音楽のこと
病気のこと
仕事のこと
家族のこと
お金のこと
悩みなんて挙げると
切りがない
とにかく
前を向いて生きる
それしかないないやん
2008年 Sam Ishiharaと
おはようございますZUYAさんです
“毎日 毎日 僕らは鉄板の~♪”
と、この歌をどれぐらいの数の人が口ずさんでいるかはわかりませんが、とにかく暑いですね 。“カナダ仕込み”で寒いのはお得意なのですが、暑さと年上の女性にはめっぽう弱いZUYAさん。昔、愛媛県松山市で出逢った“明美”と言う名の女は…
いや、止めておきましょう
代わりに先日の横浜・三渓園で出会った可愛い娘ちゃん達の写真を載せておきますね。みんな“年下”だと思いますけどね~
昨夜は憂さ晴らし、営業再開祝い(※お好み焼き屋でなく)、弔い酒等々が重なり久々に泥酔でした。それでも目が覚めるとちゃんと家にいる小生は素晴らしい。一度ぐらい見知らぬ女が隣に寝ていて…なんてことはないのでしょうかね
昨年の夏、正確には2021年6月27日。“ソウルメイト”だったカントリー・ミュージシャンのSam石原が旅立ちました(享年79歳)。彼は恩人であると共に素晴らしいマブダチの一人でした
皆さんが思っている以上に、音楽の世界と言うのは広くて深いものです。ジャンルも細分化され、音楽を提供する手段・方法も時代と共に多種多様になりましたが、ZUYAさんと同じように彼は“ライブ演奏”に拘りました。演奏だけでなくオーディエンス(お客さん)を如何に楽しませるかと言うことを常に頭に入れていました
カナダから帰国し、2001年から東京を拠点として音楽活動を始めたZUYAさん。体型はしばしば変わりますが、基本的な生活スタイルはその間ほぼ変わっていませんね。“ボヘミアン”?、“世捨て人”?、いやいや、“ブルースマン”ですね
日本のカテゴライズされた音楽業界や自由気ままに生きる生活への風当たり、色々な面で一杯一杯になっていて一念奮起した年に出逢ったのが、Sam石原でした(どう言う訳か、ワイフに出逢ったのも、同年…)
カナダ時代、場末のモーテルやトイレや地下室で如何わしい行為が行われているようなライブスポットで演奏していたZUYAさん。カナダに渡るまでカントリー・ミュージックとは無縁でしたが、向こうで目覚めました。だいたいブルースバンドがレパートリーにカントリーの曲を入れていたり、その逆もあるわけですから
Samとは赤坂、新宿、国立、赤羽、立川、羽村等々、月に4~5回ほど演奏することに。ライブハウスだけでなく場末のスナックのような吞み屋まで
Samは知る人ぞ知る(ロナルド・レーガンまでもが知っていた)お店を赤坂でやっていましたが、1999年に店を閉め“カントリー・シンガー”として生きて行く道を選び、東京を中心に場末の酒場やライブハウス、個人パーティー等で弾き語りをするようになったわけです
ZUYAさんはブルースマンですが、時折James Burtonのようなサウンドを織り交ぜて弾くので、そこにSamは目を付けたわけですね
2008年 赤羽「Woody」にて
追悼も兼ねて、カントリーのアルバムを紹介しますね
もし“カントリー・ミュージックを聴いてみたいのですがお薦めを?”と言われたら、間違いなく最初に薦めるのが、このHank Williamsですね
僅か5、6年しかシーンで活躍しませんでしたが、その偉大な歌声、歌詞、功績は“キング・オブ・カントリーですね”。カナダ時代もサムとのライブでもよく演奏したものです
さて今日は休日。“梅雨が明けるまでに…”と言うプランがいくつかありました。換気扇の掃除やら畳の部屋のダニ対策とかね。それらが急に夏が到来してしまって、出来ずじまいで溜まっています
それらをするか遊びに行くか、朝からボトルを開けるか...
人生はあなた次第
(※だめだ…まだかなり酔いが…)
Have A Good Day,Folks!
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