無とか無限を考えるときが遠くなる。
哲学や数学はこれを証明しようとする。
数学的には、無限にも大きさの違いがあるそうです。
整数は、1,2,3,4,5・・・・・・・・と、無限に大きい数字に向かう。
偶数だけを考えると、2,4,6,8,・・・と、無限に大きい整数に向かう。
√2のような無理数も無限に大きい数字に向かう。πもそうですがそれ自体が無限に広がる。
整数と偶数が無限に広がる中で偶数は整数の半分の広がりですからその無限には大きさが違うのでしょうか?
どちらかというと、無限の大きさというよりも、無限の中の密度の違いではないか?
無限には終わりはないが、はじめはあるのかもしれない。
車と車が衝突する。その過程では、あと10メートル、5めとる、1m……・1センチ、1ミリ・・・・・と、無限に小さな数字となるから車は衝突しないはずです。しかし現実には車は衝突する。小さな数字への無限は存在しないなら、無に等しいところから無限は広がる。とはいえ、無に近づくということは無限に小さな数字というものがある。無になるには小さくなっていく数次の密度が高くなっていくということなのかも。
無も無限もどこかで質的な大きな変化がないとだめなのでしょう。量的変化は質的変化に。。。。
頭がおかしくなります。
しかし、未来の人たちは、この無や無限を科学的に理解をして無限世界を自由に飛び回るのでしょう。
哲学や数学はこれを証明しようとする。
数学的には、無限にも大きさの違いがあるそうです。
整数は、1,2,3,4,5・・・・・・・・と、無限に大きい数字に向かう。
偶数だけを考えると、2,4,6,8,・・・と、無限に大きい整数に向かう。
√2のような無理数も無限に大きい数字に向かう。πもそうですがそれ自体が無限に広がる。
整数と偶数が無限に広がる中で偶数は整数の半分の広がりですからその無限には大きさが違うのでしょうか?
どちらかというと、無限の大きさというよりも、無限の中の密度の違いではないか?
無限には終わりはないが、はじめはあるのかもしれない。
車と車が衝突する。その過程では、あと10メートル、5めとる、1m……・1センチ、1ミリ・・・・・と、無限に小さな数字となるから車は衝突しないはずです。しかし現実には車は衝突する。小さな数字への無限は存在しないなら、無に等しいところから無限は広がる。とはいえ、無に近づくということは無限に小さな数字というものがある。無になるには小さくなっていく数次の密度が高くなっていくということなのかも。
無も無限もどこかで質的な大きな変化がないとだめなのでしょう。量的変化は質的変化に。。。。
頭がおかしくなります。
しかし、未来の人たちは、この無や無限を科学的に理解をして無限世界を自由に飛び回るのでしょう。
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