現在の中国の振る舞いには、いろいろと議論の余地があります。
でも、中国二千有余年の歴史は、間違いなく偉大なものです。
そして、その知恵は現代社会にも十分生かせます。
今日はそのひとつ「老子」から。
◆大きなことを為さないから、大きなことを成せる
海に沿って生きるものは、漂っているかのようであって、
何にも拘束されず、右にも左にも動くことができる。
功を成しつつ、事を遂げて、
しかもその功績は認識されず、名付けられもしない。
万物が帰順しても、その主となることはない。
そうして常に無欲であって、
そのありさまは「小」と名付けられるべきだ。
万物が帰順しても、その主となることはない。
そのありさまは「大」と名付けられるべきだ。
こういうわけで、聖人が大きなことを成すのは、
大きなことを為さないからである。
それゆえ、大きなことを成す。
文は平易なんですが、意訳は難解です。
特に第三段・第四段は、よくわかりません。
ただ最終段(第五段)を読んでわかったような気がします。
でも、中国二千有余年の歴史は、間違いなく偉大なものです。
そして、その知恵は現代社会にも十分生かせます。
今日はそのひとつ「老子」から。
◆大きなことを為さないから、大きなことを成せる
海に沿って生きるものは、漂っているかのようであって、
何にも拘束されず、右にも左にも動くことができる。
功を成しつつ、事を遂げて、
しかもその功績は認識されず、名付けられもしない。
万物が帰順しても、その主となることはない。
そうして常に無欲であって、
そのありさまは「小」と名付けられるべきだ。
万物が帰順しても、その主となることはない。
そのありさまは「大」と名付けられるべきだ。
こういうわけで、聖人が大きなことを成すのは、
大きなことを為さないからである。
それゆえ、大きなことを成す。
文は平易なんですが、意訳は難解です。
特に第三段・第四段は、よくわかりません。
ただ最終段(第五段)を読んでわかったような気がします。