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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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『現代語訳 上井覚兼日記』に「大興寺」の名を見つけた!

2020-12-27 14:53:25 | 日記

寺山用之(寺山源右衛門家)の妻で、子供3人を残して早くに亡くなった曽祖母・スキ。

 関連日記 → 『祖母の実母の旧姓は‥‥「町田」?(スキさんの命日に)』(2019.9.25)

今年4月にシンイチさんから頂いたコメントで、スキの父「町田藤蔵」の家が稲荷町に確認できると教えて頂きながら、コロナ禍で思うように動けずまだ確認には至っておりません。

 以前コメントを頂いた記事 → 『父方祖母の育ての親・平山チカの命日でした』(2020.4.12)

 

その確認は来年早々に予定しておりますが、実は昨年暮れに急逝した叔父(亡母の弟)の遺品整理などもまだまだ時間が掛かりそうなので、段取りをつけつつ合間にやりたい事をやって息抜きにしようと思っています。

南洲寺の墓石なども見たいと思いつつ、今年中には叶いませんでした〜(>_<)

 

そんな中、先日書いた曽祖母・寺山スキ(すぎ?)の父、「町田藤蔵」のことが気になり、シンイチさんに頂いたコメントを読み直して古地図(『鹿児島城下絵図散歩』)と現在の市内地図で確認して、「大興寺」や「善聚院」の辺りをひと通り見入っていたのでした。

 

 こちら↓、「清水小学校」を起点に首を右に90度曲げてみて下さい

 

それから少し後、先日書店で取り寄せ購入して「じっくり読まなくては!」としばらく本棚で温めていた(?)新名一仁さんの『現代語訳 上井覚兼日記』にざっと目を通したところ、とある日の日記に「大興寺」の記述を目にしたのです!(p.101)

 

☆こちら↑、安政年間の地図。画面の右から下部にかけて「善聚院」「善聚院 門前」があります。現在の稲荷町11番。

画面左の「本立寺」の周囲に「大興寺 門前」が並んでいます。こちらが稲荷町12番ということのようです。

☆↓こちらは少し遡って天保年間の地図。画像中央の「三原藤八」「川上〇〇」なども気になるところ。

 

 

 

 

 


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