つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

自分らしく

2024-01-26 06:45:27 | 日記

人はそれぞれ自分の個性を持っているものだ。

そしてそれで、自分の人生を生きている。

周りから見て、それが少し人生のスケジュールからはずれていても、その人なりの意味があるのだろう。

だから、一般的なというものに枠を嵌めてはいけない。

そういった制限をすることは、その生き方を否定してしまうことにもなるのだから。

 

◆どう生きるのか

 三屋裕子女史は言う、元バレーボールの選手で、現在は大学の講師のようだ。

 これからの人生は私らしく生きていきたいものです。

 なんだか、目の前が急に開けたような軽やかな気分です。

 自分は、「自分らしく」そういった生き方を続けたいものです。

 これからも、そういう生き方を続けたいと思っています。

 

 →「自分らしく」それは大事なことなのかもしれません。

  でもそれは、他人を否定しないことも必要なものなのかもしれませんね。

  もう少し考えてから、女史の考えを受け入れてみたいものです。


「正しいこと」

2024-01-25 06:36:59 | 日記

今日はマンガ喫茶で考えさせられた。

弘兼憲史氏の作だ。

正しいこと」とは、なんだろう。

自分のみにとってではないことはわかる、では世間の大部分なのか、いやいやそうでもないようだ、

氏によればそれは、顧客の求めるものだそうだ。

 

◆自らの信ずる「正しいこと」を主張してはいけない

 一般的な日常生活にも援用できるのだが、ビジネス上の顧客に対する対応として考えてみる。

 ビジネスを行う上で、たとえそれが正しいと思われることであっても、顧客を怒らせる行動はとらないだろう。

 人間の主観は様々であって、同一事象でも人によって正しくもあり、また間違いでもあるのだから。

 だから、正しいことを押し通すことよりも、顧客に満足を与えることを第一義に考えるべきだ。

 

 「正しいこと」だといくら主張してみても、それが社会や顧客に受け入れられないことは多くある。

 だから、ある意味自分と妥協することも必要となる。

 自分の心さえ失わなければいい、それが社会や顧客に受け入れられる時が来たら堂々と主張すればいいのだ。

 そう「正しいこと」とは、時と場合と相手によって変わるものだから。

 

 →ビジネスマンとして当然なのかもしれませんが、改めて噛み締めたいものですよね。

 

 


素人のパソコン対策

2024-01-24 06:38:38 | 日記

おいらのノートパソコンは、購入後約5年が経過している。

その能力は、当時としては平均的なメモリー4GB、ハードディスク128GBだ。

パソコンは5年ほどでそのパフォーマンスが低下するので、買い替えの検討が必要だそうだ。

だが、できればそんな費用は先送りしたい。

動作が緩慢になってきたので、パソコンに詳しい友人に不要アプリのアンインストールと、

不急アプリを作動させないようにしてもらった。

それで動きが若干スムーズになったのだが、さらに自分で対策をとってみた。

 

◆年老いたハードディスクの負荷を軽減する

 人間だって、年齢を重ねれば若いころと同様のパフォーマンスは望めないはずだ。

 ためしに、手持ちの4GBメモリースティックにドキュメントにあるエクセルデータをバックアップした。

 そして、バックアップしたのだから、それらの大半(1年以上前のファイル)をパソコンから消去した。

 すると、気のせいかもしれないが、パソコンの動作がさらに少し早くなったようだ。

 

 これはいい、早速〇〇電機に、メモリースティックの追加購入に向かった。

 すると、5年前の4GBと同様の価格(千円以下で)、64GBを買うことができた。

 それにパソコンのピクチャ-にある画像(主に旅の記録と野鳥写真)をバックアップし、

 パソコンからはそれらの大半(1年以上前の画像)を消去した。

 おお~  なんとパソコンの動作が劇的に改善されたではないか。

 素人対策でもなんとかなるものですね。

 なお、症状の重い方は、外付けのハードディスク(512GBか1TB:1万円未満)を購入して、

 それにデータを移行すると共に、パソコン本体からデータ消去をすれば良いようです。

 

 

 

 


積極的に生きる

2024-01-23 06:31:42 | 日記

腕に自信のある船乗りは、静かな海よりも、荒波を乗り切る航海の方が張り合いがある、と言う。

これは、わかる感覚だ。

手前味噌なのだが、おいらも乱世の方が自らの力を発揮できるような気がする。

嬉しいことに、中村天風師の哲学も、その真髄は「苦難に立ち向かう」ことだそうだ。

 

どんなときも積極人生を歩む覚悟

 この人生を積極一貫で生き抜く覚悟をした人は、

 穏やかな人生より、問題が多発する荒波の人生を乗り越えることに張り合いを感じる。

 それは師の原体験によるという。

 日露戦争時のその極限の体験は、本当の危機は心が消極的になったときにやってくるというものだ。

 

 だから、いかなる場合においても、常に積極的な心構えを保持して、堂々と人生を生きるべきで、

 これこそが、天風哲学の重要な思考である。

 困ったことが起きるのが人生だ。

 どんなに健康な人でも、病にかかる。

 逆境に身を置かれることもある。

 そんな人生はどう生きればいいのか。

 どんなときも積極的に生きるほかには道は拓けない。

 

 →力強い言葉だ。幸いおいらも砕け散るほどの逆境には遭遇していないので、なんとかやってこれた。

  だが、師の言葉を実践できるだけの自信はまだない。

 

 

 

 


「高転び:たかころび」

2024-01-22 06:32:48 | 日記

高転び(たかころび)なる言葉がある。

得意の絶頂に近い所から、転落することを言うのだろう。

昨今週刊誌やワイドニュースを騒がせている、松本人志氏にぴったりの言葉のようだ。

報道でしか知らないので、事実関係ははっきりとは知らない。

だが高い所(人気の頂点)から、転落(不名誉な報道を受ける)したことは間違いがないだろう。

それを、おいら自身にも重ね合わせてみた。

 

中枢から脱落した

 おいらが所属する業界は、新規出店で企業成長するのが一般的だ。

 そして、その新規出店を司るのは開発部だ。

 幸運なことにその開発部に職を得て、さらに幸運なことに所轄する上司の覚えも目出度かった。

 だが、僥倖は長続きしないものだ。

 心が通じていたとも思えるその上司が病魔に襲われたのだ。

 退任した上司の後任には、別部署のベテランが就任した。

 新たな上司は、部下の話もよく聞くバランスのとれた良い上司だった。

 だが、それこそがバランスを欠く原因だったのだ。

 

 徒党を組む小集団が発生していた。

 組織内に野心を持つ存在があることは承知していた。

 だが彼は、業務処理能力的にはたいした存在ではなかった。

 なのでおいらは、油断というか無視をしていたのだが、それがいけなかった。

 彼がどうやったかははっきりとはわからないが、とにかくおいらを部内ミーティングで指弾したのだ。

 と同時に、他のメンバーもそれに同調したのだ。

 バランスのとれた新上司も、部内の大多数の意見に引きずられて、おいらを閑職に異動させた。

 

 結果が良ければそれでもいい。

 だが残念なことに、その後開発業務は停滞しているようだし、なじみの業者からそれとなく聴きとると、

 接待文化が広まって、業務の対価の金銭が増して、請負金額が高まらざるを得ないようだ。

 たしかにおいらは「高転び」した、だが同時に順調だった企業も同時に「高転び」したのかもしれません。

 良い状態を長続きさせるのは、企業にとっても個人にとっても難しいもののようです。