沼津機関区のことなど 2018-08-16(再掲)
JR沼津駅南口にSL(蒸気機関車)の動輪と共に「沼津機関区」の碑がある。同碑の下部にある略史によれば、同機関区は明治19年に開設され、同22年に東海道本線開通と共に沼津駅開設などとある。この碑や略史から、かねがね往時の沼津機関区のことなどに関心を向けていたところなのだ。
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/38053561f44e32311240289f858e4073
※追記
沼津機関区が大活躍していた往時(つまり丹那トンネルが出来る以前まで)、同機関区で働く者とその家族を入れれば、1万人はいたのではないかと想像する。今、全国で地方都市は人口減に喘ぎつつ、経済環境と人々の暮らしも右肩下がりに降下しつつある。そんな誰でも判ることを、沼津市政は20年前(つまりバブル経済末期)に決めた高架計画なんてものを、頑なにその通りに進めようとしている。こういうアホ共が市政を進めているし、世論もそのことに異を唱える者は少ないのが現実の問題なのだ。「バカは死ななきゃ・・・」と云うが、差し当たって死ぬのは、私が冥界に旅立った後だから、良しとするしかない・・・。
JR沼津駅南口にSL(蒸気機関車)の動輪と共に「沼津機関区」の碑がある。同碑の下部にある略史によれば、同機関区は明治19年に開設され、同22年に東海道本線開通と共に沼津駅開設などとある。この碑や略史から、かねがね往時の沼津機関区のことなどに関心を向けていたところなのだ。
https://blog.goo.ne.jp/wiseman410/e/38053561f44e32311240289f858e4073
※追記
沼津機関区が大活躍していた往時(つまり丹那トンネルが出来る以前まで)、同機関区で働く者とその家族を入れれば、1万人はいたのではないかと想像する。今、全国で地方都市は人口減に喘ぎつつ、経済環境と人々の暮らしも右肩下がりに降下しつつある。そんな誰でも判ることを、沼津市政は20年前(つまりバブル経済末期)に決めた高架計画なんてものを、頑なにその通りに進めようとしている。こういうアホ共が市政を進めているし、世論もそのことに異を唱える者は少ないのが現実の問題なのだ。「バカは死ななきゃ・・・」と云うが、差し当たって死ぬのは、私が冥界に旅立った後だから、良しとするしかない・・・。