今回は、我が(仮の)居住地である安城市から程近い吉良町のことを記して見たいと思います。
吉良と聞けば、そうあの有名な「忠臣蔵」に出てくる嫌な奴の代名詞みたいな吉良上野介の所領地であった吉良のことなのです。
司馬遼太郎の「街道をゆく」の本所深川散歩だったと思いますが、吉良氏および江戸本所の吉良邸のことが若干触れられています。それによれば、吉良家は徳川幕府の高家として、幕府の儀式式典を司る官職にあった様です。そんな幕府の高官であった吉良氏が、殿中での浅野氏との刃傷沙汰から官職を外され、屋敷も江戸城至近から江戸郊外となる本所の地に移ります。それから程なくして、例の有名な討ち入りが行われるのです。司馬さんも云っているのですが、幕府自体も予め復讐のごたごたが起こるのを予知して郊外に居住を移させたのではないかとか、あれ程の討ち入り衆がどうして幕士の抵抗もなく江戸を動き回り討ち入りを果たせたのかと不思議さがあるという様な疑問を表しています。そして、吉良氏を嫌な奴であったかもしれないが悪い奴ではなかったと思いを馳せています。
そんな吉良氏ですが、その菩提寺である華蔵持(けぞうじ)を訪れると、吉良氏の評価は決して低いものではないことが判ります。嫌な奴どころか、地元では良い殿様であったとの評価である様です。面白いことと思うのと、人の評価という面においての、難しさを感じさせることと思います。しかし、この様なことは今の世でもよくよくあることとも感じられます。送信日時: 2004年11月14日 日曜日 22:15(写真4枚)
01 愛知県内吉良町の位置 04/11/14
02 華蔵寺(けぞうじ)・吉良家菩提寺 04/11/14
03 華蔵寺(けぞうじ)・吉良家菩提寺 04/11/14
04 華蔵寺(けぞうじ)・吉良家菩提寺 04/11/14
吉良と聞けば、そうあの有名な「忠臣蔵」に出てくる嫌な奴の代名詞みたいな吉良上野介の所領地であった吉良のことなのです。
司馬遼太郎の「街道をゆく」の本所深川散歩だったと思いますが、吉良氏および江戸本所の吉良邸のことが若干触れられています。それによれば、吉良家は徳川幕府の高家として、幕府の儀式式典を司る官職にあった様です。そんな幕府の高官であった吉良氏が、殿中での浅野氏との刃傷沙汰から官職を外され、屋敷も江戸城至近から江戸郊外となる本所の地に移ります。それから程なくして、例の有名な討ち入りが行われるのです。司馬さんも云っているのですが、幕府自体も予め復讐のごたごたが起こるのを予知して郊外に居住を移させたのではないかとか、あれ程の討ち入り衆がどうして幕士の抵抗もなく江戸を動き回り討ち入りを果たせたのかと不思議さがあるという様な疑問を表しています。そして、吉良氏を嫌な奴であったかもしれないが悪い奴ではなかったと思いを馳せています。
そんな吉良氏ですが、その菩提寺である華蔵持(けぞうじ)を訪れると、吉良氏の評価は決して低いものではないことが判ります。嫌な奴どころか、地元では良い殿様であったとの評価である様です。面白いことと思うのと、人の評価という面においての、難しさを感じさせることと思います。しかし、この様なことは今の世でもよくよくあることとも感じられます。送信日時: 2004年11月14日 日曜日 22:15(写真4枚)
01 愛知県内吉良町の位置 04/11/14
02 華蔵寺(けぞうじ)・吉良家菩提寺 04/11/14
03 華蔵寺(けぞうじ)・吉良家菩提寺 04/11/14
04 華蔵寺(けぞうじ)・吉良家菩提寺 04/11/14