都路マンスリーディスクゴルフミニ大会が午前中に終了するので、
午後からは田村市をちょっと観光。
今回は、
田村市周遊観光パンフレットに載っている伝説のパワースポット「お人形様」。
江戸時代に流行した悪病を払うために建てられたといわれる魔除けの神様。
なぎなたと刀を持ち、両手を広げて通せんぼのしぐさをしているのが特徴だそうです。
現在では船引町の3か所に祀られているので全て巡ってみます。
最初は「朴(ほおのき)橋のお人形様」。
とょっと離れた道路わきに駐車場を発見。
のどかな山際の山道を進みます。
街道を見下ろす高台に建てられていました。
田村市の船引町から三春町にかけての磐城街道沿いには、集落内に人型の神像を祀り、
それを毎年作り変える習俗があり、当地方ではこの人形を「オニンギョウサマ」と称してます。
磐城街道沿いのオニンギョウサマ制作の習俗は、船引町屋形、朴橋、堀越の三地区に伝承されているのみで他は廃絶したそうです。
いずれのお人形様も4mもの高さの骨組みの柱に木製の異形の面をかけ、
杉の葉を用いて頭髪やひげを象り、藁で編んだ衣をかぶせて、両手には武器を持たせたもの。
これらのオニンギョウサマは外から入り込む疫病などを防ぐ目的で、
集落の家々や街道を見晴らす場所に祀ってます。
由緒書きには、
朴橋のオニンギョウサマは、幟旗には「奉納久比毘古命(くいびこのみこと)」とあります。
久比毘古命は「古事記」に「久比毘古命は今に山田の曾富騰(そほど)という」とあります。
曾富騰は案山子のことで、案山子に与えられた神の名です。
一説に人形の由来として、その昔、里の住民が黒ほうそうやチフスの疫病に罹ったので久比毘古命を祀ったとあります。
朴橋のオニンギョウサマの古い面にあった「安政元年(1854年)」の銘からも長い歴史を持っていることがわかります。
地域の皆さんが材料を持ち寄って毎年春に衣を作り変えているそうです。
次に向かったのは「屋形のお人形様」。
舗装された山道を登ったところにありました。
屋形のお人形様は、地域の皆さんが集まってちょうど衣替えの最中でした。
屋形のお人形様は、「天由布都々神」を祭神としているそうです。
最後は「堀越のお人形様」。
お人形様は「明石神社」の境内に祀られていました。
先ずは明石神社に参拝。
境内には田村将軍夜明石なるものがありました。
赤い橋を渡った先に祀られています。
パンフレットの写真は堀越のお人形様でした。
明治時代まで明石神社の西側に祀られていたが、お面だけ明石神社に数十年保存されており、
関係機関や地域住民の賛同により明石神社の境内に復元されたようです。
三つのお人形様にコロナ早期収束をお願いしてきました。
田村市の伝説のパースポット散策ルートは全クリアしました。
次はどこへ行こうかな。
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