【書評】 安倍三代(青木理著)/(何故凡庸首相が長期政権たり得たのかは不明だ)
正直、本の文脈が読みづらく、完読するには辛さを感じつつ、斜め読みすることになった。
読む以前から、安倍晋三に強く感じる薄っぺらさとか、真の我が国の理想を何処まで持っているのか疑問であり、その辺りが知れることを期待したのだが、その解消には遠く及ばない内容だと受け取った。
ただ、晋三の直系父および祖父は、安倍晋太郎、安倍寛となるが、安倍寛という政治家の存在を初めて知った。安倍寛は 1894年4月29日 生まれで 1946年1月30日 に死没と、僅か51歳で病没と短命だったが、強い非戦、平和主義を主張していたそうだ。
一方、晋三の父、安倍晋太郎は、父寛の政治理想に影響を受けつつ育つ。1951年(昭和26年)5月、岸信介の長女・洋子と結婚する。このことで、晋三にとっては母方の祖父が岸信介となる訳で、大叔父には後の首相、佐藤栄作がいる。
この本で知る晋三は、父晋太郎との心の交流も少なく、ましてや祖父寛との交流はほぼない。幼少期から選挙区となる山口で過ごすことは希で、ほぼ東京で、成蹊小学、中学、高校、大学と一貫して成長する。その間の周辺の同窓生や教授達に、この本ではインタビューをしているが、成績は良くも悪くもないが、何しろ自己主張も少なく目立たない平凡さを誰もが述べている。
一方、母方祖父となる岸信介には、ほどほど溺愛も受けつつ、その思想的影響を受けたと見るが、先に記したとおり自己主張も弱いことから、さほど岸の思想信条の根幹から影響を受けたとは考えがたい。
それが、何故かとんとん拍子に 2006年9月に首相に上り詰めるも、約1年後の2007年9月、体調不良を主因として突然の様に辞任をした。ところが、その5年後、2012年12月に自民党が圧勝し、晋三も2度目の首相に就任した。爾来8年間という長期政権を維持したが、2020年初に突然の様に生じた世界的な病変下において、8月またまた体調不良を理由として辞任を表明した。
私見ながら、第2次安倍政権の8年間、この安倍晋三はしゃべりは、現在の如何にも暗い管首相の歯切れの悪い語りと異なり、例えて見れば役者が演じているかの様な巧みさを感じたと云える。しかし、その内容は何処か空疎で、「強く」とか「断固」とか云った形容詞が多用される割には、実態はおよそその様な形容に値するものではない薄っぺらい言葉だけが走っている、繰り返すが演じているに過ぎないことを繰り返し感じ続けて来た。それは何故なんだろうと考えた時、たぶん彼(晋三)には、この国の未来とか長期展望という一本筋が通った信念というべきものが欠落しているんだろうなと感じ続けたものだった。
最後に、表題の括弧書き副題として記した「何故凡庸首相が長期政権たり得たのかは不明」ということに関しては、この本では明確に検討はなされていない。しかし、先にも述べた様に、如何にも流ちょうなしゃべりとことさら大げさな形容詞を付けた演じに、周辺が煙に巻かれたのか騙されたのか、はたまた云ってもムダだと諦めたのか、追求が甘くなってしまった面があるのかも知れないと思える。これは国民気質もあるだろうが、晋三自体の空疎さもあるが、与党、野党、官僚、マスメディアなど、この国の指導者層全体の空疎さも総じて低かったということだろうと思っている。なお、現在の管政権も首相になる以前から、一種の恫喝だとか恐怖を官僚やマスメディアに与えることにより、批判を封じてきた面が多分にあると思えるが、これら周辺がそんなことで封じられることこそが、やはり空疎でその場が良ければ良いというある意味、個の責任とか身の程来し方に対する矜持というものを失った結果であった様に思える。
正直、本の文脈が読みづらく、完読するには辛さを感じつつ、斜め読みすることになった。
読む以前から、安倍晋三に強く感じる薄っぺらさとか、真の我が国の理想を何処まで持っているのか疑問であり、その辺りが知れることを期待したのだが、その解消には遠く及ばない内容だと受け取った。
ただ、晋三の直系父および祖父は、安倍晋太郎、安倍寛となるが、安倍寛という政治家の存在を初めて知った。安倍寛は 1894年4月29日 生まれで 1946年1月30日 に死没と、僅か51歳で病没と短命だったが、強い非戦、平和主義を主張していたそうだ。
一方、晋三の父、安倍晋太郎は、父寛の政治理想に影響を受けつつ育つ。1951年(昭和26年)5月、岸信介の長女・洋子と結婚する。このことで、晋三にとっては母方の祖父が岸信介となる訳で、大叔父には後の首相、佐藤栄作がいる。
この本で知る晋三は、父晋太郎との心の交流も少なく、ましてや祖父寛との交流はほぼない。幼少期から選挙区となる山口で過ごすことは希で、ほぼ東京で、成蹊小学、中学、高校、大学と一貫して成長する。その間の周辺の同窓生や教授達に、この本ではインタビューをしているが、成績は良くも悪くもないが、何しろ自己主張も少なく目立たない平凡さを誰もが述べている。
一方、母方祖父となる岸信介には、ほどほど溺愛も受けつつ、その思想的影響を受けたと見るが、先に記したとおり自己主張も弱いことから、さほど岸の思想信条の根幹から影響を受けたとは考えがたい。
それが、何故かとんとん拍子に 2006年9月に首相に上り詰めるも、約1年後の2007年9月、体調不良を主因として突然の様に辞任をした。ところが、その5年後、2012年12月に自民党が圧勝し、晋三も2度目の首相に就任した。爾来8年間という長期政権を維持したが、2020年初に突然の様に生じた世界的な病変下において、8月またまた体調不良を理由として辞任を表明した。
私見ながら、第2次安倍政権の8年間、この安倍晋三はしゃべりは、現在の如何にも暗い管首相の歯切れの悪い語りと異なり、例えて見れば役者が演じているかの様な巧みさを感じたと云える。しかし、その内容は何処か空疎で、「強く」とか「断固」とか云った形容詞が多用される割には、実態はおよそその様な形容に値するものではない薄っぺらい言葉だけが走っている、繰り返すが演じているに過ぎないことを繰り返し感じ続けて来た。それは何故なんだろうと考えた時、たぶん彼(晋三)には、この国の未来とか長期展望という一本筋が通った信念というべきものが欠落しているんだろうなと感じ続けたものだった。
最後に、表題の括弧書き副題として記した「何故凡庸首相が長期政権たり得たのかは不明」ということに関しては、この本では明確に検討はなされていない。しかし、先にも述べた様に、如何にも流ちょうなしゃべりとことさら大げさな形容詞を付けた演じに、周辺が煙に巻かれたのか騙されたのか、はたまた云ってもムダだと諦めたのか、追求が甘くなってしまった面があるのかも知れないと思える。これは国民気質もあるだろうが、晋三自体の空疎さもあるが、与党、野党、官僚、マスメディアなど、この国の指導者層全体の空疎さも総じて低かったということだろうと思っている。なお、現在の管政権も首相になる以前から、一種の恫喝だとか恐怖を官僚やマスメディアに与えることにより、批判を封じてきた面が多分にあると思えるが、これら周辺がそんなことで封じられることこそが、やはり空疎でその場が良ければ良いというある意味、個の責任とか身の程来し方に対する矜持というものを失った結果であった様に思える。