夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

自主映像作品「線路端の猫戯子」について

2022-12-21 19:40:54 | Weblog

昨日後編を修正して再アップ、旧作品を削除した「線路端の猫戯子」について。

昨日も書きましたがこの作品は20年に渡って収録した映像で作成した映像による長編叙事詩です。

前編から。

作品にリンクしています。

今日はこれについてひらめいたことがあります。

具体的には考えをまとめてからここで書くとして、私の基本姿勢について。

作品の冒頭で、これがあります。

長野電鉄木島線、当初は河東鉄道が開業したのは大正14年7月。

以来平成14年まで足掛け77年走り続けました。

廃止の平成14年から時代を遡って77年前を辿ってみたんです。

嘉永元年はどんな年だったか。

主にメディアが好きな言葉に「激動の」がありますが大正14年以前の77年、それこそ激動の時代です。

私がこの作品で考えたのはこういう次元。

廃止される鉄道に群がる撮り鉄とは次元が違います。

この作品で盛り込んだ項目は実に多岐に渡り、ただし立ち居位置はあくまでも自分自身、一人称です。

何を盛り込んだかは追って詳しく紹介しますが作品で一番のシーンがこれです。

2001年4月末。満開の桜の木島線赤岩駅に到着する木島行き下り電車です。

今ではこの駅は跡形もありません。

線路はアスファルトの道路になって駅は小さな小屋のあるバス停があるだけ。

20年の歳月は長いようで短いし、でも社会の状況は様変わりしました。

 

タイトルの「線路端の猫戯子」の"猫戯子" (ネコジャラシ)はその他大勢村人たちの一人に過ぎない私自身の比喩です。

実際、木島線の線路端にはどこでもネコジャラシが見られました。

こんな立場で作った映像作品があってもいいじゃないですか。

コメント
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