※秋になりましたのでテンプレート変更です~
1973年(昭和48年)に生を受けたZUYAさん、今年で40年となります
ZUYAさんは物心が付いた頃には既に“カナヅチ”でした
小学校や中学校ではプールの端(恥?)に(泳げない生徒のための)専用コースが設けられ、いつもそこに入れられました。他の生徒がスムーズに泳ぎを楽しむためにそうやって分けるのは良いが、その“専用コース”から“通常コース”に昇格した者は記憶にある限りはいない。当時の教師の無能さが今思い出すと腹立たしい。まぁ奴らもめんどくさかったのであろう
ZUYAさんは運動神経は良い方だったのですが、水泳だけは本当にどうしようもなかった。親も教えてくれる気も習いに行かせる気も無かったですし(笑)。だいたい“クラス対抗水泳リレー”なんて“何のいじめだよ!”と思ったものだ。どうやったって泳いでいる奴に歩いている奴が敵うわけがないよなぁ
んなわけでZUYAさんは高校はプールのない学校を選び(笑)、次にプールに入るのは21年後の2010年、ワイフに脅されて東武動物公園のプールに連れて行かれた時である
翌2011年には福島県いわき市にある 『 ハワイアンズ 』 へ。この時は義母とその友人と4人で出かけたのですが、そうそうあの大震災の一ヶ月前でしたねぇ
そしてまたしばらく間が空いて、先日の土曜日に“お小遣い”をエサにプールへ連れて行かれたわけです
てな感じでプールとはなるべく関わらないように何十年も過してきたZUYAさんですが、初めて自分の意思でプールへ行ってみようかなと思ったのは昨日の朝のことでした
仕事が終わって板橋区の施設に着いたのは夕方6時半。天気も悪くその上休・祝日は閉館時間が早いと言うこともあり、7時を過ぎた辺りから利用者は数人になっていた。“これは絶好な日だ~!”と黙々と練習しておりましたが、25mプールの半分ほどまで何回か到達するのが精一杯でしたねぇ
途中でふと一人の男性がZUYAの練習をずっと眺めていることに気付きまして...泳がないで水の中でずっとZUYAさんを見ているのです。絶対に怪しい輩(モーホー)に違いないと思っていると話しかけて来ました、“私ここで指導員をしております...”
プールなのでもちろんメガネをかけていないZUYAさん。可能な限り目を細めて焦点を合わせると、確かにキャップに 『 指導員 』 の文字が、失礼いたしました~
“練習なさっているようで、いくつかアドバイスを差し上げたいですがよろしいですか?”
んなわけで幾つかの改善点を教えてもらい、さらいに黙々と泳ぎ続けました。幸い(不幸?)にも周りにはビキニのナイスバディのお姉さんなんぞいるわけもありませんからひたすら泳ぐのみ
練習開始から1時間30後、遂にその時が着ました...
人生初25m泳ぐことが出来たのです~
余りの嬉しさに人が少ないとは言え
“やった~”と叫んでしまいました(笑)
ふと周囲にいるはずの指導員を探すとトイレか何処か行って見当たらない...(おいおい見ててくれよぉ...)
戻ってきた指導員に事後報告するもその後はまた泳げずじまい。すると15分ほど経ってからもう一度25m泳ぎ切ることが出来ました。今度はちゃんと“証人”もおりました
まさかこの年になって25m泳げるようになるとは夢にも思いませんでしたねぇ。指導員さん曰く“自分からプールに行こう!”と思ったのが良かったのではと
ZUYAさんは時々に物事が巧く行かない時に“逆説的に”あえて敬遠して来たことにチャレンジすることがあります。もちろんそれが良い効果を生むときもあれば一層嫌になることもありますがね
さぁてこの世を去るまでに海で泳げるようになるかなぁ
P.S.
昨夜家に帰るとお義母さんからのプレゼント(自分用に買ったけどデザインがやっぱり気に食わないとかで...)で偶然にも水中メガネを頂きました。もし25m泳げてなかったら...ゴミ箱行きだったろうな