美味しい海鮮丼を求めていわき市へ。
海鮮丼は四倉の「お食事酒処 和」さんで美味しい海鮮丼を堪能。
詳細は、こちら をどうぞ。
海鮮丼を無事に食べ終えて満足した後は、
とりあえず塩屋崎灯台に行ってみます。
塩屋崎灯台周辺は道路工事中。
コロナ禍のせいか観光客は誰もいない。
売店も休業中でした。
誰もいないけどマスクを着用して灯台へ登ります。
灯台までは約10分位かな?
明治32年りに設置され、その後、昭和15年に改築されたのが現在の灯台だそうです。
昭和46年まで職員が居住していたんですね。
映画「喜びも悲しみも幾年月」灯台職員と家族が辺地の灯台勤務で積み重ねる、長い人生の哀歓を描いた作品で、
当時の塩屋崎灯台長夫人が書いた手記を原案にしていたそうです。
と記念碑そのような事がに書いてありました。
塩屋崎灯台は全国で16しかない「登れる灯台」。
何回か登ったことがあるし、強風で寒いけど、
入館料300円は灯台の維持に使われるそうなので登ります。
灯台に登る前に資料館を見学。
塩屋崎灯台点灯120周年記念で松本零士先生よりイラストを描いていただいたそうです。
東日本大震災大津波の犠牲になった10歳の少女鈴木姫花が書いた灯台の絵。
生前に書いた灯台の絵はコンクールで入賞。
震災後に悲嘆にくれる中で両親は「生きた証を残してあげたい」と、
その絵をハンカチにして、地元の土産店で販売し、収益金を震災義援金として市へ寄付したそうです。
そのハンカチが展示されていました。
震災では多くの子供たちも犠牲になったんですよ。
その他、灯台のいろいろを勉強させていただきました。
いよいよ灯台へ登ります。
白亜のきれいな灯台が青空に映えますね。
螺旋階段は103段。
「展望台に出るときには突風に注意してくださいね」と言われたので慎重に!!
手摺に摑まりながら何とか一周できました。
北側、薄磯海岸方面。
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東側は太平洋。
南側は豊間海岸。
西側は灯台の事務所と資料館、工事中の広場。
灯台へ通じる道路は工事中で薄磯海岸方面からのみ通行可。
寒いのですぐに下ります。
灯台の次は、薄磯海岸にできた「いわき震災伝承みらい館」へ。
地震、津波に加え、原発事故が重なるという未曽有の複合災害に見舞われた、
いわき市の震災経験をあらためて捉えなおし、震災の記憶や教訓を風化させず
確実に後世へと伝えていくことを目的とした施設。
薄磯地区を襲った大津波の高さは8.51m。
ここは豊間中学校があったところかな?
東日本大震災から得られた教訓について映像で教えてくれます。
写真で見ると被災の甚大さがわかります。
東日本大震災の巨大地震についての解説。
いわき市各地の大津波の映像。
豊間中学校に設置されていたタイムレコーダーは津波襲来時間で停止しています。
3月11日は中学校の卒業式だったんですよね。
津波被災から蘇った「奇跡のピアノ」が展示されていました。
震災当時の状況や復興に向けた取り組みの様子が伝えられています。
メインのモニターでは津波の映像や復興の様子が放映されていました。
何回も見入ってしまいます。
福島県の被災地各地で震災を伝える伝承館が建設されています。
もうすぐ震災と原発事故から10年。
まだまだ震災は終わっていないんですよ。
伝承館から小名浜へ。
いつも多くの観光客でにぎわっている小名浜も閑散としていました。
いわき・ら・ら・ミュウも休館?
と思って行ってみると営業中。
管内にも観光客はいない。
この姿を見るとコロナ禍の影響が甚大なことがわかります。
早く元の姿に戻ることを祈りたい。
ら・ら・ミュウの1階にフリーのピアノが設置されていました。
観光客がいないから演奏している音が管内いっぱいに鳴り響いていました。
凄く上手なピアニスト?が奏でる旋律をしばし鑑賞。
ということで、
平日のいわきを久しぶりに散策してきた話でした。
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