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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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上野戦争と銅像

2021-03-31 11:54:28 | 日記

 FBへ投稿したものをこのブログに記します。

 

『英雄たちの選択』で「上野戦争」を取り上げていたのを視聴('18.8月の再放送)
上野の西郷隆盛像、作者は誰だったか確認していたら、いろんな事がわかった!
 
その1
だけど、首から下は「岡崎雪聲」の作だった!
 
その2
「高村光雲」のWikiを読むと、代表作のところに「傍らの犬は後藤貞行の作」とあった!
上野の西郷さんが連れている犬は作者が違う、って知らなかったなぁ。
 
で、ここに楠木正成像の画像が載っていたのでよく見ると、
「馬は後藤貞行の作」とあったので、では、楠木正成像の作者は誰?
と検索したところ行き着いたのが、これ↓
 
「楠木正成像は、別子銅山開坑200周年事業として住友から宮内庁に献納されもの」だそうです!これも知りませんでした〜
 
「当時、東京美術学校には塑造科はなく、原型は木彫を使用する時代だったため、同校の木彫科教授であった高村光雲が主任となり、指揮をとった。翌(明治23)年、東京美術学校は後に製作担当者となる3人を次々と教師として採用。高村光雲は頭部を担当し、山田鬼斎と石川光明が身体・甲冑部などを、後藤貞行が馬の製作を担当した。 」とある。
 
これで、「その1」に書いた「首から下は「岡崎雪聲」の作」に繋がりました〜
 
当時、こうして色んな銅像が作られたのでしょうね。
 
補足:(上記のリンクHPより)
「馬を担当した後藤は、若い頃に騎馬術を習い、軍馬局で種馬について研究した後、理想的な馬の姿を描きたいと日本画、洋画を習った経歴の持ち主で、それでも飽き足らず彫刻を覚えたいと光雲のもとを訪れた人物。その才を見いだした光雲が、馬の製作担当に推挙した。巨大な馬像に挑んだ後藤は、並外れた熱意を見せた。」      
 
☆↓拾い物です
怪談風朗読 高村光雲「上野戦争当時のことなど(うえのせんそうとうじのことなど)」

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