陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

アンダークラス

2009-12-24 08:59:10 | Weblog
新聞によると、今夜は世界の「多くの人々にとって」特別なひとときなんだそうな(日経「春秋」)。
多くの人々?
「ある特定の人々」じゃあないかと思うけどね。。

日本では、一日クリスチャンが増えるのであろうかの?
クリスチャンではないワタシにとっては、クリスマスなんぞ無関係。
まして、プアな者には普段と何も変わりはしませんぞ。
アンダークラスにとってはどうであろう?

「アンダークラス」、最近、この言葉が再び関心を集めているそうな。
もともとは「社会的要因による貧困層」の概念だという。
最近はそれに様々な視点が加味されているらしい。

普通の労働者の収入に満たない者たち。
今の日本でいえば、非正規労働者が典型的な存在とのこと。

日本の貧困線(最低限必要と思われる生活費の水準)は、
OECDの計算では、一人暮らしで約150万円、二人家族212万円、三人家族259万円、四人家族300万円。
7人に1人が貧困層だという。
アメリカと同じになってきましたのう。

150万円+@50万円でござるか。
しかし、都会と地方では生活費に差があるだろうし、
また、住まいが賃貸か、親元同居なのかで随分と違うと思うけど、
まあ、一つの目安といったところでござろうかのう。

ここに区分される層も問題だけれど、
もっと大きな問題は、
いつ何時、普通の労働者がこのアンダークラスに陥落するかも知れぬ、
その可能性に(密かに)怯えている。
みんなが。
ということではありませぬか?

ワタシの印象では、
このアンダークラスは、一度陥ったら抜け出せないアリ地獄の穴に落ちた者たち。
ブラックボックスと同じ。

イメージでは、
穴に落ちた者に加え、
まだ穴に落ちてはいないが、穴の周囲1mの範囲(=その境界線上)にいる者を含めると、
全体の80%を占めるのではありませんかのう。
逆に、一応の安全エリアにいるのは20%。
殆どの者がその境界エリアにいるが、気づかないか、怖いから見ない様にしているだけ。

ワタシも、会社を辞めたとき、その穴に足を踏み入れ、
ズルズルと10mほど下に落ちた。
その後、必死にもがいて、地表から5m下のところまで這い上がったが、
いまだに地表下での足踏み状態が続いている。
足の上げ下げを止めると、10mどころか、更にその下、穴の底まで落ちてしまう。
今は、地表下で、更に落ちることだけをかろうじて免れているが、
しかし、そのための足の上下だけでもホトホト疲れますぞ。

「幸福な家庭は似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」と書いたのは誰?
トルストイのおっさんよ。
ワタシゃ、逆だと思うけどね。
不幸なものは皆、ただしんどいだけの日々の連続なんでござりますよ。

穴に落ちるのは社会の仕組みが原因。
しかし、落ちた後、底まで落ちない様に這い上がるのは、ホンニンの問題。
それが資本主義の掟。
それが現実。
つまり、穴の周りに柵を張るとか、穴そのものをふさぐのは政治なり社会の責任であり、
不幸にして穴に落ちた者は、地表に出ようとするなら、自力で出ねばなりませぬ。
勿論、仕組みとして穴にロープを用意しておくとか、その辺りの措置は必要。
自力で抜け出せない者は、落ちる(堕ちる)しかござらぬ。
誰かや社会を頼り、タナボタを待っても、そんなものは期待するだけムダというもの。

カミサマ、ホトケサマを、声をからして呼んでも、
それはエネルギーの浪費。
穴に落ちたワタシにはよく分かる。
社会が悪いだの、政治が悪いだの言っても、それはジブンのい言い訳。
この資本主義の世に、自力以外のものを頼っても、それは筋違いというものでござろうよ。

穴に落ちた者にとって、地表は「坂の上の雲」。
雲を目指して坂を昇りましょうぞ。
とは言いつつも、
ワタシも、この数年段々と疲れてきて、坂の上はまだまだ遥かかなた。
永遠とはこれを言うのでござろうや?
しかし、ここで足の動きを弱めると、どうなるか。
一輪車は、こぎ続けないと倒れてしまう。

80%の者が、残り20%の者を成り立たせている。
80%は踏み台にされている現実。
これじゃあ、世を転覆でもせんとどうにもなりませんがな。
しかし、ワタシにゃあ、もはやそんな力はありませんぞな。
どうしたものでござろう?

仕方がないから、
バクダンでも抱えて落ちて、底にいる「蟻地獄」を吹っ飛ばしてやりましょうかのう。
クリスマスの花火として。
もっとも、バクダンが手元にないんだけどね。
コメント
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