いつもお読みいただきありがとうございます
トップ写真は2006年8月4日、指宿の今和泉島津家墓地の整備改装前に撮ったものです
さて、2008年8月2日に『5月の歴史探訪フォトアルバム-1』(カテゴリー:日記)として上げましたが、写真をクリックすると拡大表示されなくなっていたのでどうにかしたいと常々思っていました。
今回改めて写真を見直してみたところ、前回のページに掲載しなかったもので興味を持って頂けるものが残っていたので、新たにブログアップしてみたいと思います。
《福昌寺跡の島津家墓地にて》(撮影:2008年5月17日)
「かごしま探検の会」の街歩きに参加して、鹿児島市内の上町地区、福昌寺跡へ
「島津淡路忠喬」と「島津三次郎忠冬」と読めます。今和泉島津家の方々ですね。
(指2本でやるあの拡大表示(名前がわからない)をしてみて下さいね)
「島津安藝忠剛」と「島津山◯忠厚」 こちらも今和泉島津家。忠剛は、忠冬の父で篤姫の父でもありますね。
※写真で見るだけでは山◯がよくわかりません‥‥あとで調べてみます。
ここで今和泉家の方々について、少し分かりやすいように指宿・岩本の墓地の新しい見取り図を貼っておきますね。
続いて鹿児島市内の島津家墓地から、
こちらは島津、菱川の姓と並んで「調所笑左衛門(広郷)」の名があります。以前のページにも載せました。
(データの小さい画像しか見つからなかったので、例の指2本のヤツ()で画面拡大してご覧下さい)
そして、名越&三原 右端が「名越彦太夫」、左端に「三原」名前は判別出来ません。
さらに、名越&町田 名越彦太夫の隣の面、真ん中に「町田」名前には「久」の文字が見えますがハッキリしません。
山口、井上、竪山などの姓が並んでいます。
こちらには「島津安藝(あき)・對馬(つしま)」
よく見えないのでさらに近づくと‥‥
「島津安藝"忠敬(ただゆき)"」と「島津對馬"忠喬"」
この、「島津對馬忠喬」というのが、『島津對馬の長女・スガ』に書いている今和泉島津家・忠卿(ただあきら)から数えて第4代当主ということになります。
指宿・岩本の墓地見取り図には「忠郷」と表記されていますが、「忠卿(ただあきら)」と思われます。
これについては別ブログに書きました『忠郷なのか忠卿(あきら)なのか?』コメント欄
また、同じ「ただゆき」という読みの「島津周防"忠教(ただゆき)"」(安政6年)すなわち、のちの久光様の名も
大河ドラマ『西郷どん』で斉彬公とつい最近の放送回でも激しく対峙していた、久光様のご両親のお墓も。
こちら「島津斉興」さまと
母・由羅さまのお墓です
ついでながら、大河ドラマHPより「人物相関図」もどうぞ
福昌寺跡墓地をあとにして‥‥
中学・高校一貫校になった玉龍高校へ
きゅ(今日)はこんなところで、よしゅごあんどかい?(よろしゅうございましょうか)