「タバコ7つの神話という神話(5)」の続きです。太字はこちらのサイトからの引用です。
5つ目の神話「分煙は受動喫煙防止になるという神話」
ここでも分煙を進めてもたばこの有害物質は必ず長てくることから健康に害を及ぼすという論理が進みます。
「受動喫煙防止法(健康増進法)反対論者が一番躍起になっているのは、「分煙神話」を広めることである。」
分煙によりその効果は大きいはずですが、それでも煙草の煙は100%防げないという事でしょう。
そこで、思うのですが、煙草に含まれる有害物質というのはたばこだけに含まれるものなのかという事です。禁煙によりこれらの有害物質がゼロになるという論理なのでしょうか?
煙草に含まれる有害物質は少し調べただけでもたばこ以外に日常の生活の中に存在するものではないでしょうか。
そうならば、分煙という形でその有害物質を少なくするというものを認めるべきなのです。
大都市圏で生活していれば、煙草はにおいがするからすぐにわかるけど、気づかないうちに有害な科学物質を吸い込んだりしているのでしょうか。
禁煙運動は、肺がんにしてもたばこの害ばかりを強調しますが、実際は非喫煙者も肺がんになっておりそのたばこ以外の要因に喫煙者もさらされているのです。肺癌はたばこ以外の要因でも罹病する。同じように有害物質はたばこ以外からもその影響を受けていることは自明です。
禁煙運動だけでは肺がんは防げません。同じように禁煙だけでは有害物質は防げません。これは明らかでしょう。しかし禁煙論者は100%禁煙を要求するが、他の要因からの影響については口を閉ざす。
一酸化炭素などはどうするんでしょ?
道路を歩いているときに禁煙により煙草の影響は受けなくなる。しかし車が渋滞している中で平気で歩いているわけです。
アレルギー体質の方が増えているようですが、これも多くの化学物質や何かしらの体の免疫力が落ちていることから発生しているでしょう。
室内完全禁煙にして安心して化学物質の影響を見ないで食事を美味しくいただく?
それなら分煙をしても同じでしょう。
道路を歩いていて一酸化炭素の害を受けるとするとき、煙草によるものと車の排ガスなどによるもののどちらが多いでしょううか?今はそうは歩いていても喫煙者には巡り合わない。しかし車はひっきりなしに走り重体でエンジンをふかしている。この中でたばこについてだけ100%禁煙!を言う。
そして「タバコ煙には「ここまでなら安全」という水準はなく、「少しくらいなら安全」とはならないため、全面禁煙にしないと意味がないのだ。」と叫ぶ。
5つ目の神話「分煙は受動喫煙防止になるという神話」
ここでも分煙を進めてもたばこの有害物質は必ず長てくることから健康に害を及ぼすという論理が進みます。
「受動喫煙防止法(健康増進法)反対論者が一番躍起になっているのは、「分煙神話」を広めることである。」
分煙によりその効果は大きいはずですが、それでも煙草の煙は100%防げないという事でしょう。
そこで、思うのですが、煙草に含まれる有害物質というのはたばこだけに含まれるものなのかという事です。禁煙によりこれらの有害物質がゼロになるという論理なのでしょうか?
煙草に含まれる有害物質は少し調べただけでもたばこ以外に日常の生活の中に存在するものではないでしょうか。
そうならば、分煙という形でその有害物質を少なくするというものを認めるべきなのです。
大都市圏で生活していれば、煙草はにおいがするからすぐにわかるけど、気づかないうちに有害な科学物質を吸い込んだりしているのでしょうか。
禁煙運動は、肺がんにしてもたばこの害ばかりを強調しますが、実際は非喫煙者も肺がんになっておりそのたばこ以外の要因に喫煙者もさらされているのです。肺癌はたばこ以外の要因でも罹病する。同じように有害物質はたばこ以外からもその影響を受けていることは自明です。
禁煙運動だけでは肺がんは防げません。同じように禁煙だけでは有害物質は防げません。これは明らかでしょう。しかし禁煙論者は100%禁煙を要求するが、他の要因からの影響については口を閉ざす。
一酸化炭素などはどうするんでしょ?
道路を歩いているときに禁煙により煙草の影響は受けなくなる。しかし車が渋滞している中で平気で歩いているわけです。
アレルギー体質の方が増えているようですが、これも多くの化学物質や何かしらの体の免疫力が落ちていることから発生しているでしょう。
室内完全禁煙にして安心して化学物質の影響を見ないで食事を美味しくいただく?
それなら分煙をしても同じでしょう。
道路を歩いていて一酸化炭素の害を受けるとするとき、煙草によるものと車の排ガスなどによるもののどちらが多いでしょううか?今はそうは歩いていても喫煙者には巡り合わない。しかし車はひっきりなしに走り重体でエンジンをふかしている。この中でたばこについてだけ100%禁煙!を言う。
そして「タバコ煙には「ここまでなら安全」という水準はなく、「少しくらいなら安全」とはならないため、全面禁煙にしないと意味がないのだ。」と叫ぶ。