24日、新緑を求めて久しぶりに京都・大原の里にでかけてきた
京都駅からバスで若狭街道を高野川にそって比叡山のふもとまで約1時間15分、新緑につつまれた終点の大原へ着いた
昼前になっていたので贅沢だが湯豆腐で腹ごしらえしてスタート、めざすは三千院、新緑がいっぱいの呂川にそってなだらかな坂道を上っていく、平日なのに観光客が多いのに驚いた
[三千院]の創建は最澄が (782-806)比叡山延歴寺建立の際に草庵を結んだのが始まりといわれて別名を梶井門跡といい天台宗の京都三大門跡寺院のひとつとして知られている
また三千院といえば紅葉の美しさで知られているが雨のこの時期に来たことがあり境内に広がる苔の美しさが強く印象に残っているので梅雨時の苔の庭も見たいと思った
最初は客殿へ、その前に広がる聚碧園は小堀遠州作池に遊ぶ蛙の声や小鳥の声が絶えることなく聞こえてくる、なんとものどかで豊かな自然からのすばらしい贈り物
庭を眺めながら観光客も縁に座ったまま動かない
何を見ているのやら
何を思っているのやら
時計がとまっているようなそんなひとときを過ごした後は宸殿に回る、ここから杉の木立の中に青々とした杉苔が広がる
正面に往生極楽院が見えるがここが三千院の一番の景色だと思う
">
しばらくは誰もこなくてこの景色をひとり占めしていた
青苔のじゅうたんの広がる有清園を極楽往生院へすすむ、決して大きな建物ではない
三千院を象徴する国宝の阿弥陀三尊像がある極楽往生院はまるで極楽浄土の世界に招き入れてくれるようにたったひとりに国宝の阿弥陀三尊像を目の前で拝顔させてくれた
ご朱印をもらっていると観光客が訪ねてきて院内はいっぱいになった。ご朱印を書いてくれた恰幅のいい僧が説明をしてくれるというので座ると
“そこのお父さん、パネルをもってください”といわれた
説明のアシスタント?までさせてもらった
“このお父さんは極楽へ行けますよ!みんなでお礼を言ってください!”
と言ってもらった、ああうれしい、極楽へ行ける!
楽しみにしていた苔の庭にひっそりとたたずむわらべ地蔵たち(けっこうな数)にも会うことができた
あじさいの園を通り金色不動堂から観音堂へ
ひろい境内をぐるりすると14時前になっていたので坂道をのぼり来迎院まで足を伸ばした
来た道を戻る途中でカフェにより冷たいコーヒーをのんで休憩ついた
バス停に戻り大原のもうひとつの古刹、おなじみの寂光院へ向かった
寂光院のことは以前から気になって訪ねたいと思い続けていた、2000年5月の失火(放火と思われたが)によって本堂が焼失 当時、大きなニュースになったが、その後、再建されているのであの独特の庵のような本堂がどんな姿になっているのやら・・・
大原の里を東海自然道にそってのんびり歩いて寂光院に着いた
入口から境内へ通ずる長くて細い石段の参道を上っていくと目の前に再建されて本堂が昔の面影とあまりに違うのに驚いた
[寂光院]天台宗の尼寺で推古2年(594)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立した古刹で、本尊は六万体地蔵像だが火災で損傷してしまい新しく復元された本尊が本堂に安置されていた
寂光院は平家物語のヒロイン建礼門院ゆかりの尼寺としても知られている、平清盛の娘・徳子が壇ノ浦の戦いでわが子・安徳天皇と共に入水しながら源氏に助けられ、その後は、出家して建礼門院となり遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門の菩提を弔いながら余生をここで過ごしたところ
のちに建礼門院を見舞った後白河天皇は「池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ」と、たとえ枝から散ったとしても桜花はいま池の水面で満開になっているではないかと慰めたという
本堂横の庭園には平家物語のまま、その心字池やご神木の千年の姫小松(火災で枯死、根元部分を保存)苔むした石、汀の桜、諸行無常の鐘楼もある
本堂右手の裏山にある建礼門院の御陵も訪ねてみた
再び東海自然道を歩いて大原バス停から17時半のバスで京都駅へ戻った
梅雨の束の間の一日をのんびりと古寺を訪ねていい日にすることができた。
京都駅からバスで若狭街道を高野川にそって比叡山のふもとまで約1時間15分、新緑につつまれた終点の大原へ着いた
昼前になっていたので贅沢だが湯豆腐で腹ごしらえしてスタート、めざすは三千院、新緑がいっぱいの呂川にそってなだらかな坂道を上っていく、平日なのに観光客が多いのに驚いた
[三千院]の創建は最澄が (782-806)比叡山延歴寺建立の際に草庵を結んだのが始まりといわれて別名を梶井門跡といい天台宗の京都三大門跡寺院のひとつとして知られている
また三千院といえば紅葉の美しさで知られているが雨のこの時期に来たことがあり境内に広がる苔の美しさが強く印象に残っているので梅雨時の苔の庭も見たいと思った
最初は客殿へ、その前に広がる聚碧園は小堀遠州作池に遊ぶ蛙の声や小鳥の声が絶えることなく聞こえてくる、なんとものどかで豊かな自然からのすばらしい贈り物
庭を眺めながら観光客も縁に座ったまま動かない
何を見ているのやら
何を思っているのやら
時計がとまっているようなそんなひとときを過ごした後は宸殿に回る、ここから杉の木立の中に青々とした杉苔が広がる
正面に往生極楽院が見えるがここが三千院の一番の景色だと思う
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しばらくは誰もこなくてこの景色をひとり占めしていた
青苔のじゅうたんの広がる有清園を極楽往生院へすすむ、決して大きな建物ではない
三千院を象徴する国宝の阿弥陀三尊像がある極楽往生院はまるで極楽浄土の世界に招き入れてくれるようにたったひとりに国宝の阿弥陀三尊像を目の前で拝顔させてくれた
ご朱印をもらっていると観光客が訪ねてきて院内はいっぱいになった。ご朱印を書いてくれた恰幅のいい僧が説明をしてくれるというので座ると
“そこのお父さん、パネルをもってください”といわれた
説明のアシスタント?までさせてもらった
“このお父さんは極楽へ行けますよ!みんなでお礼を言ってください!”
と言ってもらった、ああうれしい、極楽へ行ける!
楽しみにしていた苔の庭にひっそりとたたずむわらべ地蔵たち(けっこうな数)にも会うことができた
あじさいの園を通り金色不動堂から観音堂へ
ひろい境内をぐるりすると14時前になっていたので坂道をのぼり来迎院まで足を伸ばした
来た道を戻る途中でカフェにより冷たいコーヒーをのんで休憩ついた
バス停に戻り大原のもうひとつの古刹、おなじみの寂光院へ向かった
寂光院のことは以前から気になって訪ねたいと思い続けていた、2000年5月の失火(放火と思われたが)によって本堂が焼失 当時、大きなニュースになったが、その後、再建されているのであの独特の庵のような本堂がどんな姿になっているのやら・・・
大原の里を東海自然道にそってのんびり歩いて寂光院に着いた
入口から境内へ通ずる長くて細い石段の参道を上っていくと目の前に再建されて本堂が昔の面影とあまりに違うのに驚いた
[寂光院]天台宗の尼寺で推古2年(594)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立した古刹で、本尊は六万体地蔵像だが火災で損傷してしまい新しく復元された本尊が本堂に安置されていた
寂光院は平家物語のヒロイン建礼門院ゆかりの尼寺としても知られている、平清盛の娘・徳子が壇ノ浦の戦いでわが子・安徳天皇と共に入水しながら源氏に助けられ、その後は、出家して建礼門院となり遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門の菩提を弔いながら余生をここで過ごしたところ
のちに建礼門院を見舞った後白河天皇は「池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ」と、たとえ枝から散ったとしても桜花はいま池の水面で満開になっているではないかと慰めたという
本堂横の庭園には平家物語のまま、その心字池やご神木の千年の姫小松(火災で枯死、根元部分を保存)苔むした石、汀の桜、諸行無常の鐘楼もある
本堂右手の裏山にある建礼門院の御陵も訪ねてみた
再び東海自然道を歩いて大原バス停から17時半のバスで京都駅へ戻った
梅雨の束の間の一日をのんびりと古寺を訪ねていい日にすることができた。