夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2016年 1月30日(土)「生産性の向上と労働者」

2016年01月30日 21時51分20秒 | 「政治・経済」
資本主義は常に経済成長が続かないと維持できないように思われている。現在の先進国をはじめすべての国はこの成長を目指しそのために金融政策を中心に経済の上部構造である政治もこの成長を維持しようとしている。
しかし一方では特に先進国ではこの成長鈍くなりついに慢性的なゼロ成長あるいはマイナス成長に転じている。このために中国をはじめに発展途上国への資本輸出と資金の集中が行われ、その途上国の経済成長に先進国は自国の資本輸出からその利益の拡大を行っている。先進国の多国籍企業はその利益を拡大する一方で国民生活は相対的な貧困の格差に苦しむようになっている。
国内生産は減っていく中で雇用の不安が常に働き、労働の主となるものは性産業からサービス業の労働に転じる。
以上の経済の動きはなぜ生じるのでしょうか?
こう書くと「えっ?」とお思いになるかと思いますが、資本主義の資金は生産性の悪いところに集まるのです。
もちろんこれには条件があり、生産性の悪いところが将来的に生産性の向上が可能となる展望がある場合に資金は集中していきます。
国内を見ても生産性が大きく上がり生産性の向上がが飽和状態になったところか労働の生産性の悪い業種へ資金を集めて生産性を上げていく中での利益を求めるのです。これは起票間の生産性向上の競争が組織され、より生産性を高めた企業が特別剰余価値を得ることができるからです。この競争からその産業がまた生産性の飽和状態に陥ります。また生産性向上はより少ない労働力量でより多くの商品を生産しますからその商品の価値低下を招くとともに企業間競争はより多くの商品を生産できる中でその商品の過剰が起きます。これがその産業での生産性の向上の飽和状態を起こします。
これと同じように先進国は成長可能な発展途上国に資本輸出をし、特別剰余価値の生産を行います。ブラジルやインドが飽和状態になれば中国に資本は移動をして、中国が飽和状態になればミャンマーに資本は移動をする。
資本主義は発展をしながらこの矛盾を繰り返さざるを得ないのです。
人間の生活をより豊かにするはずの生産性の向上が逆に国民生活を貧困化させるまでに矛盾は拡大をしています。
これを資本主義的合理化といいます。
ですから日本の行動成長期にあっても総評は賃上げと同時に合理化反対闘争を組みました。
ではこの反合理化闘争は生産性の向上を否定するのかといえば、確かにそのような宣伝が知識層やマスコミからもありましたが、より少ない労働でより多くの商品を生産すること自体には反対はしませんでした。しかしこの生産性の向上により解雇や賃下げそして労働の強化が起きることに反対をしたのです。
繰り返しますが、本来生産性の向上亜人間の生活を豊かにするのです。
労働者の要求は、生産性の向上による商品価値の低下をそのままに商品の低価格化に反映させ、労働力の養生は労働時間の短縮に向けよという要求なのです。
商品価格の低下は相対的に実質賃金を上げます。労働時間の短縮はより人間らしい労働条件を作ります。
ですから反合理化闘争は生産性の向上を否定するのではなくてその結果を労働者の生活の向上に結び付けよということなのです。
今、またこういう要求が必要ではないでしょうか?
企業花部留保を抱えて苦しんでいる。使い道がないのです。危ない金融商品や利回りの低くなる国債にも限界があります。しかし投資をする場がなくなりつつある。
そのような利益を労働者に還元することにより賃上げも労働時間の短縮も不可能ではないのです。
資本主義の発展のためには労働者の要求を生かした社会民主主義政策の導入しかないのです。
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