ここ数日調べ物をしていました。
以前2016年12月に書いた『名越右源太篤烈とは?』で上げた画像、石塔に刻まれた数組の夫婦の名前です。
(☆画像は全て、2012年11月16日撮影です。もう一度しっかり確認しなくては!)
左:「島津矢市郎久敬夫婦 名越右源太篤烈夫婦 倉山作太夫久籌夫婦」
右:「島津求馬久馮夫婦 島津矢柄久計夫婦 島津直??夫婦」
この中で「倉山」という姓が気になっていたので、『「さつま」歴史人名集』(稲葉行雄著 高城書房出版)で見てみると、
[ 倉山 ] ‥‥ 豊州家島津丹波 正徳年間 二男以下の苗字は倉山氏。諱字は長男「久」、二男以下は「季」と命名するよう命ぜられた。
倉山久武 ‥‥ 豊後久起 子 倉山作太夫家(寄合並)祖。
と、もう一件「倉山藤八」の2件のみ載っていました。
そこで「豊後久起」を[島津]に探してみると、[ 豊州島津 ](p.151)にありました。
島津将監久起 ‥‥ (島津内膳)久兵 孫 宝暦六年(1756) 千五百六十九石 一所持 若年寄。1757没。
※ 将監(しょうげん)‥‥ 近衛府の判官。左右がある。
この「久兵」は「久邦養子」で
宝永二年(1705) 大目付。正徳二年(1712) 一所持 若年寄。 正徳五年(1715)〜享保十六年(1731) 家老。
とあります。
また、『島津家家臣団系図集 下巻』でも「倉山」をチェック!
下巻 p.356 倉山氏 「豊州家二男家」(作太夫家)寄合並
282 豊州家十二代 島津内膳久起二男 文化九年五月樹家 屋敷 西田
久武 ー 久喜 = 久籌 ‥‥ 実 菱刈安房隆観三男 室 島津登久備孫女(永吉家二男家)
とありました!
今度は「島津登久備」を調べてみなくては〜、、、と一先ずここまで。
う〜〜〜ん、、この辺りも繋がりありそう〜
「島津矢市郎久敬」「 島津求馬家」「島津矢柄(やつか)家」も調べましたが、次回以降に回します。
(何で「やつか」と確認したか忘れましたが、「矢柄」は「やがら」かもしれません。'21.1.16 追記)
「やがら」【 矢柄・矢幹・簳 】 ・・・ 矢の幹。篦(の)。矢篦(やの)。(「広辞苑」より '21.1.18 追記)
この石塔に刻まれた各家の繋がり、何かお気付きの方がおられましたら、コメントなど頂けると嬉しいです
この石塔、引きで見ると、こういう形↓の石塔です。これにぐるりと名前が刻まれています。
上の画像を大きく写したのが↓こちら
「爲 恵祥院殿菩提」と読めますが、
恵祥院とはまだ誰だか分かりません。ネット検索では出て来ませんでした。