S2000と茶の湯 日々是好日

裏千家のお稽古 日々の出来事 大好きなS2000
ぶつぶつと 私の備忘録

主人のお土産  シビックタイプRが来ました トミカ 大好きです

2024-02-15 22:06:33 | つぶやき




 
Honda 赤バッチ
 

 
トミカです
 
私のは 来年の夏予定
もうすこし早くなるかもしれませんが
 

 
輪島にボランティアに行っていた旦那さんが
道の駅に売っていたからと買ってきてくれました
 
一昨年の注文なのに
今頃 何色買ったかと ?
主人は車に興味なし
赤バッチの意味とか FF世界最速だとか
最後の純ガソリンエンジンだとか
ミッションのみのワンタイプだとか
オタク炸裂で
熱く語りましたけれど
いまいち 興味なし
でも トミカ買ってきてくれたから
いいでしょう
 
白でよかったわ
 
最近はS2000に乗ることが多くて
NBOXは天気の悪い日だけ
やっぱり ミッションは楽しいし
無限の音がいい 気持ちがいいですよ
 

 
娘が買ってくれたS2000タイプS
主人が買ってきた シビックタイプR
 
実車が届いたら 2台並べて写真撮りたいな
 
ワクワクさんです
 
 

 
タイプRは 少し大きめで
慣れるのは大変かな ?
 
S2000は小さいので
ロングノーズになれると
普通に乗れますけれど
 
お菓子も買ってきてくれました
 
金沢は銘菓がたくさんあるけれど
今回は無理だろうから お願いしませんでした
 

 
こんなかわいい 黄な粉チョコが ・・・


 
こういう 張り子のような玩具 好きです
中身より箱
 

 
 

 

 
羽二重餅は 福井県ですよね
 
最近は 求肥を家で作るので
羽二重もあまり珍しくありませんが ・・・
 
お味は どんなのかな ?

2月のお軸は菅公 カンザキアヤメも咲きました

2024-02-15 22:01:04 | 床・軸




梅の季節で お軸は菅公
 
京都から大宰府に左遷(流刑)されるときに
大切にしていた梅の木に語り掛けた歌で
その後 あとを追いかけて 大宰府まで梅が飛んできたというお話
 
東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
 
飛梅伝説が有名な 菅原道真
 
大宰府で不遇の内
2年後に死を迎え
死んだのち 怨霊となり
そののち 学問の神様にまでなった人物です
 
安倍晴明の本では 怨霊で登場しましたけれど
 
東風ふかば の詩は有名ですけれど
 
このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみじのにしき かみのまにまに
 
この歌も好きです
 
 
田向山は お茶杓の銘にもありますし 田向風炉というものもあります。
秋しか使えませんけれど
 

 
土佐光長
 
多分 襖か屏風の絵を外して お軸にしたのでしょうね。
本紙はかなり古いですけれど
表具は新しく いい表具がしてあり
とても良い裂地が使ってあります。
 

 
大柄で 何という裂かな ?
 

 
黒文字とカンザキアヤメと日の丸
 
花入れは安来の錦山窯の辰砂
寛次郎さんのおひざ元です。
 
何回も九州に行ったのに
太宰府天満宮はご縁がなくて 行かなかった 行けなかった。
何時か 行ってみたいと思います。

昨日の役員会の床 茶花

2024-02-13 14:45:42 | 茶花


今年初めての会なので
お薄一服 点てだしで
 
一応 床付きのお部屋でしたので
 

 

 
今年は 紅梅の花付きがとてもいいです
 
椿は 四箇村
お稽古の時は開いていても構いませんが
茶席では色ついたつぼみを
今にも咲きそう ・・・ と思えるような
 
退出するころに 先がちょっと開くような
 
タイミング 難しいです
 
薄板は花入れがそこが角なので 〇にしました

利休さんのお茶杓 泪 十日間だけ公開です

2024-02-11 23:08:01 | 道具



 

 
名古屋の徳川美術館で
毎年 利休忌に合わせて 十日間だけ特別公開
今は 尾張徳川家のお雛様の公開
 
お雛様に合わせて 見に行こうかな 
 
名古屋は学生時代からいつも通過するだけ
下りたことがありません
 
豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、
最後の茶会に用い、古田織部に与えたといわれる茶杓。
古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、
その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられています。



 

古田織部が徳川から切腹を命じられ
その後織部の道具は すべて徳川に没収
それ以降 ず~~~~と 徳川家にあったというのが
財力の差 
他の大名家なら 
明治維新以降、家禄を失い没落し
家宝の売却などで凌がなければならない事態であったでしょうに
さすが 徳川 尾張藩がお金持ちだったのでしょうね。
 

 

 千利休-古田織部-徳川家康-初代義直と伝来した。
              (ここで 尾張に来ています)
これほど伝来のはっきりした移動の少ない茶杓は やはり 泪しかないかな。
400年以上 同じ場所にあるという
 
龍光院の天目も やはり 同じくらいの年月 門外不出でそこにあります
そういうお道具を 今は目にすることができる
そんな時代に感謝です
 
 静嘉堂文庫の両樋も筒には 表・裏 両千家の書付の筒がついていますし
それが 流れて 今 そこにあると ・・・
古いお茶道具は歴史とロマンにあふれています
今の時代にちゃんとお茶道具として残っているのは
それなりのお茶人さんの手を経て今があるのでしょうし。
 
来年行けるかどうか 来年のことはわかりません
今年なら 行けそう 行くことにしました。
茶杓1本見に 
飛行機手配しました
幸いなことに 出雲ー小牧 直行便が飛んでます
 
 
 


パイロットになりたい方へ 夢はそれに向けて努力を重ねれば 必ずかなうものだと ・・・

2024-02-11 23:01:51 | つぶやき


田舎の片隅で
幼稚園の時 仲良し三人組 飛行機大好きで 
大きくなったらパイロットになりたいと
 
大きくなって
一人は航空自衛隊のパイロットに
一人は高校を卒業後 アメリカにわたり
働きながら 英語をマスター
帰国後 八尾の航空学校に入り
免許取得 続いてアメリカで ライセンスを取りJALへ入社
その後は 何社か移動して いまは ほかの会社へ
 
あと一人は文系大学から 就職試験を受けて 不採用で
留年後 システムエンジニアに 
あきらめきれず 退職して 八尾の朝日航空でライセンスを取り
自力でローンを組んで 免許取得
アメリカで訓練受けて ライセンス取得
 
30でようやくパイロットに
 
 
ANAグループに入社後 沖縄の下地で訓練
初めは小さなプロペラ機で 羽田から 大島へ 飛んでいました
そのころは 椿油をよくくれました
 
それから  北海道へ 丘珠から 道内全域 
このころは 北菓楼の開拓あられが来ましたね
 
大阪へ戻って ボンバル機
エアアジアに移動して エアバス
コロナで飛べなくなって ピーチへ移動
ピーチでアジアへ
 
 
そして 昨年から ZIPAIRへ
 
最終 念願かなって 大型機に
ホノルル・ロサンゼルス 
 

 
苦節何年 おめでとうとメールしました
通路2列の飛行機だと 嬉しそうに話してました 笑

 

 
家族写真が来て
大きくなった孫たちと ・・・
親父になったなあ もう おじさんです
 
 
夢は見続けて それに向かって努力すれば
必ずかなうという 
 
これから パイロットを目指す方はぜひ頑張ってくださいね
パイロットローンというのがあって
就職してからの返済で
就職すれば 会社からかなりの補助金が出ます
(百万単位の 会社により差はあるようですが)
自社訓練だと時間がかかりますし 即戦力ですから
企業としてもそのほうが安上がりだそうです。