いつもお読み頂きありがとうございます
これまでカテゴリー『「爲惠祥院殿菩提」石塔』でいくつか書いてきました。
最初の記事は、2016年12月20日『名越右源太篤烈とは? 』
この石塔に刻まれている名前を調べていましたが、最後までわからなかったのが、
画像左の「島津直○久○」でした
昨夜、別件で『島津家家臣団系図集』を見ている中で、
市成島津家「土岐氏本家」(主水家)一所持」 の久浮(23代?)の娘が
「初 二階堂蔀 行経室 後 島津直江久敬室」 と書かれているのに目が止まったのです
(野田さん、女性の情報まで載せて頂き、ありがとうございます!!)
以前書き留めたメモには「島津求馬家」5代・島津求馬久憑(画像右)の次代に「久敬」の名前があり、「愛之助 直江(早世不継家督)」 とあったのですが、「早世」を「夭逝」と同意だと思い込んでいたため、「これは違うかな」と判断していたのです。
最近になって35歳くらいで亡くなっても「早世」と書かれているのを目にしていたので、この記述もその類なのかと考えが及び、2012年11月16日に撮った画像を見直してみました。
やはり「島津直江久敬」と読めると確証した次第です
これで全員の名前が判明したことになります
コンプリート〜
で、この方が幾つで亡くなったかはわかりませんが、
島津直江久敬様がご存命中にこの石塔が建てられたということになりますね
この石塔、個人のお宅にあるのですが、我が家としてはどうにもなりません。。。
なんとか、どんな形であっても保存して頂きたいものです