夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

自主映像作品「線路端の猫戯子」について分析①

2022-12-22 13:58:01 | Weblog

 今年春まで、この映像作品はほとんどライフワークとして取り組んできました。

きっかけは記憶が曖昧ですが2000年春テレビが報じた「木島線廃止」のニュース。

後に知ったのですが、この報道は地元ローカル紙のスクープ記事が元です。

木島線は子供の頃親と何度も乗った路線。迷うことなく映像で記録しなくてはと思いました。

それは撮り鉄とは全く違う捉え方、田舎のなんでもない風景に溶け込んで走る今の木島線です。

 当時の私は大手電機メーカーの地方工場、固有名詞を明かすと富士通須坂工場の労働者。

平成不況で大手企業の間でリストラという名の大量解雇が始まっていました。

社内の動きをみると当然我が身にも重大な事態が迫っていると実感。

木島線廃止は他人事ではなく時代の変換点における社会情勢のひとつ。そこに自身の姿を重ねていたのです。

 廃止は予定より伸びたものの正式に決定、21世紀最初の2001年4月、私はカメラを回し始めました。

廃止1年前です。

北信濃に住む身で地の利では絶対的に有利。田舎の労働者の、行き先不明の長い旅の始まりです。

ベースになった「信州中野発木島行」完成後、存続させるという話だった屋代線も廃止が決定。

迷わずこれも最後の1年、カメラを回しました。

屋代線は若穂駅で自主映画のロケをした思いでの路線。ここで私と屋代線、当時は河東線ですが、見事に交錯します。

北陸新幹線も木島線を撮り始めた時点で高社山トンネルの工事が始まっていました。

こうなれば全部取り込んじゃおう。

 完成した作品のラストシーケンスで「これは、/終着駅に向かいながら/行き先を見失った旅」。

エンディングは長野金沢間開通の日、中野市の丘から撮影したE7が走る姿をフェードアウト。

「やがて、/新幹線にも/廃止の日が来る」。ラストメッセージはこれしかありません。

YouTube にアップ、大仕事を終えた安堵感で確認を怠っていました。

が、先日単純な構成ミスを発見して手直ししたのを機会に、

今まで自分の作品を客観的に見ていなかったので今回冷静に分析してみることにしました。

 

― 作品で盛り込んだ項目 ―

長野電鉄の歴史

 長野電鉄成立過程:佐久鉄道 現小海線との関係 長野県北部の産業との関係 当初の計画

 自前の電源:水力発電所 Jr千手発電所 柏崎刈羽原子力発電所

屋代線(当初は河東線)廃止までの1年

 開業:1922年 大正11年6月10日 開業時から歳月を遡る

 廃止:2012年 平成24年4月1日

木島線 廃止までの1年

 開業:1925年 大正14年7月12日 開業時から歳月を遡る

 廃止:2002年 平成14年4月1日

屋代線/木島線と関連する出来事

 鉄道:国鉄信越本線 飯山線 善光寺白馬電鉄(善白鉄道)加悦鉄道 上田電鉄別所線 北陸新幹線 リニア新幹線

 戦争:長野空襲 大本営関連

21世紀の情勢

 主な出来事:9.11テロ 平成不況 小泉竹中改革 3.11東日本大震災と福島第二原発事故 千曲川氾濫 ウクライナ情勢 コロナ禍

8ミリ自主映画

 屋代線若穂駅:もうひとつの旅の交錯

 

この作品の隠れたメインテーマは ”田舎の情景” ですが内容が盛り沢山なので受け取り方によっては社会風刺になっていると思います。

以上、殴り書きの乱文ですが次回から映像から書き出した静止画を添えて詳しく紹介していきます。

コメント
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