ミラノからヴェネチアへの移動中(約300km)、その中間地点にベローナという町に立ち寄った。 ロミオとジュリエットの舞台になった町である。
主人公ジュリエットのモデルは、カプレーティ家の娘、その家には映画や舞台でお馴染みのバルコニーがある。
前の庭にはジュリエッタの像あり、この像に抱きついたり・撫でたりすると幸せになると言われることから、この像が磨かれて光っていた。 同行の女学生達がこぞって撫でていた。
この町には、「アレーナ」と呼ばれるローマのコロッセオに次ぐ規模の円形劇場がある。毎年7月から9月の間野外オペラが上演されると言う。
アレーナの前の広場は、「プラ広場」と呼ばれ、市民の憩いの場所でも有るようだった。夕方になると子供を連れた母親達や恋人達が集うようだった。
シニョーリ広場には、ダンテの像・スカラ家の邸宅・ラジョーネ宮(現市庁舎)やランベルティの塔などに加え沢山の露店が出ていた。 慌しい行程の中で、数少ないのんびり出来た街であった。
<!-- ベローナの街角と人々 -->
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
ロミオとジュリエット(またはロメオとジュリエット)(Romeo and Juliet)はイギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲。初演年度については諸説あるが、概ね1595年前後と言われている。
『ロミオとジュリエット』は悲劇とされ、シェイクスピア死後に刊行された全集、四大悲劇(『ハムレット』、『マクベス』、『オセロ』、『リア王』)のような重厚な悲劇とは見なされていない。
後年のシェイクスピアの悲劇では、登場人物の性格が悲劇を引き起こすという顕著な特徴が見受けられる。これに対しロミオとジュリエットでは、登場人物の性格よりも、周囲の状況や偶然などの「運命」と呼ぶべきものが、両者や周囲を悲劇的結末へと導いていく。
「ジュリエットの家」として公開されている家には、有名なバルコニーやジュリエットの銅像があります。ジュリエットの右胸を触ると幸せになれると言われています。
「ロミオとジュリエット」に似た話はベローナにあったかもしれませんが、「ロミオ」も「ジュリエット」も架空の人物です。しかし、この物語を通してイタリアが伝わってくるのです。
中世に入り、ベネチアの支配下に入ってから整備されたのが「シニョーリ広場」 です。広場の周りには市庁舎や役所が整備されています。また、広場の中央には、「ダンテの像」があります。
この広場はナポレオンがベローナの中心となる広場を作るという意向により作られましたが、結局はベローナの中心となる広場は「エルベ広場」から、「シニョーリ広場」へ移ることはなかったようです。
市民生活の中心となっているのが「エルベ広場」です。この広場は古代ローマ時代には、フォーラムとして利用されていた歴史的にも重要な広場です。現在も、露店が沢山でていて野菜や果物を求める買い物客で賑わっています。