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さてこの数日、福昌寺跡の島津家墓地の画像を並べていますが、
今回はちょこっと小出しにしてみます。
背景からして、福昌寺墓地の一番奥付近を写していますが、
手前の表示は「薩摩第六代 島津師久(もろひさ)」です。
2008年2月29日に撮った写真の中で、これだけ他の区画のものと違っていました。
案内図(全体図)です。
撮りためた写真をチェックしたところ、10年後の2018年にはこの歴代当主の墓所辺りをたっぷり写真に撮っていましたが、2008年のこの時は、吉貴公の墓所から奥へ入ってみて「こんな古いのもあるんだ〜」と思いつつ、気まぐれに撮ったものと思います。
↑「薩摩6代 師久」です。
この時(2008年2月29日)は吉貴公墓所が目的だったので、
もっと古い時代のご当主の区域は回っておらず、この1基だけ撮ったようです。
歴代の島津家当主の墓は主に案内図の左側の区域にあり、
薩摩6代・島津師久(もろひさ)をはじめ、第9〜14代までが並んでいます。
(初期には薩摩国守護職・大隅国守護職それぞれで名前が上がります)
※ 島津師久 … 六代薩摩国守護職
島津貞久三男。母は大友因幡守親時入道 道徳の女子。
正中二年(1325年)八月十六日、出水木牟礼城に出生。
父の守護・貞久は文和元年(1352年)頃には、嗣子・師久には薩摩国を、同じく氏久には大隅国をと国政を分けて委ねているが、師久は薩摩国の守護所を川内(せんだい)碇山城に置いた。(『島津歴代略記』より抜粋)
この続きはまた次回。