まず前回の記事の訂正部分があります。
風祭駅はJR東海道本戦ではなく、箱根登山鉄道でした。
さて一夜城に向けてGO!
長興山をおりてから元の道を右に曲がり、早川にかかる太閤橋を渡ってしばらく車道を歩きます。
ところどころ早咲きの桜が咲き、梅はまだまだ見頃、お茶畑やミカン畑もあり、とてものどかな風景でした。
途中石材が二つ、道の横に転がっていました。看板の内容を簡単に説明すると・・・・。
早川には石丁場(石を切り出す場)があり、江戸城の石垣を作るためにここの石が切り出され運ばれました。
この2石は平成17~18年早川石丁場群の発掘調査が行われた折、発見されたものです。
何らかの原因で石船で運び出す途中、沢に落としてしまい、そのまま放置されたものと推定されるそうです。
それにしてもこんな大きな重たい石をよくぞ江戸まで運んだものとびっくり!
落としてしまったのか、それとも船が沈みそうであえて落としたのか?想像が膨らみますね。
だんだん山道らしくなってきますが、車道と合流したり、山道になったり・・・・。
途中、前記した江戸城の石垣を作るための石を切り出した石丁場が保存されています。
「角石」と呼ばれる石垣専用の大きな石が採取された石丁場だそうです。
保存された石には石を割る際に掘られた穴や刻印があり、興味深く、往時をしのぶことが出来ますが、
ただ刻印は私たちの肉眼ではどうしても確認することが出来ませんでした。
石垣山一夜城の麓には広い無料駐車場があります。
その横にあるのがあの有名なレストラン、カフェ「一夜城ヨロイズカファーム」!
こちらは亡き川島なお美さんのご主人で有名パティシエ鎧塚俊彦さんの経営するお店です。
レストランでのランチはかなわず(満席のうえ超高い!)パンを買い、青空の元、コーヒーと共に頂きました。
美味しかった!(これも少し高目ですが)。
その駐車場から一夜城のあった石垣山への道が始まります。
石垣山は本来は笠懸山と呼ばれていましたが、天正18年豊臣秀吉が小田原北条氏攻めのために、
総石垣で城を築いたため、それ以来石垣山と呼ばれるようになりました。
一夜にして築城したと言われるあの秀吉の有名な一夜城です。
山頂の林の中に塀や櫓の骨組みだけ造り,白紙を張って白壁のように見せかけ、周囲の樹木を伐採して、
一夜のうちに城が建てられたようにして、北条氏を驚かせ兵士の士気をうしなわせたとか。
しかし実際はのべ4万人を動員し、80日をかけて造られたそうで、一夜にして樹木を伐採は事実のようです。
今でも一部当時のまま石垣が残され、国の指定史跡に指定されています。
<左二の丸跡 右本丸への入り口>
本丸跡からは小田原城や城下の様子が一望できます。きっと当時はもっとよく見えたのでしょう。
<相模湾と小田原市街地 さ~どこに小田原城があるでしょう?>
<ズームで>
説明板によると、周囲を水陸から豊臣側の家臣に完全に包囲され、これではたまったものではありませんね。
当時の歴史を偲びながらタイムスリップした気持ちで山の上に立ちました。
さて一通り一夜城跡を見て回り、早川駅方面に下ります。
帰路小田原城にもより、今度は北条氏側の気分になって、石垣山を眺めてみたかったのですが、歩き疲れました。
坂を下り徐々に小田原城や市街地が眼前に近づいてきます。歩いてでも行けそう。いえいえそれは無理!
またの機会にすることにし、久しぶりの軽めのハイキング(軽くなかった!)を満喫した1日でした。
<ゴールJR早川駅>
かなり端折ったハイキング記録となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。