夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

自主映像作品「線路端の猫戯子」について分析 ⑤

2022-12-31 11:09:39 | Weblog

木島線全線を車内からリアルタイムで撮影した車窓映像を骨格にして話は進みます。

風景の中を走る電車、木島線に関連する項目、おばあちゃんの昔話をインサート。

夜間瀬橋梁を渡って赤岩駅に向かう下り電車。

ラストランのみ上り電車を撮る方針です。これは当初から考えていました。

赤岩駅に近付きます。

ここで一転、話は京都に飛びます。

旧加悦(かや)鉄道跡の加悦SL広場です。往復1000㌔の旅でした。

ここに木島線を含む加東鉄道の開設工事から使われ、開業後しばらく使われた4号機関車が保存されています。

このSLは流転の旅を続けて今はここで動態保存されています。

有志の手で再生され、公開されるまで3年待って撮影に行きましたが映像に納得がいかず再度訪れました。

加東鉄道と似た経緯の現JR飯山線も欠かせません。木島線は千曲川右岸、飯山線(開業時は飯山鉄道)は左岸を走ります。

飯山線替佐駅です。

春は「春の小川」、秋は「故郷」の曲が流れます。

佐久の旧中込学校裏に保存されているC56と小海線を走っていたガソリン機関車が保存されています。

菜の花が咲く中を走る木島線下り電車。

エンディングでカラー映像になります。

この運転士さんとは木島駅でいろいろ話しました。

今はここに北陸新幹線の高架が走っています。

信州中野からはもう一本、兄弟分の湯田中温泉郷へ行く路線もあります。

長野電鉄は電力を自前で確保していました。

これはその発電所。今は電力会社に売却されています。

ついでに、というより東日本大震災直後なので柏崎刈羽原子力発電所も皮肉を込めて。

千曲川からの不正取水で問題になった発電所です。

当時の新潟県知事が問題視して、もしこれが停止処分になったら都電の一部が止まるところでした。

木島線終点の木島は野沢温泉の入り口。木島線を使って野沢温泉に向かう善光寺参りの講もありました。

北信濃は良くも悪くも善光寺ありきです。

終点木島駅に近付きました。

ここでおばあちゃんたちに戦前の満州開拓について訪ねました。

満蒙開拓団に応募したのは長野県が最多で、それは世界恐慌対策の口減らしの面がありました。

おばあちゃんたちの知り合いも満州へ行ったそうです。

私の母方の叔父も15歳で義勇団に応募して行きました。

終点木島駅です。

このプレートは何度目かに消えていました。盗まれた?

ここでも話は一転。一年後です。

今まで通勤者と学生の他は乗客がまばらだった駅は大賑わい。

須坂駅に保管されていたOSカーを見送る人々。

15年後。あのOSカーは須坂駅で解体されました。

こうして見ているとどのシーンも昨日のようです。

でも20年という歳月が流れたんです。

「線路端の猫戯子 前編」はこちら

コメント
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