といっても、左源太のことではなく、
その息子、轟とその長男(左源太の孫)のことなんですけど。
私の祖父に当たる轟の長男、"篤彦じいさん"は
てっきり台湾生まれの台湾育ち、と思い込んでおりましたが、
どうやら鹿児島で生まれ、12~13歳の頃までは大竜町の辺りで暮らし、
その後"轟じいさん"共々、家族で台湾に渡ったらしいのです。
なぜ台湾だったのか?その辺のいきさつは詳しいことはわかりませんが。
きのう今日と、沖縄戦没者の慰霊祭関連のニュースを見ていた父が
「沖縄戦で自決した牛島総司令官は"篤彦じいさん"の
小学校の頃の同級生かもしれないって、篤彦じいさんが言ってたんだよ。」
と言うのです。
牛島という人物のことも知らなかったので「どういうこと?」と訊いてみると、
"篤彦じいさん"が鹿児島市の大龍小学校に通ってた頃、
同じ名前の同級生がいて、牛島氏のことをその同級生ではないかと思った祖父が
父のそばでぽつんと話したことがあったんだ、ということでした。
ちょっと待って!?
大龍小学校?! えっ?!
おじいさん、大龍小学校に通ってたの?!!
初耳でした。
「そうだよ。知らなかった?」だって。
そんなこと初めて聞いたよ~
ひょんなことから事実が判明するものです。
ただ、祖父が小学校に通っていた頃に住んでいた家がどこなのか、
未だにハッキリしないのは、実にもどかしいものですねぇ。。
*写真は名越右膳の屋敷が記された地図。
今年2月にあった「重富(越前)島津家資料展」で見かけて写真に収めました。
その息子、轟とその長男(左源太の孫)のことなんですけど。
私の祖父に当たる轟の長男、"篤彦じいさん"は
てっきり台湾生まれの台湾育ち、と思い込んでおりましたが、
どうやら鹿児島で生まれ、12~13歳の頃までは大竜町の辺りで暮らし、
その後"轟じいさん"共々、家族で台湾に渡ったらしいのです。
なぜ台湾だったのか?その辺のいきさつは詳しいことはわかりませんが。
きのう今日と、沖縄戦没者の慰霊祭関連のニュースを見ていた父が
「沖縄戦で自決した牛島総司令官は"篤彦じいさん"の
小学校の頃の同級生かもしれないって、篤彦じいさんが言ってたんだよ。」
と言うのです。
牛島という人物のことも知らなかったので「どういうこと?」と訊いてみると、
"篤彦じいさん"が鹿児島市の大龍小学校に通ってた頃、
同じ名前の同級生がいて、牛島氏のことをその同級生ではないかと思った祖父が
父のそばでぽつんと話したことがあったんだ、ということでした。
ちょっと待って!?
大龍小学校?! えっ?!
おじいさん、大龍小学校に通ってたの?!!
初耳でした。
「そうだよ。知らなかった?」だって。
そんなこと初めて聞いたよ~
ひょんなことから事実が判明するものです。
ただ、祖父が小学校に通っていた頃に住んでいた家がどこなのか、
未だにハッキリしないのは、実にもどかしいものですねぇ。。
*写真は名越右膳の屋敷が記された地図。
今年2月にあった「重富(越前)島津家資料展」で見かけて写真に収めました。
Very good diary for those who don't know Japanese history. I am from Taiwan.
いま、台湾で篤姫のドラマが放送されています。