木谷明元判事の無罪判決論
木谷明氏(現弁護士で元裁判官)だが、裁判官現役時代(37年)の間に30件を超える刑事事件の無罪判決を下している。ところで、裁判判決は上告審として3審(地裁、高裁、最高裁)の中で決定するのだが、例えば一審地裁で無罪判決を下した場合は、ほとんどが検察はプライドをかけて上告することになるのだが、多くの1審無罪判決が二審上告審でひっくり返され、有罪となっているという。ここが、日本の刑事裁判の検察起訴した場合の有罪率が99.9%以上という高有罪率なのだ。
ここで、木谷氏曰く、無罪判決を記すと云うのは、検察のプライドを挫くという抵抗もあるが、それより留意しなければならないのは、上告審でひっくり返されないような論理を無罪判決に盛り込むことの難しさを説明されている。つまり、検察主張が有罪とするすべてについて、個別にここは、こういう論理で採用できないとか、検察論理のすべてを挫くものでない限り、プライドを掛けた上告審でひっくり返されていまうことを述べている。
それと、裁判官を退官し大学で教える様になってから、処女出版作となる「刑事裁判の心」という本を出したのだが、その書評を頼んだ同期の裁判官が云うには、「木谷君は無実の救済に傾き過ぎている、間違った判決を下すことは真犯人を取り逃がすことになるのだ。裁判とは、無実を救い真犯人も処罰をするものでなければならず、そういう観点で行わなければならないのだが、木谷君は無実者の救済に変更している」というのだった。この木谷氏の発言を聞いて、宮台真司氏は「それは近代裁判思想に真っ向から反しますねぇ」と述べる。また、木谷氏も「裁判官の能力として、黒白真っ二つに切り分ける能力があれば別でしょうが、裁判官の立場で真犯人を特定するなどおよそ不可能であることは誰でも判ることを裁判官は自覚しなけりゃいけないと述べるのだった。
木谷明氏(現弁護士で元裁判官)だが、裁判官現役時代(37年)の間に30件を超える刑事事件の無罪判決を下している。ところで、裁判判決は上告審として3審(地裁、高裁、最高裁)の中で決定するのだが、例えば一審地裁で無罪判決を下した場合は、ほとんどが検察はプライドをかけて上告することになるのだが、多くの1審無罪判決が二審上告審でひっくり返され、有罪となっているという。ここが、日本の刑事裁判の検察起訴した場合の有罪率が99.9%以上という高有罪率なのだ。
ここで、木谷氏曰く、無罪判決を記すと云うのは、検察のプライドを挫くという抵抗もあるが、それより留意しなければならないのは、上告審でひっくり返されないような論理を無罪判決に盛り込むことの難しさを説明されている。つまり、検察主張が有罪とするすべてについて、個別にここは、こういう論理で採用できないとか、検察論理のすべてを挫くものでない限り、プライドを掛けた上告審でひっくり返されていまうことを述べている。
それと、裁判官を退官し大学で教える様になってから、処女出版作となる「刑事裁判の心」という本を出したのだが、その書評を頼んだ同期の裁判官が云うには、「木谷君は無実の救済に傾き過ぎている、間違った判決を下すことは真犯人を取り逃がすことになるのだ。裁判とは、無実を救い真犯人も処罰をするものでなければならず、そういう観点で行わなければならないのだが、木谷君は無実者の救済に変更している」というのだった。この木谷氏の発言を聞いて、宮台真司氏は「それは近代裁判思想に真っ向から反しますねぇ」と述べる。また、木谷氏も「裁判官の能力として、黒白真っ二つに切り分ける能力があれば別でしょうが、裁判官の立場で真犯人を特定するなどおよそ不可能であることは誰でも判ることを裁判官は自覚しなけりゃいけないと述べるのだった。