先日、会社で隣で作業している小娘…
…もとい女の子と話した内容です。
その女の子、ロードスターがFMCしたら欲しいらしいです。
雑誌などにいろいろスクープ記事が出ているので
それを頼りに期待を膨らませているらしいです。
新しいのは軽いらしい…。
その話をしていた時の内容です。
私:「期待してるけどそう簡単には軽くならないだろうなぁ」
娘:「えー何でですか?」
私:「安全装備とかもあるけど、今のクルマは装備が多いもん
初代はそれこそ何もついてなかったもんねぇ」
娘:「だから軽かったんですか~」
私:「知ってるか? 初代はトランクに内張りは無いし
アンテナだって自分で差し込んで付けたんだぜ(笑)」
娘:「えーそんなんだったんですか?」
私:「とにかく何もついてない状態だったんだよ」
そう…確かに”何もついてなかった”です。
1989年誕生の初代ロードスターは素の状態が…
手元にある「モーターファン別冊・ユーノスロードスターのすべて」によると
ベース車が170万円から。
標準装備は
間欠ワイパー(笑 時代を感じる)
防眩ルームミラー
AM/FMチューナーつきカセットデッキ(笑)
キー付きグローブボックス
ビスカスLSD
4輪ディスクブレーキ など
私の記憶が確かならば、発売後すぐにOpt体系が見直され
素のエアコンもオーディオも無い仕様があったはずです。
(たしかこれは150万円そこそこだった筈)
当時ディーラーにて若いセールスさんと
「Splパッケージは高いから、エアコンとパワステ+パワーウィンドーで買って
あとはオーディオもハンドルもホイールも好きなのつければいいよ」
などと話した記憶がございます。
素の状態だとエアコンもパワーステアリングもオーディオも、
パワーウィンドーすら無く、アンテナは外に下りて手で差し込まねばならず、
アルミホイールも履かずに鉄のディッシュホイールで、
ハンドルもシフトノブもウレタン…そんなスポーツカー。
シンプル過ぎないか?
いかに20年以上前のこととは言え、あまりにもシンプルです。
シンプル過ぎると言った方が合っていると思います。
デビュー当時はバブル景気の真っ只中です。
「クルマは高ければ高いほど売れる」と言われた時代です。
新車価格が800万円超のNSXやセルシオ、
500万円超のGT-R、Zなどが飛ぶように売れた時代です。
装備も圧倒的に充実し、小型車にも本皮シートのOptがあった時代です。
パワステもパワーウィンドーも豪華なオーディオも
強力なオートエアコンも立派なアルミホイールも当たり前になった時代です。
アンテナもAピラーにあったものを伸ばす時代から
トランク脇に電動格納式がにょきっと生える時代になって久しいです。
「シンプルさがロードスターの魅力」
…というのはよく言われます。
それにしても時代に明らかに逆行しています。
初代ロードスターはバブル景気に浮かれたムードの中の
そういった企画が通りやすかった雰囲気の中で生まれたクルマの
一台であることは間違いないと思います。
ただ…企画を通した経緯は時代に乗っていましたが
企画の中身は…今考えれば、
バブル景気の世の中に対するアンチテーゼであったと思います。
どんどん豪華に、そしてパワフルに大きくなっていく自動車に対して
全く逆のアプローチで挑んだのではないかと。
結果として英国風のオープンスポーツに似た中身になりましたが
私は実はあまり似ていないと思っています。
それはロードスターがあまりに独自の哲学を持っていると感じたからです。
中身は「昔のとんがったマツダ」です。
小さいけど本当のスポーツカーでした。
少なくとも昔のマツダはROCKな会社でした。
いい意味ですごく天邪鬼な会社でした。
世の中が右に行くならマツダは左に行く…そんな会社でした。
私はそう思ってます。
歴代RX-7はパワフルでありながら、パワーを売りにしていません。
むしろクルマの切れ味を売りにしていました。
ロータリーエンジンの採用だってそうです。
「レシプロが主流で優秀なのは分かってるけど、
死んでもそんなモン使うかよ、バーカ!」というような意識でしょう。
そして普通のメーカーは運転手に与えるものを約束する…といった
フレーズでカタログを彩るのですが
昔のマツダの場合は”運転手がドライバーとしてクルマに与えるもの”を
カタログで平然と要求していました(言葉を柔らかくはしていましたが)
だからマツダの車はとんがってるし、マツダ乗りもとんがっていました(^^;)
それがマツダ乗りの誇りであり矜持であった…と思ってます。
ロードスターもマツダらしくとんがっていました。
そこが英国車のヒストリックカーのコピーではないと思う所以です。
そしてロードスターはその「とんがり」を競合車に向けるのではなく
バブルに浮かれる世の中に向けたのだと思います。
豪華絢爛に浮かれ夢を見る世の中に対して
清廉潔白の日本人の魂で対抗したのです。
車体とサスこそ専用ですけど、エンジンもミッションもデフも使い回し。
ヘッドライトは汎用のハロゲンですし、ウィンカーランプなんか
軽トラックからの流用です。
そして遮音材も内張りも最低限しか与えませんでした。
ただ、最低限のもので構成したそのクルマには
無駄なところがありませんでした。
だから走りが気持ち良かった。
ただ軽さ…じゃない、その理念があの走りを生んだのだと思います。
世に背を向ける…簡単なことではありません。
誰からも支持されないかもしれないのです。
下手をすれば暴挙ととられかねません。
でも暴挙としてそれをするのはただの乱暴です。
マツダは自分のしようとすることの正しさを信じて世に背を向けたのです。
これは大和魂でしょうし、西洋風に言うならROCKでしょう。
そして…それが分かる一部の人に熱狂的に迎えられたのだと思います。
そんなROCKなロードスターもその立場が認められると
だんだんそのままではいられなくなってきました。
騒音が多いと言われ、遮音材が足され
初期型でははっきり聞こえたミッションや駆動系の音は聞こえなくなりました。
足元で跳ねる小石や砂粒の音も遠くなっていきました。
貧相だといわれ、内装にも手が入れられ表面に塗装をしたり
無駄だとあえて無くしていたトランクの内張りも
いつの間にかリッドの内側までカバーする立派なものが付く様になりました。
本皮張りの内装が用意され、豪華な雰囲気も売り物になりました。
オープンは音楽が良く聞こえないといわれ
ボディソニック付きのスピーカーシステムが奢られ、
手で挿していたアンテナも、いつの間にか電動でにょきっと伸びるようになりました。
ボディが弱いと…世の中のクルマたちはもっとがっしりしてるぞ!…と言われ
いろいろなところに補強材を足していきました。
雑誌での筑波のラップタイムが遅いぞ!アメリカじゃ物足りないぞ!…と言われ
ハードなサスペンションや大きいタイヤを履き、排気量も上げました。
世に背を向けたROCKなクルマだったのに
「世の中のクルマたち」に追いつくことを求められたわけです。
当時は雑誌の書く「進化」だという言葉を信じていましたが
今思えば何とも皮肉なことだったのだと思います。
そしていつのまにか世に背を向けた筈のクルマは
「世界のオープンスポーツの定番」として自他共に認められつつ
”世の中の主流”となっていきました。
では初代の遺したROCKな魂は消えたのか?
違うと思います。
初代の残したその功績が認められ、フォロワーがことごとく消え去る中で
ロードスターは3代22年続く優れた銘柄であり続けています。
でもそれはその後の進化もあったでしょうけれど、
初代がデビュー字に遺したROCKなクルマ、現代の物質崇拝文明へのアンチテーゼ。
自動車文化へのカウンターカルチャーとしての強烈な印象があったからだと思います。
今のロードスターも非常にいいクルマですし、これから出るであろう新型も
人馬一体の理念に違うことなき良いクルマになると思います。
ただ…あの初期型の持っていたROCKなクルマとしての魅力、
世の中に背を向けて凛と独りで立つ孤高の存在としての「姿」は
ロードスターが主流となった今、もう二度と見ることはできないでしょう。
会社の女の子はそういったことがあったことを知らぬままに
新型ロードスターに乗るのだと思います。
でもそのロードスターという存在に触れること自体が
初代の放ったROCKなクルマという「理念」の継承になることでしょう。
姿形は消えたり変わったりしても魂は消えないといいます。
分かりにくい形にはなりましたが、ロードスターというその名や存在の中に
あの時のROCKなロードスターが静かに眠っています。
ROCKな姿は見れないけれど、理念、魂は消えていない…そう思います。
初代・初期型ロードスター。
あの当時のマツダだからできた。
あの時代だったからできた。
奇跡のROCK SHOWだったのだと思います。
■Yellow Comet Web → http://www.sea.sannet.ne.jp/yellow_comet_ap1/
■twitter → http://twitter.com/Yasuo_Watanabe