☆ トップ画像は『「さつま」歴史人名集』(稲葉行雄/高城書房出版)より
古地図を見だすと時間も忘れるほどにキリがないのですが、
例の石塔が元はどこにあったのか、ふと思うのです。
(石塔についてはこちらをどうぞお読み下さい →『名越右源太篤烈とは?』)
島津求馬の屋敷の場所は以前見ていたのですが、最近また城下絵図を見ていて思いました。
この画像↓右上部の「岩崎谷」の「岩」の字の広い敷地、「島津求馬」の邸の場所です。
お城の裏の城山に登る途中のようです。
また、画像フォルダの整理をしていたら、昨年の「鹿児島の城館」展で黎明館の外に展示されていた絵地図にも「島津求馬邸」があったことに気付きました!
画像中央の「岩崎口」から左上に向かいお城の後部の山に上がったところに「島津求馬殿」とあります。
この求馬家の屋敷跡にあったとは考えられないでしょうか?
それともやはりお城の二の丸でしょうか?
う〜〜ん、今あるお宅の場所から言えば、二ノ丸なのかなぁ。。
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