたはずです。しかし、何故か一般国民は「安全」だと信じ込まされ、全国に多数の原発が作られ続けることを認めて来てしまったのです。おろかなことと思わずにはいられません。



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