「長周新聞はいかなる権威に対しても書けない記事は一行もない人民の言論機関として1955年に創刊されました。」(長周新聞トップページ)
終戦間もない時代ですから当時の左翼思想から新たな日本社会を作らねばならないという強い言葉が使われています。保守合同で自民党ができ、左右社会党が合同して社会党ができた。55年体制の中で多くの新聞も先の戦争を反省しマスコミの役割をも反省した時代でしょう。
しかし75年が過ぎて残念ながら社会党は姿を消し、マスコミの変質も大きくなった。安倍総理と一緒に酒を酌み交わすマスコミ。
長周新聞は、すべての記事が読めます。
大きな新聞社は、有料記事ばかりになりました。
主張を国民に読んでもらいたいというマスコミの原点が現れています。もちろんマスコミも企業ですから利益が目的にもなります。有料化は発行部数の減少からが大きいでしょうが、なぜ発行部数が少なくなったかは、ネット社会で新聞離れが大きくなった影響が強いでしょう。しかしなぜ新聞離れが大きくなったかは、ネットだけではないでしょう。新聞が国民の心から離れてしまったのだと思います。
長周新聞は、大手マスコミのように情報量は少ないと思います。しかし少ない情報から何を考えるかがあります。国民もいろいろな考えがありますが、国民の生活からの考え方を示す社会的な主張は新聞の一つの形でもあり、その考えが長周新聞を作っているということでしょう。
終戦間もない時代ですから当時の左翼思想から新たな日本社会を作らねばならないという強い言葉が使われています。保守合同で自民党ができ、左右社会党が合同して社会党ができた。55年体制の中で多くの新聞も先の戦争を反省しマスコミの役割をも反省した時代でしょう。
しかし75年が過ぎて残念ながら社会党は姿を消し、マスコミの変質も大きくなった。安倍総理と一緒に酒を酌み交わすマスコミ。
長周新聞は、すべての記事が読めます。
大きな新聞社は、有料記事ばかりになりました。
主張を国民に読んでもらいたいというマスコミの原点が現れています。もちろんマスコミも企業ですから利益が目的にもなります。有料化は発行部数の減少からが大きいでしょうが、なぜ発行部数が少なくなったかは、ネット社会で新聞離れが大きくなった影響が強いでしょう。しかしなぜ新聞離れが大きくなったかは、ネットだけではないでしょう。新聞が国民の心から離れてしまったのだと思います。
長周新聞は、大手マスコミのように情報量は少ないと思います。しかし少ない情報から何を考えるかがあります。国民もいろいろな考えがありますが、国民の生活からの考え方を示す社会的な主張は新聞の一つの形でもあり、その考えが長周新聞を作っているということでしょう。