バレリーナの森下洋子さんを皆さんはよくご存知だと思います。
有名人などとは全くと言っていいほど縁のない私ですが、彼女だけは少しの間ですが、ご縁がありました。
あえてここでは「洋子ちゃん」と昔の呼び名で書かせていただきます。
世界的な名バレリーナを「ちゃん」付でお呼びする失礼をお許しください。
この度、彼女が秋の叙勲で旭日重光章を授与されたことで急に昔のことを懐かしく思い出しています。
彼女と私の故郷広島には私の知る限りでは当時2つのバレエ団がありました。
「葉室潔先生」と「洲和みちこ先生」!葉室バレエ団はモダンバレエ、洲和みちこバレエ団はクラシックバレエ。
洋子ちゃんは、はじめ葉室潔先生の元でバレエを始め、確か小学校2~3年の頃でしょうか、
葉室先生の勧めで本格的なクラシックバレエをと洲和先生の元へやってきました。
私は幼稚園生のころから洲和みちこバレエ団で、将来のバレリーナーを夢見、バレエ大好きな女の子でした。
初めて主役をもらったのは確か小学校1年生の時の発表会「親指ひめ」だったと思います。
それから毎年子供バレエ劇の主役を演じるようになりました。
毎週土曜日の午後と日曜日の午前がお稽古日で、当時は広島のほぼ中心地千田町レッスン場がありました。
<小学校2年生「魔法のお城」の主役の男の子>
普段は内弟子の先生の指導でしたが、時折、また冬夏の1週間の特訓レッスンでは洲和先生がやってきて、
棒を片手にトントン、ピシピシとよく叩かれました。すご~く厳しい先生でした。
<小学校4年生の時の秋の発表会 蝶々の夢 後ろ向かって右側が私>
自慢ではありませんが、小学生だった私は当時洲和みちこバレエ団ではプリマ的存在だったかも。
<私の最期の舞台となった小学校5年生の秋の発表会 「青い鳥」のチルチル役>
ところがです!洋子ちゃんの踊り方は別格、全く違いました。
何だか異分子が転がり込んできたような衝撃とショックを子供心に抱いたことを今でもはっきろ覚えています。
すでにその頃、洋子ちゃんは休みになると上京し、橘、牧阿佐美バレエ団でお稽古されていて、
一地方の私たちバレエ団の子供たちとは、踊り方がまるで違いました。
発表会でも一緒に踊ることは目立ちすぎてできないほど、素晴らしかった。
小学校6年生の時にはついに単身上京!
ご両親は広島市の中心街で「キッチン森下」を経営し、経済的に洋子ちゃんを支えていたと聞いています。
キッチン森下は当時広島カープの選手たちも出入りし、とても繁盛していたとのことです。
ご両親の協力と本人の強い意志力があってこそ、今の世界的バレリーナ「森下洋子」が生まれたのですね。
<洋子ちゃんと私 春の遠足 私中1、洋子ちゃん小学5年生>
<奥の黒い洋服 洲和みちこ先生>
私はと言えば、小学校6年生の秋に、ツベルクリン反応が陽性となり、医師から激しい運動は禁じられ、
バレエレッスンも暫くお休みすることにしました。
中学生になり再開、が勉強との両立が次第に難しくなり、レッスンもお休みがち、とうとうやめてしまいました。
大人になってもバレエの憧れは続き、一時バレエ教室にも通いましたが・・・・・。
洋子ちゃん、改めて叙勲受賞おめでとうございます。いまでもまだ舞台に立っていらっしゃるのですね。
まさにバレエ界のレジェンド、応援しています。
洋子ちゃんも素晴らしいですが、花水木さんが素晴らしい。
将来のバレリーナーを夢見ての花水木さん、素敵な思い出がおありなのですね~~
田舎(ド田舎ではないけれど)にはバレー教室も無かったのですが、こうした習い事って、
親御さんの応援がないとできないことでしょうね。
でも、途中で止められたにしても花水木さんは今でも若々しくおられ、スタイルも良いですね。
何だかとっても嬉しくなるようなお話を有難うございました。
本当に素敵な思い出ですね。一生の宝物ですね。お写真の花水木さん、とても可愛いです。日本が誇るプリマとの思い出の写真見せて頂き有り難うございました。今でも姿勢の良い立ち姿の美しさはこの時に培われたのですね。やはり、何でも学ぶことは大切だと思いました。 なおとも
ここ、一番嬉しいですが、恥ずかしい、そんなことはありません。
姿勢だけは良いと思っていますが、すっかりおばあさん体形です。
「三度の飯より踊るのが好き」そんな少女でした。
7年間ぐらいバレエをしていましたが、小学校時代は殆ど休んだことがなかったと思います。
>親御さんの応援がないとできないことでしょうね。
洋子ちゃんの親御さんはもちろんの事、私の母も一生懸命でした。
当時発表会の衣装はほぼ手手作りでしたので、母は大変だったと思います。
バレエはお金がかかる贅沢なお稽古事かもしれません。
素敵な思い出を作ってくれた両親に感謝しています。
子供のころは眼のくりくりとした本当に可愛い女の子でした。
短い間でしたが、世界のプリマドンナと御縁があったことを嬉しく思います。
もう75歳にもなられるのに、いまだに舞台に上がっていらっしゃるお姿に、尊敬の念を抱きます。
健康に留意し、これからも踊り続けてほしいと陰ながら応援したいと思います。
良き思い出と共に写真の一枚一枚も宝物ですね。
二度とかえらぬ幼き頃に宝石のように輝く日々をお持ちでお幸せです。
森下洋子さん 以前私が広島市民文化大学に行っていました折 講師としてお見えになってお話を伺ったことがあります。
花水木さんが書いておられるように広島でのバレエ教室や東京へ行かれてからの生活などお話になりました。
「キッチン森下」のことも・・・。
まだ舞台にお立ちで凄いですね。
広島人としていつまでも応援いたしましょう。
森下さんは洲和先生の厳しい指導で逞しく育った仰っていますよね。
洲和先生は男っぽい性格の先生でちょっぴり怖かったですが、私もあっこちゃん、あっこちゃんと可愛がっていただきました。
あのままバレエをつづけていたら、どうなっていただろうと時々考えます。
いまだにバレエの夢を見るのですよ。
よほど強烈な印象としての残っているバレエなのでしょう。
私の今の生活に幼い頃のバレエ体験がどう影響しているかは分かりませんが、よい思い出になっていることには間違いありません。
花水木さんはバレリーナ志望だったのですか?
すごい!
沢山の思い出、特にも森下洋子さんとは素敵な思い出がいっぱいですね?
あの年でと言っては失礼ですが
良く頑張っておられますよね?
ご主人様は今は振付の方をしておられますが
ご夫婦で踊られた白鳥は印象的でした。
旭日重光章を授与されたこと…同じ年代の私も嬉しいです。
私もまだ週1回のレッスンを楽しみに通っていますがもうそろそろ終点かな?と思っています。
私のバレエ団では鳳蘭と一緒でした。
彼女とは宝塚入団前にお友達に。
もうそんなこと忘れておられるでしょうが。
花水木さんももう一度トライされたらいかがですか?
音楽に合わせて踊るバレエは本当に楽しいです。
是非ぜひ・・・。
あら!志望なんてものではありません。単なる子供の夢です。
そんなにたくさんの思い出があるわけではなく、一時同じバレエ団に属していただけなんです。
今では雲の上の人です。
>私もまだ週1回のレッスンを楽しみに通っていますが
スゴイです、いつも感心しています。乗馬にテニスに、スキーにバレエ!素晴らしい体力でいらっしゃいます。
もう一度トライなんて、とてもとても。
歩くのが誠いっぱいですもの(苦笑)。