【書評】白昼堂々
この「白昼堂々」は,つい先日(9/19)に記した、映画評「白昼堂々」の原作者たる結城昌治氏(1927/2/5-1996/1/24:69才没)のオリジナル小説だ。
私は、本が先か映画が先か、感心を傾ける物語は、いずれにせよ原作に当たることを良しとしている。そして、多くの場合、原作を読んで、映画化されたものを見ると、随分駄作に仕上げたものだと低評価になる場合が多い。これは、小説を読み、頭の中で広がる画面と、映像として監督(もしくは脚本家)の思考の中での解釈の差異だとか、映像収録時間という制限の中で、物語を適当にアレンジせざるを得ないことから宿命的な問題とも云えのだろう。
さて、この結城昌治氏の本は初めて読んだが、非常に読み易く、ストーリー構成も巧みで、非常に理知的な文章力のある作家だと思える。ただ、私の関心は、九州某所に存在したという「泥棒」に関することが出発点だったので、そのことを中心に書き留めてみたい。
作者のあとがき(文末3ページ)によれば、本小説はS40年6月から12月にかけて「週刊朝日」に連載されたそうだ。ところが、その連載後間もなく、九州から上京した本物の万引き集団13名が検挙される事件が起こった。ここで、本物と記したのは、本小説の発想の起点となる事件を、彼ら泥棒集団の、日本橋「三越」での一斉検挙を知ったのは、S34年の新聞紙上だったのだと記している。
そして、作者はこうも記している。本書執筆前に九州筑豊の某所を訪ねたが、彼ら泥棒を取材することはなく、寂れゆく炭鉱の不況と、泥棒団の発生とを関連付けた小説構想を練るためだったと述会している。
しかし、日本橋三越事件(S34年)から6年を経て再び泥棒団の一斉検挙が繰り返されたのを知り、唖然としたと記している。とすると、件の泥棒団は、少なくても6年間、その前後2年づつを摘発を逃れて活動したであろうことを考慮すれば、10年という期間(想定S32-S42年)に存在していたと伺われるのだ。
追記
この小説の泥棒団の首領たる「勝次」という男が登場するのだが、私の人生でも損害保険調査員の同社同職に、かつて同名のトンデモ男が居たことを思い出さずにはいられない。そのことは、別記事に改めて記したい。
この「白昼堂々」は,つい先日(9/19)に記した、映画評「白昼堂々」の原作者たる結城昌治氏(1927/2/5-1996/1/24:69才没)のオリジナル小説だ。
私は、本が先か映画が先か、感心を傾ける物語は、いずれにせよ原作に当たることを良しとしている。そして、多くの場合、原作を読んで、映画化されたものを見ると、随分駄作に仕上げたものだと低評価になる場合が多い。これは、小説を読み、頭の中で広がる画面と、映像として監督(もしくは脚本家)の思考の中での解釈の差異だとか、映像収録時間という制限の中で、物語を適当にアレンジせざるを得ないことから宿命的な問題とも云えのだろう。
さて、この結城昌治氏の本は初めて読んだが、非常に読み易く、ストーリー構成も巧みで、非常に理知的な文章力のある作家だと思える。ただ、私の関心は、九州某所に存在したという「泥棒」に関することが出発点だったので、そのことを中心に書き留めてみたい。
作者のあとがき(文末3ページ)によれば、本小説はS40年6月から12月にかけて「週刊朝日」に連載されたそうだ。ところが、その連載後間もなく、九州から上京した本物の万引き集団13名が検挙される事件が起こった。ここで、本物と記したのは、本小説の発想の起点となる事件を、彼ら泥棒集団の、日本橋「三越」での一斉検挙を知ったのは、S34年の新聞紙上だったのだと記している。
そして、作者はこうも記している。本書執筆前に九州筑豊の某所を訪ねたが、彼ら泥棒を取材することはなく、寂れゆく炭鉱の不況と、泥棒団の発生とを関連付けた小説構想を練るためだったと述会している。
しかし、日本橋三越事件(S34年)から6年を経て再び泥棒団の一斉検挙が繰り返されたのを知り、唖然としたと記している。とすると、件の泥棒団は、少なくても6年間、その前後2年づつを摘発を逃れて活動したであろうことを考慮すれば、10年という期間(想定S32-S42年)に存在していたと伺われるのだ。
追記
この小説の泥棒団の首領たる「勝次」という男が登場するのだが、私の人生でも損害保険調査員の同社同職に、かつて同名のトンデモ男が居たことを思い出さずにはいられない。そのことは、別記事に改めて記したい。