夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月16日という日」

2024年10月16日 07時41分40秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
うううう・・・・・
昼食はファミレスに行きました。会計をしようと思ったら、僕の先に6,7人のおばちゃんのグループが。
そしたら一人一人会計をはじめた。こんなときって、普通会計を済ませる前に誰かがお金を集めたりしませんか?僕たち男ばかりだと、このぐらいの人数でお昼を食べたりのみに行ったときには、一番若いやつに金を集めさせて、払うほうは少し多く出し合い残りをその若いやつに払わせるか、誰かしらが集めて「消費税は、俺が持つ」という具合なのですが。。。。。
今日は、ほかにもおじいさんともう一人の二人で食事をしていたのですが、おじいさんを残して連れがお金をいくらか払って出て行ったのですが、残りの金をそのおじいさんが払うだんになり、どうしても計算が合わないと文句を言い出しました。
そんなことでイライラしました。

からくりからくさ              (新潮文庫)

梨木 香歩著日本の紬、西アジアのキリム。
どちらも雪深い山々に囲まれたような寒村の女性たちの家を支える収入源です。女性から女性へと伝授され続ける技術。現代人はそれを伝統工芸あるいは芸術としてとらえるが、昔の女性は家制度そのものを伝えることともつながり、切り離せないものであった。それは「家」を守ることでもある。
家を守るということでは、男も女も同じである。しかし、男はその家を守ることは外への働きであり、うちでは家長という立場で振舞う。女は、その男を支えること「家」の中に押し込められての守るということである。狭い家制度の中の女性。その中には喜びもあったろうが古臭い家制度の中でのつらい日々を送る。
紬にはそんな女性の思いが込められている。それはあるときには紬の文様となり、東西の文化の中で文様が伝播したようにその共通した文様にその女性たちも思いが表れている。それは伝播したというよりも女性の思いが共通したものであり、その思い自体の共通性を表している。
紬は同じ文様を繰り返し繰り返し織り込まれる。そのパターンを崩して違う文様を古い文様から引き継いで表すことは難しいらしい。それは同じように、家制度の中で苦しんでいる中に違うパターンを家の中に持ち込むのが困難な女性の立場に重なる。嫁として苦しみ、その苦しみを姑になってから嫁に同じ思いを繰り返させたくないと思うが、家制度そのもがそれを許さない。女性は同じ文様を後世に伝えなければならない。しかし、これも奥底には女性の苦しみそのものが伝わるのである。
主人公の蓉子は、「りかさん」という古い人形と話を詩ながら育ってきた。祖母から教えてもらった自然からの恵みをどう受け取ったらよいのかを知っていた。人形のりかさん自体が祖母を通した家制度そのものを受け継いでいるかのようだ。その祖母が詩に、古い家に紀久、与希子そしてアメリカ人のマーガレットが下宿人として同居するようになった。紀久は紬を織り、与希子は、キリムを織る。マーガレットは西アジアの古い織物を織るクルド人の血を引く。
「りかさん」を通じて紀久・与希子の血のつながりと蓉子との関係が次第にわかってきてそこには古い家制度があった。大学生という年頃の女性たちは現代っ子であるが、古い織物を織り研究する。蓉子は染色。現代っ子が古い伝統工芸を受け継ごうとすること、それは古い家制度の中の女性の苦しみを知ることでもあった。それも血がつながった祖先を持ったり古い人形とその祖先のつながり。
小説の中では、その古い家制度の崩壊、それはつむぎという技術そのものの崩壊でも合ったが、紬を通してその文様に現れる女性の思いを生産するように進んでいくと思う。三人はそれぞれの技術を合わせて一つのオブジェを作る。その中にはりかさん自体も加わる。自宅に展示されたとき、古い家制度を知る与希子の父親がタバコの火をオブジェにつけすべては灰となり、蓉子の古い家も燃え尽きる。これは古い家制度そのものの清算ではないか。りかさんも燃える。
与希子の祖先赤光は、能面師。後に人形師になり「りかさん」を作る。能面の女の面は、若い女性、中年、鬼女、般若となり、最後に竜女になるという。赤光の作った能面は、竜女だけがなかった。三人の女性たちは、オブジェが燃えるさまを見て、その中に竜女を見た。竜女とは、古い家制度の中での女性の思いであったのか、それを形として表れたのが炎であり破壊であったのか。赤光の能面もここで完成する。
蓉子は焼け残った家の台所だけはそのまま引き継ごうとする。古いものを引き継ぎながらその中にある女性の思いは生産する。それがその三人の女性たちの生き方か。。。。。。
紀久の書いた紬を織る女性たちの思いをつづった論文が出版をされることになるが、大学の男の教授は名もない学生の女が書いたものだとして、その紬を織る女性たちの思いを抜きにして自分たちの協会のものとして出版しようとする。女性たちはそれではならないと食い下がる。妥協はあるがそのままの中身で出版をされる。ここにはやはり「どうせ女の書いたものだから」という社会制度の古いものが残っておりそこを清算する過程のように思われる。
生き生きとした女性。過去を清算し生きようとする。しかしこの三人もまた新たな家制度を築くのではないか?それは仕方ないとしても古い時代の女性たちの思いは繰り返さないだろう。

【2004年】
寒く感じる一日でした。
佃島に行ってきました。隅田川の河口付近を江戸時代に埋め立てられた漁師町です。100間四方といわれる狭い地域です。船着場や狭い路地が昔の面影を残していますが、建物は近代化されています。その中に古くからある佃煮のお店が4軒ほど残っています。
佃島を囲むように近代的な超高層マンションが立ち並んでいますが、この古い町区画と近代的なビル群の調和がまた楽しい眺めを作っています。
佃煮を買ってきました。
その後佃島近くの月島でもんじゃ焼きを食べました。お好み焼きの様でお好み焼きではない。。。。ソース味がベースになっている汁気の多いものです。小麦粉の入ったこの汁がとろりとしてきたときが食べごろです。関西方面の方はなじみがないのでは?

【2005年】
昨日の日記の曜日が間違ってましたので直しました。
地震がありました。東京も震度4ほどあったようです。
出かけていて、電車に乗っていたのですが、少し電車も止まりました。
今日は焼肉でした。
豚のばら肉に少し塩を振って焼いたものが我が家の人気。油が鉄板に残るのですが、こまめにティッシュなどでふき取ります。案外油を取り除けているのではと思うのですが、、、
健康関連のテレビ番組をよく見るのですが、1,2週間で3キロほどやせたとかよくありますが、聞いた話では、3キロほどの体重減は簡単だそうです。風邪をひいて寝込んだだけでもこのくらいは減るのでは?一度やせて今日の我が家のように焼肉となればすぐに戻ってしまうかなぁ。。。ハハハ

【2006年】
もう熱帯魚はやめて昔のように金魚にしようと左記の日記に書きましたが、対に金魚を買ってきました。
熱帯魚は?
金魚と同居してます。。。。
熱帯魚はネオンテトラのような小さな魚ですし、金魚も性格はおとなしい。金魚は水温25度ぐらいの熱帯魚と同じ水温でもだいじょうぶだし。。。。
今のところ仲良く同居してます。
何かあったらかわいそう。。。。でも、ペットショップ屋さんも笑いながらまあだいじょうぶでしょうと。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
日本でも脱原発を訴える集会やデモが行われている。そしてニューヨークやヨーロッパの格差社会へに怒りの集会とデモが行われ、1%の裕福な人々(それはウォール街の人々という表現だが)と99%の人々との格差を大きく取り上げられた。これは裕福な人々や企業中心の社会への怒りだろう。この格差社会に怒りを持つ集会やデモがネットを通じて世界80か国で「反核さでも」として広がり、それは日本にも広がりを見せようとしている。特に日本は福島の原発事故による東電という独占企業のやり方を通しても巨大企業への不信感が強まり、それを擁護するような国にも目が行き増税・年金の動きに官僚にも目が向き始めている。もちろん格差の拡大は日本も例外ではなくて原発事故以前から格差による矛盾に静かな怒りが出ていた。
脱原発と脱格差社会は当然に結び付くものである。
しかし、この格差の拡大は、当然に資本主義の経済的矛盾の表れの増加とともに現れている。先進国もそうは国民の豊かさを言えなくなり、1%の人々同士の闘争は99%の自国民を巻き込みその犠牲において生き延びるしかなくなっている。豊かさのために企業を守るという日本的お家芸は破たんをしつつある。
経済的混迷は必然的に政治的混迷を引き起こす。日本の二大政党制の化けの皮がはがれようとしている。
以上書いたことの中に国民は一人一人がバラバラに生きているわけであり市民社会の混迷を深めている。まさに急な停電にパニックになり騒ぎ叫ぶような状態だったかもしれない。しかしそこには必ず冷静になろうと考え始める人々も出てきた。停電で騒ぐだけでは何の解決にならないことを知り始めている。同じように市民が街頭に出て自分の意見を言うだけならば停電で騒ぐだけに人々と違いはない。その中で自分たちの貧困は自分の力不足や能力が低いからと個々人が考えるのではなくて、どうも社会のシステムの中に貧困は作られそれによる相対として富裕層が生き延びている事を見るようになる。もちろん停電が収まったわけではない、どうすればよいのかのと市民たちの結束の芽が出はじめたばかりである。
ここにアメリカやヨーロッパでは労働組合が結び付いている。日本ではやっと少しづつ連合も動くかという時期でしかないが。ヨーロッパの社会民主主義的な政党、日本での社民党や共産党。これが市民運動と並行した両輪となる可能性は高い。混迷する市民はその向う方向への道を切り開かねばならない。労組や政党もやはり市民との共通のものへの道を切り開かねばならない。
だんだんと統一戦線的な大きなうねりが必要になってくるだろう。
資本主義版の「連帯」や『ペレストロイカ』が必要になるかもしれない。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
ドイツの自然エネルギーの発電は全発電量の20%に達したという。
日本はというとほぼゼロに近い。福島での原発事故の後原発での発電量はゼロとなりそのかわりとして火力発電が増えている。これが今の発電の状況でしょう。
火力発電はCo2の排出が多いと言われ、石油エネルギーの枯渇やガスにしてもその輸入価格が問題とされる。この中で原発の再稼働が言われます。一方自然エネルギーでの発電は、脱原発という意味合いから提起され続けてきた。
しかし、どうでしょう、今年の夏は原発ゼロでも電力を確保できた。この事実からすれば、原発はゼロでもよいという事は確かでしょう。この場合の自然エネルギーでの発電の位置づけはどうなるのでしょうか?自然エネルギーでの発電は、すでに脱原発への位置づけではなくて、火力発電の諸問題の解決に向けた位置づけに変化したのではないでしょうか。ここで危険な途方もないリスクを背負う再稼働よりも自然エネルギーの発電を基本とすべきではないでしょうか。
日本で仮に全発電量の20%を自然エネルギーからとしたら、火力発電は相当減るでしょう。現在の火力発電依存を80%とすれば、自然エネルギーが20%となった時火力は60%に減少します。この60%という数字は、原発が多く稼働していた時期と同じほどでしょう。(以上朝日新聞「上期の電力量横ばい」の図を参照しました)言い換えれば原発を今後多く再稼働させても火力発電の割合はそうは大きく減るものではなく、そのリスクを考えれば自然エネルギーを使った時の火力発電の依存度が同じならばその方が良いわけです。すでに海外の約束したCo2の削減目標は発電部門で言えば再稼働をしたうえさらの原発をつくって実現するというのはありえないことでしょう。
自然エネルギーの最大化を目指すことが今の最善の方法でしょう。
しかし太陽光発電はメガソーラーの建設だけでよいのでしょうか?もちろんメガソーラーも急がなければならないのは事実ですが、しかしそこには発電会社というものが新たに表れるわけで、企業利益が絡んできます。そうすると買取価格の問題からドイツのように電力料金が値上げされるかもしれない。
電車から外の景色を眺めていてふと思ったのですが、たくさんの家が密集する東京の町では個人の家やビジネスビルなど小さな太陽光発電の普及の方が良いのではないかと感じるのです。莫大な面積のソーラー発電所が東京に現れます。もちろん個人ですから個人が電力会社に売ったりもしますが、視点を変えて太陽光では足りない電力を電力会社から今までと同じように買うようにすれば、この太陽光発電はある意味電力会社から買う電力への節電効果を生みます。こうすると一般家庭の電力料金の負担は少なくなります。値上げされた分を相殺する効果があります。このような節電と同じ役割をすれば電力使用量は減ってそれは電力の市場価格を下げるでしょう。節電効果を期待するための太陽光発電パネルは低価格が良い。その意味では低価格となればなるほど消費量は増えて製造する企業の利益も確保されます。

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理の所信表明演説にある「意思の力」については昨日書きましたが、この観念論的な未来への願望と対をなすのが末法思想的なやはり観念論的な論理ではないかと思います。
BLOGOSに「『歴史の終わり』の時代には日本の思想が輝くかもしれない」という文がありますが、そこに「つまりは「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」というような近代の目標が西欧では19世紀末ぐらいに成し遂げられてしまった結果、いまは「近代であること自体を再帰的に目標にする」というような状況になってしまっているということ。これが再帰的近代=ポストモダンです。」という言葉が引用されている。
安倍総理もねじれ国会は解消されたとし、以前から民主主義がねじれ国会を引き起こしているといった論理が一部の政治家や学者からも出ていたと記憶する。
「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」などを仏の教えと仮に置き換えるならば、この教えは資本主義という仏が人間界に存在するときに達成されて仏が入滅をして500年たった今はその教えも消えるといったある意味末法思想のような「歴史の終わり」という論理が出てきているのでしょうか?
「意思の力」によって社会を前進させるという論理も間違いなのですが、資本主義は「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」を実現してしまったので歴史が終わったのか?
仮に資本主義の役割が終わったとして見ても歴史は終わらないのですし、資本主義自体にはまだ発展の可能性を持っている。
「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」といったものは実際には達成されてこなかったのであり、新たな形での「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」が社会が求め始めていると理解すべきなのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
株価や物の値段が上がることが経済成長か?
もちろん生産が伸びて消費も伸びる中で企業業績があって株価も上がり消費の過熱から物の値段が高くなり貨幣量が足りなくなってインフレ傾向を示すことは経済の成長を現すでしょう。
しかしこれを逆さまにしてしまって物の値段が高くなったり株価が高くすることが経済成長かといえばそれは違うでしょう。今の日本のアベノミクスで円安と消費増税の価格転嫁での悪性の物価高が経済の成長を現すかといえばだれが見ても納得はしないでしょう。もちろんこれで利益を上げている企業や個人にしてみれば経済は成長していると勘違いをしてしまうでしょうが、その裏では悪性の物価高に苦しむ多くの一般国民が出てしまっているわけですからその一般国民の消費を抑えている現状はとてもじゃないが経済成長とは言えない。資産が低い方から高い方へ移転しただけである。
社会の中で労働によって新たに作り出される価値は、商品やサービスという「形」になる。その商品やサービスを作り上げるには生産設備などが必要なのだがその生産設備なども減価償却のような形をとって商品やサービスに価値移転される。その商品やサービスの中には高級品や贅沢なサービスも含まれるが多くのその商品やサービスは大衆消費財として消費をされる。1個数百円千円というチョコレートよりも1箱150円のチョコが多く消費をされるでしょう。この大衆消費財は多くの一般国民が消費をするものです。ここでこの一般国民の収入【資産】が高いところに吸い上げられるなら社会の中心にある大衆消費財の消費は停滞をするでしょう。
これでは経済の成長はないのです。
経済成長のないところに金がだぶついていくわけですから資産インフレ(バブル)は必然的でしょう。この金は子を産まなければ使われない金です。使われてもギャンブル的な似非経済法則によって消えてなくなる。
量的緩和のあぶく銭は吸収(引き締め)はできない。
泡と消える金を見ながら一般国民はさらに貧困化する。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから
原発セロゼロを将来的に目指すという考え方は多いと思う。しかしその理由となるとはっきりしない。電力会社の利益や電力の安定などがあるのでしょうが、現在日本はほぼ原発ゼロ状態です。すると再稼働というものが出てきますね。それは安全神話を信じてです。しかし原発事故は取り返しがつかない。
神戸製鋼のデーター開山改ざんの実態が広がっています。最近は日本を代表してきた企業の矛盾の実態がたくさん現れている。福島原発の事故も同じようなものでしょう。企業の自己規制も働かなくなり、政治も縦割りのような堅苦しさが出ている。労働者も国民としてもそれに逆らえないで忖度する。日本は委縮する
原発再稼働は最終的にどこが安全宣言を出したのでしょうか。国?規制委員会?電力会社?自治体?。。。たしかなのは国民は安全宣言を出すことはもちろん安全という根拠はわからない。この中で安全神話がまたつくられてしまったのではないでしょうか?同じように、今の日本はテレビ番組にもあるように「日本はすごい」といった神話によって成り立っているのではないか。そのすごいという日本をけん引するような企業の不祥事が発覚したり経営難に陥っている。国は福島原発事故は完全に終息しているといった宣言を出すが核燃料の抜き取りはいつになるのかわからないし汚染水問題も限界にきているのではないか。経済は成長に向かっているという分析は出るが、国民生活を犠牲にしながら株価や企業利益を守っているにとどまっている。これもまた国家そのものが神話の世界に入り込んでいることになるだろう。
これらのすべての神話が一つの道を作り上げようとしてる。北朝鮮問題と改憲です。強い日本もまた神話であるような気がする。
たしかに日本は高い技術力を維持しているでしょう。しかしなぜこの高い技術力があるにもかかわらず巨大企業の矛盾が現れてしまったのでしょうか?
日本の優れているものを活かせなくなった国家のシステムがそこにはあるのではないか。
この根本的な原因は、国家や企業が国民あるいは従業員を統制すれば利益があがるという神話に陥っているためです。このような国民・従業員統治は瞬間的には見える利益を生むが、時間の経過の中で生活に疲弊をした国民や従業員がそこには残り、自由というものを自己規制する国民や従業員もまた残る。ここまでくると国や企業に忖度する人々が多数を占めることになる。忖度は、嘘でも偽りでも何でもよいのであり、忖度が自分の生き残りと利益と考えはじめる。逆らうような人間は損だという常識が出来上がりニヒルな笑みを浮かべる。これもまた国民や従業員が得だと考える神話となるのである。
ここまで神話が完成すると、その神話が人間を縛ることになる。それはついに国家の中枢や企業の中枢の人間にもおよび、物神崇拝という神官ばかりがその神の言葉として力を得ていく。
神話の危うさの危うさは唯物論的に社会の中に現れる。
危うさが衰退を示し始める。

【2018年】ツイッターつぶやき
朝日新聞1面と4面に世論調査が出ていました。
以下、数字は引用です。
内閣支持率は「支持する」「支持しな」ともに40%でした。
政治の重要性は政策にありますが、支持するという人の理由での「政策の面」が16%で、支持しないという人の理由では「政策の面」が37%でした。
まだ支持率はそうは下がっていませんが、安倍内閣への国民の意識は変わりつつあるのかもしれません。これは自民党総裁選の地方票にも表れていたと思います。
安倍内閣に一番力を入れてほしい政策は、社会保障が一番多く30%。一番少ないのが憲法改正で5%です。安倍内閣が一番切り捨てたいのが社会保障で、一番力を入れているのが改憲ですから、国民意識と安倍内閣の乖離は激しいと言わざるを得ません。
すでに安倍内閣は来年10月の消費増税10%に意欲を示しました。
軽減税率などの対策は行うようですが、日常生活には大きな負担が生じるでしょう。消費税は社会保障にと言われていますが、朝日新聞世論調査では社会保障に期待できないという人たちが高齢になるほど大きくなっています。
その他北朝鮮に対する拉致問題でも期待できないが期待出来るを上回っています。
安倍内閣は民主党政権からの政権交代で国民は「期待」をもって支持しました。しかしだんだんと安倍内閣の政策面での実態が見えるようになり期待自体が薄くなっているとみることができる。
モリカケ問題や大臣の不祥事により信頼性も低くなっているでしょう。世論調査の「期待できる・できない」には当然この信頼性が絡みますね。

夕方になったら少し肌寒くなりました。
ということで今夜はけんちん汁を作りました。
トン汁にしようかと迷ったのですが、あっさりしたほうがいいかなと。。。。。
具材
豚肉(我が家は肉なしでは文句が出ますので・・・)、白菜、大根、こんにゃく、サトイモ、長ネギ、ゴボウ、しめじ、えのきだけ。
汁の味付けは、塩、みりん、しょうゆ、ごま油、だしの素。
塩を多めにして醤油は少しです。
具だくさんで野菜のおいしいスープがいいですなぁ。。。。。
秋も深まりまた寒くなります。鍋物も多くなりますが、トン汁やけんちん汁も作る機会が多くなります。まぁ、簡単でよいのですが。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
ノーベル経済学賞が発表された。 今年もアメリカの大学からの受賞でした。 今回は貧困をなくすための実践的(実験的)な活動を重視する開発経済学というジャンルの受賞だったようです。 貧困をなくすという中身は発展途上国や貧困な国への援助の在り方から導かれるようです。 子供の貧困ならば子供の生活全般から洗いなおしてどこに援助を与えればよいかグループに分けて実験をするようなやり方なんでしょう。 アメリカは寄付社会と言われていて多額の寄付をする富豪がいる。 この寄付の延長線に貧困国への援助があるような印象です。 このような寄付のような援助のような形での貧困層を援助すること自体は間違いではないし必要なものです。しかしこれは真に貧困をなくす経済学理論ではない。 アメリカの寄付社会も富裕層が貧困層に寄付をするが、その富豪の富はだれが作り出すか?貧困層をはじめとした低賃金層の犠牲からです。これを見ても寄付により貧困をなくす論理は間違いであるとわかるでしょうし、経済学的にも誤りです。 開発経済学の中にはマルクス主義の流れもあるようで、先進国と途上国の経済的格差は先進国の搾取や収奪に原因を見ます。先進国内の貧富の格差の拡大を見てもこれと同じ論理が当てはまるでしょう。 ノーベル賞が真実を見ないとその権威は落ちていくでしょう。しかしそれがノーベル経済学賞の限界かもしれません。

【2020年】ツイッターつぶやき
夕方のテレビニュースで、風邪をひいて会社を休んだ女性が診断書を出せといわれたと。
今の社会風邪ぐらいで休んでも診断書を出せという理不尽な会社はないでしょうが、コロナの感染が進んでいますから診断書を求める企業も今後多くなるかもしれません。
またPCR検査を求める企業も出ているようです。
これから風邪ひきも多くなりますしインフルエンザもはやりはじめます。そして頃の感染もあり得ます。風邪なのか、インフルエンザなのか、コロナなのか。。。。。。
国はコロナ対策で10兆円の予備費があります。これを使って風邪でもなんでも診断書を企業や学校などから求められたようなときは国で診断書の費用を補助すべきです。もちろんPCR検査も無料にすべきです。
診断書やPCR検査は大きな負担となります。
診断書を出せといわれること自体、PCR検査を求められること自体が精神的にも大きな負担となりますが、無料にすることで気持ち的にも螺君になるのではないでしょうか?
もちろん企業や学校側も診断書やPCR検査を求めるのですから企業負担としてもよいでしょうが。

【2021年】ツイッターつぶやき
ベランダのプランターがさみしいので花を買ってきました。
「スミレ」です。
スミレというのは花屋さんでもあまり見なくなりましたね。
スミレ、パンジー、ビオラの違いって?
ビオラやパンジーはスミレを品種改良したものらしいですが、これは野生のスミレの品種改良ですよね。
でも今花屋さんにおいてあるスミレもまた野生のスミレを品種改良したものでしょう。
するとスミレ、パンジー、ビオラの区別がまたわからなくなります。
3,4年前にもスミレを植えたことがありますが、花の大きさがビオラほど小さくなくパンジーほど大きくもなかった。まぁ、花の大きさで名前が決まることもあるのかな?
ネットで違いを検索したのですが違いが明確ではないですなぁ。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
「1万元を円に「脳内換金」してみると、10年前は12万円、今なら20万円。おぉ、たしかに増えている! なるほど……」(幻冬舎)
ドルに対する円安はこのままだとそろそろ150円に迫りそうですが、日本ではほとんど報道されない中国の減に対しても空前の円安となっているようです。
アメリカとの為替は、アメリカの金利高によると見ればわかりやすいのですが、日本と同じように金利を上げない中国にないしても円安が進んでいる。最近はコロナでの入国規制が緩和(撤廃)され外国人観光客が多く入国していますが、それも円安が影響しているようです。
円安が為替の影響だけではなくなっているというのは深刻でしょう。
やはり日本は経済的に力を落としているということでしょう。そして国の債務とそれを補う日銀の財政ファイナンス。
円安は国の信頼を下げるということでもあり、民間レベルでは安い国となる。
その中で政府は外国人観光客の爆買いに期待する。たしかに爆買いしやすい円の力の低下ですからね。。。。
日本人は気楽に海外旅行はできなくなる。これもまた貧乏化です。

【2023年】ツイッターつぶやき
テレビニュースではインバウンド効果が出ているとされています。コロナ対策が行われなくなり外国人旅行者が急激に増加しています。
しかし日本人が海外に旅行に行くのは伸びていないようです。
円安ですから外国人はお得感があり日本へやってきますが、日本人は旅行費が高くなりましたからそうは気楽に行けない。また世界的な物価高に対して日本の実質賃金が上がっていませんからね。
こうした現象も今の日本の経済力を反映しているのでしょう。

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