おらほが小学校のころは、都会の学校と違って、給食なんてものはもちろんありません。弁当です。が、弁当を持ってくるのはクラスの半数ぐらいで、あとの半数ぐらいは、いか関係者のこどもだったので、昼になると家に帰ったのです。いつもではありません。7月~9月ごろの夏場、いか漁の最盛期になると、早朝四時五時からイカ割きで大忙しなので、弁当など作っていられなかったのです。関東軍、陸軍上等兵だったおらほの父親も「いかつけ」(イカ釣り漁師)だったので、昼になるといったん家に帰り、昼ままんまを食べて、また学校に行ったのです。
七輪のいわしの塩焼きと湯漬けなどが多かったのです。
七輪のいわしの塩焼きと湯漬けなどが多かったのです。