【2023年】ツイッターつぶやき
東京の粗大ごみ処理場が火事になり粗大ごみが山になっているそうです。原因は処理過程でリチウムイオン電池が発火したためだそうです。破損する時に発火する素材が燃えてしまうようですね。
リチウムイオン電池はスマホなどやおもちゃなどいろいろなものに使われていて謝って粗大ゴミに出してしまうと危ない。回収も進んでいるそうですが、粗大ごみに紛れ込んでしまうことは避けられないのでしょう。
リチウムイオン電池は電気自動車やハイブリッド車にも使われているそうですが、事故などで破損した場合は危ないのでしょうか?事故で燃えたというニュースは聞いたことがありませんが。しかし電気自動車のリチウム電池の処分は社会問題化しそうですね。
≪過去の記事≫
【2003年】
明日は冬至ですね。。。
かぼちゃを食べないと。。。ハハハ
こちらのサイトは、明日から冬の日記となります。もう冬の真っ盛りですが、冬至を季節の変わり目としました。
僕のように冬が嫌いな人間にしてみると、冬至をすぎてこれから日が少しづつ伸びていくと思うと救われます。
こちらの掲示板に日記を書いてきましたが、明日の22日からは日記ページに書くことにしました。
これからもよろしくです。。。
【2004年】
冬至
今日からこの日記も冬。。。。寒くなりました。そろそろマフラーでも出そう。
この寒い夜。帰宅途中のコンビニの前に高校生ぐらいの女の子3人が座り込んでたむろしてました。それでまた歩いてシャッターの降りたドラッグストアーに着たらやはり3人が座り込んでいました。こんな風景は夏にはよく見たのですが、この寒いのに若い人はすごいです。
【2005年】
この数日に比べると暖かでした。とはいえもう冬本番です。
明日は冬至。この日記も冬になります。もう木々も丸裸で、落葉が一番遅いと思われる銀杏も裸になりました。
冬至と言えば「ゆず湯」
商品名です。柚子を細かくして果肉から皮、種までも乾燥させたもので、紙のバックに入っています。これをお風呂の中に入れるのですが、香りもよいしほんのりとお湯も黄色くなります。温まります。お湯が黄色くなるので発色剤でも入っているのかと思い包装の袋を見たら、そういった添加物は一切入っていないようです。
冬になるとスーパーの店頭に並びます。
しかし果物売り場の棚にあるので、勘違いをしてゆず湯として飲んでしまわないかなぁと思ったりもします。
発売元もこだま食品という食品会社ですからぁ。。。。ハハハ
飲んではだめとは書いていないようなのですが、一応飲まないです。
スポーツジムも冬になってからはじめたので行くまでが億劫です。帰りも寒いので風邪ひかないように気をつけたいです。でも、体を動かした後は体もぽかぽかで気持ちがよいです。冬に汗をかくというのはめったにないことですから冬にも体を動かして汗をかくというのはよいのかもしれません。体が軽くなったし、だるさもなく、時々立ち暗みもあったものがなくなりました。
【2006年】
個人の独裁者の政権が倒れたとき、一般庶民の生活に対してのその独裁者の贅沢な生活が浮き彫りになるというのは珍しくない。
一般庶民の困窮と権力・富を手に入れたものとのギャップは、その時代の末期の現れである。
これは、何も個人の独裁政権の話だけではない。今の格差拡大や企業優先の中での一般庶民の困窮化というシステム事態も同じである。富と権力を手に入れると、必ずオゴリがでる。そのオゴリは目に余るものとなる。一方には一般庶民の犯罪が目に余るものとなる。社会は停滞をする。この停滞を「安定生長」などというごまかしの言葉を使ったとしても、停滞は停滞である。
この時代をどうするのか。。。それは、長い歴史の中で、民主主義や個人を大切にする一般国民が多いヨーロッパからまた提起をされるのではないか?
そのとき、日本はヘラヘラしているのだろうか?
【2007年】
昨日買ったシャツを着てみたのですが。。。。
最近はMサイズなのですが、だいぶ前まではLサイズでした。
サイズの寸法変更があってからMサイズになったのですが、これがまた中途半端でして、帯に短したすきに流し。
でも、どういうわけか袖の長さはちょうどよいのですが、丈が短い?ということは足や腕は短いが胴は長いという事?丈がちょうどよいものを買うと多分袖が長すぎてめくるようになると思います。
今の若い人は手足が長くなりましたからなぁ。。。
昔の日本人体型の僕としては今のサイズは合わなくなってきてしまった。
明日は冬至。
イチョウの葉も落ちて公園の風景もすっかり冬です。
明日からこの日記は冬にはいります。
日中は暖かで気持ちが良かったのですが、朝晩はやはり寒い。
【2008年】
冬至です。古式にのっとりかぼちゃを食べて柚子湯に入りました。それにしても暖かな日でした。南よりの春一番のような風でした。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
台所のシステムキッチンの工事をしています。
システムキッチンの床をはいで配管やガス管も付け替えるのですが、見ていると建てた当時の様子が見えます。床下などというのは工事のコンクリートや木屑の破片がたくさんあり、配管などはその屑のような物でちょいと支えてある程度。まぁ、それでこの20数年なんともなく使っていたわけですからそのぐらいの工事で十分なのでしょう。
壁の工事やらも素人目から見ると大丈夫かなと思うような材料と付け方なのですが、仕上がってみるときれいになるものなのですからそれで十分なのでしょう。強度を保たせるところはきちんと、そうでもないところは経費を削りながら仕上げていく。これが職人技なのでしょう。
工事は遅々として進まないようですが、配管やガス管は漏れがないようにしっかりと仕上げていき時間を使う。そして出来上がっている製品はパパッと備え付けて約束の期日には出来上がる。これが職人技なのでしょう。
配管やガス管がきちんと寸法どおりに曲げたり伸ばしたり。電機の敗戦もひょいとブレーカーから伸ばしてくる。見た目がきれいです。雑なようでそこは雑ではない。仕上がってみるとなるほどと素人をうなずかせる。どんな道具を使うか部品を使うかを瞬時に決めていく。大雑把なようで出来上がればその部品や工具の力がきちんとした形になる。これが職人技なのでしょう。
なんだか笑いながら作業をするし、時々「いけねぇ~」「それ忘れてた」なんて言い合いながらも最後は出来上がっていく。それが職人技なのでしょう。
素人目から見て判断するというのは、いろいろなところでやってしまうものです。職人さんや技術者あるいは専門家といった人々に限らずも、物を買いに行った店の店員さんや食堂の親父さんなどなどお客として素人目で接するわけですが、そのときに文句の一つ言いたくなるような事もあるのですが、そこが素人目なのでしょう。待ってればきちんとやってくれる。ま、もちろん当たり外れはあるのですから外れにあたってしまうときもあります。これは仕方ないとあきらめるしかないのですが、あたりの場合はその技に見とれていればいいわけです。「大丈夫かなぁ。。。。」と思いながらも。
【2011年】ツイッターつぶやき
アメリカを中心とした先進資本主義国での冷戦後の新自由主義は、政治的にアメリカが言う「正義」や「自由」がどのようなものであったかが浮き彫りになり中東やアラブが正義の戦争というもので疲弊をし、それはアメリカ経済の疲弊にもつながり国民に厭戦気分を醸し出している。経済は国家財政の破たんが言われ始め金融不安が増大をして国民生活は格差を拡大している。
これは今の先進資本主義国が世界の中心から落ち始めていることを意味している。その一方ではまだその力は弱いが中国や韓国の力が増してきて市場の場としての発展途上国の力が付き始めている。先進国はこの途上国の市場に依拠せざるを得なくなり国内経済の空洞化と雇用不安を伴いながら経済進出を行わざるを得なくなっている。
今朝の朝日新聞によれば、旧ソビエトの独立国家共同体CISがユーラシア連合をめざし経済・安保で再結集し、メコン川流域6カ国のメコン地域サミットが大メコン川流域開発計画首脳会議が貧困削減など共同宣言を発表してその中に中国も参加をしている。アジアにはアメリカのTPPに警戒感を示す動きがASEANの中からも出てきておりそこにも中国の影響力が大きくなりつつある。東アジアという地域でも極東ロシアは無視できなくなり、北朝鮮の経済動向も今後どう展開するかわからない。世界規模でも途上国会議は力を今後は強めるだろう。
経済のブロック化や共同体は戦争の危険性をはらみながらも先進国に経済的にはまだ依拠しながらも対抗するものとして作用をすることは自然な流れだろう。
先進国に対抗する経済圏や共同体の動きはアメリカの政治的経済的世界戦略を否定することによりアメリカ中心の新自由主義の破たんを強めるのではないか。もちろん中国やロシアがアメリカ的な支配戦略を露骨に表せばまた違った状況が生まれて戦争の危機は大きくなるが。
中国やロシアは社会主義の経験をしている。その経験から市場経済を受け入れて新自由主義に代わる新たな指針を示せるかどうかに世界の安定はかかっているのではないか。その指針は途上国としての連帯から貧困をどのようにとらえるかでもみえる中から生まれる社会民主主義でなければならないはずです。国内的にも国際的にも格差を広げざるを得ない新自由主義に歯止めをかけるためには貧困問題の解決が大きな戦略となり、それ自体が新自由主義に野対抗するものとなる中に多くの途上国を結集をさせる力を生むだろう。貧困問題解決こそが観念論的な自由や正義を真の自由や正義に発展させる土台となるだろう。
一方ではアメリカでは格差に対する怒りが爆発をして大規模なデモになり、ヨーロッパではその自由主義的金融共同体という経済的な意味での共同体が崩れ始めている。日本は原発事故を通して国家というものを考えざるを得ない状況を生み出し、それは国家がすすめる増税などを通して国家批判は強まり企業の在り方も考え直さざるを得ないようになっている。もちろん失業や雇用形態そして格差の拡大による貧困問題が大きく表れてきている。
この国内問題から新自由主義は内政という形においても先進国内部から違った社会を求める勢力が拡大せざるを得ないだろう。それはもちろん社会民主主義を意識したものにならざるを得ないだろう。
先進国でも世界においても何かしらの違った社会を求める中での社会民主主義は、今の資本主義を否定をしながらも社会の中における企業の役割の位置づけを変えて市場などをコントロールする形での資本主義の最高段階となるだろう。資本主義らしくない資本主義社会。それは資本主義の量的発展から質的な発展として現れざるを得ないだろう。
【2012年】ツイッターつぶやき
野田内閣の時もそうでしたが選挙後の安倍総裁に言葉にもあるように、デフレ脱却=インフレという言い方が強くなっている。しかしデフレの脱却がインフレなのだろうか?
デフレから一気にインフレなんてことはあり得るのだろうか?
たとえばデフレ状態の中で消費が増えるなどして少し物価上昇の気配が出てくるとき、これをインフレと呼ぶ経済学者はいるだろうか?少しだけ物価が上がってきた状態はインフレではなくて消費拡大による景気の回復という一面を持っているというだけではないか?
物価が下がり続けている原因は、生産性の向上からの商品価値自体の下落です。同じ労働力量を使っても生産性が向上してより多くの商品が市場に出れば商品価値自体が下がっているわけですから値段は下がっていきます。この値段を下げる作用は競争にあるわけですが、いくら競争とは言え価値以下への値下げは行えないはずです。しかし競争は激化するわけですから外国の安い労働力を目当てに生産工場をその外国に持って行ったり国内の労働者の賃金を引き下げていく。このギリギリのところで商品の値段は価値以下になっていく。
今のデフレの現状はこういうことでしょう。
同時に生産性の向上は市場により多くの商品を流すことですから需要供給面からしても値段は下がっていく。ここに競争の激化があるわけで、さらに商品価格値下げ競争で価格は下げざるを得なくなり、更なる生産性の向上を労働賃金の引き下げに頼る。
ある工業製品の生産には原材料や設備エネルギーが必要です。そしてそこに結び付く労働力が必要です。生産性の向上は、これら不変資本や可変資本の値下げを社会的に行う。原材料も安く、設備も安く、エネルギーも安くそして労働力も安く。。。。。そうすると商品価格の値段の下落は連鎖的になり、労働力の消費での総体としての賃金が下がれば市場での消費は冷える。
このような経済的な矛盾の中に市場においての自然な法則的な景気回復などは起こる要素がないわけです。そこでデフレの脱却イコールインフレ論が出る。もちろん景気回復も怪しいわけですから市場においてその法則からはインフレはなおさら起こらないので政策インフレを起こそうとする。日銀の緩和政策に是悪露金利を導入して資金を市場にばらまこうとし、それも限界が出れば今回のように日銀の量的緩和が行われる。これは本来の自由主義ではないのです。本来の自由主義経済ではないから必ず失敗をします。インフレ傾向は金融市場に現れて商品市場はさらに冷え込むでしょう。ここに更なる市場でのデフレと金融市場でのインフレ傾向が同時に現れるでしょう。ある意味のスタグフレーションです。
ここに更なる経済危機が訪れる。
インフレ傾向の金融市場内部のバブル崩壊。商品市場(商業)の恐慌寸前に金融恐慌の危険がはらんでいます。経済の完全なマヒ状態です。
【2013年】ツイッターつぶやき
10万円か、100万円か、1000万円か。。。。。個人差があるにしてもその貯金を一気に使い果たす快楽は相当な喜びでしょう。それは当てもない給料が上がるという前提でそれを信じきっているならその快楽と喜びは本物でしょう。
安倍総理と自民党と公明党のはしゃぎすぎとも言える快楽と喜びもまた国家の、国民の貯金を経済が回復して企業の業績が上がって利益が出て労働者の賃金も上がってそしてそれは国家の借金も減らすという当てもない前提によるはしゃぎすぎにまでいたる貯金を一気に使い果たす快楽と喜びではないでしょうか?ですから安倍総理が国民に対してそして海外に対して自信に満ちて今の日本の経済を誇るのも本物かもしれません。
しかし財界はそんな甘いせつな的な快楽と喜びは信用していないでしょう。ですから財布の紐は締めて子を産まない金は使わない。賃上げや当てもない設備投資などには使わないのです。そこでいきなり国が日銀に国際を引き取らせて日銀が途方もない貨幣をばら撒いてくれるのですから財界も破顔を持って向かいいれるでしょう。しかしどうやってその金を活用すればよいのか。。。。手っ取り早いのが株や金融商品そして海外の国際も含めた投資なのです。株価が上がれば含み益が増えて経営の好調さを演出できるわけですから。ここでの破顔での快楽と喜びも本物でしょう。
でも、国民はそうは行きませんね。。。。。
もちろん賃金も上がるかもしれないという期待感を持ちながらも、最近ではこの期待感に疑念を持ちつつあります。現実には賃上げも一部での企業で、どうも労働の規制緩和はますます正社員数を減らしていき、いつ不安定雇用に落ちるかわからない。体を壊したりして働けなくなってもどうも社会保障は公助から自助になっているわけですから生活の不安定性は増大するし最悪生活保護でと思っても蒼白には許してくれなくなっている。女房でも働いてくれれば!しかし日本の女性の低賃金は最悪の状態である。親の自立も年金制度や公的健康保険や介護保険も負担が増えそうで公助から共助となり子である自分の個人的負担は増えそうで、まさか親に早く死ねともいえない。でも、親の年金は魅力的だなぁ。。。。と。
結局は安倍総理や自民党・公明党がはしゃいで国民の貯金を使い果たそうとしているわけです。その金は企業や富裕層に回ってギャンブル資本主義(ねずみ講的金集め)はいつか破綻する。そうすれば国民は企業や富裕層を助けるためにまた金を使う。
こういう状態に日本があるとするなら、国が国民の貯金を使い果たす快楽や喜び、そして財界が破笑で日銀資金を活用する実態をどう見るべきでしょうか?勤労国民として。。。。。マジで行われる「貯金を一気に使い果たす快楽」社会。
この「貯金を一気に使い果たす快楽」は、何も金だけではないのです。平和主義や民主主義や福祉国家といった国民の権利も戦後作り上げたものを一気に使い果たしていく快楽や喜びになっている。
ここらで日本の勤労国民あるいはマスコミそして有識者が自分のためにも孫子のためにもマジで日本を見つめなおさねばならないでしょう。。。。。
【2014年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストに「「安定した雇用」という幻想。~雇用のリスクは誰が負うべきか?~」という記事がある。
安定した雇用は安定した賃金を生む。安定した雇用は年功序列型賃金とセットとなって。
この日本型ともいえる雇用形態と賃金形態が企業にとってリスクなのでしょうか?しかし日本の高度成長を支えたのがこの安定した雇用(過去規制)と年功序列型賃金であったという事です。もちろんこの安定した雇用と年功序列型賃金は労働者側の要求により総評が中心となって守られてきたともいえる。
しかし派遣労働関連の方によりその派遣社員の職種範囲の拡大が続く中で、この雇用の安定は損なわれはじめそれは同時に賃金の低下傾向をも引き起こした。それが日本型の失われた20年ともつながりいまだにその影響は続いている。アベノミクスにおいて慌てふためいて賃上げの必要性が言われはじめましたが、雇用の不安定さをさらに増大させるような動き(雇用統計で100万人の雇用が増えたとはいえ不安定雇用が増えて正規雇用が増えない現状)が起きているわけですからさらに日本の景気の立ち直りを遅くしていくでしょう。
安定した雇用と年功序列型賃金が日本型ともいえるとするならば、不安定雇用の増大と低賃金化もまた日本型不況を生み出しています。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
男の手料理というほどのものではありませんが、久しぶりにピーマンの味噌炒めをつくりました。
細切りピーマンを味噌で炒めるだけなのですが美味しいです。
味噌は、味噌・砂糖・みりん・酒・七味唐辛子でよく練っておきます。
さっと炒めたピーマンに合わせみそを入れて少し水分がなくなれば出来上がりです。
このピーマンの味噌炒めを炊き立てのご飯に乗せながら食べるのですが、これがおいしいのです。
再考最高のご飯の友。。。。。ご飯が進みます。
勿論日本酒のおつまみにも。
【2018年】ツイッターつぶやき
昨日は早起きをして西伊豆にドライブに出かけました。
ドライブといっても観光地は何度か言って行っていますのでどこもよらずにおいしいものを目当てに。
とは言っても晴れて暖かでしたので駿河湾を挟んだ富士山や海岸の景観などを楽しむことができました。海を挟んだ富士山というのもまた美しいですね。
美味しいもの目当てのドライブの目玉は「塩(潮)鰹」。
正月の縁起ものですから今週から正月休みに入るまでに売られるようです。1本買ってこようと思ったのですが、ものすごく塩辛いものですから食いきれないと困るのでビニールパックされた半身にしてしまいました。1本買ったものとビニールパックされたもの。。。。ううう・・・・ん、味は同じなのか?すごく後悔をしています。
夕飯の時に焼いてみましたが油ものっていてうまかったです。でも、塩分がキツイッ~。。。。。小さな一切れでごはんなら何杯も食えます。日本酒の肴にチビチビかじりました。よく噛むと鰹の風味が出てきて日本酒に合います。
塩分を抜くにはすし酢を作って一晩ぐらい漬けておくといいというのでやってみました。鰹の生臭さを消すためにゆずの皮を少し入れました。今朝つまみ食いをしたら案外うまいです。今夜の酒の肴。。。。。。
塩鰹のふりかけのようなものもありましたので買ってきました。お茶漬けに最高です。
塩鰹以外のドライブの目的の一つが「塩鰹うどん」と「桜葉もち」。
塩鰹うどんはたぶん釜揚げをしたうどんをどんぶりに入れて焼いた塩鰹をほぐした乗せ、海苔、ワカメだったか?、鰹節、カイワレ大根、かまぼこなどを乗せただけのもののようです。おばあちゃんが「豪快にかき回して食べな」というのでさっそく豪快にかき混ぜたら上に乗っていたものがわからなくなりました。熱い釜揚げのうどんと塩鰹の塩分がいいですなぁ。。。。。
「桜葉もち」は塩鰹の田子町から少し車を走らせた松崎も美術館近くにある桜味堂。店内で一つ食べましたがおいしいです。粒が残った餅で餡子を包み、桜の葉の塩漬けを2枚でサンドしたような和菓子です。桜の葉の香りと塩辛さがいい。。。。。
8個入って1080円です。
あとは西伊豆に向かう県道に合った牛乳屋さんで濃くておいしい牛乳を飲んだり(かーねびに登録しようと思っていたのに忘れた)、戸田に立ち寄りタカアシガニの爪や肩の部分だけを買って帰り巻いた。まるまる1匹あるいは太い足というのは持ち帰りはできないようで、食堂で食うしかないようです。幻のカニ。。。。。一度は1匹食ってみたいですなぁ。
平日のドライブはいいですね。観光地もすいているし帰りの高速道の渋滞もひどくないし。
【2019年】ツイッターつぶやき
もうすぐ正月ですなぁ。。。。。
またお節料理づくりに。
2月のガス料金を見るとびっくりしますが、ガスの使用量も上がります。
コンビニも元日ぐらいは休みになるところも出るそうですし、いつも行くスーパーも正月の休みが多くなるそうです。正月といってもいくつかあるスーパーの内一つぐらいは開いていましたが、今年は少し多めに買い出しをしておく必要がありそうです。
政府は働き方改革といっていますが、現実は消費の減少だと思います。客が少なければ店を開けていてもねぁ。。。。
今日は実家のほうへ出かけますが、近くの生鮮食品をそろえたスーパーがありますので少し買い出しをしてきます。といってもまだ黒豆とか昆布とか田づくりとか乾物中心ですが。
今年も8品作る予定です。29日から3日間でささっと。。。。。
明日は冬至ですからカボチャとか柚子も買ってこよう。
【2020年】ツイッターつぶやき
さっき、風呂に入ろうと衣類を脱いでいたら、なんと5枚も着こんでいました。
寒いと1枚づつ着るものを増やして。。。。。
東京も冷え込んでいます。わが家は毎年暖房はほぼ炬燵一つですから。とは言っても脱衣場に電気ストーブぐらいはありますが。
今日は冬至。
カボチャを煮て柚子湯の入りました。
毎年冬至になるとほっとします。あとは年越しで1カ月もすれば春ですからなぁ。。。。。
冬至前の寒さには眉を寄せて耐えていますが、寒さはこれから本番ですが「寒い」という声もどこか明るくなります。
コロナ騒ぎでこの1年は早かったですねぇ。
【2021年】ツイッターつぶやき
明日は冬至なのでカボチャを買ってきたのですが、今年は小豆と一緒に似てみようと思い小豆も買ってきました。一晩水に漬けておくものと思っていたのですが、大納言小豆は水に漬けてはいけないそうです。
コトコトと煮るしかない。。。。。
カボチャなどの野菜と小豆と一緒に煮たものを「いとこ煮」というらしいですが、いとこ=従兄(従妹)?なぜ?
「甥 甥」で従妹らしいですが。。。。。
かぼちゃは夏野菜といわれていますが、なぜ冬至に?
神様にお供えしたものを調理するそうですが、カボチャは日持ちがしますね。でも夏野菜ですからなぁ。現代は保存方法が発達していますが昔はどうしたんでしょ?
まぁ、とりあえず明日はいとこ煮を作ります。
冬至が過ぎるとクリスマスでケーキ作りの予定。そしてすぐにおせち料理づくり。。。。。ウウウ
【2022年】ツイッターつぶやき
命あるもの
六道輪廻を繰り返す
地獄に行って
針の山を歩くのは苦しい
餓鬼となって
人糞を食らうのは苦しい
修羅となって
血で血を洗うのは真っ平だ
畜生世界で野良犬もつらいだろう
人の世に生まれ
思い憂うのもつらいものがある
天に生まれれても
死を憂うだろう
六道輪廻にさまようのは
命あるものの定め
しかし解脱して
仏の世界は無でしかない
思いを起こせば憂いが生じる
思いのない世界は無である
無の世界は退屈だろう
天に生まれれば
思い煩うこともないかもしれないが
唯一の憂いが死とは苦しい
と、なれば
人の世が一番よいのかもしれない
思い憂うから苦もあるが
思い憂うからこそ楽があり
思い煩うから執着もあるが
思い煩うからこそ楽しみもある
だから人は六道輪廻の中に
少しづつ発展をする
この発展は人の世にしかない
発展は永遠に終着駅はないが
終着駅に向かい続けるのが
人の世の定めだろう
六道輪廻は
人の心に。。。。
現実と心
現実世界から降り注ぐ粒子
心が焼きついてしまうようだね
(昔書いたものです)
東京の粗大ごみ処理場が火事になり粗大ごみが山になっているそうです。原因は処理過程でリチウムイオン電池が発火したためだそうです。破損する時に発火する素材が燃えてしまうようですね。
リチウムイオン電池はスマホなどやおもちゃなどいろいろなものに使われていて謝って粗大ゴミに出してしまうと危ない。回収も進んでいるそうですが、粗大ごみに紛れ込んでしまうことは避けられないのでしょう。
リチウムイオン電池は電気自動車やハイブリッド車にも使われているそうですが、事故などで破損した場合は危ないのでしょうか?事故で燃えたというニュースは聞いたことがありませんが。しかし電気自動車のリチウム電池の処分は社会問題化しそうですね。
≪過去の記事≫
【2003年】
明日は冬至ですね。。。
かぼちゃを食べないと。。。ハハハ
こちらのサイトは、明日から冬の日記となります。もう冬の真っ盛りですが、冬至を季節の変わり目としました。
僕のように冬が嫌いな人間にしてみると、冬至をすぎてこれから日が少しづつ伸びていくと思うと救われます。
こちらの掲示板に日記を書いてきましたが、明日の22日からは日記ページに書くことにしました。
これからもよろしくです。。。
【2004年】
冬至
今日からこの日記も冬。。。。寒くなりました。そろそろマフラーでも出そう。
この寒い夜。帰宅途中のコンビニの前に高校生ぐらいの女の子3人が座り込んでたむろしてました。それでまた歩いてシャッターの降りたドラッグストアーに着たらやはり3人が座り込んでいました。こんな風景は夏にはよく見たのですが、この寒いのに若い人はすごいです。
【2005年】
この数日に比べると暖かでした。とはいえもう冬本番です。
明日は冬至。この日記も冬になります。もう木々も丸裸で、落葉が一番遅いと思われる銀杏も裸になりました。
冬至と言えば「ゆず湯」
商品名です。柚子を細かくして果肉から皮、種までも乾燥させたもので、紙のバックに入っています。これをお風呂の中に入れるのですが、香りもよいしほんのりとお湯も黄色くなります。温まります。お湯が黄色くなるので発色剤でも入っているのかと思い包装の袋を見たら、そういった添加物は一切入っていないようです。
冬になるとスーパーの店頭に並びます。
しかし果物売り場の棚にあるので、勘違いをしてゆず湯として飲んでしまわないかなぁと思ったりもします。
発売元もこだま食品という食品会社ですからぁ。。。。ハハハ
飲んではだめとは書いていないようなのですが、一応飲まないです。
スポーツジムも冬になってからはじめたので行くまでが億劫です。帰りも寒いので風邪ひかないように気をつけたいです。でも、体を動かした後は体もぽかぽかで気持ちがよいです。冬に汗をかくというのはめったにないことですから冬にも体を動かして汗をかくというのはよいのかもしれません。体が軽くなったし、だるさもなく、時々立ち暗みもあったものがなくなりました。
【2006年】
個人の独裁者の政権が倒れたとき、一般庶民の生活に対してのその独裁者の贅沢な生活が浮き彫りになるというのは珍しくない。
一般庶民の困窮と権力・富を手に入れたものとのギャップは、その時代の末期の現れである。
これは、何も個人の独裁政権の話だけではない。今の格差拡大や企業優先の中での一般庶民の困窮化というシステム事態も同じである。富と権力を手に入れると、必ずオゴリがでる。そのオゴリは目に余るものとなる。一方には一般庶民の犯罪が目に余るものとなる。社会は停滞をする。この停滞を「安定生長」などというごまかしの言葉を使ったとしても、停滞は停滞である。
この時代をどうするのか。。。それは、長い歴史の中で、民主主義や個人を大切にする一般国民が多いヨーロッパからまた提起をされるのではないか?
そのとき、日本はヘラヘラしているのだろうか?
【2007年】
昨日買ったシャツを着てみたのですが。。。。
最近はMサイズなのですが、だいぶ前まではLサイズでした。
サイズの寸法変更があってからMサイズになったのですが、これがまた中途半端でして、帯に短したすきに流し。
でも、どういうわけか袖の長さはちょうどよいのですが、丈が短い?ということは足や腕は短いが胴は長いという事?丈がちょうどよいものを買うと多分袖が長すぎてめくるようになると思います。
今の若い人は手足が長くなりましたからなぁ。。。
昔の日本人体型の僕としては今のサイズは合わなくなってきてしまった。
明日は冬至。
イチョウの葉も落ちて公園の風景もすっかり冬です。
明日からこの日記は冬にはいります。
日中は暖かで気持ちが良かったのですが、朝晩はやはり寒い。
【2008年】
冬至です。古式にのっとりかぼちゃを食べて柚子湯に入りました。それにしても暖かな日でした。南よりの春一番のような風でした。
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
台所のシステムキッチンの工事をしています。
システムキッチンの床をはいで配管やガス管も付け替えるのですが、見ていると建てた当時の様子が見えます。床下などというのは工事のコンクリートや木屑の破片がたくさんあり、配管などはその屑のような物でちょいと支えてある程度。まぁ、それでこの20数年なんともなく使っていたわけですからそのぐらいの工事で十分なのでしょう。
壁の工事やらも素人目から見ると大丈夫かなと思うような材料と付け方なのですが、仕上がってみるときれいになるものなのですからそれで十分なのでしょう。強度を保たせるところはきちんと、そうでもないところは経費を削りながら仕上げていく。これが職人技なのでしょう。
工事は遅々として進まないようですが、配管やガス管は漏れがないようにしっかりと仕上げていき時間を使う。そして出来上がっている製品はパパッと備え付けて約束の期日には出来上がる。これが職人技なのでしょう。
配管やガス管がきちんと寸法どおりに曲げたり伸ばしたり。電機の敗戦もひょいとブレーカーから伸ばしてくる。見た目がきれいです。雑なようでそこは雑ではない。仕上がってみるとなるほどと素人をうなずかせる。どんな道具を使うか部品を使うかを瞬時に決めていく。大雑把なようで出来上がればその部品や工具の力がきちんとした形になる。これが職人技なのでしょう。
なんだか笑いながら作業をするし、時々「いけねぇ~」「それ忘れてた」なんて言い合いながらも最後は出来上がっていく。それが職人技なのでしょう。
素人目から見て判断するというのは、いろいろなところでやってしまうものです。職人さんや技術者あるいは専門家といった人々に限らずも、物を買いに行った店の店員さんや食堂の親父さんなどなどお客として素人目で接するわけですが、そのときに文句の一つ言いたくなるような事もあるのですが、そこが素人目なのでしょう。待ってればきちんとやってくれる。ま、もちろん当たり外れはあるのですから外れにあたってしまうときもあります。これは仕方ないとあきらめるしかないのですが、あたりの場合はその技に見とれていればいいわけです。「大丈夫かなぁ。。。。」と思いながらも。
【2011年】ツイッターつぶやき
アメリカを中心とした先進資本主義国での冷戦後の新自由主義は、政治的にアメリカが言う「正義」や「自由」がどのようなものであったかが浮き彫りになり中東やアラブが正義の戦争というもので疲弊をし、それはアメリカ経済の疲弊にもつながり国民に厭戦気分を醸し出している。経済は国家財政の破たんが言われ始め金融不安が増大をして国民生活は格差を拡大している。
これは今の先進資本主義国が世界の中心から落ち始めていることを意味している。その一方ではまだその力は弱いが中国や韓国の力が増してきて市場の場としての発展途上国の力が付き始めている。先進国はこの途上国の市場に依拠せざるを得なくなり国内経済の空洞化と雇用不安を伴いながら経済進出を行わざるを得なくなっている。
今朝の朝日新聞によれば、旧ソビエトの独立国家共同体CISがユーラシア連合をめざし経済・安保で再結集し、メコン川流域6カ国のメコン地域サミットが大メコン川流域開発計画首脳会議が貧困削減など共同宣言を発表してその中に中国も参加をしている。アジアにはアメリカのTPPに警戒感を示す動きがASEANの中からも出てきておりそこにも中国の影響力が大きくなりつつある。東アジアという地域でも極東ロシアは無視できなくなり、北朝鮮の経済動向も今後どう展開するかわからない。世界規模でも途上国会議は力を今後は強めるだろう。
経済のブロック化や共同体は戦争の危険性をはらみながらも先進国に経済的にはまだ依拠しながらも対抗するものとして作用をすることは自然な流れだろう。
先進国に対抗する経済圏や共同体の動きはアメリカの政治的経済的世界戦略を否定することによりアメリカ中心の新自由主義の破たんを強めるのではないか。もちろん中国やロシアがアメリカ的な支配戦略を露骨に表せばまた違った状況が生まれて戦争の危機は大きくなるが。
中国やロシアは社会主義の経験をしている。その経験から市場経済を受け入れて新自由主義に代わる新たな指針を示せるかどうかに世界の安定はかかっているのではないか。その指針は途上国としての連帯から貧困をどのようにとらえるかでもみえる中から生まれる社会民主主義でなければならないはずです。国内的にも国際的にも格差を広げざるを得ない新自由主義に歯止めをかけるためには貧困問題の解決が大きな戦略となり、それ自体が新自由主義に野対抗するものとなる中に多くの途上国を結集をさせる力を生むだろう。貧困問題解決こそが観念論的な自由や正義を真の自由や正義に発展させる土台となるだろう。
一方ではアメリカでは格差に対する怒りが爆発をして大規模なデモになり、ヨーロッパではその自由主義的金融共同体という経済的な意味での共同体が崩れ始めている。日本は原発事故を通して国家というものを考えざるを得ない状況を生み出し、それは国家がすすめる増税などを通して国家批判は強まり企業の在り方も考え直さざるを得ないようになっている。もちろん失業や雇用形態そして格差の拡大による貧困問題が大きく表れてきている。
この国内問題から新自由主義は内政という形においても先進国内部から違った社会を求める勢力が拡大せざるを得ないだろう。それはもちろん社会民主主義を意識したものにならざるを得ないだろう。
先進国でも世界においても何かしらの違った社会を求める中での社会民主主義は、今の資本主義を否定をしながらも社会の中における企業の役割の位置づけを変えて市場などをコントロールする形での資本主義の最高段階となるだろう。資本主義らしくない資本主義社会。それは資本主義の量的発展から質的な発展として現れざるを得ないだろう。
【2012年】ツイッターつぶやき
野田内閣の時もそうでしたが選挙後の安倍総裁に言葉にもあるように、デフレ脱却=インフレという言い方が強くなっている。しかしデフレの脱却がインフレなのだろうか?
デフレから一気にインフレなんてことはあり得るのだろうか?
たとえばデフレ状態の中で消費が増えるなどして少し物価上昇の気配が出てくるとき、これをインフレと呼ぶ経済学者はいるだろうか?少しだけ物価が上がってきた状態はインフレではなくて消費拡大による景気の回復という一面を持っているというだけではないか?
物価が下がり続けている原因は、生産性の向上からの商品価値自体の下落です。同じ労働力量を使っても生産性が向上してより多くの商品が市場に出れば商品価値自体が下がっているわけですから値段は下がっていきます。この値段を下げる作用は競争にあるわけですが、いくら競争とは言え価値以下への値下げは行えないはずです。しかし競争は激化するわけですから外国の安い労働力を目当てに生産工場をその外国に持って行ったり国内の労働者の賃金を引き下げていく。このギリギリのところで商品の値段は価値以下になっていく。
今のデフレの現状はこういうことでしょう。
同時に生産性の向上は市場により多くの商品を流すことですから需要供給面からしても値段は下がっていく。ここに競争の激化があるわけで、さらに商品価格値下げ競争で価格は下げざるを得なくなり、更なる生産性の向上を労働賃金の引き下げに頼る。
ある工業製品の生産には原材料や設備エネルギーが必要です。そしてそこに結び付く労働力が必要です。生産性の向上は、これら不変資本や可変資本の値下げを社会的に行う。原材料も安く、設備も安く、エネルギーも安くそして労働力も安く。。。。。そうすると商品価格の値段の下落は連鎖的になり、労働力の消費での総体としての賃金が下がれば市場での消費は冷える。
このような経済的な矛盾の中に市場においての自然な法則的な景気回復などは起こる要素がないわけです。そこでデフレの脱却イコールインフレ論が出る。もちろん景気回復も怪しいわけですから市場においてその法則からはインフレはなおさら起こらないので政策インフレを起こそうとする。日銀の緩和政策に是悪露金利を導入して資金を市場にばらまこうとし、それも限界が出れば今回のように日銀の量的緩和が行われる。これは本来の自由主義ではないのです。本来の自由主義経済ではないから必ず失敗をします。インフレ傾向は金融市場に現れて商品市場はさらに冷え込むでしょう。ここに更なる市場でのデフレと金融市場でのインフレ傾向が同時に現れるでしょう。ある意味のスタグフレーションです。
ここに更なる経済危機が訪れる。
インフレ傾向の金融市場内部のバブル崩壊。商品市場(商業)の恐慌寸前に金融恐慌の危険がはらんでいます。経済の完全なマヒ状態です。
【2013年】ツイッターつぶやき
10万円か、100万円か、1000万円か。。。。。個人差があるにしてもその貯金を一気に使い果たす快楽は相当な喜びでしょう。それは当てもない給料が上がるという前提でそれを信じきっているならその快楽と喜びは本物でしょう。
安倍総理と自民党と公明党のはしゃぎすぎとも言える快楽と喜びもまた国家の、国民の貯金を経済が回復して企業の業績が上がって利益が出て労働者の賃金も上がってそしてそれは国家の借金も減らすという当てもない前提によるはしゃぎすぎにまでいたる貯金を一気に使い果たす快楽と喜びではないでしょうか?ですから安倍総理が国民に対してそして海外に対して自信に満ちて今の日本の経済を誇るのも本物かもしれません。
しかし財界はそんな甘いせつな的な快楽と喜びは信用していないでしょう。ですから財布の紐は締めて子を産まない金は使わない。賃上げや当てもない設備投資などには使わないのです。そこでいきなり国が日銀に国際を引き取らせて日銀が途方もない貨幣をばら撒いてくれるのですから財界も破顔を持って向かいいれるでしょう。しかしどうやってその金を活用すればよいのか。。。。手っ取り早いのが株や金融商品そして海外の国際も含めた投資なのです。株価が上がれば含み益が増えて経営の好調さを演出できるわけですから。ここでの破顔での快楽と喜びも本物でしょう。
でも、国民はそうは行きませんね。。。。。
もちろん賃金も上がるかもしれないという期待感を持ちながらも、最近ではこの期待感に疑念を持ちつつあります。現実には賃上げも一部での企業で、どうも労働の規制緩和はますます正社員数を減らしていき、いつ不安定雇用に落ちるかわからない。体を壊したりして働けなくなってもどうも社会保障は公助から自助になっているわけですから生活の不安定性は増大するし最悪生活保護でと思っても蒼白には許してくれなくなっている。女房でも働いてくれれば!しかし日本の女性の低賃金は最悪の状態である。親の自立も年金制度や公的健康保険や介護保険も負担が増えそうで公助から共助となり子である自分の個人的負担は増えそうで、まさか親に早く死ねともいえない。でも、親の年金は魅力的だなぁ。。。。と。
結局は安倍総理や自民党・公明党がはしゃいで国民の貯金を使い果たそうとしているわけです。その金は企業や富裕層に回ってギャンブル資本主義(ねずみ講的金集め)はいつか破綻する。そうすれば国民は企業や富裕層を助けるためにまた金を使う。
こういう状態に日本があるとするなら、国が国民の貯金を使い果たす快楽や喜び、そして財界が破笑で日銀資金を活用する実態をどう見るべきでしょうか?勤労国民として。。。。。マジで行われる「貯金を一気に使い果たす快楽」社会。
この「貯金を一気に使い果たす快楽」は、何も金だけではないのです。平和主義や民主主義や福祉国家といった国民の権利も戦後作り上げたものを一気に使い果たしていく快楽や喜びになっている。
ここらで日本の勤労国民あるいはマスコミそして有識者が自分のためにも孫子のためにもマジで日本を見つめなおさねばならないでしょう。。。。。
【2014年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストに「「安定した雇用」という幻想。~雇用のリスクは誰が負うべきか?~」という記事がある。
安定した雇用は安定した賃金を生む。安定した雇用は年功序列型賃金とセットとなって。
この日本型ともいえる雇用形態と賃金形態が企業にとってリスクなのでしょうか?しかし日本の高度成長を支えたのがこの安定した雇用(過去規制)と年功序列型賃金であったという事です。もちろんこの安定した雇用と年功序列型賃金は労働者側の要求により総評が中心となって守られてきたともいえる。
しかし派遣労働関連の方によりその派遣社員の職種範囲の拡大が続く中で、この雇用の安定は損なわれはじめそれは同時に賃金の低下傾向をも引き起こした。それが日本型の失われた20年ともつながりいまだにその影響は続いている。アベノミクスにおいて慌てふためいて賃上げの必要性が言われはじめましたが、雇用の不安定さをさらに増大させるような動き(雇用統計で100万人の雇用が増えたとはいえ不安定雇用が増えて正規雇用が増えない現状)が起きているわけですからさらに日本の景気の立ち直りを遅くしていくでしょう。
安定した雇用と年功序列型賃金が日本型ともいえるとするならば、不安定雇用の増大と低賃金化もまた日本型不況を生み出しています。
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
男の手料理というほどのものではありませんが、久しぶりにピーマンの味噌炒めをつくりました。
細切りピーマンを味噌で炒めるだけなのですが美味しいです。
味噌は、味噌・砂糖・みりん・酒・七味唐辛子でよく練っておきます。
さっと炒めたピーマンに合わせみそを入れて少し水分がなくなれば出来上がりです。
このピーマンの味噌炒めを炊き立てのご飯に乗せながら食べるのですが、これがおいしいのです。
勿論日本酒のおつまみにも。
【2018年】ツイッターつぶやき
昨日は早起きをして西伊豆にドライブに出かけました。
ドライブといっても観光地は何度か言って行っていますのでどこもよらずにおいしいものを目当てに。
とは言っても晴れて暖かでしたので駿河湾を挟んだ富士山や海岸の景観などを楽しむことができました。海を挟んだ富士山というのもまた美しいですね。
美味しいもの目当てのドライブの目玉は「塩(潮)鰹」。
正月の縁起ものですから今週から正月休みに入るまでに売られるようです。1本買ってこようと思ったのですが、ものすごく塩辛いものですから食いきれないと困るのでビニールパックされた半身にしてしまいました。1本買ったものとビニールパックされたもの。。。。ううう・・・・ん、味は同じなのか?すごく後悔をしています。
夕飯の時に焼いてみましたが油ものっていてうまかったです。でも、塩分がキツイッ~。。。。。小さな一切れでごはんなら何杯も食えます。日本酒の肴にチビチビかじりました。よく噛むと鰹の風味が出てきて日本酒に合います。
塩分を抜くにはすし酢を作って一晩ぐらい漬けておくといいというのでやってみました。鰹の生臭さを消すためにゆずの皮を少し入れました。今朝つまみ食いをしたら案外うまいです。今夜の酒の肴。。。。。。
塩鰹のふりかけのようなものもありましたので買ってきました。お茶漬けに最高です。
塩鰹以外のドライブの目的の一つが「塩鰹うどん」と「桜葉もち」。
塩鰹うどんはたぶん釜揚げをしたうどんをどんぶりに入れて焼いた塩鰹をほぐした乗せ、海苔、ワカメだったか?、鰹節、カイワレ大根、かまぼこなどを乗せただけのもののようです。おばあちゃんが「豪快にかき回して食べな」というのでさっそく豪快にかき混ぜたら上に乗っていたものがわからなくなりました。熱い釜揚げのうどんと塩鰹の塩分がいいですなぁ。。。。。
「桜葉もち」は塩鰹の田子町から少し車を走らせた松崎も美術館近くにある桜味堂。店内で一つ食べましたがおいしいです。粒が残った餅で餡子を包み、桜の葉の塩漬けを2枚でサンドしたような和菓子です。桜の葉の香りと塩辛さがいい。。。。。
8個入って1080円です。
あとは西伊豆に向かう県道に合った牛乳屋さんで濃くておいしい牛乳を飲んだり(かーねびに登録しようと思っていたのに忘れた)、戸田に立ち寄りタカアシガニの爪や肩の部分だけを買って帰り巻いた。まるまる1匹あるいは太い足というのは持ち帰りはできないようで、食堂で食うしかないようです。幻のカニ。。。。。一度は1匹食ってみたいですなぁ。
平日のドライブはいいですね。観光地もすいているし帰りの高速道の渋滞もひどくないし。
【2019年】ツイッターつぶやき
もうすぐ正月ですなぁ。。。。。
またお節料理づくりに。
2月のガス料金を見るとびっくりしますが、ガスの使用量も上がります。
コンビニも元日ぐらいは休みになるところも出るそうですし、いつも行くスーパーも正月の休みが多くなるそうです。正月といってもいくつかあるスーパーの内一つぐらいは開いていましたが、今年は少し多めに買い出しをしておく必要がありそうです。
政府は働き方改革といっていますが、現実は消費の減少だと思います。客が少なければ店を開けていてもねぁ。。。。
今日は実家のほうへ出かけますが、近くの生鮮食品をそろえたスーパーがありますので少し買い出しをしてきます。といってもまだ黒豆とか昆布とか田づくりとか乾物中心ですが。
今年も8品作る予定です。29日から3日間でささっと。。。。。
明日は冬至ですからカボチャとか柚子も買ってこよう。
【2020年】ツイッターつぶやき
さっき、風呂に入ろうと衣類を脱いでいたら、なんと5枚も着こんでいました。
寒いと1枚づつ着るものを増やして。。。。。
東京も冷え込んでいます。わが家は毎年暖房はほぼ炬燵一つですから。とは言っても脱衣場に電気ストーブぐらいはありますが。
今日は冬至。
カボチャを煮て柚子湯の入りました。
毎年冬至になるとほっとします。あとは年越しで1カ月もすれば春ですからなぁ。。。。。
冬至前の寒さには眉を寄せて耐えていますが、寒さはこれから本番ですが「寒い」という声もどこか明るくなります。
コロナ騒ぎでこの1年は早かったですねぇ。
【2021年】ツイッターつぶやき
明日は冬至なのでカボチャを買ってきたのですが、今年は小豆と一緒に似てみようと思い小豆も買ってきました。一晩水に漬けておくものと思っていたのですが、大納言小豆は水に漬けてはいけないそうです。
コトコトと煮るしかない。。。。。
カボチャなどの野菜と小豆と一緒に煮たものを「いとこ煮」というらしいですが、いとこ=従兄(従妹)?なぜ?
「甥 甥」で従妹らしいですが。。。。。
かぼちゃは夏野菜といわれていますが、なぜ冬至に?
神様にお供えしたものを調理するそうですが、カボチャは日持ちがしますね。でも夏野菜ですからなぁ。現代は保存方法が発達していますが昔はどうしたんでしょ?
まぁ、とりあえず明日はいとこ煮を作ります。
冬至が過ぎるとクリスマスでケーキ作りの予定。そしてすぐにおせち料理づくり。。。。。ウウウ
【2022年】ツイッターつぶやき
命あるもの
六道輪廻を繰り返す
地獄に行って
針の山を歩くのは苦しい
餓鬼となって
人糞を食らうのは苦しい
修羅となって
血で血を洗うのは真っ平だ
畜生世界で野良犬もつらいだろう
人の世に生まれ
思い憂うのもつらいものがある
天に生まれれても
死を憂うだろう
六道輪廻にさまようのは
命あるものの定め
しかし解脱して
仏の世界は無でしかない
思いを起こせば憂いが生じる
思いのない世界は無である
無の世界は退屈だろう
天に生まれれば
思い煩うこともないかもしれないが
唯一の憂いが死とは苦しい
と、なれば
人の世が一番よいのかもしれない
思い憂うから苦もあるが
思い憂うからこそ楽があり
思い煩うから執着もあるが
思い煩うからこそ楽しみもある
だから人は六道輪廻の中に
少しづつ発展をする
この発展は人の世にしかない
発展は永遠に終着駅はないが
終着駅に向かい続けるのが
人の世の定めだろう
六道輪廻は
人の心に。。。。
現実と心
現実世界から降り注ぐ粒子
心が焼きついてしまうようだね
(昔書いたものです)
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