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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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寺山源右衛門家

2020-06-25 23:52:50 | 曾祖父・寺山用之と後添いさん

今日は父方祖母の実父、寺山用之の命日でした。

昭和16年(1941年)なので、来年は没後80年になります。

昨年、『曾祖父・寺山用之の命日と曾祖母の名前 』を書いた時点では分からなかったことも少しずつわかってきました。

 

 昨年7月には除籍謄本を取り、曽祖父・寺山用之の兄が「寺山用信」であり、「寺山源右衛門」を継いでいること、明治20年9月7日に兄から戸籍を相続している事などもわかりました。

(昨年9月25日の記事『祖母の実母の旧姓は‥‥「町田」?(スキさんの命日に) 』)

 また、同じ稲荷馬場町の町田藤蔵の長女・スキと結婚したこと、子供は3人だったこと、長男・用麿は明治21年に生まれ、大正9年に小倉市で亡くなっていること、長女・節は明治25年に生まれ、妹より3年後に清水町の肥田木氏と結婚していること(その妹というのが次女・ふく、私の父方祖母)などもわかりました。

 祖母に兄・姉がいたことや、姉が肥田木に嫁いだことは父からも聞いたことがありましたが、確認出来て嬉しかったです。

 

ところで、『鹿児島城下絵図』で「寺山源右衛門」の住所をみてみると、安政6年・天保13年共に上竜尾町で今の南洲神社の下(北東)あたりだったようです。(ちなみに、隣は「伊集院伊膳」の名前になっていました。)

 これは以前チェックしていて、「ー 絵図」に載っているのは「寺山」姓は1件だけで、上町なのでこれかなぁ〜程度に思っていたのですが、「寺山源右衛門家」だということは『島津家家臣団系図集』に載っていたので鹿児島市内地図で現在の地番でもチェックしていました。

その時にはピンと来なかったのですが、「ー 絵図」で確認すると「大乗院坊中 善聚院」となっており、「'19. 6/25付」でメモにも書いておいたので、昨夜改めてそれを見てビックリしました

↑  これは間違いでしたので訂正 ('20.10.20追記) →『薩州島津家と寺山源右衛門家』('20.10.18にて)

 

先日も「仁王堂水」を訪ねて歩いていた↓「坊中馬場」のことだ

仁王堂水(清水馬場・坊中馬場)&鶴嶺高等女学校校跡(本立寺馬場)を訪ねて 』

 

 で、今日は思い立って法務局まで父と出かけ、寺山の家があった場所の土地台帳を確認に行ったのです。

 結果は‥‥‥‥、明治35年以降のものしかなく、それ以前の寺山の記述を確認出来ませんでした。。

 

でも、いいこともありました

以前コメントで教えていただいたので一度見ていた「名越泰藏」「名越時成」と、それに続いて曽祖父の名前が記録されている土地台帳のコピーを入手することができたのです

 

コロナ対策で長時間滞在せずに済むようにコピーサービスをするようになったのかな?と思い尋ねると、以前から無料でいただけるようになっていたとかで、前回閲覧したときにはメモに取っただけでしたが、今日再度行ってコピーも手に入って、来た甲斐がありました

寺山の用之爺さんが繋いでくれたのかなぁ〜、なんて嬉しくなりました

 

帰りには、コロナ禍で外食を控えて以降、久しぶりに行きつけのうどんそばのお店で遅い昼食をいただいて帰りました

帰りつく頃に雨になりましたが、暑いくらいのお天気で満腹、満足な一日でした

 

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