私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

内浦・西浦ちょっと紀行

2019-01-26 | 沼津そして伊豆周辺
 国道414号を香貫・八軒道路から南下すると、下香貫、(内 島郷)、志下、獅子浜と続きます。この獅子浜つうのは勇ましい名称だなぁと思います。そして、元大久保山があった岬を大きく左旋回すると江浦、そして事故多発のみのり荘前のちょっと幅員が狭まったシケイン様の部位を過ぎると多比(たび)から口野交差点まで2つのトンネルを通過しますが道は一直線です。ここら辺は、昔はトンネルがあと2つ多くあり、道がクランク状に折れ曲がり幅も狭くて難所だったのです。2つの旧トンネルとも、クルマは通れませんが現存しています。

 口野交差点で国道414号は左折ですが、右折して県道17号を走ります。口野から左カーブを暫く走ると山中に金櫻神社というのがあるらしいですが、過去2回も位置を移動(比較的近くで)したと聞く変わった神社です。そして、どうやらこの神社が旧駿河国と伊豆国の境だった様です。そんなことで、県道17号をさらに南下すると、旧伊豆国の重寺(内浦重寺)へ入ります。右手には淡島が見えますが、この島の住所も内浦重寺です。

 さらに南下しますと小海(こうみ・内浦小海)を通って、内浦三津の交差点に至ります。ここを左折すると、急坂(三津坂と呼ばれる)を登って三津坂トンネル経由で長岡へ抜けます。例の120年前の旧トンネルもありますから、昔から人馬が交易した道だったのでしょう。

 三津からさらに南下しますと長浜(内浦長浜)です。右手に長浜城址がある小さな岬があります。ここの左手ちょっと奥に光明寺というお寺がありますが、その前を通って進むと、修善寺の熊坂に出ることができます。この道も、古くから人馬が交易で通った道だろうと想像します。

 長浜城址の小さな岬は、長浜と重須の区切りがある様です。重須(おもす)と通ってさらに南下するには、昔は長井崎をぐるっと回ったのですが、現在は新トンネルで一直線です。トンネルを出ると、木負(きしょう・ここからは西浦木負)となります。これは、知らないと読めない地名でしょう。

 ここからさらに南下していくと読めない地名が続きます。まずは久連(くずら・西浦久連)、西浦平沢(ここにらららサンビーチがある)、西浦立保(たちほ)、西浦古宇(こう)、西浦足保(あしぼ/男はつらいよ16話で登場)、西浦久料(くりょう)、西浦江梨、大瀬崎(江梨の範囲)に至ります。

※本日(1/26)、久料辺りまで往復して目に付いた風物を載せてみます。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。