昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

間寛平さん、がんとマラソン。

2010-01-15 14:21:38 | チャレンジ
タレント間寛平さんの前立腺がん発言には驚いた

ヨットとマラソンで世界一周をめざして
アースマラソンにチャレンジしている
寛平さんのことはここに何度も書いた

ロスに着いた時、PSA値が高くて検査したが
がんの疑いはなくて抗生物質を飲みながら
3ヶ月ごとに検査してマラソンを続けてきたという

その寛平さんがトルコのイスタンブールで
精密検査の結果「前立腺がん」とわかった

まだ残りが1万キロあるというマラソンは
がんと闘いながら続けるそうで
走ることで悪化することはないらしい

寛平さんにマラソンの応援ソングとして
「RUN寛平RUN」を贈った忌野清志郎さんに
「この挑戦を成功させることが、恩返しになる」
そのためにも続けるそうだ

その忌野清志郎さんは昨年がんで亡くなった

寛平さんが無事に日本へ戻ってくることを祈りたい

がんばれ寛平ちゃん

前立腺がんが急増していると聞いている

自分もPSA検査は毎年受けている。

今年も阪神淡路大震災の日が来る。

2010-01-14 23:09:21 | ひとりごと
あの震災の日からまもなく15年目になる

連日、TVや新聞で震災特集が組まれている

夕べもNHKで見た記憶のある番組を再放送していた

昨日のことのようにあの日がよみがえってくる

今年は震災ウォークに参加しようと思っていたら

ネットで知り合った友人親子が震災の日に遠くから

神戸に来るというのでウォークは中止して

会いたいと思う


ただし、まだ、完治していない風邪を治すこと。

風邪の続々編。

2010-01-13 22:37:06 | 健康
九州全域で雪が降ったようで鹿児島や長崎や
福岡の模様がテレビで報じられていた

大阪でもお昼前後、ちらちらと雪が舞って
寒い一日だった

全国的な寒波らしい


夕べは薬の効果があったのかトイレ起き以外
ぐっすり眠れたのでセキが止まったのかと
ほっとしていたら

どっこいそうはいかん
昼間はおさまっていたのに夕方から
まだセキがぶりかえしてきた

今夜、なんとかおとなしくしてほしい

昼間からやたらと眠くて椅子に座ったまま
眠ってしまうことがあったが

薬の注意書きに眠気をもよおすと書かれて
いたのでそのせいだろう

それにしてもだるくて眠い・・・

今度の日曜日の大震災記念日には神戸へ
行きたいと思っている

それまでに完治させたい。

魁皇、よくやった、おめでとう!

2010-01-12 22:33:14 | 輝いて生きる
大相撲の魁皇が千代大海に送り投げで勝ち
幕内通算808勝目の新記録を達成した
いかにも魁皇らしい豪快な投げに思わず拍手

5度も優勝していながら横綱になれない力士も
めずらしいがそれも腰やひざに持病を抱えて
それとの戦いで不運な面もあったと思う

それでも、若い時から酒をやめて体のケアに
つとめてきたことがここまで長く土俵を務め
られた要因なのだろう

「目の前の一番をどう取るか」ということしか
考えていない。まだ場所は始まったばかり」と
インタビューにたんたんと答えていたそうだ


「目の前のこと」に集中するということは
だれでも知っていることだが
それがなかなかできないこと

ついつい、目の前のことをおろそかにして
先のことを考えてしまうのが人の常
まず、目の前の一歩を大事にすること

何事にも通用する基本的なことだ。

風邪、負けてたまるか!

2010-01-12 18:56:35 | 健康
三日間、診察を受けられなかったので

今日はまず病院へかけこんだ

咽頭性の風邪ということで喉がかなり

荒れているということだった

インフルさんでなくてホッとした

夕べも激しいセキでほとほと悩まされ

白湯を飲んだり飴をしゃぶったり

鼻水はでる、涙も出る

ひさんな夜を過ごした


薬もらったのでもう安心と思う

こんやは眠らせてほしい

くそ!

こんなことでくたばってたまるか!


あれ?

この間も同じこと言っていたな

負けるな

心が風邪をひかないように

心にもマスクして!

心の成人式。

2010-01-11 15:24:36 | 輝いて生きる
NHKのラジオ番組ラジビタで
「心の成人式」をテーマに
視聴者の投書が紹介されていた


自分の心の成人式はいつだった?
一生懸命に思い出をたどっても
これと思いつくことがない


ということは
心は成人式を迎えていないということかな
まさか・・・でも、もしかして・・・!?


昨日成人式を開催した佐世保市の式場で
騒いだ新成人に市長が一括したニュースが
新聞で報じられていた


ああいう若者にこそ
「心の成人」ということを
教えないと繰り返すだろう


ちなみに自分の20歳の成人の日は
盲腸の手術で入院をしていて
式には行くことができなかった

いまでもかすかに残るお腹の勲章を見るたびに
成人の日にさびしく病室で寝ていた
苦い思い出が浮かんでくる

あの日成人式帰りの友人が見舞ってくれた
その友人も四年前になくなり思い出を語り合う
人もいなくなった・・・

遠い成人の日の思い出。

今日は応援に徹しよう!

2010-01-10 08:36:33 | 交流
六時に目が覚めた

のどの状態は相変わらず

がらがら声でだめだ

七時に「欠席」と最終の決断をした

すぐメンバーに連絡

昨日状況は伝えてあるし無理するなと言われて
いたので問題はないがそれにしても残念

今日はお世話をしているウォーキング倶楽部の
月例会、しかも新年最初の例会だし

自分にとって五度目の大阪環状線一周ウォーク
メンバーには初めてのコースなので連れて歩くのを
楽しみにしていた

歩くことには何の問題もない
熱があるわけでもないが(体温35.4)
いま風邪気味で人に接してはならない

もうスタートしている
心配してくれるメールも入ってきた
楽しく歩いてほしいと応援を入れた


もう一人
例会を休んで熊野古道を歩いているリーダーが
今日は近露から熊野本宮大社を目指していよいよ
最後の歩きをしている

激励のメールを送ったら
熊野の山々から昇る朝陽を楽しみながら歩いていると
返事がきた

四年前に同じところを歩いて熊野古道ウォークを
完歩しているので状況が手にとるようにわかる

がんばれ、ちゅうさん!

今日はのど飴しゃぶって

応援団に徹するぞ

しかし悔しいなあ

足は歩きたいと張り切っているのに・・・

くそっ!

こんなことでくたばってたまるか!

一週間、おつかれさま。

2010-01-09 17:56:56 | ひとりごと
昨日の午後からせきがひどくなり

喉が痛くて話づらくなった

まさかインフルさんではないと思うが

日曜日のウォーキング倶楽部の例会があるので

掲示板でそのことは連絡しておいた


今朝、病院に行くつもりにしていたが

目が覚めたら10時を過ぎていた

土曜日、診察時間に間に合わない

喉が痛む

声がかすれて話ができにくい

こういうことは何年に一回か経験しているので

多分そんなことだろう


仕事場へ出てきて

しょうが湯をのんで

しょうが飴を食べて

いま午後5時半すぎ


喉は楽になってきた

声は相変わらずハスキー

掲示板へ最終の連絡を書かないと・・

明日の大阪環状線一周27キロ

行くか

やめるか



今日も夕陽がきれいだ

一週間おつかれさま

新幹線さん

飛行機さん

ここに来てくれる人へ

おつかれさま。





東海道五十三次ひとり歩き(12月23日)平塚→藤沢→戸塚

2010-01-09 16:28:19 | 東海道五十三次
東海道五十三次ひとり歩きシリーズの続編、12月22日・冬至の日に続いて23日の天皇誕生日に平塚→藤沢→戸塚を歩いた。(12月23日の記録)

[12月23日-(7)平塚→(6)藤沢→(5)戸塚]
◎距離は21.6キロ、箱根駅伝の同区間は8区(3区)21.5キロ
前夜、平塚駅前のホテルで、今日のコースの確認と見どころポイント、通過時間設定をして
◎ゴールは平塚駅手前のバスセンター前、到着予定時間は16時30分。
◎今日は帰宅するので最終時間を戸塚駅発17時40分と設定し余裕をもって歩くことにした。
ホテルを午前7時45分にスタート。コースを歩く前に平塚八幡宮へお参りして、東海道平塚駅前交差点を8時8分にスタート、お天気が良く寒くもなく国道1号線を元気よくすすむ。


最初のポイントの相模川にかかる馬入橋についた。想像していたより長い橋で、すぐ下流をJR東海道線が走っている、振り返ると富士山がきれいに見える。前にすすみたいし、富士山は見たいし・・・振り返り振り返りすすむ。


橋の名前は源頼朝がここで落馬したことでつけたといういわれがあるらしい。ここにも渡しがあった違いない。次の新田交差点あたりが平塚宿の東口にあたると思われた。

茅ヶ崎市に入り、日蓮宗の信隆寺を過ぎ、今宿を越えると新湘南バイパスの下を通過、小出川を渡るとすぐ右下に不思議な光景が眼に入ってきた。公園の真ん中の小さなプールのようなところに古い木が何本か並んで浮かぶように立っている?
近くに行って説明を読んでみると旧相模川橋脚跡が保存されているものだった。8時50分。ほぼ予定通り。ここで早めの休憩、給水。


また、1号線に戻り大きく左から右へカーブしてすすむと鳥居戸橋へ着いた、橋の左手に色鮮やか鶴峯神社の赤い鳥居が目立つ。道路脇に南湖の左富士の碑がたち、ここから左富士の見えるところ、振り向いてみると、確かに1号線の左側に見事な富士山が見えた。これが左富士、左富士が見えるのは2ケ所だけ、吉原で左富士を見ることができなかったので感動!しばらく写真を撮ってながめていたら自転車で通りがかった若い女性が自転車を止めて携帯で撮り始めた。ここは広重の絵にも描かれているところ。


千ノ川を渡り左へカーブしながら1号線に沿ってすすむと茅ヶ崎茶屋郵便局の前へ、このあたりから平塚と藤沢間の茅ヶ崎間の宿として賑わい茶屋町と呼ばれたところらしい。第六天神を過ぎると十間坂の交差点へ、右側に円蔵寺が見えてきたので寄ってみた。慶安2年に徳川家光から朱印状が与えられた真言宗高野山派のお寺で庭に弘法大師の大きな立像が立っていた。
このあたりから茅ヶ崎の中心地なのだろうか賑やかな通りになり松並木が続く。茅ヶ崎警察署、郵便局前を通り茅ヶ崎駅前交差点を過ぎる。町並みがきれいで気持ちよい歩きが続く。一里塚バス停前の一角にお江戸から14番目の茅ヶ崎一里塚が整備されて塚も昔の面影を残していた。


市立病院入口前を過ぎるとまたきれいな松並木になった、茅ヶ崎高校の前を通り松並木に沿って小桜交差点へ、10時10分、ちょうど予定時間ぴたり。


小和田を過ぎ古い佇まいの上正寺に寄ってみた、このお寺は茅ヶ崎で唯一の浄土真宗のお寺だそうで聖徳太子二歳像があるそうだが、拝観はしなかった。

東小和田を過ぎるとまた松並木が見えてきた、赤松バス停を真ん中にしてしばらく並木の下を歩く、これぞ東海道。気持ちがいい。幹は太く高くてかなり古い松だろう。この松並木が終わるところあたりから藤沢市だ。10時30分。予定通りの時間で通過、よし。

二ツ谷に入る、二ツ谷稲荷の前を通る、このあたりには大山詣帰りの信者達が江の島や鎌倉へ向かう途中に休憩所として二軒の茶屋があったためにそう呼ばれるようになったそうだ。ここにも松並木が少し続く。赤羽派出所向かいの三角地点に古い祠が見えたので寄ってみた。古い四ツ谷不動(大山道標)が立ち不動明王が安置されていた。古いはず、説明板によると延宝四年(1676)に建てられたもの。ここは東海道と大山道が交差した四辻に建てられたものでこのあたり多くの茶店が立ち並び参詣客でにぎわったらしい。


東海道はここで1号線から44号線をすすむ。しばらくすすむと左手の土塁の上に松並木が続いたが、これは昔の東海道の土塁跡が残っているものらしい。


辻堂を過ぎると好物の羊羹の幟が目の前に飛び込んできたのでつられて店に入った。おやつにと二個、県指定という大庭城最中とくり羊羹を買った、お店の人が気をつけて行ってくださいと声をかけてくれた、うれしかった、さあ、どこで食べようか・・・・とりあえずリュックの中へ。

羽鳥を過ぎる左へ大きくカーブする、メルシャンの工場が見えてきた。少し寄り道をすると重要文化財の薬師如来像があるという養命寺があるのだが、少しでも早く藤沢の中心地へ行きたいのでパスしてそのまますすむと右側の塀にそって祠が見えてきた。お参りしてとのぞくと・・・・あれっ、二人並んだ道祖神が口紅をしている。両脇にはきれいな菊の花がいけられみかんも備えられている、仔馬のような人形も置かれていてずいぶんと賑やかな道祖神さん、そばに説明文が書かれていたので読んでみたら


「女性の願い事なら、何でもかなえてくださり、満願のあかつきには、白粉を塗ってお礼をする」と伝えら、今でも、お顔から白粉が絶えることがないという。そのような所から、誰からともなく「おしゃれ地蔵」と名付けられたらしい。形は道祖神だがお地蔵さんと呼ばれているようだ。でも、男の願い事は聞いてくれないようだからパス。

引地川西交差点を過ぎ引地川にかかる引地橋を渡り、5分ほどすすむと湘南高校のバス停、続いて湘南高校入口交差点へ。えっ?あのプロ野球ニユース初代キャスターの佐々木信也さんの母校で有数の進学校ではなかったか?記憶違いでなければ、佐々木さんの時代に甲子園で優勝している名門高校。そういえば佐々木さん、どうしているのやら。

しばらく緩やかな坂を上って行くと高架になって下を電車が交差している、小田急江の島線ですぐ左に駅が見えている。なるほど、ここから江の島へ行けるのだな、でも残念。高架の手前に上方見付跡があるらしいので行ったり来たりして探したが結局みつからなかった。かざり屋という古い店があったが、そこはかんざし屋だったらしい。高架で11時28分。予定到着時間が11時30分だから予定通りに来ているので安心した。


このあたりが藤沢宿の西の出入り口だったと思われるので、ここから東の出入り口にあたる遊行寺坂あたりまで80分を当てることにして自由にうろうろしてみることにした。集合場所は遊行寺で午後のスタートは12時50分。ここまで午前中は順調に来ていたが、実は、実は? 午後が・・・お楽しみ。

最初に訪ねたのが「白旗神社」、この神社の御祭神が、寒川比古命と源義経公。えっ?源義経??? 兄頼朝に追われ奥州平泉で亡くなり文治五年(1189)に藤原泰衡から義経の首が鎌倉に送られてきた、それを神社で祭神として奉ようになったらしい。


その首実験の後に腰越しの浜に捨てられたが、潮にのって境川をのぼりこの辺りに漂着したのを里人が救いあげ洗い清めた井戸と伝えられている義経首洗い井戸がすぐ近くにあったので訪ねてみた。弁慶の首も送られてきたという話もあるらしい。
白旗神社には立派な藤棚があり芭蕉の句碑もあった。ここで時間をとり過ぎてしまった。


それから周辺にあるお寺参りを始めた。創建が元歴元年(1184)で藤沢宿最古の寺院の一つ真言宗の荘源寺、本陣職を務めた蒔田家の墓がある日蓮宗の妙善寺、天然記念物の高さ25メートルのカヤの巨木のある浄土宗の常光寺、そして飯盛女の墓碑がたくさんある浄土真宗の永勝寺をぐるり一周した。わずかな地域に各宗派のお寺が集まっているのはめずらしい。きっと古い時代から信心深い人たちの門前、宿場町だったのだろう。

もとの東海道に戻ってきたら12時26分で完全に時間を読み違えていた。宿場の中心地であったと思われる通りを蒔田本陣跡、通りの反対側に移動して問屋場跡の碑を探しながら、いくつか宿場の雰囲気が残っている建物はあったもののそれ以外に宿場の名残を残すものはなかった。藤沢橋交差点手前を左へ境川にかかる遊行寺橋を渡りそのまま遊行寺の総門へ。参道のいろは坂の石段を上って行った。


遊行寺は一遍上人が開祖の時宗の総本山で、藤沢は鎌倉時代から遊行寺の門前町として栄え、宿場町となってさらに大きな発展を遂げてきたという。さすがに総本山、規模が大きい。銀杏の樹の下で弁当を食べているとハトに囲まれて、おにぎりを与え、のんびりとおやつに買った最中も食べているうちに13時10分を過ぎていた。


予定を20分も過ぎたのでそのままコースの遊行坂へすすめばトラブルことはなかったのに、なにを思ったのか、もう一度戻ってくるつもりで元の道に行き高札場跡を探しているうちに、方角の違う藤沢橋の交差点を直進してしまい気がついたら郵便局前だった。完全に間違っていたためにかなりの距離を引き返すことになった。もう一度遊行寺に行き、小栗半官と照手姫かりの長生院へは寄る予定にしていたのに断念してそのまま遊行寺坂へ急ぐことにした。
熊野古道に小栗半官と照手姫のゆかりのある個所があり、大阪南部から和歌山市海南あたりまでは、熊野古道を別名小栗街道と表示している道標があったことを覚えているので関心があったが、パスすることになったのは残念。

遊行寺坂へ戻ってきたのは14時7分。約1時間20分も遅れてしまった。これで設定したキロごとの予定時間の目安はたたなくなったので、これからは、少しでもゴールが遅くならないように、スピードアップする以外ないので見どころも最小限度にして本気?で歩くことにした。
ただ、最終日の午後は疲れが出るはずだからと休憩を含めて40分ほど、調整時間を設けていたので、16時30分のゴールには、実質的には40分の遅れ、これなら取り戻せると思った。昨日の平塚の最後でポカをしたのに今日もやってしまった。


とにかく進もう・・・遊行寺坂は箱根駅伝8区の難所、左に遊行寺、右に諏訪神社を眺めながら上って行く、藤沢宿の東口、江戸方見付跡、一里塚跡の碑を確認しながら一気に上って行く、上りが続く、駅伝選手にはきつい上りかもしれないが歩くのにはそんなに厳しい坂とは思わなかった。

上りきると両側は静かな住宅街、適当に遊歩道風に整備された道をどんどんすすむ、ここは気合を入れて急ぐのみ。14時半、鉄砲宿バス停を過ぎて1号線を少し上がった小道にある双体道祖神に寄った後は、また、車の通行量の激しい1号線に沿ってどんどんすすみ、戸塚第一歩道橋に来て気がついた。あっ、いつのまにか藤沢市から戸塚に来ている、横浜市戸塚区だ。


松並木の左が分離帯になり外にも道が続くきれいな松並木が500メートルは続き、原宿交差点で二本の道路は再び1号線になったが、原宿バス停で給水休憩、15時11分。少し疲れを感じてきた。三日分の荷物を背負って歩くので肩が痛む。浅間神社前を通過し江戸から11番目の原宿一里塚の前を行く、このあたりの1号線は車がまったく途絶えないほど続く、昨日から今日、ほとんど1号線に沿って歩いているので疲れてくると汚れた空気、騒音、が余計に疲れを増長させる、とにかく早く通り抜けたい一心で歩く。小田原からここまででもっとも疲れを感じた時間帯。15時26分。


陽が傾きかけてきて・・・のっぽさんになった!


吹上の信号を過ぎると道は左を膨らみながら坂道を下って行く。この坂を大坂というらしいが戸塚八幡まで大きくカーブを描きながらかなりの角度で下りが続く、約2.5キロ。


これを上って行くのは疲れるだろう。この大坂は何度もの改修してなだらかになっているらしいが当時は険しくてさびしい道であったに違いない。途中で左手眼下に市街地が見え隠れして戸塚の町が近づいていることを感じた。坂の中間あたりで戸塚警察署前を通過、戸塚見付跡が見当たらず行きつ戻りつして時間を浪費したが、それでも気合をいれて歩いた成果か16時11分に芭蕉句碑のある戸塚八幡に着いた。大幅に遅れていた時間をほぼ取り戻してゴールまでの距離もわずかになったので16時30分の予定時間には間に合うと確信した。


戸塚神社にお参りして戸塚宿の中心地を歩く、八坂神社、海蔵寺、戸塚消防署前を通り、澤邊本陣跡の碑、明治天皇戸塚行在所址に寄り、バスセンター前に着いたのが16時24分。ほぼ予定の時間にゴールした。
今日の歩数 約48,500歩
戸塚バスセンター前は、いつのまにか夕方の雰囲気につつまれて気温も下がり風が冷たかった。そこから平塚駅方面は工事中でJR平塚駅へは、人の流れに連れられて行くうちに地下にある改札へたどりついた。

予定していた最終のJRの時間には1時間も余裕があったのでゆっくりと温かいコーヒーが飲みたいと思ったが、夕方の雑踏を見ていると帰りたくなった。夕食に食べる駅弁を買って帰りの時間をチェック、予定していた最終の電車より早い電車に乗ることにした。ここから長い帰り旅が始まった。車内から携帯で初めて本家のブログに書き込みをした。


○戸塚16:59→(沼津行き青春18きっぷ)→沼津(乗換)→浜松着21:02
○浜松21:38→(新幹線ひかり)→名古屋(のぞみに乗換)→新大阪着23:05
・・・6時間6分・・・ JR交通費 2,300+9,100=11,400円
こうして天皇誕生日にとうとう横浜まで来た。あと三日で日本橋へ。ゴールが見えてきた。
次回はここからスタートする。3月を予定している。

吉永小百合さんに学ぶ。

2010-01-08 23:20:08 | 輝いて生きる
NHKテレビで久しぶりに吉永小百合さんをみた。

「この人にトキメキっ! 吉永小百合」            
                              
子供の頃から女優への道、映画、着物、
自らの人生について語っていたが
一番関心を持ってみたのは

20年前から水泳をやっていて
かっては1日に1万メートル
いまでも年間100キロ泳いでいるという

得意なのがあの激しいバタフライで
去年、自分の記録を伸ばしたそうだ

泳いでいる姿を画面から見たが
水着姿もスリムでとても60代とは思えない
水泳は全身運動で体全体をケアする

着物姿が見事なのも訓練しているからこそ
今度は走るかもしれないと話していた

自分がウォーキングで鍛えても足だけで
お腹のぶよぶよは自分でもいやになるし
とても人様には汚くて見られたくない

しみじも思った

俳優とか女優は姿、動きが商品だから
鍛えて賞味期限を延ばすことが唯一
現役年齢を延ばすこと

プロ野球の選手もしかり
いまは自主トレーニング中だ

「生涯現役」と今年も年賀状に書いたが
それに耐えられるだけ自分を鍛えているか
正月早々から吉永さんに教えられた

プロは違う

体を鍛える

心を鍛える

どちらかでもない

そのバランスがあって

経験が裏付けされるから

歳に関係なく現役として

ますます磨かれ

重み、深みが出てくる


「賞味期限」

背中に貼られないように

・・・・・

小百合さんが色紙に書いたことば

 遊びごころ

 学ぶこころ

     

気になること。

2010-01-07 21:56:43 | 交流
年末に気になるメールがあった


”経営者は弱音吐いてはいけないですよね

   いろいろつらいことばかりで落ち込みます”


もちろん返事は送ったが
新年を迎えてどうしているやらと気になっていた

共通の掲示板に彼の書き込みがあった

”年末に大事な・・・・担当に突然退職されて
フォローに大わらわです。
めちゃくちゃ忙しいです。
いったいいつになったらこの状況を抜け出せることやら。
ほんと一つ一つクリアしていくしかないですよねー。
でも雰囲気はよくなってきてますよー”。

仕事始めで今年の自分の決意を年次モットーにして
発表したらすごく反響があってよかったという

年賀状にも力強い心意気が書かれていた

ビジネスマンとしてそれなりの立場にあった者が
やれるだろうと事業を後継してやってみると
こんなはずではなかったと孤立感に追い込まれ
想像を絶する中小企業の現実の厳しさを知る

その中から出てきた気持ちを言葉にして率直に
訴えてみて何をすべきかが実感できたのだろう

今度の勉強会にはどんな計画を持ってくるやら
それを楽しみに励ましを続けたい

これが経営者になっていく道なんだろう。

東海道五十三次ひとり歩き(12月22日)小田原→大礒→平塚

2010-01-05 23:19:03 | 東海道五十三次
・・12月の記録を整理した・・

東海道五十三次ひとり歩きシリーズ、今回は、小田原をスタートしていよいよお江戸日本橋を目指して湘南の地にコースを移して歩くことになった。京都三条大橋を旅たってここまで2年8ケ月、今日が26日目。12月に歩くのは初めてのこと。一番日照時間の短い冬至の日と天皇誕生日をあえて歩くことにした。(前日はさった峠を富士山みたくて歩いた)

◎12月22日-「小田原→大磯→平塚」
◎12月23日-「平塚→藤沢→戸塚」

[12月22日-小田原→大磯→平塚]
前泊した小田原駅前のホテルを午前7時25分に出発。前回ゴールの小田原宿の東の出入り口だった江戸口見付跡が今回のスタート、そこまで足慣らしを兼ねてゆっくり向かう。江戸口見付跡についたのが7時53分。スタート予定を40分としていたので13分ほど遅れてスタートした。曇り空だが心配していた寒さはさほど感じなくていい歩きができそうだ。


日のコース、小田原から大磯、平塚までの公式距離は18.5キロ。手持ちの資料では20キロ。実際は迷ったり道をさがしたり、史跡めぐりをするので23-25キロくらいと想定して1キロごとの通過時間の目安を前夜、地図に書き込んでおいた。なにしろ一年でもっとも日照時間の短い冬至、午後4時までにゴールしないとまずい。休憩時間も毎回500枚前後は撮るデジカメ撮影時間もすべて含めて時速3キロ。ただ歩くだけなら簡単だが、二度と歩くことのない東海道だから、急ぐのはもったいなくて時間の許す限りいろいろ見て歩きたいのだ。

この小田原→平塚間は、箱根駅伝の7区(4区)にあたり駅伝距離は21.3キロ
どう見てもまっすぐ走る駅伝コースのほうが短くて、回り道の多い東海道のほうが長いはずだが公式距離は旧東海道が短い、なぜだかわからない。

江戸口見付跡をスタートしてすぐ、山王神社で今日の交通安全祈願をする。山王橋を渡りまっすぐにすすむ、この辺りは道路沿いにお寺が続く、なんでも鎌倉より小田原のほうが寺院が多いとか、昔から人口が多かったのだろうか。途中から登校する高校生と一緒になった。J高校の手前の信号を右へ入り新田義貞の首塚を訪ねた。

再び1号線に戻りコースはJ高校交差点を横断し八幡神社前へ寄り、再び1号線に戻り酒匂川にかかる酒匂橋を渡る、ここは広重の徒歩渡しの絵で知られているところ。橋から富士山が見えるらしいがあいにく、雲がかかって見えない。ここに渡しがあったらしい。そのまま延びる1号線をすすむ、連歌川の連歌橋を渡る、どんどんすすむ。寒さ対策もあるので信号で足止めされると体を動かすように、とくに足首とふくらはぎのケアは心がけるようにした。



日蓮上人ゆかりの法船寺の前を通り酒匂交番を過ぎ、大見寺に寄って、さらにしばらくすすむと松並木が見えてきた。印刷局入口から小八幡二丁目までの区間、なかなか立派な松並木が続いた。


小八幡三丁目を過ぎるとバス停一里塚前を通る、ここにはかって一里塚があったらしいが、いまは説明板が立っているのみ。歩道に面する塀に箱根駅伝の応援膜が取り付けられて正月の箱根駅伝が近づいていることを思わせる。若者が三人、正面から走り過ぎて行ったが、この区間を走る駅伝選手の練習なのだろうか。


森戸川にかかる親木橋・歩道橋に上ると歩いてきた方向に富士山が見えた、てっぺんに雲がかかっているがはっきり見えてしばらく鑑賞?あーうれしい。邪魔物の歩道橋もこういう時は展望台になっていい。


時間は9時24分。予定時間ではこの歩道橋で9時20分だからほぼ、遅れを取り戻した。
菅原神社を過ぎる辺りから道の右手、海側に歴史を感ずる古い建物が続く、看板も面白い。マリア観音像があるという真楽寺へ寄ってみた、親鸞聖人ゆかりのお寺だそうで手植えの菩提樹をみることができたが、尋ねる人影がなくマリア像をみることができなかった。


そのまま、JR国府津駅前を通過。この駅名、なにか記憶があるなあ・・・明治時代になって鉄道が敷かれたとき、確かここが箱根山を越える起点となり御殿場から三島へ出るルートが敷かれたところ、思い出した。海が近いせいか明るくて感じのいい街道を気持ちよくすすむ。農協前を過ぎ坂下道祖神前、大山道庚申塔前に行くと前方が上り坂になってきた。「車坂」だ。


史跡車坂碑と車坂いわれの説明板が立てられていて、太田道灌、源頼朝、阿仏尼らの詠んだ歌碑が並んでいる。ここが風光明美な坂道であったことを証明している。右側に太平洋が広がっている。旅人もこの峠からの眺めに疲れをいやされたのだろう。確かに景色はいいが、車の通行量も激しい。海の写真を撮ろうにも車が邪魔をしてなかなか撮れない。

車坂を上りきるとあたりの光景は左右に大きく広がり、ビルのない平坦な町並みの真ん中をまっすぐに一号線が緩やかに下っている、中村川にかかる押切橋の手前で小田原市から二宮町へ入る。

押切橋を渡りそのまま一号線の急な坂を上って行くと箱根駅伝の中継スポットになっている押切坂を行く、せっかくだから先にその坂道を上ってみた。うん、なかなか急な道が続く。


そしてもとに戻って旧街道の押切坂へ、古い屋並みの民家の庭に松屋本陣跡の碑が立っていた。さらにすすむと一号線と合流する手前に日本橋から18番目の梅沢一里塚があった。


再び一号線をすすむ。山西のバス停から左の道へ入ってすすむ、閑静な住宅街をすすむと三代将軍徳川家光ゆかりの等覚院へ寄った。ここは藤で有名らしくて大きな藤棚があった。


再び一号線に出てすすんでいくと二宮駅入口交差点に着いたので駅へまわってみた。11時7分、予定は11時。スタートして公式距離で10キロ、ちょうど今日の中間地点になる。まずまずのペースですすんでいるので一安心。ここで給水?休憩。温かいコーヒーが飲みたいなあ・・・Caféが目に入ると思わず入りたくなるが・・・がまん。

駅前のロータリーの大きなくす?の木の下に戦争体験をもとに書かれた小説「ガラスのうさぎ」にちなんで建てられたガラスのうさぎ像と伊達時影徳碑がたっていた。


ふたたび一号線にもどり、葛川にかかる塩海橋を渡るとまたまっすぐな一号線が向こうまで続いている、それを快調にすすむと大磯町に入った。
大磯町・・・なんと響きのいい名前だ。どんな街道が続くのやら興味津々。

六所神社入口の鳥居を撮っていたら自転車できたおばさんに
“危ないわよ!”と言われた。
あっけにとられ、一呼吸遅れて“すみません!” 

そんなことはどうでもいい、とにかく事故が怖い、歩道を遠慮なく走る自転車はとくに怖い。常に注意して道の端を歩くようにして、細い道は振り返りながら歩くようにしているのだが、写真に気をとられていたことを反省、言葉をかけられたのは警告として受け止めてより注意して歩こう。

大磯警察署の手前で一号線から左の松並木へ入って行く。静かで閑静な住宅が続く。いいところだ、さすがに大磯。警察署前の松の切り株モニュメント。


不動川にかかる本郷橋を渡ると斜めに上り坂が続き左に県立大磯城山公園が見えてきた。ここは昼食と休憩地点に予定していたのでベンチを探してさっそくお昼。12時4分。予定は12時20分としていたから時間の貯金ができた。迷わなかったのと寄り道を最小にしたのがよかったのだろう。

昼食といっても昨夜の残り物のおにぎりとパン。途中で生姜飴を口にしていたので空腹感はないから十分、もともと歩く時はあまり食べない。
犬の散歩にきたおじさんとしばし話込んでいたら隣のベンチに同年齢くらいのご夫婦がきて弁当を広げ始めた、愛想のいい奥さん、どちらともなく話しかけて会話がはずんだ。ご主人がトイレに行ってなかなか戻ってこないうちに奥さんの心配ごとを聞かされた。65歳になった去年、自営業から引退した亭主が急に老けこんできたので心配になり、外歩きを誘って今日もここへ来たという。こちらの歳を言って自分の経験を話したら、とても興味を持ったようで励みにして歩くと夫婦で言ってくれた、こちらの記念写真を撮ってもらって、夫婦の写真も送るからと撮ってあげたら喜んで住所氏名をメモ書きしてくれた。とても穏やかないい夫婦だった。ここで大幅に時間オーバー、早くついて貯金したばかりの時間も食ってしまった。
でも、そういう出会いが東海道の楽しいところ、ついでに予定していなかった城山公園の頂上へ上ってみたら富士山が見事にみえた。ラッキー。



さあ、午後のスタート、12時55分。吉田茂邸は去年焼失したはずだからパスして一号線に沿って歩く。やがて見事な松並木が見えてきた、本格的な松並木でこれは歩くのが楽しみだと思った。その松並木の入口、右に伊藤博文旧居跡の碑がたっていた。最近まではプリンスホテルの中華飯店だったらしいが店は閉められていた。

大磯の松並木は保存もよく歩道も遊歩道になっていて気持ちよく歩いた。とにかく大きくて高い松が多く、カメラには納まりきれない、業者が保存のためか何か作業をしていた。13時30分、予定の時間通り。


しばらくすすみ路地を入って旧島崎藤村宅に回り道した、ここは藤村が亡くなる前の二年間住んでいたところらしい。奈良の志賀直哉旧居よりこじんまりとした平屋だが文豪の住んだ家はとても雰囲気がよく似ていた。


一号線にもどり大磯町役場のとなりにある西行法師ゆかりの鴫立庵へ寄った。寛文四年(1664)小田原の崇雪が西行を慕って草庵を結んだのが始まりという日本三大俳諧道場のひとつといわれている。庭をゆっくりしていたら藤村旧居で出会って団体さんがやってきたので退散。


次へ急ぐ前に大磯の海岸へ出てみた。太平洋はすごい、大きくて広い、海岸も長い、白波が打ち寄せてくる、あわてて逃げる、それを繰り返す、じいさんの浜辺遊びには幼稚かな。



砂がセメントのようで驚いた。歩くのがむずかしい。
なにしろ瀬戸内海育ちで海のスケールも景色も砂も違う太平洋を目の当たりにして気分が爽快だった。一号線に戻り少し進むと明治の三大教育者の一人で同志社創立者の新島襄の終焉の地の碑が道路わきにきれいに祭られていた。


さらにすすむと大磯照ケ崎海水浴場発祥乃地の碑がたっていた。明治18年に日本最初の海水浴場としてこの地に開かれたそうだ。鴫立庵、大磯海岸でのんびりとしたために時間をとってしまった。このわずかな区間で予定より28分も遅れて14時18分になっていた。ここから一号線は左へ大きく曲がってすすむ。このあたりから大磯宿の中心地だったのだろう、古い建物が目についた。

尾上本陣跡、小島本陣跡の碑がたっていた。その間に藤村の墓所がある地福寺へも寄ってみた。大磯郵便局前、大磯駅への入口、を通って三沢橋を渡り左のみちへ、JR東海道線の地下道を通ってすすむと松並木の続く化粧坂へ続く。
化粧坂には物語があるのだがここでは省略。


この化粧坂をすすむと再び一号線に合流、金目川にかかる花水橋の手前までくると道路反対側のお寺から親鸞上人の像が見えたので予定はしていなかった善福寺へ入ってみた。住職さんなのか掃除をしていたのでわが家も本願寺派だと話しかけたら、わざわざ本堂の中へまで案内して、ご本尊の前に座らせてもらい、重要文化財の写真まで撮らせてもらった、おまけに2010年のカレンダーまでもらった。こんな出会いのハプニングは時間に関係なくうれしい。


大幅に時間がおくれてしまったが、金目川を渡り平塚市へ入る、ゴールまで残り少なくなって気が緩んだのか、手持ちの地図のページが変わるところで、一号線を右折しなければならないところを、新しいページで確認もせずそのまま進んだために多分500メートルは行き過ぎただろう。ここからあわてて引き返して一筋を間違えて路地だらけの住宅街に入り右往左往、まさかと思って尋ねたおばあさんが、なんとなんと、東海道を静岡まで歩いた経験がある人ですらすらとわかりやすく教えてくれた、それだけでなく、日が傾いてきたので気をつけて行ってくださいと励ましてくれた。まさか、まさか、玄関横の花の手入れをしていたあのお年寄りが・・・とにかくありがたかった。


平塚の塚、本陣跡・・・平塚宿の中心地であった跡を歩いてゴールの平塚宿の東出入り口、江戸口見付の碑に16時25分に着いた。16時を予定していたから25分の遅れでまずまずの初日の歩きだった。冬至の日の東海道を無事に歩き終えてほっとした。


今夜は平塚泊まり。明日はここから藤沢、戸塚へ向かって歩く。

年賀状に思う-その2

2010-01-05 13:54:13 | 交流
きのうのブログで書いたことを検証しておこうと
いただいた年賀状を一枚一枚読み直してみて

正確ではなかったことがわかったので訂正して
おかないと

"私の年賀状を見てくれた?"

とお叱りがあるかもしれない、まずいまずい。

自分が某ウォーキング協会に所属していた時
夫婦で協会の幹部をしていたHさんと親しくなった
その後もずっと交流が続いているのだが
Hさん夫婦の黒部峡谷探検?の写真は睦まじく楽しい

小さいけれどご夫婦の写真入りやグループ活動写真入りの
賀状もいただいている

何か活動をしている写真だからさらりとしていいな
証明書用の写真でも載せたら指名手配になってしまう

写真の好きな人はとっておきの一枚を使いたいし
お宝のかわいい盛りのお孫さんはほほえましいし
ペット君が家族の癒しならそれもいい

いただいた年賀状はすべて感謝、感謝
余計なことを言ってはあかんぞ

感謝と反省、いつも言ってるくせに。

年賀状に思う。

2010-01-04 23:21:14 | 交流
今年もたくさんの年賀状をいただいた
その一枚一枚を読みながら

その人との交流の日々をなつかしく思い出して
無性に会ってみたいと思う人がいたりする

お孫さんの写真、旅行先の景色、ペットの写真

パソコンが年賀状作成の貴重な戦力になってから
インクジジェットの写真用はがきを使えば写真が
簡単に取りこめて楽しい年賀状ができる

ただ、いただいた年賀状で若い人の家族写真を除くと
ご本人の写真がはいっているものは一枚もなかった

自分が数年前から写真入りで近況報告代わりに作成した
年賀状を送っているのは変わっているのかなあ

今年は少なめに買った年賀はがきだったのに
まだ行き先のない自分の写真入り年賀はがきが
30枚ほど残っている

出す枚数が少なくなったこともあるし
いただく枚数もかなり少なくなった

その分、メールで年賀代りの挨拶が増えたのも
時代のうつりかわりか・・・

景色写真や凝ったデザインもいいけど
長く会っていない君の元気な顔がみたい

そう思うのは自分だけかなあ・・・
年賀状にふと思った。