私の思いと技術的覚え書き

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新幹線のこと

2018-07-22 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 新幹線の話題を記すのは幾度目のことだろうか。鉄道オタクのつもりはさらさらないが、機械オタクとして新幹線というシステム総体に関心を持ち続けていると云うことだろう。

 前にも記しているが鉄道史を関心持っている方なら承知のことで、新幹線開発のルーツとして、太平洋戦争のちょっと前に構想が上った弾丸列車計画というのがあったそうだ。東京から福岡まで、広軌複線で時速200キロの高速鉄道を走らせようという構想だった。当初はSLでその後は電化する計画を持っていた様だ。そして、その構想は、将来的に海底下を地下トンネルで掘り進み、大陸側の満鉄と結合させるという遠大な夢ともいえる野心を秘めたものだったらしい。そんな弾丸列車構想だが、太平洋戦争中に着工がなされ、静岡県内2つの長いトンネルとして、新丹那トンネルと新日本坂トンネルは掘削工事に着手してたのだ。しかし、戦局激化により中断されていたのだった。

 と云うことで、戦後S39年に開通する東海道新幹線については、ほぼ予定路線は確保済みで、2つの長大トンネルも、工事中断を再開して貫通させたのだそうだ。この内、新丹那トンネルについて、静岡県東部にある同トンネルに近い場所に、所在住所が函南町上沢字新幹線という字名が付いた地がある。この字名だが、現用新幹線のために名付けられたのでなく、大戦中の弾丸列車として掘り始めた新丹那トンネル掘削工事の工事従事者の宿舎地として生まれていた様だ。と云うことは、弾丸列車当時から、新幹線という従来の幹線の新しいものという汎用的な名称は一般化していたのであろう。東海道新幹線開業を控え、この新路線の鉄道名称は種々検討はされたのだと想像されるが、その後の全国への整備新幹線計画という統合計画と合わせたとき、妥当なものだったと思える。

 さて、現用新幹線は、東京オリンピック開催に間に合わせることを意識して、同オリンピック開催直前となるS39年10月に東海道新幹線として開業している。広軌複線、架線電圧は単相交流25千V、周波数は全線60Hzに統一している。この周波数だが、東北震災の時にも、日本の東西での違いに、援助給電などやりくりに苦労しているのだが、未だ相変わらずそのままにしている。まったく、地震その他災害大国たる我が国で、誠におかしい1例だろう。東海道新幹線の場合は、富士川を挟んで西が60Hz、東が50Hzである。新幹線の架線へ給電は、2、30km置きに変電設備により高圧線6,600Vを25KVに昇圧して給電しているが、50Hz区間においては周波数変換機で変更しているという。現在は、高電流半導体があるので、周波数の変換方式は変更されているのかもしれぬが、当初のは50Hzで同期モーターを廻し、そこから5:6の比率になったギヤ比で増速した発電機を廻し周波数変換していたという。似た様なことは、東西の大電力の周波数変換で、境界値付近の変電所には類似の変換設備を持っている様だが、如何にせよその許容電力は限られる。

 新幹線車両だが初代の0系と続く100系は、モーター出力が違うのみで制御系は、25千Vの交流給電を電圧変換トランスで減圧するが、変換トランスに巻き数別に引き出すタップ線を引き出してあり、これでモーター印加電圧を変えるものだ。なお、電圧変換された交流はセレン整流器で直流に変換し、電圧平滑用コイルを通じて直流直巻モーターを駆動していた。東海道新幹線では当初は12両編成であったが、その後16両編成がスタンダードとなった。0系の場合、各車両毎に2台車合計4軸があるが、これら軸をすべてモーター駆動するのが16M0Tなどと表記する様だ。つまり、MがモーターでTが従(トレーリング)ということだろう。後日、0系の派生として100系というのが走り始めたが、これは12M4Tだ。4Tの中には2階建て部分とグリーン車を組み込んでいる。100系終焉の頃乗って座ったことがあるが、やはりモーターがない車両は静かなのものだ。

 新幹線車両のバージョンアップは、初代の0系から100系まで、モーター出力が若干増えた程度で基本的なエンジニアリングは長く踏襲され続けた。そして、0系誕生から28年も経過してから300系として抜本的なエンジニアリングの更新が行われた、すなわち給電など地上設備はほぼ同様で、車両側にVVVF制御という可変電圧、可変周波数といういわゆるインバーター制御が搭載されたのだ。給電された単相25千Vを電圧連続可変すると共に3相化しその周波数を変え、三相交流モーターで駆動する。最高速度を270キロと大幅に高め、10M6T運行で可能にさせるため、モーター出力を大幅に高めている。また、高速走行騒音の影響が大きいパンタグラフを16両編成で2つにまで減じ、屋根上を25KVの高圧線を通して対応している。この28年もエンジニアリングを更新しなかったことだが、既に地下鉄だとかJR以外ではVVVF制御技術は採用されだしてしたのだが、国鉄からJRへの移行だとか、独占商売だったからとか種々の理由があるのだろう。なお、300系以降はボデーも鋼板から全アルミ製に変更されている。

 300系以後、700系だとか500系、最新のN700系だとか次期N700Sも予定(JR東日本は別途シリーズでここでは除外)されるらしいが、エポックは300系の投入だったろう。しかし、その300系も退役して久しい。

 この新幹線列車を素人ながら眺めて驚くことは多い。すなわち、東京→博多間1,100kmの区間の路線の安全を確保し続けていること。そして、停車駅で止まるのは当然として、カーブで安全を保つべき減速と再加速を行い、極めて正確な運行時間で走破させ、しかも東海道新幹線区間では10分間隔以下とも云える様な密集ダイヤを高速鉄道で実現させていること。また、乗り心地なども損なってないという地上設備と車両の管理には驚くべきものを感じる。新幹線は始発が6時頃で終電が午前0時頃だが、この休止6時間において、特に地上設備の点検が行われ続けている。それは、昼間の営業時間にも営業車の間に挟んで運行することがあるが、重に夜の運行間隔が開いたところで、走らせている電気系側車(ドクターイエロ)による、路盤(線路)や架線などの連続データサンプリングによるところが多い様に思える。異状データがあれば、即座にその夜の保守に作業に反映され修復しているのだ。よって、新幹線システムとして24時間営業運行はあり得ないのだ。

※写真説明
①JR東海博物館 0系、100系、300系
②300系のフロントノーズ ※この時代は手叩き板金なので凹凸が結構目立つ。現在はNCマシン削り出しで造形している。
③100系時代にあったという食堂車。一度は営業車で乗って楽しみたかったと思う。
④JR東海浜松工場での700系とN700系。16両編成400mがピット上に並び下回り点検に備える。
⑤新幹線ボデーと代車の切り離し。
⑥700系の代車ブレーキ ※アケボノ製で、ディスクプレートは車輪の両面に付く。
⑦代車 モーターなしの従車 ※ブレーキはディスクブレーキと渦電流式(リターダ)の両方が装備。
⑧代車 モーター付き ※モータ付きは回生制動するため渦電流(リターダ)は付かない。
⑨ドクターイエロー 電気計測車 ※各種計測器具 パンタ付近の架線を高速度撮影する機能も持つ。










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