【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
江國さんの「きらきらひかる」を読んでいます。
江國さんが、日常を描いているというそうですが。。。。。
たしかに異常さと正常の区別は難しいです。いろいろ考えてしまいます。
異常さは、誰が判断をするのか?それは多数派かな?でも多数派が間違っていることも多々ある。今の社会のように。
異常さと正常の区別は難しいけど、言える事は純粋な心です。
仕事帰りに喫茶店でコーヒーと読書。至福の時間です。
【2004年】
(記事なし)
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
「使い捨て。。。。」ううう・・・・
何も自民党の「刺客」と言われた新人議員だけの問題ではありませんなァ。。。。
有権者の1票も?国家レベルで見れば、国民一人一人が今の世の中では使い捨てなのかもしれない。
【2007年】
立冬
暦のうえでは冬ですが、今日のように晴れていると薄いセーター1枚でも暖かです。
酒がまずい。。。。
今スタミナ焼きの下ごしらえをしていて日本酒を少し入れたのですが、少し飲んでみようかなと思い飲んでみました。
二口ぐらいで鼻が詰まってきてしまいました。香りもわからないし味もはっきりしません。体調が悪いと酒もまずいんですね。
今夜は、このスタミナ焼きと刺身のマリネ・オクラ大根おろしです。
オクラ大根おろしというのは、川上弘美さんのエッセイにあった料理でして、大根おろしの中にオクラのみじん切りを入れて柑橘系のポン酢で食べるそうです。一昨年ぐらいから時々作っているのですがおいしいですよ。
スタミナ焼きもいいが、ニンニクを買い忘れてしまいました。ニンニク抜きのスタミナ焼き。。。。子供たちからブーイングかな?
【2008年】
黄昏国
河出書房新社
銀色 夏生 著
「私のはじめての本」
「この本は、こういう本を作りたくて、自分でスケッチブックで本のように作っていろいろ見せているうちに、出させてもらったものです。いろいろな部分の予兆がみえます。」
(「つれづれノート」158ページより)
銀色夏生さん25歳。
この作品は、多くのイラストを挿み、詩をはじめ短い物語が書かれています。銀色夏生さんは多くの作品にイラストを挿入していますし、そのイラストの世界も読者にとっては興味深いものとなっていますし、翌年発売になる「これもすべて同じ一日」では、写真を挿入した詩やエッセイの本が発行されます。このイラストや写真を入れた詩の世界は銀色夏生さんの独特な世界で、特に「写真詩集」というものは銀色夏生さんの作品としては切っても切れないような世界となります。文中のイラストは後の日記エッセイ「つれづれノート」シリーズの作品に欠かせないものですし、写真は一時勉強されていたようでやはり独特な動きのある世界をつくっています。
短い物語は、やはり翌年発行される「サリサリ君」という絵本の世界ともつながりますし、「イサクのジョーク」という小説ともつながっていくと思います。特に「四コママンガ」や子豚シリーズに近いものがあるかもしれません。後に当時中学生だった丘紫真離さんの「黄色い卵は誰のもの」という本の帯に推薦文を書いていますが、どこかあどけなさのあるような絵本のような物語は「黄昏国」の特徴で銀色夏生さんの世界です。
このような意味において「いろいろな部分の予兆」がこの作品に出ているということでしょうか?
「無辺世界」のおはなしは、今、見ても、ふるえるほど感心します。(河出書房新社発行の「黄昏国」「無辺世界」「サリサリ君」「月夜にひろった月」-夕螺注)以上の4冊は、私のごく内面の世界をあらわしていて、私の人生の中でも、特別な空間を形づくっています。とても、ありがたい宝です。」
(「つれづれノート」160ページ)
銀色夏生さんの詩は恋の詩というイメージが強いですし実際恋の詩が多くあります。しかしこの恋の詩の中には恋にあこがれるというような単なる恋の甘さがただようような詩ではなく、日常のさまざまな雑多の中に生きる一人の女性が見えます。その心の世界です。「黄昏国」も恋の詩がありますがひとつの精神世界があり「ごく内面の世界」「特別な空間」がより色濃く出ています。この意味において銀色夏生の世界を知る貴重な作品ではないかと思います。
「黄昏国」は、
「君がそこに そしてどこかで
それより君が
いつかたしかにいたってことを
僕は知っている」
というプロローグの詩からはじまります。
ながいながい時間の流れの中で一瞬の時間を受け取って僕は生きている。片隅で。。。。
でも生きていることはたしかで生きていたこともたしか。。。。
こんな僕がここにいる、どこかにいたんだよねと見つめてくれて励ましてくれるような詩です。
人は孤独に生きている。そんな孤独を見つめてくれる夏生さんの詩です。
そしてエピローグともいえる言葉が
「だれでもいちどは
しぬんだよ」
「ワッペンをあげるから」
「また会おうね」
というものだと思います。
「ワッペンをあげるから」という言葉のページには「SILVER SUMER BORN」(銀色夏生)と書かれた夏生さんのお顔?のワッペンのイラストがあります。その顔は、驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と。この複雑な顔のワッペンのイラストに「黄昏国」という作品から受け取るものがあるのではないかと思います。夏生さんは「銀色夏生の視点」で、ご自身の気持ちの中にあるものは「悲しみ」であると語っていましたが、それは孤独というものの中にあるのではないでしょうか?
「無辺世界」の中には、「私が神様です」と、なんだか情けないような貧乏神のような神様のイラストがあります。「黄昏国」にもなんとなくちんまりとした神様が描かれていますが。これもまた夏生さんの人生観を表しているのかと思います。
神は人に完全なものを与えなかった。人が互いに容姿を見ることができるような互いに互いの心を見る能力は与えなかった。ここに人の心は孤独と悲しみの中に置かれる。心が互いにすれ違いながら孤独に生きている中に社会は目に見えるものとして存在する。だからこの社会に生きている人はワッペンの顔にある驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と笑ってしまうような中に生きていく。「黄昏国」は、夏生さんらしい透明な孤独と悲しみとして描かれる。
「黄昏国」にも多くの恋の詩があります。
「あの時 君がボクにあたえたと思ってるものを
あの時 実はボクは 受けとらなかったんだ」
ここに男女間の心のすれ違いがあります。
互いに心を確かめられない悲しみ。。。。。
しかしこれは恋ばかりではなく、日々生活をしている中での人と人との中に常にあるすれ違いでもあります。時には広い宇宙空間に一人漂うような孤独と悲しみにとらわれる。
しかし情けないような神がこんな人を創ったことに孤独や悲しみがあると同時に、その孤独と悲しみの中にいるからこそ喜びもあります。
「鳥の声 聞けば 驚いたようにさがしあい
花の色 みれば ああ それとばかり教えあう」
「えり分けなれた私の手が 水面を指さし
ならべ上手なあなたが視線を添える」
孤独の中にある互いの心がふと重なり合う瞬間の喜び。
恋ばかりではなく、人の持つ喜怒哀楽は心という孤独の中に沸き立ちまっす。
「11時のかねが鳴る
青くるしい丘の上から
世界中へ それは伝わり
サイロの少年は 働く手を休める」
一つのものに触れたとき、人は互いに結び付けられ平安な心を持つ。それは孤独と悲しみを一時的であっても癒してくれる。
人は孤独と悲しみの中にいるから人の心を求め合う。すれ違った心のワッペンのような顔をしながらそれを繰り返しているのでしょう。
それを夏生さんは読者に問いかけるのかもしれません。
「僕は 鈴を鳴らす ならす
僕は 鈴を鳴らす ならす
その音は それを それとわかる人に
どうしても聞こえてしまう」
驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と、常に鈴を鳴らし続ける。そしてその鈴の音が聞こえたら夏生さんからワッペンをもらえるのでしょう。すべての人が心のつながりができるとするのは空想かもしれませんが、いつかこの鈴の音を聞いてくださいと鳴らすことができるのは現実です。
夏生さんの世界は、恋の甘ったるい世界でも、人を美しいものと描くような世界ではありません。人のもつさまざまな心の奥底にあるものを見つめます。その中に「生きるって?」を鈴の音のように鳴らし続けます。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞12面に島田雅彦さんという方が新たに選考委員に要請されたと載っていました。
島田さんという方は、「芥川賞は歴史的役割を終えた」とまで芥川賞をとらえていらっしゃる方だそうですが、その方がなぜ選考委員に?
僕はそういう方が選考委員に入ることはいいことだと思います。もちろん選考委員会の中で芥川賞がどうのという議論はされないでしょうし、どの作品を選びどのように評価するかという中身を通して島田さんのお考えを選考委員会の中で提起されることに興味があります。
選考委員の皆さんの受賞作についての思いは、毎回受賞作の全文掲載と同時に文藝春秋では掲載されていますし、それを通してまた読者の判断もいろいろと出ると思います。
今は権威というだけではだめで、ネットという場ではより大衆的な意見が集約されます。意見交換は雑誌などでの議論という狭いところにはとどまらなくなりました。それは権威を持つ方や評論家などという知識人だけの議論という狭さがなくなるということです。
こういったものも含めて選考委員会の中でも島田さんという方を入れようとされているのでしょうか?
【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2012年】ツイッターつぶやき
「小康」は、「やや資産があり、ゆとりのある家」「衣食に困らず、経済的に比較的余裕のある生活」あるいは「いくらかゆとりのある家庭」を指す。
小平は「小康社会」を、中国が貧窮社会から豊かな近代国家に至る1 つの発展段階として捉え、それは「衣食が満ち足りる状態は超えるが、富裕の状態までには至らない社会」だと提起。
「われわれの目標の第一歩は、1980 年の1 人当り国民収入250 米ドルのレベルを基準として、80 年代末までに倍増し、1 人当り500 ドルを実現することである。第二歩では、本世紀末までにさらに倍増し、1 人当り800 ドルから1000 ドルを達成したい。この目標を達成すれば、われわれは「小康社会」に入り、貧困の中国を小康の中国に変えることができる。
第一歩と第二歩は彼自身の「先富論」とい
う考え方に基づいたものであった。しかし第三歩は、今後の中国における「全面的小康社会」建設の初期シナリオであったとは捉えられる
全面的小康社会の建設の根底をなすものは、「先富論」に基づく発展観ではなく、格差の解消を目指す「共同富裕論」という発展観であるべきであろう。
(以上「2020年全面的小康社会への展望」より引用)
小平の理論は、中国での原則論からある意味逸脱した日和見主義ともとらえられたものかもしれない。しかし四人組運動を克服した中国は人民服を脱いで経済政策を(もちろん毛沢東時代からのアメリカや日本との国交回復時からの経済改革)計画的に行いそれは少しづつ達成をされて万元戸と言われるような富裕層をつくりだしていく。その意味ではこの発展段階における「先富論」的なものが優先されていたことは否めないでしょう。しかし常に修正をされながら自由主義経済の導入と外国資本を受け入れる中に今日の中国を築いた。
たしかに中国批判としては政治的な矛盾が言われるが、経済に絞ってみればこれまでの中国における計画的はってっは誰もが否定できないだろう。
中国への経済的批判に貧富の拡大が言われる。たしかに「先富論」的矛盾は大きくなり格差もあるだろう。しかしこの格差も経済発展を目指す前に比べれば貧困の質は変化しているだろう。飛躍した経済発展の国力を格差社会の是正として「全面的小康社会」へとどのようにつなげるかが問われているわけです。
しかし中国にはこの「全面的小康社会」という理論が存在をして大きな力を持っている中に国家の位置づけが決まるだろう。「全面的小康社会」とは、社会主義的な政治体制における社会民主主義の方向性といってもよいのではないか。
現在中国共産党の大会が行われ、党主席も習さんに代わり新しい体制で国民所得の倍増を目標に建てたようです。これが「全面的小康社会」の具体的目標となるのでしょう。
もちろん中国は技術力では劣っているわけですからこれが大きな課題となるでしょうが、日本の過去の発展の歴史から見ても技術力の発展はそうは無理ではないでしょう。また日本の所得倍増計画やその後の経済発展にも学んでいるでしょう。
自由主義経済の導入での発展ですから資本主義い的な経済矛盾を中国も抱えていくわけですが、「全面的小康社会」という理論を捨てない限り修正はされていくでしょう。日本やアメリカのバブル崩壊に学びながら。
一方、アメリカの大統領選ではオバマ大統領が再選されましたが、その経済的な課題は重いものがあると言われています。国家財政と国民生活の安定(貧富の格差是正)をどう両立させるかが問われます。ロムニーさんが勝てば企業優先の経済政策が行われて格差問題はそのままにされて矛盾を深めるばかりですが、オバマ大統領の路線が議会を動かせればある程度の改善はあるかもしれません。しかし以前として新自由主義は根強くアメリカの経済を動かされる。日本も自民党政権に戻るか、民主党が自民党化するかで新自由主義の強化というどん底の政治状況がありますが、まだすくわれる可能性は残されているでしょう。アメリカも日本も富裕層への増税が言われ始めている。
ヨーロッパの不安がどうなるかはわかりませんが、社会民主主義の基盤は強い。
先に中国においては『「全面的小康社会」とは、社会主義的な政治体制における社会民主主義の方向性といってもよいのではないか。』と書きましたが、アメリカや日本そしてヨーロッパは自由主義的な政治体制から社会民主主義に移行しなければなりません。これは難しいでしょうが今の矛盾を解決するにはこれしかないでしょう。
この場合において「全面的小康社会」思想は一つのヒントになるかもしれません。
【2013年】ツイッターつぶやき
老後、温泉の近くの安いリゾートマンションがいいなぁ。。。
ツイッターで古民家のツイートもあったがそれもいい。
温泉といえば、三重県の湯の山温泉の湯がお気に入り。
何年前だろ?旅館に泊まったら仲居さんがリゾートマンションのようなところを見せて「いかがですか?」と訊いてきた。たしか300万ぐらいだったかな。。。。。
三重県だと東京からは車で半日。。。。。
東京と三重を行ったり来たりもできそう。
こんな夢を持ちつつ寝ます。良い夢を。。。(笑)
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
夜な夜な散歩をしているコースの途中に公営住宅の広い空き地がある。
今日は用事がありその公営住宅の空き地横を通った。
あらためてよく見渡せば秋の花々が咲き誇っている。
空き地といっても建物の南側に広がる空き地で、いくつかの高い木が植えられ、たぶん初めのころは芝生でも植えられていたのではないかと想像する。
もう30年40年の年月が過ぎてその空き地はいつの間にか住民の庭になってしまっている。おばあちゃんが腰をかがめて手入れをしている。
自然石やブロックで縄張りが決められており様々な花が咲く。ところどころには蜜柑や柿が生っている。
その縄張りはきれいなけもの道のような遊歩道になっている。遊歩道といってもきれいな直線の道ではない。なわばりを雑然と決めてその間が道となり遊歩道となっている。だからその遊歩道の雑然と曲線を描いたりまばらな角度に折れ曲がる形が人口の遊歩道離れをしているのである。
30年40年の間おばあちゃんたちが歩き回って出来上がった獣道なのである。
ブロックで囲われたある一角の縄張りが雑草だらけになっていた。亡くなったのか、足腰が立たなくなったのか。。。。
遊歩道に立ち入ろうと思ったがなんとなく神聖な道であるかのような威圧感がありやめた。
【2017年】ツイッターつぶやき
株価が23.000円に迫る勢いだ。
バブル崩壊後の最高値だという。
朝日新聞朝刊7面に「東証バブル後最高値」という記事があったが、株価をもって景気の拡大として現在の景気を判断してよいものかどうか?株価高騰という景気の拡大とその景気の拡大の裏にある不安を両面から書かれていると思う。(以下引用などは上記リンクページだけではなくて紙面を参照した)
今の株価の高騰は、一つは先の選挙で自民党が議席を維持したことからの
「安倍政権が金融緩和で株価を押し上げることが明確になった。」(引用)
が大きいだろう。
日銀や政府は金融緩和は株価を押し上げることを目的としていないというかもしれないが、現実はアベノミクスと日銀緩和は株価を押し上げることを目的としているだけである。
同時に日本株は他国に比べて割安感があるという。ここで外国人投資家の買いが増加しているという。
しかしこの株価の高騰という景気の拡大が、景気の拡大からの株価高騰であるとは限らない。
アベノミクスと日銀緩和により、確かに企業利益も高まっているが、それも起業の業績の高まりとは一致しないでしょう。
実体経済の好転からの株価高騰だろうか?
エコノミストは次のように語っている。
「株高でも個人は冷静である。」
「『活況』だとはとても言えない。」
「何かのきっかけで2千円~3千円下げるのは早いのでは」
(以上引用)
また銀行ですらその収益性の悪さを問題にし始めている。
「みずほ、低収益にメス 1.9万人分の業務削減検討」(日経)
そして巨大企業であるトヨタをはじめとした自動車産業では「車大手、期間従業員の無期雇用を回避」(朝日新聞)
と、法の抜け穴を利用した雇用の節約と低賃金化を行っている。
今年は巨大企業の不祥事が前面に出てきた年であり、以前から「ブラック企業」が問題視されてきた。
政治は軍事中心の社会となりつつあり、同時に企業利益の拡大意地を至上命令としている。すでに選挙公約である教育の無償化は「嘘ではなかったか?」とさえささやかれはじめている。今後は国民生活の更なる疲弊を呼び起こしていくでしょう。
こう見ると、日本の経済状態の実態は、景気の拡大という空文句と経済不安の増大というのが実態ではないでしょうか。
【2018年】ツイッターつぶやき
1週間ほど前に実家に行き重いものを持ったり草刈りをしたのですが、今になってひじの関節から手のほうの筋肉に電気が走るような痛みが出てきた。3日ほど通院しています。
一応炎症があるので氷で冷やしたり電気を通したりマッサージもしてもらっています。
しかし・・・・
なんでももう終わりなの?と聞きたくなるほど短い時間で終わり。。。。
金を払って玄関を出るときさみしいと思った。
帰りに時々行く美味しいパン屋さんに寄ってサンドイッチを買ってきました。
このパン屋さんのサンドイッチは美味しいし具がたくさんなのです。食べると危惧がいつも零れ落ちてしまうほど具が多い。ポテサラのサンドイッチも具だくさんでおなかにたまります。
楽しみに帰宅して食べました。。。。。
するといつもならこぼれ落ちるような具が少なくなっていてこぼれ落ちない。直角三角形の直角の部分に具が入っていない。いつもの具の量の半分以下かなぁ。。。。。
さみしいですなぁ。。。。。。
そういえば3年程前か。。。。。
時々あんパンが食べたくなるとコンビニで買っていたのですが、当時まではあんこがたくさん入っていて、あんこがパンの片隅に偏っていてあんこが少ない部分から食べ始めて最後にあんこが盛りだくさんの部分を楽しみにしていました。
ところが。。。。
いつものようにあんこの少ない部分を食って、さて、あんこをと思ったら、残りの部分もあんこが少なかった。思わず急いで一口づつ食いながらあんこを探した。しかし出てこない、あんこが。
さみしかった思い出です。
社会はどんどんさみしくなっていく。。。。。
【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターに「不安増すマイナス金利・・・・」という記事があった。
ドイツでは預金金利までがマイナス金利になっており、これを「懲罰金利」と呼んでいるらしい。預金をしていると預金額が減っていけばタンス預金しかなくなる。
日本はまだここまで来ていないがすでに銀行の利潤率は減少をして窓口などが縮小し人員も減らされている。日銀はさらなる金融緩和をにおわせているが、マイナス金利がさらに進むこともあり得るでしょう。
しかし一般庶民は金融商品に手を出すわけにもいかず一気に消費に回すわけにもいかない。
懲罰金利でなくてもマイナス金利に野化で個人消費は伸びないでしょう。社会保障の改悪はさらに将来不安を起こして預金に金が動く。
たしかに住宅ローンは金利が低くなれば借りる人も一時的には増えるでしょうが、住宅バブルにまではいかない。バブル的でなくても借り入れる人が増加をしますが、何かしらの経済の変動があって金利が上がれば変動金利ですから一気に返済困難になり、その意味でバブルの崩壊につながる。
マイナス金利で個人投資家や企業などは株などに資金を回しますから株高になることは間違いない。もちろん株で儲ける人がいて消費に回ることもありますが、あぶく銭に変わりがなくて個人消費全体を引き上げるわけではない。企業は内部的なペーパー上の利益に。
そろそろ世界的な金融緩和の波は引き時なのかもしれません。バブル崩壊の前にソフトランディングはできるか?
【2020年】ツイッターつぶやき
社会民主党(社民党)が立憲民主党の呼びかけにより合流することを検討している。
社民党内では合流(これは実質的な解党)すべきという意見と社民党の社会民主主義を守り発展させようという意見がぶつかっているようです。
ツイッターによると、たしかに議員として立憲民主党に行きたい議員がいるがこれも理解し合う。しかし安保条約の問題などそして社会民主主義を守るために社民党自体は解党しないということも尊重し合おうということになりそうです。実質的な解党はなくなるかもしれません。
今月14日だったか、党大会がありますのでそこで結論が出るでしょう。
思い出せば二大政党制を目指して社会党を解党して民主党を結党するということがありました。
多くの議員そして北海道などの地方組織が民主党に合流しました。その中で土井たか子さんが呼びかけ人となり、社会民主党が結党され、少なくなりましたが議員も残り地方組織は社民党の旗の下に結集しました。民主党に合流した旧社会党議員は民主党内で社会党の主張を活かそうとしましたが結果は社会党議員(社会党の主張)の影響力はなくなっていきました。
この社会党解党と同じことがまた起きているのかもしれません。
合流した場合はまた社民党の政策が自然消滅していくでしょう。
社会民主主義を政策として持つ政党は社会民主党だけです。
社会民主主義については共産主義から見れば社民主義として資本主義を認めてしまう勢力だという視点で語られます。同時に右派勢力からは社会民主主義は社会主義だと攻撃されます。
たしかに社会民主主義は資本主義の範囲内にあります。同時に社会主義として資本主義の色を多く残しながらの資本主義を改良していく勢力とみることができます。
今の資本主義は新自由主義として経済では勤労者の生活を切り捨てながら企業利益と株式を中心とした不労所得層に富を集中させ、格差社会を拡大しています。これを今や社会問題として取り上げざるを得なくなっていますし、経済構造自体をゆがめて成長できない資本主義という矛盾を作り出しています。経済だけではなく、新自由主義はこれまで先進国が掲げてきた自由や平等も死語のようにしました。そして戦争(武力による解決)の危機です。この新自由主義を改良していく過程には社会民主主義が不可欠です。
そして他の先進国の左派勢力には欠けている平和主義を持つ政党が社会民主党です。護憲をはっきりと示せるのは社民党と共産党かもしれません。
たしかに社民党は精力的には弱くなっています。しかし社会情勢は社民党とその主張である社会民主主義を求めているのです。それを国民が意識するかどうかですが、安倍内閣の口先ではよいことを言いながら期待を持たせる政治は破綻しています。ここを粘り強く問題視する中で社会民主主義というものも理解されていくでしょう。
社民党は解党してはいけません。
【2021年】ツイッターつぶやき
yahooニュースにショッキングなニュースがあった。
このニュース自体は経済専門家の見解ではなくて第一線で働く商社マンが見た日本ですが。しかし実態把握とその分析は正しさがあるのではないかと思います。
日本は水産物でも肉でも中国に買い負けていそうです。買い負けているということは日本に食料品が入ってこないということでスーパーにも高いものが並び品質も下がるということです。同時に食品原材料も値上げされその加工品である食品も値上げされるということです。食品だけではなく、自動車にしても昔のように安くて品質の良いものをたくさん売ることはできなくなるということです。
中国に買い負ける原因の一つが円安です。
日本はアベノミクスと日銀の量的緩和で円安誘導を行いました。輸出に有利になるから。
一方では2%のインフレを言い値上げされることは経済の好転だと逆立ちをした経済政策ですし。国内の労働者の実質賃金は下がっており社会保障も切り捨てられていますから常にデフレ圧力が働く。中国に負けないような高額の買い付けをしたら国内での販売は高騰する。しかしデフレ圧力のある市場においては高額のものを買うことはできない。すると中国との輸入価格競争に負ける。買っても植えれないのですから。
この失敗が明らかになり経済が落ち込んでくると円安というのは政策的な円安誘導ではなくなり経済実態を現す円安になる。日銀の出口金融政策なんてものではどうにもならなくなる。
日本は政治的には右傾化をし民主主義国ではなくなりつつあり、経済でも通貨安になり、日本全体が中等国に成り下がる
【2022年】ツイッターつぶやき
国債とは、国を通じて国債を持てない国民が国債を持っている国民に借金させられている仕組みでしょう。
国民とは、様々な階級や階層に分離させられているのがこの社会です。
(ツイッターより)
国債はほぼ日本国内で買われている。「国民」は国から国債を買っているのですからそれは国民の資産ですね。しかし、一方では「国民」一人当たり1000万円の借金をさせられている。
これを見ればチャラのように思われる。
国民というのは経済的な格差の中にあり、民間企業も国民とみなされている。
富裕層や企業などが国債を買って国に借金をさせるが、国は借金を返すために国民に返済を転嫁する。
ここで見られる国民とは分断させられていることが見えてくる。
それでも国が税を社会保障だけに支出するなら富の再分配という面もあるが、実際は国民生活に密着したものではない企業のための公共事業などに回る。国債を買う物に税は多く支出される。だから社会保障を言うとその財源はさらなる増税としての消費税ということになる。
富裕層や企業という「国民」が国に借金をさせて自分たちのために税を支出させる。この借金の返済は国債を持たない一般国民にも負担をさせる。
社会保障も本来企業が一定の賃金を出し福利厚生などで労働者の生活を守るべきだが低賃金の中で国がその尻拭いをする。これがばらまきであったり社会保障の増加となる。もちろんこれはのちに消費増税という形になる。
こういう社会が長続きするわけがない。
【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの国際利払い額がバイデン政権になってから倍増しているそうです。
金利が上がっているからでしょう。
アメリカはデフォルト危機が毎年言われていますが、どうにか回避しているようですが今後は益々きつくなるでしょう。
金利上昇を抑える引き締めとなればリセッションが待っている。
アメリカの経済の混乱は、ドル離れを招く危険性があり、中国をはじめとした途上国がドル決済から離れ基軸通貨の役割がなくなればさらにドル安となりインフレが激しくなる。
日本はさらに利払いが厳しく日銀が借り換えをして忍んでいる。そのうちに海外による国債の購入が大きくなる要因が出れば国内の資産があるからでは済まされないでしょう。
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
江國さんの「きらきらひかる」を読んでいます。
江國さんが、日常を描いているというそうですが。。。。。
たしかに異常さと正常の区別は難しいです。いろいろ考えてしまいます。
異常さは、誰が判断をするのか?それは多数派かな?でも多数派が間違っていることも多々ある。今の社会のように。
異常さと正常の区別は難しいけど、言える事は純粋な心です。
仕事帰りに喫茶店でコーヒーと読書。至福の時間です。
【2004年】
(記事なし)
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
「使い捨て。。。。」ううう・・・・
何も自民党の「刺客」と言われた新人議員だけの問題ではありませんなァ。。。。
有権者の1票も?国家レベルで見れば、国民一人一人が今の世の中では使い捨てなのかもしれない。
【2007年】
立冬
暦のうえでは冬ですが、今日のように晴れていると薄いセーター1枚でも暖かです。
酒がまずい。。。。
今スタミナ焼きの下ごしらえをしていて日本酒を少し入れたのですが、少し飲んでみようかなと思い飲んでみました。
二口ぐらいで鼻が詰まってきてしまいました。香りもわからないし味もはっきりしません。体調が悪いと酒もまずいんですね。
今夜は、このスタミナ焼きと刺身のマリネ・オクラ大根おろしです。
オクラ大根おろしというのは、川上弘美さんのエッセイにあった料理でして、大根おろしの中にオクラのみじん切りを入れて柑橘系のポン酢で食べるそうです。一昨年ぐらいから時々作っているのですがおいしいですよ。
スタミナ焼きもいいが、ニンニクを買い忘れてしまいました。ニンニク抜きのスタミナ焼き。。。。子供たちからブーイングかな?
【2008年】
黄昏国
河出書房新社
銀色 夏生 著
「私のはじめての本」
「この本は、こういう本を作りたくて、自分でスケッチブックで本のように作っていろいろ見せているうちに、出させてもらったものです。いろいろな部分の予兆がみえます。」
(「つれづれノート」158ページより)
銀色夏生さん25歳。
この作品は、多くのイラストを挿み、詩をはじめ短い物語が書かれています。銀色夏生さんは多くの作品にイラストを挿入していますし、そのイラストの世界も読者にとっては興味深いものとなっていますし、翌年発売になる「これもすべて同じ一日」では、写真を挿入した詩やエッセイの本が発行されます。このイラストや写真を入れた詩の世界は銀色夏生さんの独特な世界で、特に「写真詩集」というものは銀色夏生さんの作品としては切っても切れないような世界となります。文中のイラストは後の日記エッセイ「つれづれノート」シリーズの作品に欠かせないものですし、写真は一時勉強されていたようでやはり独特な動きのある世界をつくっています。
短い物語は、やはり翌年発行される「サリサリ君」という絵本の世界ともつながりますし、「イサクのジョーク」という小説ともつながっていくと思います。特に「四コママンガ」や子豚シリーズに近いものがあるかもしれません。後に当時中学生だった丘紫真離さんの「黄色い卵は誰のもの」という本の帯に推薦文を書いていますが、どこかあどけなさのあるような絵本のような物語は「黄昏国」の特徴で銀色夏生さんの世界です。
このような意味において「いろいろな部分の予兆」がこの作品に出ているということでしょうか?
「無辺世界」のおはなしは、今、見ても、ふるえるほど感心します。(河出書房新社発行の「黄昏国」「無辺世界」「サリサリ君」「月夜にひろった月」-夕螺注)以上の4冊は、私のごく内面の世界をあらわしていて、私の人生の中でも、特別な空間を形づくっています。とても、ありがたい宝です。」
(「つれづれノート」160ページ)
銀色夏生さんの詩は恋の詩というイメージが強いですし実際恋の詩が多くあります。しかしこの恋の詩の中には恋にあこがれるというような単なる恋の甘さがただようような詩ではなく、日常のさまざまな雑多の中に生きる一人の女性が見えます。その心の世界です。「黄昏国」も恋の詩がありますがひとつの精神世界があり「ごく内面の世界」「特別な空間」がより色濃く出ています。この意味において銀色夏生の世界を知る貴重な作品ではないかと思います。
「黄昏国」は、
「君がそこに そしてどこかで
それより君が
いつかたしかにいたってことを
僕は知っている」
というプロローグの詩からはじまります。
ながいながい時間の流れの中で一瞬の時間を受け取って僕は生きている。片隅で。。。。
でも生きていることはたしかで生きていたこともたしか。。。。
こんな僕がここにいる、どこかにいたんだよねと見つめてくれて励ましてくれるような詩です。
人は孤独に生きている。そんな孤独を見つめてくれる夏生さんの詩です。
そしてエピローグともいえる言葉が
「だれでもいちどは
しぬんだよ」
「ワッペンをあげるから」
「また会おうね」
というものだと思います。
「ワッペンをあげるから」という言葉のページには「SILVER SUMER BORN」(銀色夏生)と書かれた夏生さんのお顔?のワッペンのイラストがあります。その顔は、驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と。この複雑な顔のワッペンのイラストに「黄昏国」という作品から受け取るものがあるのではないかと思います。夏生さんは「銀色夏生の視点」で、ご自身の気持ちの中にあるものは「悲しみ」であると語っていましたが、それは孤独というものの中にあるのではないでしょうか?
「無辺世界」の中には、「私が神様です」と、なんだか情けないような貧乏神のような神様のイラストがあります。「黄昏国」にもなんとなくちんまりとした神様が描かれていますが。これもまた夏生さんの人生観を表しているのかと思います。
神は人に完全なものを与えなかった。人が互いに容姿を見ることができるような互いに互いの心を見る能力は与えなかった。ここに人の心は孤独と悲しみの中に置かれる。心が互いにすれ違いながら孤独に生きている中に社会は目に見えるものとして存在する。だからこの社会に生きている人はワッペンの顔にある驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と笑ってしまうような中に生きていく。「黄昏国」は、夏生さんらしい透明な孤独と悲しみとして描かれる。
「黄昏国」にも多くの恋の詩があります。
「あの時 君がボクにあたえたと思ってるものを
あの時 実はボクは 受けとらなかったんだ」
ここに男女間の心のすれ違いがあります。
互いに心を確かめられない悲しみ。。。。。
しかしこれは恋ばかりではなく、日々生活をしている中での人と人との中に常にあるすれ違いでもあります。時には広い宇宙空間に一人漂うような孤独と悲しみにとらわれる。
しかし情けないような神がこんな人を創ったことに孤独や悲しみがあると同時に、その孤独と悲しみの中にいるからこそ喜びもあります。
「鳥の声 聞けば 驚いたようにさがしあい
花の色 みれば ああ それとばかり教えあう」
「えり分けなれた私の手が 水面を指さし
ならべ上手なあなたが視線を添える」
孤独の中にある互いの心がふと重なり合う瞬間の喜び。
恋ばかりではなく、人の持つ喜怒哀楽は心という孤独の中に沸き立ちまっす。
「11時のかねが鳴る
青くるしい丘の上から
世界中へ それは伝わり
サイロの少年は 働く手を休める」
一つのものに触れたとき、人は互いに結び付けられ平安な心を持つ。それは孤独と悲しみを一時的であっても癒してくれる。
人は孤独と悲しみの中にいるから人の心を求め合う。すれ違った心のワッペンのような顔をしながらそれを繰り返しているのでしょう。
それを夏生さんは読者に問いかけるのかもしれません。
「僕は 鈴を鳴らす ならす
僕は 鈴を鳴らす ならす
その音は それを それとわかる人に
どうしても聞こえてしまう」
驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と、常に鈴を鳴らし続ける。そしてその鈴の音が聞こえたら夏生さんからワッペンをもらえるのでしょう。すべての人が心のつながりができるとするのは空想かもしれませんが、いつかこの鈴の音を聞いてくださいと鳴らすことができるのは現実です。
夏生さんの世界は、恋の甘ったるい世界でも、人を美しいものと描くような世界ではありません。人のもつさまざまな心の奥底にあるものを見つめます。その中に「生きるって?」を鈴の音のように鳴らし続けます。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞12面に島田雅彦さんという方が新たに選考委員に要請されたと載っていました。
島田さんという方は、「芥川賞は歴史的役割を終えた」とまで芥川賞をとらえていらっしゃる方だそうですが、その方がなぜ選考委員に?
僕はそういう方が選考委員に入ることはいいことだと思います。もちろん選考委員会の中で芥川賞がどうのという議論はされないでしょうし、どの作品を選びどのように評価するかという中身を通して島田さんのお考えを選考委員会の中で提起されることに興味があります。
選考委員の皆さんの受賞作についての思いは、毎回受賞作の全文掲載と同時に文藝春秋では掲載されていますし、それを通してまた読者の判断もいろいろと出ると思います。
今は権威というだけではだめで、ネットという場ではより大衆的な意見が集約されます。意見交換は雑誌などでの議論という狭いところにはとどまらなくなりました。それは権威を持つ方や評論家などという知識人だけの議論という狭さがなくなるということです。
こういったものも含めて選考委員会の中でも島田さんという方を入れようとされているのでしょうか?
【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2012年】ツイッターつぶやき
「小康」は、「やや資産があり、ゆとりのある家」「衣食に困らず、経済的に比較的余裕のある生活」あるいは「いくらかゆとりのある家庭」を指す。
小平は「小康社会」を、中国が貧窮社会から豊かな近代国家に至る1 つの発展段階として捉え、それは「衣食が満ち足りる状態は超えるが、富裕の状態までには至らない社会」だと提起。
「われわれの目標の第一歩は、1980 年の1 人当り国民収入250 米ドルのレベルを基準として、80 年代末までに倍増し、1 人当り500 ドルを実現することである。第二歩では、本世紀末までにさらに倍増し、1 人当り800 ドルから1000 ドルを達成したい。この目標を達成すれば、われわれは「小康社会」に入り、貧困の中国を小康の中国に変えることができる。
第一歩と第二歩は彼自身の「先富論」とい
う考え方に基づいたものであった。しかし第三歩は、今後の中国における「全面的小康社会」建設の初期シナリオであったとは捉えられる
全面的小康社会の建設の根底をなすものは、「先富論」に基づく発展観ではなく、格差の解消を目指す「共同富裕論」という発展観であるべきであろう。
(以上「2020年全面的小康社会への展望」より引用)
小平の理論は、中国での原則論からある意味逸脱した日和見主義ともとらえられたものかもしれない。しかし四人組運動を克服した中国は人民服を脱いで経済政策を(もちろん毛沢東時代からのアメリカや日本との国交回復時からの経済改革)計画的に行いそれは少しづつ達成をされて万元戸と言われるような富裕層をつくりだしていく。その意味ではこの発展段階における「先富論」的なものが優先されていたことは否めないでしょう。しかし常に修正をされながら自由主義経済の導入と外国資本を受け入れる中に今日の中国を築いた。
たしかに中国批判としては政治的な矛盾が言われるが、経済に絞ってみればこれまでの中国における計画的はってっは誰もが否定できないだろう。
中国への経済的批判に貧富の拡大が言われる。たしかに「先富論」的矛盾は大きくなり格差もあるだろう。しかしこの格差も経済発展を目指す前に比べれば貧困の質は変化しているだろう。飛躍した経済発展の国力を格差社会の是正として「全面的小康社会」へとどのようにつなげるかが問われているわけです。
しかし中国にはこの「全面的小康社会」という理論が存在をして大きな力を持っている中に国家の位置づけが決まるだろう。「全面的小康社会」とは、社会主義的な政治体制における社会民主主義の方向性といってもよいのではないか。
現在中国共産党の大会が行われ、党主席も習さんに代わり新しい体制で国民所得の倍増を目標に建てたようです。これが「全面的小康社会」の具体的目標となるのでしょう。
もちろん中国は技術力では劣っているわけですからこれが大きな課題となるでしょうが、日本の過去の発展の歴史から見ても技術力の発展はそうは無理ではないでしょう。また日本の所得倍増計画やその後の経済発展にも学んでいるでしょう。
自由主義経済の導入での発展ですから資本主義い的な経済矛盾を中国も抱えていくわけですが、「全面的小康社会」という理論を捨てない限り修正はされていくでしょう。日本やアメリカのバブル崩壊に学びながら。
一方、アメリカの大統領選ではオバマ大統領が再選されましたが、その経済的な課題は重いものがあると言われています。国家財政と国民生活の安定(貧富の格差是正)をどう両立させるかが問われます。ロムニーさんが勝てば企業優先の経済政策が行われて格差問題はそのままにされて矛盾を深めるばかりですが、オバマ大統領の路線が議会を動かせればある程度の改善はあるかもしれません。しかし以前として新自由主義は根強くアメリカの経済を動かされる。日本も自民党政権に戻るか、民主党が自民党化するかで新自由主義の強化というどん底の政治状況がありますが、まだすくわれる可能性は残されているでしょう。アメリカも日本も富裕層への増税が言われ始めている。
ヨーロッパの不安がどうなるかはわかりませんが、社会民主主義の基盤は強い。
先に中国においては『「全面的小康社会」とは、社会主義的な政治体制における社会民主主義の方向性といってもよいのではないか。』と書きましたが、アメリカや日本そしてヨーロッパは自由主義的な政治体制から社会民主主義に移行しなければなりません。これは難しいでしょうが今の矛盾を解決するにはこれしかないでしょう。
この場合において「全面的小康社会」思想は一つのヒントになるかもしれません。
【2013年】ツイッターつぶやき
老後、温泉の近くの安いリゾートマンションがいいなぁ。。。
ツイッターで古民家のツイートもあったがそれもいい。
温泉といえば、三重県の湯の山温泉の湯がお気に入り。
何年前だろ?旅館に泊まったら仲居さんがリゾートマンションのようなところを見せて「いかがですか?」と訊いてきた。たしか300万ぐらいだったかな。。。。。
三重県だと東京からは車で半日。。。。。
東京と三重を行ったり来たりもできそう。
こんな夢を持ちつつ寝ます。良い夢を。。。(笑)
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
夜な夜な散歩をしているコースの途中に公営住宅の広い空き地がある。
今日は用事がありその公営住宅の空き地横を通った。
あらためてよく見渡せば秋の花々が咲き誇っている。
空き地といっても建物の南側に広がる空き地で、いくつかの高い木が植えられ、たぶん初めのころは芝生でも植えられていたのではないかと想像する。
もう30年40年の年月が過ぎてその空き地はいつの間にか住民の庭になってしまっている。おばあちゃんが腰をかがめて手入れをしている。
自然石やブロックで縄張りが決められており様々な花が咲く。ところどころには蜜柑や柿が生っている。
その縄張りはきれいなけもの道のような遊歩道になっている。遊歩道といってもきれいな直線の道ではない。なわばりを雑然と決めてその間が道となり遊歩道となっている。だからその遊歩道の雑然と曲線を描いたりまばらな角度に折れ曲がる形が人口の遊歩道離れをしているのである。
30年40年の間おばあちゃんたちが歩き回って出来上がった獣道なのである。
ブロックで囲われたある一角の縄張りが雑草だらけになっていた。亡くなったのか、足腰が立たなくなったのか。。。。
遊歩道に立ち入ろうと思ったがなんとなく神聖な道であるかのような威圧感がありやめた。
【2017年】ツイッターつぶやき
株価が23.000円に迫る勢いだ。
バブル崩壊後の最高値だという。
朝日新聞朝刊7面に「東証バブル後最高値」という記事があったが、株価をもって景気の拡大として現在の景気を判断してよいものかどうか?株価高騰という景気の拡大とその景気の拡大の裏にある不安を両面から書かれていると思う。(以下引用などは上記リンクページだけではなくて紙面を参照した)
今の株価の高騰は、一つは先の選挙で自民党が議席を維持したことからの
「安倍政権が金融緩和で株価を押し上げることが明確になった。」(引用)
が大きいだろう。
日銀や政府は金融緩和は株価を押し上げることを目的としていないというかもしれないが、現実はアベノミクスと日銀緩和は株価を押し上げることを目的としているだけである。
同時に日本株は他国に比べて割安感があるという。ここで外国人投資家の買いが増加しているという。
しかしこの株価の高騰という景気の拡大が、景気の拡大からの株価高騰であるとは限らない。
アベノミクスと日銀緩和により、確かに企業利益も高まっているが、それも起業の業績の高まりとは一致しないでしょう。
実体経済の好転からの株価高騰だろうか?
エコノミストは次のように語っている。
「株高でも個人は冷静である。」
「『活況』だとはとても言えない。」
「何かのきっかけで2千円~3千円下げるのは早いのでは」
(以上引用)
また銀行ですらその収益性の悪さを問題にし始めている。
「みずほ、低収益にメス 1.9万人分の業務削減検討」(日経)
そして巨大企業であるトヨタをはじめとした自動車産業では「車大手、期間従業員の無期雇用を回避」(朝日新聞)
と、法の抜け穴を利用した雇用の節約と低賃金化を行っている。
今年は巨大企業の不祥事が前面に出てきた年であり、以前から「ブラック企業」が問題視されてきた。
政治は軍事中心の社会となりつつあり、同時に企業利益の拡大意地を至上命令としている。すでに選挙公約である教育の無償化は「嘘ではなかったか?」とさえささやかれはじめている。今後は国民生活の更なる疲弊を呼び起こしていくでしょう。
こう見ると、日本の経済状態の実態は、景気の拡大という空文句と経済不安の増大というのが実態ではないでしょうか。
【2018年】ツイッターつぶやき
1週間ほど前に実家に行き重いものを持ったり草刈りをしたのですが、今になってひじの関節から手のほうの筋肉に電気が走るような痛みが出てきた。3日ほど通院しています。
一応炎症があるので氷で冷やしたり電気を通したりマッサージもしてもらっています。
しかし・・・・
なんでももう終わりなの?と聞きたくなるほど短い時間で終わり。。。。
金を払って玄関を出るときさみしいと思った。
帰りに時々行く美味しいパン屋さんに寄ってサンドイッチを買ってきました。
このパン屋さんのサンドイッチは美味しいし具がたくさんなのです。食べると危惧がいつも零れ落ちてしまうほど具が多い。ポテサラのサンドイッチも具だくさんでおなかにたまります。
楽しみに帰宅して食べました。。。。。
するといつもならこぼれ落ちるような具が少なくなっていてこぼれ落ちない。直角三角形の直角の部分に具が入っていない。いつもの具の量の半分以下かなぁ。。。。。
さみしいですなぁ。。。。。。
そういえば3年程前か。。。。。
時々あんパンが食べたくなるとコンビニで買っていたのですが、当時まではあんこがたくさん入っていて、あんこがパンの片隅に偏っていてあんこが少ない部分から食べ始めて最後にあんこが盛りだくさんの部分を楽しみにしていました。
ところが。。。。
いつものようにあんこの少ない部分を食って、さて、あんこをと思ったら、残りの部分もあんこが少なかった。思わず急いで一口づつ食いながらあんこを探した。しかし出てこない、あんこが。
さみしかった思い出です。
社会はどんどんさみしくなっていく。。。。。
【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターに「不安増すマイナス金利・・・・」という記事があった。
ドイツでは預金金利までがマイナス金利になっており、これを「懲罰金利」と呼んでいるらしい。預金をしていると預金額が減っていけばタンス預金しかなくなる。
日本はまだここまで来ていないがすでに銀行の利潤率は減少をして窓口などが縮小し人員も減らされている。日銀はさらなる金融緩和をにおわせているが、マイナス金利がさらに進むこともあり得るでしょう。
しかし一般庶民は金融商品に手を出すわけにもいかず一気に消費に回すわけにもいかない。
懲罰金利でなくてもマイナス金利に野化で個人消費は伸びないでしょう。社会保障の改悪はさらに将来不安を起こして預金に金が動く。
たしかに住宅ローンは金利が低くなれば借りる人も一時的には増えるでしょうが、住宅バブルにまではいかない。バブル的でなくても借り入れる人が増加をしますが、何かしらの経済の変動があって金利が上がれば変動金利ですから一気に返済困難になり、その意味でバブルの崩壊につながる。
マイナス金利で個人投資家や企業などは株などに資金を回しますから株高になることは間違いない。もちろん株で儲ける人がいて消費に回ることもありますが、あぶく銭に変わりがなくて個人消費全体を引き上げるわけではない。企業は内部的なペーパー上の利益に。
そろそろ世界的な金融緩和の波は引き時なのかもしれません。バブル崩壊の前にソフトランディングはできるか?
【2020年】ツイッターつぶやき
社会民主党(社民党)が立憲民主党の呼びかけにより合流することを検討している。
社民党内では合流(これは実質的な解党)すべきという意見と社民党の社会民主主義を守り発展させようという意見がぶつかっているようです。
ツイッターによると、たしかに議員として立憲民主党に行きたい議員がいるがこれも理解し合う。しかし安保条約の問題などそして社会民主主義を守るために社民党自体は解党しないということも尊重し合おうということになりそうです。実質的な解党はなくなるかもしれません。
今月14日だったか、党大会がありますのでそこで結論が出るでしょう。
思い出せば二大政党制を目指して社会党を解党して民主党を結党するということがありました。
多くの議員そして北海道などの地方組織が民主党に合流しました。その中で土井たか子さんが呼びかけ人となり、社会民主党が結党され、少なくなりましたが議員も残り地方組織は社民党の旗の下に結集しました。民主党に合流した旧社会党議員は民主党内で社会党の主張を活かそうとしましたが結果は社会党議員(社会党の主張)の影響力はなくなっていきました。
この社会党解党と同じことがまた起きているのかもしれません。
合流した場合はまた社民党の政策が自然消滅していくでしょう。
社会民主主義を政策として持つ政党は社会民主党だけです。
社会民主主義については共産主義から見れば社民主義として資本主義を認めてしまう勢力だという視点で語られます。同時に右派勢力からは社会民主主義は社会主義だと攻撃されます。
たしかに社会民主主義は資本主義の範囲内にあります。同時に社会主義として資本主義の色を多く残しながらの資本主義を改良していく勢力とみることができます。
今の資本主義は新自由主義として経済では勤労者の生活を切り捨てながら企業利益と株式を中心とした不労所得層に富を集中させ、格差社会を拡大しています。これを今や社会問題として取り上げざるを得なくなっていますし、経済構造自体をゆがめて成長できない資本主義という矛盾を作り出しています。経済だけではなく、新自由主義はこれまで先進国が掲げてきた自由や平等も死語のようにしました。そして戦争(武力による解決)の危機です。この新自由主義を改良していく過程には社会民主主義が不可欠です。
そして他の先進国の左派勢力には欠けている平和主義を持つ政党が社会民主党です。護憲をはっきりと示せるのは社民党と共産党かもしれません。
たしかに社民党は精力的には弱くなっています。しかし社会情勢は社民党とその主張である社会民主主義を求めているのです。それを国民が意識するかどうかですが、安倍内閣の口先ではよいことを言いながら期待を持たせる政治は破綻しています。ここを粘り強く問題視する中で社会民主主義というものも理解されていくでしょう。
社民党は解党してはいけません。
【2021年】ツイッターつぶやき
yahooニュースにショッキングなニュースがあった。
このニュース自体は経済専門家の見解ではなくて第一線で働く商社マンが見た日本ですが。しかし実態把握とその分析は正しさがあるのではないかと思います。
日本は水産物でも肉でも中国に買い負けていそうです。買い負けているということは日本に食料品が入ってこないということでスーパーにも高いものが並び品質も下がるということです。同時に食品原材料も値上げされその加工品である食品も値上げされるということです。食品だけではなく、自動車にしても昔のように安くて品質の良いものをたくさん売ることはできなくなるということです。
中国に買い負ける原因の一つが円安です。
日本はアベノミクスと日銀の量的緩和で円安誘導を行いました。輸出に有利になるから。
一方では2%のインフレを言い値上げされることは経済の好転だと逆立ちをした経済政策ですし。国内の労働者の実質賃金は下がっており社会保障も切り捨てられていますから常にデフレ圧力が働く。中国に負けないような高額の買い付けをしたら国内での販売は高騰する。しかしデフレ圧力のある市場においては高額のものを買うことはできない。すると中国との輸入価格競争に負ける。買っても植えれないのですから。
この失敗が明らかになり経済が落ち込んでくると円安というのは政策的な円安誘導ではなくなり経済実態を現す円安になる。日銀の出口金融政策なんてものではどうにもならなくなる。
日本は政治的には右傾化をし民主主義国ではなくなりつつあり、経済でも通貨安になり、日本全体が中等国に成り下がる
【2022年】ツイッターつぶやき
国債とは、国を通じて国債を持てない国民が国債を持っている国民に借金させられている仕組みでしょう。
国民とは、様々な階級や階層に分離させられているのがこの社会です。
(ツイッターより)
国債はほぼ日本国内で買われている。「国民」は国から国債を買っているのですからそれは国民の資産ですね。しかし、一方では「国民」一人当たり1000万円の借金をさせられている。
これを見ればチャラのように思われる。
国民というのは経済的な格差の中にあり、民間企業も国民とみなされている。
富裕層や企業などが国債を買って国に借金をさせるが、国は借金を返すために国民に返済を転嫁する。
ここで見られる国民とは分断させられていることが見えてくる。
それでも国が税を社会保障だけに支出するなら富の再分配という面もあるが、実際は国民生活に密着したものではない企業のための公共事業などに回る。国債を買う物に税は多く支出される。だから社会保障を言うとその財源はさらなる増税としての消費税ということになる。
富裕層や企業という「国民」が国に借金をさせて自分たちのために税を支出させる。この借金の返済は国債を持たない一般国民にも負担をさせる。
社会保障も本来企業が一定の賃金を出し福利厚生などで労働者の生活を守るべきだが低賃金の中で国がその尻拭いをする。これがばらまきであったり社会保障の増加となる。もちろんこれはのちに消費増税という形になる。
こういう社会が長続きするわけがない。
【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの国際利払い額がバイデン政権になってから倍増しているそうです。
金利が上がっているからでしょう。
アメリカはデフォルト危機が毎年言われていますが、どうにか回避しているようですが今後は益々きつくなるでしょう。
金利上昇を抑える引き締めとなればリセッションが待っている。
アメリカの経済の混乱は、ドル離れを招く危険性があり、中国をはじめとした途上国がドル決済から離れ基軸通貨の役割がなくなればさらにドル安となりインフレが激しくなる。
日本はさらに利払いが厳しく日銀が借り換えをして忍んでいる。そのうちに海外による国債の購入が大きくなる要因が出れば国内の資産があるからでは済まされないでしょう。
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