夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2025年 1月 9日(木)「ロサンゼルス山火事」

2025年01月09日 21時56分12秒 | 「思うこと」
ロサンゼルスの山火事がすごいようですね。
市近郊のセレブが住むところも避難が始まっているようです。
市を囲むように三方から火の手が上がっている。
火の広がりは風にあるようですが、火災が大きくなれば風も強くなるでしょう。
毎年大陸では山火事が起きる。気候の変化もあるようですが、今は冬ですからね。
東京も寒波に襲われ総長は1度か2度ぐらいまで冷え込んでいます。
強い北風がないのは幸いです。
東京は40日間も雨が降らず乾燥していました。大きな火事がなかったことは幸いです。
火の用~心。。。。
年末にはあっちこっちから拍子木と火の用心の声が聞こえました。
火災に対する消防設備の強化はもちろん大切ですが、火の用心もまた大切ですなぁ。。。。。
ロサンゼルスも火の用心の運動が大切かも。
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「1月 9日という日」

2025年01月09日 07時55分13秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
ロサンゼルスの山火事がすごいようですね。
市近郊のセレブが住むところも避難が始まっているようです。
市を囲むように三方から火の手が上がっている。
火の広がりは風にあるようですが、火災が大きくなれば風も強くなるでしょう。
毎年大陸では山火事が起きる。気候の変化もあるようですが、今は冬ですからね。
東京も寒波に襲われ総長は1度か2度ぐらいまで冷え込んでいます。
強い北風がないのは幸いです。
東京は40日間も雨が降らず乾燥していました。大きな火事がなかったことは幸いです。
火の用~心。。。。
年末にはあっちこっちから拍子木と火の用心の声が聞こえました。
火災に対する消防設備の強化はもちろん大切ですが、火の用心もまた大切ですなぁ。。。。。
ロサンゼルスも火の用心の運動が大切かも。

≪過去の記事≫

【2004年】
ううう。。。。
また麦茶バックと出汁バックを間違えた。。。。。
鍋が沸騰をしたのでふたを開けたら、いつもより濃い出汁がと思ったら麦茶ができていました。味噌を入れなくてよかったです。
あんこが残っていたので、観点寒天を買ってきて水羊羹にしようと作って見ました。今粗熱を取っているところです。さめたら冷蔵庫の中へ。今夜のデザートとして間に合うかな?
ちなみにメインディッシュは角煮です・・・・ことことと煮ているところ・・・・・
布団を干しました。今夜はぬくぬくです・・・ハハハ

【2005年】
久しぶりに角川のホームページをのぞきに行ったら、何と夏生さんの詩集が2月にはつばいと!!
「すみわたる夜空のように」という詩集。
今ちょうど「つれづれノート13」を再読している途中なのですが、そこに「創作意欲がわかない」という文があったのですが、その頃から約1年の間に創作意欲がわいたのかな?そういえばつれづれ13は、後半になると夏生さんの積極性が出ているような気がします。その積極性の延長に詩集の構想が産まれたのかもしれません。
詩人銀色夏生!
うれしいです。
欲を言えばみたかくんシリーズの続きも。。。(笑)少し欲張りかな。。。
また南房総に行ってきました。
館山あたりは風も強くて寒かったのですが、白浜や千倉に行くとほんと温かでした。菜の花も咲き、おはなばたけで花つみがされていました。好きな梅干も買ってきました。店の方の話しでは、塩分はだいぶ強いが、平成初期に漬け込んだものだそうです。なんとなく本物の梅干!という感じがします。
イカの一夜干とサザエも買って来ました。
この辺の名物は鯨なのですが、マンボウも有名らしく、料理屋のメニューにありました。今日は食べられなかったのですが、次回は食ってみたい。白身の魚でした。

【2006年】
成人の日。わが息子も成人式でした。
きれいな着物を着たお嬢さんたち。。。きれいですなぁ。
この頃が一番輝いてますね。
それにしても着物姿が多くなりました。
男連中は。。。渋くスーツまたは羽織袴(笑)
数年前のような荒れた成人式もなくなったようですね。
成人式を思い出そうとしたら思い出せない。。。たしか式典会場には行かなかったと思う。僕たちの頃は成人式なんて関係ねぇ。。なんていう変なツッパリがあった。70年安保の余波も残りそういう違ったツッパリが流行っていたのかもしれない。今はまた違った意味のツッパリはいるが成人式には集まるようです。これはよいのか悪いのか。。。解釈するには難しいいろいろなものが含まれているように感じます。
昔のようにかんけいねぇや。。。というのも変だが、変にお役所の言いなりになって集まるのもやはり変だと。。。。僕のようなへそ曲がりはいろいろと考えてしまう。成人の儀式(二十歳というわけではないが成人の証としての儀式は世界中にあるのだろう)に今の若い人は何を求めるんだろ?体や社会的には成人になるが、精神年齢は幼さが残る。。。そんなちぐはぐさを感じます。真ァ、僕たちが成人を迎えた頃、周りの大人たちも同じことを考えていたのかもしれませんね。こういうことを考えること自体が老人になってきてしまったことなのか。。。
もうそろそろ、3回目の成人式が近づいてくる(笑)
3回目の成人式気持ちだけでも初々しさを取り戻したいなぁ。。。

【2007年】
陽が出ても寒い一日でした。
「今の若い者は。。。。」これは年寄りの口癖でもあり、大人のたわごとである。
たしかに、今年も成人式で暴れたというニュースもあったし、犯罪の低年齢かもあったり、ニートという若者も増えている。しかし大人が作った社会の中で苦しんでいるのはこういう若者なのだ。
7日の「夕螺の掲示板」に「この前、商店街を歩いていたら、すれ違いざまに「こんちわ!!っす」という声。。。誰かなぁと思ったら、息子の同級生でした。」書いたけど、他にもバイト先に買い物に行ったらレジをしながらニコッとする息子の友だち。娘の友達も挨拶をしてくれる。
ところが、近所の大人の中には挨拶すらできない人もいる。
会釈ぐらいする人はまだまし。。。。
こっちから挨拶をすると、下を向いてしまったり、ぎこちない笑顔をする。
こう見ると、若い人に比べてどっちが大人だかわからなくなる。

【2008年】
昨日書いたゴミの問題で思い出しましたが、イタリアでは処分場が減らされて町にゴミが氾濫しているようですね。東京も人事ではないようです。
いろいろリサイクルが始まっていますが、もう一度考え直さねば。。。。
でも、発泡スチロール製の皿をリサイクルに出すには洗わなければならないが、潜在の消費や水の消費は増えるわけでして。。。。
いらに心配でしょうか?
車で安売り店に行って来ました。
ありとあらゆる種類のものが売られていますが、結局買いたいものがありませんでした。あれだけの品数と種類はあるにもかかわらず、大量に売れないものは?
実はシステム手帳を買いに行ったのですが、システム手帳というのはそうは数が出ないからかも知れない。
帰り道新しく出来た住宅展示場が有ったので暇つぶしによってみました。
いやぁ。。。。新しい家というのはいいもんですなぁ。。。。。。

【2009年】
「どこから行っても遠い町」
            新潮社
            川上 弘美  著
小説新潮とyom yomに連載された短編集です。2005年から2008年にかけて連載されたものです。yom yomの連載は読んだのですが、小説新潮のはじめの作品である「小屋のある屋上」から「蛇は穴に入る」までを今回読んでみてこの作品の全体像がわかりました。
短編集といっても連作短編で、
「連続して短編小説を織り成して一つの大きなストーリーにしたものを連作短編とも言う。」 (ウィキぺディア「短編小説」の項目からコピーさせていただきました)
ある主人公の物語という形をとらずにどこかある小さな町の商店街ですれ違うだけの人々のそれぞれを描いたような物語です。人は生きて人と何かしらの形で触れ合う。小さな町の中にもこんな人と人との交わりがあり、ある人にはこの人が交わり、この人はまたあの人に交わる。。。。それぞれに個としての人生があり、その個は他の個と1本の糸でつながる。このような糸は小さな町の中に絡み合うようにつながり切れたり結びついたりしながら絡み合っていきます。そしてそれは時間の経過の中につながりも切れることも新たに作り出して生きます。
魚屋のおばさんにはその人生がある。そのおばさんに客である女性の学校の先生がいてその先生にもその人生がある。その先生には教え子がいてその子供にもその人生があ。い小さな飲み屋の男女には長い人生の交わりがあり、その店でアルバイトをしている学生にも人生があり、客もまた魚屋に働く男としてのその人生がある。
このようなそれぞれの人々の人生は時間の経過の中にまた新たなつながりのある人々をつなげていく。
yom yomで読みはじめたときの印象は「古風な女」であった。「四度目の浪花節」という短編だったこともあるが、小さな飲み屋を開いている女将と使用人の男。その恋が浪花節的である。年上の女の恋する男への思いやりが帰って男を惑わせたり、男が他の女に手をつける中にその年上の女の苦しみがある。浪花節的なのである。
しかし連載が進む中に主人公が男にもなっていくし、若い女性にもなっていく。「おや?」と思いつつ連載が終わりました。今回この作品としてまとめられたものを読むと、この「古風な女」と感じたものが実は「平凡な人生」なのだと気付きました。古風な女とはどこか片隅で生きていくようなイメージなのですが、この古風な女は同時に平凡な生活の中に生きる女性なのであり、それは若いか年配かにかかわらず、女か男にもかかわらずに平凡なのである。しかし平凡ではある中にその平凡にそれぞれの人の人生は必ずあるのである。僕たちが待ちの商店街ですれ違う人々。時にはどこかで顔を見たようなぁ?そう、スーパーのレジの人とか。そんな人々に人生があるんだと気付かされる思いですし、僕自身もその町の中で誰かからすればすれ違う人なのであり、その僕にこうして人生があります。幸せかといえばそうでもなくていろいろと悲しいものを背負っている。でも不幸かといえばそうでもなくて小さな幸せに顔を輝かせる。でもどこか不幸のほうが多いかな?だからこそその不幸の合間の小さな幸せに喜ぶ。
「平凡、は、平均よりも、なんというんだろう、輪郭が決まらない、感じがある」 (「長い夜の紅茶」111ページより引用)
これが平凡というものでしょう。
平凡に生きる人々の物語。それがこの連作短編集「連続して短編小説を織り成して一つの大きなストーリーにしたものを」のすばらしさではないかと思います。平凡な人が集まって小さな町がある。その小さな町に人という人生の大きなストーリーがあるわけです。それぞれの短編に登場する人々。その人々がおりなす町の空気というのか色。そんなものを感じながらその空気や色という人生という大きなストーリーを感じるわけです。
「おれが決め、誰かが決め、女たちが決め、男たちが決め、この地球をとりまく幾数千万もの因果が決め、そうやっておれはここにいるのだった。」 (「どこから行っても遠い町」264ページより引用)
因果ですかぁ。。。。。。
一人ひとりは平凡にこの世に生を送る。さまざまな因果でその糸は結びついたり切れたりしながら。しかし。。。。「人はやがて死ぬる」(「蛇は穴に入る」100ページより引用)
魚屋の春田のおばさんは、死んでもこの町にさまよう。誰かの心に残る限り。
平凡とはいえ、そこに因果があるのなら誰かの心に残るだろう。その因果は生き続けてこの小さな町に残るのである。
すばらしい短編集でした。

【2010年】
(記事なし)

【2011年】
西伊豆方面にドライブに行ってきました。今回の目的は小アジ寿司と塩鰹。
小アジ寿司は西伊豆町の宇久須というところの名物のようです。柿エキスや蜂蜜を入れたご飯の握りずしで、紫蘇の葉の上にアジの刺身、その上に長ネギとおろし生姜が乗せてあります。醤油皿に醤油をいれて付けて食べようとしたら醤油はじかに寿司のかけるとのこと。。。。。
一人前大皿で13個、小皿で10個でした。大皿にしてみたのですが、13個は多いかなとも、アジだけですから飽きるかなとも思ったのですが、ところが次から次へと口の中へ。あっという間に13個食ってしまいました。ボリュームはもちろん十分です。でもいくつでも食べられるというおいしさでした。やはりアジは季節があると思うのですが、今の季節でも大丈夫でした。5月ごろがいいのか。。。。。
塩鰹は、やはり西伊豆町の田子というところにあります。じもとでは潮鰹となっていました。「しお」か「うしお」か?テレビのワイドショーで見たのですが、この田子というところ(小さな漁村でした)独特のもののようで、塩漬けの鰹を寒い風で干した正月魚だそうです。正月のお飾りだとも?ですから年末ぐらいにしかつくらないそうです。今日行った店は真空パックをしているそうでありました。かなり塩辛いものです。焼くと塩が噴出してきます。これを少し炙ってお茶漬けにしました。かなりおいしいです。。。。酒のつまみにいいかな。。。。塩辛いといってもイカの塩辛のようなもので、少量なら塩分も気にならないのでは?昔の塩ジャケを思い出しました。今は塩分控えめになってしまいもうあまりみなくなりましたね。焼くと白く塩が吹き出てくる鮭。ただしょっぱいというのではなくて魚の風味のある塩辛さですからおいしいしょっぱさです。
小アジ寿司も塩鰹もある地区のおいしいもの。。。。。今はB級グルメとかが流行ですが、これもある特定の地区の味付けや食べ方だったりしますが、小アジ寿司にしても塩鰹にしてもこのある地区だけのおいしいものという面では面白いと思います。

【2012年】
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
安倍内閣が持つ二面性が大きくなりつつある。内面と外面といっては失礼になるかもしれませんが、このような二面性はこれまでの玉虫色とは違ったものとなるでしょう。玉虫色というのは国内外にもどちらとも取れる表現として受け取られるものですが、二面性というのはどちらが本音かがはっきりしてくる性格のものです。色がはっきりする。
安倍総理は中国や韓国そして今ではアメリカも含めて多くの国やマスコミが批判あるいは懸念する靖国参拝を「批判されるから参拝しないというのは間違い」として中国や韓国からの批判に反批判をしています。もちろんこれは私人としての参拝と受け取れることもできるものですが、同時に自民党内では「運動方針 靖国参拝継承」というものになりつつあります。靖国参拝は私人としても自民党は総理大臣をはじめとした閣僚や議員が参拝することを党の方針として決めるわけですから「私人」というものから離れていくことに間違いはないでしょう。
ソウルと国外には私人として参拝したと言いつつ、国内的には内閣総理大臣が参拝したという二面性がはっきりするわけです。これは玉虫色ではありません。当然中国や韓国の反発も大きくなるわけです。日本は批判を批判として受け止めないと国外に向けて発表をしたのですから中国や韓国は日本とのあらゆる協議を受け入れられないとなる。そうするとまた日本はそのような批判はさらに訊かないとなる。
国内と海外への二面性はやはりどちらかの色が濃くなっていくわけです。
これは何も靖国参拝だけを批判しているわけではなくて、さまざまな面でこの二面性が具体的な形として現れてきてしまうということです。国内的にも循環型の経済(金の流れが賃金や財政にも回る)を目指すとしますが、現実的にはアベノミクスの労働の規制緩和や社会保障は真逆な形になる危険性があります。日本経済の復活をアメリカと同じように主張することから経済の好調さをいいますが、その反面実体経済での国民生活に反映されない面が出てくる。先日このブログにも書きました「約束事」にも関連しますが、経済や外交などさまざまなところでの約束事が期待としては大きくなりますがその期待という面と実態あるいは政策面となるとアベノミクスがそのとおりに動いているのかという面が見えるようになる。
二面性が明らかになりそれが現実面でも目に見えなくなれば見えるようになればそれは不信や失望へと向かうでしょう。外交面では孤立です。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
日本の生産性の向上がどのように進められたかを思うに、高度成長期は確かに本来の生産性の向上が行われた時代だったでしょう。商品生産は機械やオートメーションの発達により少ない労働力量でより多くの商品を生産した。不況期もあったが、機械化によって余剰となった労働力は新たな産業や設備投資増に利吸収された部分もあった。もちろん労働者はその中で苦しめられたがそれでも将来は何とかなる程度であっても安心感はあった。
組合運動もある程度活発でストライキを構えながら毎年春闘での賃上げがあり70年半ばには大幅な賃上げもあった。反合理化闘争は労働条件の維持向上に貢献した。野党も数こそ自民党に負けたが、組合や市民団体との連携によりその発言力があった。社会保障も一定程度安定したものとなった。そして平和主義からの逸脱も歯止めをかけていた。
しかしその後経団連を中心とした生産性本部が活発化し、政府による三公社五現業攻撃が深まった。
親方日の丸論で民間と公務員とが分断され、その分断から公務員も民間も互いに労働条件を引き下げる競争に駆り立てられた。大幅賃上げはインフレを招くと否定され徐々に賃上げ率は下がる。
この過程が日本社会が言う生産性の向上という考え方が根付くと担ってしまう。
本来の生産性向上ではなくて労働者からの搾取協が生産性向上だと錯覚されはじめられる。
生産性を上げていく中でバブルが発生する。しかし労働者への分け前は賃上げと言っても多くて5%程度。猛烈な不動産バブルと金融バブル。企業は絵画などを買いあさる。地方にばらまかれた1億円で自治体は金の延べ棒を買うところも。箱もの行政。
今進められようとしている(今は挫折したが)女性の活躍も叫ばれて、働く女性が勝ち組とさらる。
大幅賃上げが下火になり、職場では高齢者が窓際族と呼ばれる。民営化も含めて公務員の労働条件の低下により、民間は公務員も汗をかいているのだからとさらなる合理化。勝ち組だった働く女性は仕事をとるか結婚をとるか。
財政再建は進められなかった。
バブルの崩壊後はさらに労働者からの搾取強化(賃金・労働時間・その強度から)で企業は生き残りを考え生産性向上が安易さを深めていく。
この労働者を犠牲にすることを生産性の向上とする姿勢は今も続いているのです。
しかしこのような生産性の向上が、今では生産性を上げていないことが表面化している。
ずっと低成長そしてゼロ成長ついにはマイナス成長へ。
少子化問題もその中に含まれるでしょう。
個人消費の落ち込みに改善がみられない。そこから国内の設備投資の伸び悩み。
生産性向上運動が結局は日本全体の生産性低下を長い時間かけながらも表面化させているのだと思います。

【2018年】ツイッターつぶやき
パット陽ざしが差し込んだ。
東京は日中17度まで気温があるらしい。
しかし夕方には冬将軍が襲来するという。
冬将軍のいないすきを狙って束の間の春に勇んで床屋に馳せ参じようかと思ったら休みだった。。。。
今は火曜日も月に2回休みだった。。。。
すっかり床屋に行く気も萎えてしまいまたしばらく足が向かないかもしれない。
でも、これから春の精が冬の隙間から顔を出してきますね。
僕の句集に
       芹乃栄清水香る
       水泉動春待つ
という句を載せましたが、七十二候の芹乃栄(せりすなわちさかう)、水泉動(しみずあたたかをふくむ)も冬の隙間から春が顔を出してその兆しを人が受け止めているような気がします。
(以上「暮らしの歳時記」を参考にさせていただいています)
厳しい冬には申し訳ないが日とはだれでも春を待ち焦がれるのかもしれませんね。生活の上では。
今咲いている花も春の花です。
本格的な春までじっと我慢をして一気にたくさんの花を咲かせます。
人も自然界の一員ですから春を待つ心は花たちと変わりないのでしょう。

林修さんが出ていた60年代70年代日本が元気だったことという番組を見ていた。
まぁ、犯罪も元気だったのですがこれについては今の日本の方が元気ですなぁ。お年寄りへの犯罪とか殺人の増加とか陰湿さが増しています。
こういった犯罪の元気さは別にして、なぜ60年代70年代は元気だったのでしょうか?
それは日本が高度経済成長時代だったからだという意見もあるでしょう。
しかしこれは逆立ちをした見方ではないかと思います。日本が元気だったから高度経済成長があったとみるほうが正しいと思う。
この時代というのは一口でいえば一人一人の人間が自由だったという事です。国家の縛りが弱かった。というのは当時の自民党も自由と民主主義を認めていたし更に野党社会党はその自由と民主主義を拡大させる役割を持っていた。今の与党と野党の違いが判らなくなるようなものはなかった。国民一人一人が自由に考え行動できることは大切なのです。
今の政治や社会の流れは力あるものに慮る社会になって、委縮してしまう社会が作られてしまいました。
この国民一人一人の自由の中に経営者も自由な発想でチャレンジできた。
現在のように慮り委縮した国民社会では経済もうまくいかないでしょう。生産性の向上は本来の生産設備の改善などを通じたものから労働者からどう搾り取るかになってしまった。この流れの変化が80年代の中曽根内閣当時ではないかと思う。日本生産性本部が本来の生産性向上から離れていく。すぐにバブル崩壊へとつながる。
日本はこのバブル崩壊でも、その後のリーマンショックからの立ち上がりが遅かった。結局生産性の向上が労働者からどう絞り取るかという呪縛から抜け出せなくなってしまったのです。
これに拍車をかけるのが安倍内閣でしょう。中曽根内閣からの夢であった改憲が行われようとしている。政治の委縮は日本の悲劇です。

【2019年】ツイッターつぶやき
いくらなんでも国(総理・内閣)がこういうことするわけないだろう。。。。。
という常識を国民は持つ。これが最低限の国への信頼である。それは最低限の政治への信頼である。
しかし去年は総理大臣のモリカケ疑惑が出た。その後も政治家や官僚の疑惑そして公文書の隠ぺいや改ざんが問題になった。
経済もずっと経済の好循環は道半ばとされて胡麻化されてきた。掲示の好循環は国民生活に及ばなければただの企業や富裕層そして不労所得者への富の配分で、経済の好転はない。
消費増税は社会保障へというこの間の様々な掛け声は実現しないで終わっている。
琉球新報は
「安倍晋三首相がNHK番組「日曜討論」で、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の埋め立てについて「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移している」と、事実と異なる発言をした。一国の首相が自らフェイク(うそ)の発信者となることは許されない。」
と伝えている。
去年はアメリカのトランプさんからフェイクという言葉が多用された。
「嘘も方便」という言葉が日本にはあるが、現実はフェイクです。方便ではなくて詭弁により国民をだますポピュリズムです。こういう社会に日本はなりつつあります。改憲も同じ方法が使われるでしょう。
もちろん国民も嘘でもいいから強い日本を望むでしょう。
それにより日本(人)の誇りは維持されますから。
しかし日本の実態は経済も政治も下降線をたどることになるでしょう。それがまた社会や経済を混乱させる。持続可能な社会は精神論に変わっていく。そのためには文化や歴史も改ざんされたりもしていくでしょう。そこに貧困化(窮乏化)する日本人は精神論に頼ることになる。もちろんそこで利益を得る人々は現れるでしょうが。

2018年 4月13日(金)「バブルと格差の拡大」
株価と実体経済は金融経済の中では乖離する。
ロイターに「ロフィット・リセッション」という言葉が出ていた。アメリカにおいて景気の後退期に入るのではないかという不安が出ているということでしょう。企業業績の低下は株価を下げますが、この株価がバブル状態であればその株価の下落は激しいものになるでしょう。
アベノミクスと日銀の量的緩和での株価もバブル状態です。もしかしたら日本はいつものごとくアメリカ以上の矛盾が出るかもしれない。

【2020年】ツイッターつぶやき
イランはアメリカを中心とした諸外国から核開発に対して経済制裁を受けてきた。そしてあめりはこれでもたりないとしてイラン核合意から離脱をして更なる独自の経済制裁を行いそれに協力しない国には制裁的な締め付けを行った。
核大国そして核の先制使用を放棄していないアメリカの主張にイランは耐えてきたのだと思います。もちろんイランの核開発には反対ですが、たんに反対ではなくて核兵器削減を行わないアメリカにも憤りを禁じ得ない。
今回革命防衛隊の司令官をテロ的な暗殺をされてイラク駐留の米軍基地への攻撃という報復を行いましたが、トランプさんは死傷者はいないと発表をしてイランの報復に対して「すべて順調だ」と訳の分からない言葉を発しながら現在のところはさらなる軍事行動は起こさないようです。
一方イランは、今回の攻撃に先立ってアメリカに対して犠牲者を出さないよう事前にアメリカに対して通告したとも報道されています。
自国の国民の絶大な支持を持つ司令官の暗殺に対してもその報復は耐えに耐えたものに限定をしているように感じます。これまでの中東で行われた聖戦とは違う行動を行っています。ある意味アメリカの挑発には乗らないという態度でしょう。
トランプさんもこの状態の中ではさらなる軍事行動は起こしにくいでしょう。さらにアメリカ国内に対しても説明らしき説明を行えない状態です。そこから暗殺に対してはアメリカ世論も支持になびかない。ポピュリズムに乗らないアメリカ人がそこにある。それはイラクのフセイン殺害の苦い経験があるでしょう。大統領選を有利にはできないかもしれないことは明白です。
この状態を継続しながらアメリカも折れることが必要でしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
報道を見ると新規感染者数の後に「〇曜日としては過去最高」と報道されてきた。
東京でも全国でも日曜や月曜の新規感染者数はガクッと下がる。
やはり年末年始の連休中は下がりましたね。
でもそれは連休中で検査数も平日よりも減るからです。
今週は3連休ですから火曜日までは発表される新規感染者数は減るでしょう。
年末年始もその後の土日も下がったとしてもこれまでの数値を大きく上回っている。この三連休も同じでしょうね。
しかし下がったとしても10月から12月の数値に比べればものすごい上昇をしています。
毎週7日間の新規感染者数を比べてきたとき、今までは毎週100人ぐらい増えているのではないかと思っていたのですが、現在は数百人に跳ね上がっている。
東京も新規感染者数が3000人、5000人と増加してもおかしくない勢いですし、全国にしても1万人は目の前ではないかと思われます。
なぜなら陽性率も急激に高くなっているからです。
市中感染者を検査数が少ないので見つけることができない。すると感染はさらに増加をしますね。
菅総理は東京の新規感染者数1000人を超えたのでびっくりしたそうですが、それから緊急事態宣言も考えたのでしょう。しかしこれだけ感染者数が急激に上昇するともう手の打ちどころ手の施しようがなくなってしまいます。緊急事態宣言で感染者数増加を横ばいにする程度でしょう。この横ばいが続く中で第四の波は必ず起きます。それは第二波と第三派の経緯を見ればわかります。

【2022年】ツイッターつぶやき
去年7月28日に2回目のワクチンを接種しました。
12月末で5カ月になります。
コロナワクチンも接種すれば感染しにくいと言われていましたが最近では感染しても重症化しないに変わったようです。これはワクチンの効果がどのくらい持続するか諸説もありやはり効果はそうは長く持続しないことが分かったからでしょうか。たしかにオミクロン株が武の感染者数が多くなっていますが、今のところ死亡者数は少ないようです。しかし重症者数は感染が広がるにつれて多くになりますし、重症者数が多くなれば死亡者数も時間差で多くなりますね。新規感染者数が急増していますがここからどのくらい重症者数が増加するかはまだわからないでしょう。
オミクロンはもともと感染力が高いが毒性は少ないとも言われていますから重症者数が今のところ少ないからと言ってそれをワクチンの効果だとするのはまだ早いのかもしれない。
ワクチン効果は6カ月ほどならば3回目を接種する。これで医療崩壊もなければ良しとするのでしょうか。
むやみやたらとワクチンに頼ることは危険ですね。
オミクロンの次の変異株も現れるかもしれない。これを繰り返していくとウイルス自体がワクチンに負けないように変異するかもしれない。オミクロンだってそれはわからない。
人間の体自体がワクチンに負けてしまう。
国民皆検査ぐらいの検査数と隔離が必要でしょう。それには国のハード面の対策が必要です。

【2023年】ツイッターつぶやき
朝晩は寒いですが昼間はよく晴れて気温も高く気持ちの良い一日でした。
大きな公園まで行って散歩。ユニクロのダウンジャケットでは暑いぐらいでした。
今週末は19度まで気温が上がるそうです。4月中旬の気候だそうで桜も咲くか?
まぁ、桜は咲かないでしょうが花の木々の目が膨らむでしょうね。

【2024年】ツイッターつぶやき
ヤマト運輸がダイレクトメールなどの配達を郵政に任せるとして2万5千人の委託労働者の首を切るらしい。
宅配も人の労働の部分が大きいですから省力化で人を減らす。しかしその省力化は事業を減らしてのものですから本来の省力化ではなく事業の縮小でしょう。ダイレクトメールは郵政の仕事を奪うことからはじまった。しかし利益が少なくなれば手を引いてまた郵政に返すのでしょうか?
アマゾンは起き配達をはじめ受け取りボックスなどをコンビニの敷地などの置いたりしはじめ、今後はドローンも考えはじめている。労働者を集めるため、給与体系も改善しはじめている。
その中にヤマト運輸の省力化をどのように行うかなんでしょうか。
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2025年 1月 8日(水)「柚子」

2025年01月08日 21時45分49秒 | 「思うこと」
今夜は肉じゃがと鮭と柚子の混ぜご飯を作りました。
肉じゃがとかあまりご飯のおかずにならないときは時々鮭ご飯にしますが、少し飽きたので柚子を入れてみました。
焼き鮭をほぐし柚子の皮のみじん切りを用意してご飯に混ぜました。
柚子の風味がしておいしかったです。
冬は柚子が欠かせませんなぁ。。。。。。。
先日はカレーにしたとき、柚子のラッシーを作りましたがおいしかった。
ぶりの刺身をバーナーであぶって塩と柚子。
昼飯のそばやうどんに柚子。
お稲荷さんのご飯に柚子。
そうそう、お雑煮にも柚子を入れました。
冷蔵庫の隅で少し日が経ってしまった柚子は柚子風呂に。。。。。。
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「1月 8日という日」

2025年01月08日 07時47分11秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
今夜は肉じゃがと鮭と柚子の混ぜご飯を作りました。
肉じゃがとかあまりご飯のおかずにならないときは時々鮭ご飯にしますが、少し飽きたので柚子を入れてみました。
焼き鮭をほぐし柚子の皮のみじん切りを用意してご飯に混ぜました。
柚子の風味がしておいしかったです。
冬は柚子が欠かせませんなぁ。。。。。。。
先日はカレーにしたとき、柚子のラッシーを作りましたがおいしかった。
ぶりの刺身をバーナーであぶって塩と柚子。
昼飯のそばやうどんに柚子。
お稲荷さんのご飯に柚子。
そうそう、お雑煮にも柚子を入れました。
冷蔵庫の隅で少し日が経ってしまった柚子は柚子風呂に。。。。。。

≪過去の日記≫

【2004年】
学校から帰った息子が「チキンラーメン」を食べていた。なんか懐かしいです。最近またコマーシャルでもやっていますね。
僕が小学校の頃か?インスタントラーメンができました。日清だったか、エースコックだったかはっきり覚えていないのですが、どんぶりにラーメンを入れて熱湯をかけ、皿でフ倒し、出来上がったラーメンのおいしさはまだ覚えています。
今のインスタントラーメンは発展をして本物に近いものがありおいしくなりました。でもまたあの懐かしい味も食べてみたいです。
今日は風が強かったです。東北の方では台風なみだったようです。
買い物。。。さむかった・・・・・
天気はよかったので掛け布団を干したのですが、風に飛ばされそうになりました。
夏生さんの「君のそばで会おう」をまとめ中です。

ポプラの秋新潮文庫湯本 香樹実  著
僕たちは歴史を学ぶ。しかし、これまでの歴史は、一人ひとりの人間の中に良くも悪くもはっきりとした形がつかめない霧の中に漂うごとく伝わっているのではないか。
柳里美さんの文章を読んでいると、在日韓国人であり、在日韓国人だというその歴史を学ぶまでもなく血として柳さんの人生や価値観に大きなものを残している。このような一人ひとりに受け継がれている歴史は、学問としての歴史を知ることによりより霧の中にはっきりしなかった形が明らかになるし、学問としての歴史を改ざんしようとしても、一人ひとりの人間に残されたものは改ざんできない。
これは、肉体的に人間が遺伝子として過去の人間を受け継いでいくのと同じように、精神的にも歴史という現実にあった事実をさまざまな形で遺伝子と同じように受け継いでいく。
自然法則どおりに肉体的な遺伝子を引き継ぐように、歴史という遺伝子も長い時間の単位の中に一人ひとりの人間を単位としてその人間の集まりとして社会的に自然な形として受け継がれていく。
一人ひとりの人間は、霧の中のような歴史の時間の中を家族という単位で影響を受けながら漂う。そして漂いながら歴史の流れにビビたるものだが影響を与える。しかし、その家族という単位においても、子供にとっては親という人間の歴史はやはり霧の中である。
「ポプラの秋」の主人公千秋は、母の電話によりおばあさんが亡くなったことを知り、葬式に出かける。大きなたくさんの薬袋を持って。この精神を安定させる大量の薬、これが暗示的である。
千秋の父親は、千秋が小学1年生のときに突然に死に、母親からは交通事故だと知らされる。千秋の強い父親への思い、しかしそれに冷淡な母親、ここにも暗示がある。
なぜ母親が父親の死や思い出に冷淡なのか、千秋にとってもやはり両親というものは霧の中なのであり、母親の早い再婚により千秋は反発を始める。思春期の原体験としても大きなものがあったのかもしれない。
わけもわからないままに霧の中のように動いている社会、その社会の中に人間同士の結びつきとしては一番強く結びついた家族が漂い、しかしその家族の中でも一人の人間は親のことでさえ霧の中なのである。ここに人間の孤独感の原点があるのかもしれない。千秋は、母親の父への冷淡さの中に孤独感を受ける。そして後に大量の薬が父親の血を引き継ぐものだということに思い当たる。
亡くなったおばあさんは、千秋の父親が死んだ後に引っ越した大きなポプラの木がある小さなアパートの大家である。
「ポプラの秋」は、このおばあさんの小さなアパートで暮らした3年間の思い出と、成長した千秋がそのおばあさんの葬式で知ることになることが書かれている。
おばあさんは、まだ死ねないという。まだ仕事があるからと。
その仕事とは、死ぬときに、千秋の父親への思いを綴った父への手紙を天国に届けること。たんすの引き出しがいっぱいになるほど千秋の手紙がたまったらそれを持って届けに行くのだと。
父親に対して冷淡な母親にはいえない気持ちを書いた父への手紙、それはどんなに千秋の心をほぐしてくれただろう。
孤独の中に生きる少女、しかしその少女も孤独の中に生き抜かなければならない。手紙を書くことが癒しとなる。葬式に出てみるとこの癒しを受けていたのは千秋だけではなかった。多くの参列者すべてが。その中に千秋の母親の手紙もありそれを読まされる。
ひとつの恋が終わり、その恋に傷ついて仕事である看護婦も辞めてしまった成長した千秋、母親の手紙に、そんな千秋の目に飛び込んだものは、やはり夫を亡くしたときの大きな心の孤独であった。反発をする娘への思いであった。父親の死、その死と千秋が飲んでいる薬。
おばあさんが千秋だけに手紙を預かっていたのではなかったという寂しさも残り、母親の孤独を知ったからといって千秋の孤独がなくなるわけではない。しかし、このどうすることもできない孤独を受け入れること、同じように人は孤独の中に生きていることを知ること、ここに生きていかねばという強い思いが出る。千秋は生き抜こうと決意する。
そしてたくさんの思いが書かれた手紙を預かって旅出たおばあさん、
「もしかしたら、もしかしたらですけどね、おばあさんはよほど辛い目にあって、本当の話ができなかったんじゃないかって」
先発った学者の夫に本当に手紙を書きたかったのはおばあさんだった。
孤独を受け入れるとともに、ただ孤独に生きるだけではなく、人の中で癒されること、もちろん傷つけられることのほうが多いのですが、癒されながら人は生きていきます。この癒しは、大きな社会の歴史という流れの中にも生きています。人を傷つけて歴史の流れを逆流させる人間も多いのですが、歴史の流れを自然に流れさせるのは、この人の持つ癒しなのかもしれません。

【2005年】
暇だったので妻と娘と新規開拓のスーパーを探しに行きました。どこも変わりがありませんねぇ。。。
しかし、安売りで有名なロジャース発見!!
余計なものも安いので買ってしまった。。。ハハハ
今夜はおでんです。
少し高いのですが蛸の足も入れました。牛筋というのもおいしいのですが、今はいろいろありますからね。。。。やめました。
息子の部屋を掃除したら、ベッドの裏から誇りまみれのゴミが出てきました。何だか朝シャンをして出かける息子も自分の部屋となると汚い(笑)

【2006年】
夜は外食でした。
僕が時々一人で行く隠れ家のの中華屋さんに家族で行ってきました。いつもながらおいしかったです。
いろいろと腹いっぱい食べ、紹興酒や人参酒で酔っ払い、デザートも食べて、息子はバイトでこれなかったのでチャーハンと餃子をお土産にしてもらい。。。
8000円弱でした。
安くてうまい!感謝です。。。。
しかし。。。
今日はスポーツジムに言ったのですが、夜腹いっぱい食べて酒まで飲んでしまいこれでいいのかと反省。でも、おいしく食べて飲むことがで切るのも健康維持のためのジムの成果でしょうか?(言い訳。。。ハハハ)
津田青楓の「漱石と十弟子」を読んでいますが、若い津田青楓の芸術論を漱石はしっかり受け止めます。たぶん若さゆえの背伸びした芸術論だったのでしょうが、漱石はまじめに受け取る。津田青楓の貧乏生活を訪ねていくし、文芸誌の挿絵を津田に紹介をする。えらい先生とはこんな漱石を言うのでしょう。もっとえらいのは、師である漱石が謙虚に津田青楓煮絵の具のセットを頼んで絵を教えてもらうというそんな漱石の謙虚さにも感激しました。
津田青楓は、そんな漱石を心から師と思ったのでしょう。。。自分の子とをこんなに思ってくれる師。。。でも、こんな気持ちは弟子たち一人一人が持っていたのでしょう。自分にとっての師漱石。。。ここに漱石の懐の深さがあります。
内田樹さんの「先生はえらい」の感想がもう少しなのですが、上のような感想も考えながら読んでいます。

【2007年】
昨日からの風もやみ、穏やかな成人式。
娘の厄除けのためにお大師さんへ初詣。
もう混雑もないだろうと思って行ったのですが、3連休ということもありこんでいました。成人の日ということもあり着物姿の女性も多かったです。
参道には多くの屋台が出ていました。モツ煮込みに缶ビール。。。。
ぐっと我慢をして門を出ました。
毎年、車のフロントガラスにくっつける交通安全の破魔矢を買ってくるのですが、また今年も無事故でありますようにとお願いもしてきました。
お札やお守り、破魔矢というのは、返しに行かなくてはならないので、毎年同じお寺に行くようになります。方位除けというのも家族4人もいれば、誰かしら方位除けの年となります。全部やっていたらキリがないので、まぁ厄除けの年だけはと思ってます。

【2008年】
新聞を読んでいたら、日本で捨てられた家電製品がアジアなどの国にわたっているそうです。中古として使われるのはいいですが、家電製品に含まれる貴重金属を溶かして集めるらしい。だいぶ体によくない作業らしいです。
4品目でしたっけ、リサイクル料を支払って引き取ってもらっていますが、その他にもアジアの国々にもわたっているのですね。。。。
これから地上波デジタルで大量のテレビが捨てられるらしい。
もったいないですなぁ。。。。
チューナーだけでも買えば映るのかな?テレビが映るうちはどうにか間に合わせたいです。

【2009年】
暮れの大掃除は当たり前だが、我が家は新年の大掃除。
暮れの大掃除に間に合わなかった家具が来ましたが、古い家具を片付けようとしたら。。。。大掃除になってしまいました。
まだ粗大ゴミもたくさんあるし、年始の燃えないゴミの収集もまだ。ゴミ屋敷状態です。ゴミはいまや捨てるもんではなくて引き取り寮のかかるものとなりました。
でも、新しい家具というのは気持ちよいもんですね。

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
内田 樹さんの「日本辺境論」(新潮新書)を読み始めました。
古代からアジアでは中国が「世界」の中心であり日本は辺境の地だった。江戸も終わる頃からそして明治になるとヨーロッパ文明から見た極東の地という辺境の地となる。
古代からさまざまな文化を中国から輸入をし、明治からはヨーロッパ文明を輸入をする。世界の中心が中国からヨーロッパに移った中にすでに中国は世界の中心ではなくなり逆に意識としてはアジアの中心は日本というものとなる。
文化でも辺境の地にありながら世界と対等にそして一番になるために追いつけ追い越せと。あるときは物まねの日本といわれながら。
この「追いつけ追い越せ」の中に日本人の二面性が出るのだろうか?中国に追いつき追い越すこと、ヨーロッパアメリカに追いつき追い越すこと。これはその追いつくものにしろ追い越すものにしろ結局はそのときの世界の中心にある文化であることに変わりがない。中国文化に追いつき追い越すといっても結局は中国の文化的土俵の中であり、ヨーロッパ文化の土俵の上でしかない。追い越すには新たな日本独自の文化を世界の中心として創らねばならないのだがそれができない。だから今のように世界の中心が見えなくなり、経済学やいろいろな思想にこれといったものがなくなると右往左往する。経済で一番になるというものは見えるが、その後の日本の文化的役割に自身が泣く独創的なものがない。一方では日本の内政においては日本が一番になるという建前は先走っていく。内政と外交の二面性や、内弁慶的な発言とアメリカや諸外国に対する発言の二面性。
日本が辺境であるという中から抜け出せないものが。。。
日本人論というものがいろいろ紹介をされている本だそうですから楽しみに読みたいと思います。
内田さんは武道家でもあると聞いていますが、本を数冊読んだことがありますが、その文は武道で言えば酔拳ともいえるような相手を油断させながら眼光は鋭いようなそんな文章です。こういう文章はこちらとしてはぼうっと眺めながら鋭い眼光だけをしっかと見つめることがその対戦極意かと。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊1面に「脱成長か成長か」と題された「エダノミクスvsマエハラミクス」という記事があった。
ケインズ(不況時の財政出動など国の役割の重要性))とハイエク(市場の役割を重視して国の介入を批判)を縦の対立軸とし、「エダノミクス」(成長にこだわらない新たな暮らし)と「マエハラミクス」(あくまでも成長を追求)を横軸にして、その組み合わせで政治家の立つ位置を示している。
この図式化を見ると面白いことに市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治家がいない。
上の二つの対立軸を見るときに、どちらの路線を選べば、あるいは組み合わせれば今の経済情勢を改善できるかといった二者択一的な考え方や組み合わせに固定してしまう。しかしこの二つの対立軸の二者択一的な経済の失敗が今の経済の混迷があるわけです。
ケインズ型の国家による税の投入はこれまで起きていたように公共投資という形でばらまかれ企業は一息つくが国民生活へは波及をしない。ハイエク的な新自由主義は本来の企業活動の収益から離れてすべてを投資(国債を含めて)目的にしたギャンブル資本主義あるいはねずみ講的な経済を引き起こして現在の金融恐慌の心配が出てきている。そして国民生活は今現在の格差社会における貧困化を産んだ。国家による介入は国家財政を圧迫をして好況期の法人税率アップはしないで結局は国民負担増という大衆増税につながり、新自由主義はその破綻の中にやはり結果的には国の介入(支援)を求めてそのツケは大衆課税の強化でしかない。ケインズ型かハイエク型かという対立軸の問題ではなくて、例えば好況期の企業収益を税として国が税を回収できるかあるいは雇用や賃金に反映できるかという企業の利潤をどう配分するかの問題なのではないか。
また、「エダノミクス」(脱成長型)や「マエハラミクス」(成長型)の二者択一的な視点ではないのである。資本主義は高度成長がなければ維持できなくなる経済的な矛盾を持っているのであり、先進国はすでにこの高度成長を望めない(低成長あるいはゼロ成長今ではマイナス成長の危機)ように経済は進んできているのである。この中で「脱成長か成長か」という二者択一型の対立軸を立てること自体が間違いなのである。今の大方の意識は経済の成長=企業の生き残りなわけですが、この企業の生き残りのために直接国が介入したり市場に任せるとしてその経済政策を立てても国民生活の安定にはつながらないわけです。その中で経済はじり貧となっていく。
このように二つの対立軸を二者択一的にあるいは今までのような組み合わせ方では経済の立て直しは無理なわけです。
先に市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治家がいないと書きましたが、なぜいないのでしょうか?
市場自体は資本主義の発達の中に作りだした一つの経済システムです。ですからこの市場は生かさねばならない。しかしこの市場を投資目的にした利潤追求は矛盾を生むわけです。同時に市場を無視した国家の税の投入は無駄なわけです。市場を経済の状態を見るための基本的なものに戻さねばなりません。そしてそこからの自動調性としての機能を取り戻すことです。市場主義ではなくて市場を人の手で管理をして生かすことでなければなりません。脱成長か成長かのこの成長は、成長=企業の収益といったものから離れなければなりません。外需型か内需型かという対立軸もありますが、結局は企業収益そのものからの成長を見ると税は企業に投入され企業収益の社会への還元は行われない中では同じなわけです。外需型が成長型と言えばそうではないし、内需型が脱成長型かというとそうではない。どちらも企業優先型の国民生活の切り捨て型になります。本来の国民生活の安定からの内需型ではありません。
市場はその優れた機能を生かしていく。企業収益は自由ではなくて社会に還元(金の配分だけではなくて生活様式なども)させるシステム化を行う。これでしか安定成長期の資本主義は生き残れないでしょう。ここに一つの市場を重視(ハイエク寄り)した成長にこだわらない新たな暮らし(エダノミクス寄り)という政治が見えるのではないでしょうか?その基本的なシステムは社会民主主義です。

【2013年】ツイッターつぶやき
スナップエンドウ(スナックエンドウかな?)はお湯に塩とオリーブ油を入れて2分ぐらい茹でて半分に切っておきます。
ささみ肉は筋を取り除いて食べやすい大きさに切り、塩コショウと酒を振りしばらく置いておきます。
卵を溶いて砂糖で少し甘くして半熟に炒めておきます。
フライパンにお湯を入れて先ほどのささみ肉に片栗粉を薄くまぶしてさっと火が通る程度に茹で、ザルに捕ります。
フライパンをきれいに洗いごま油を入れて茹でたささみ肉を炒めます。そこにスナップエンドウと卵を入れます。
味付けは我が家では「味覇」をお湯で溶いたスープです。このスープを入れてさっと炒めたら出来上がり。
スナップエンドウを塩・オリーブ油の入ったお湯でゆでるとおいしくなります。ささみ肉は片栗粉をまぶして茹でるとすごく柔らかくしあがります。

安倍政権は、「日本経済再生本部」の初会合で『縮小均衡の分配政策』から『成長と富の創出の好循環』へと転換を打ち出した。
多くが公共事業の復活という中身でしょう。財界の支持もうなづけます。
しかしこれがデフレの脱却となるのでしょうか?
日本経済の立て直しはデフレの脱却といわれていますが、経済の景気を上げることとデフレの脱却とは違うものと見た方がいいでしょう。デフレの原因は労働者層の失業や低賃金化による大衆消費財の消費が鈍ることにあるというのが最近の主張に出るようになりましたが、日本経済再生本部の議論の中身にはこの国民生活の改善が抜けています。
景気の回復による雇用や賃上げもあり得ますが、特に賃上げは市場に任せておけば自然に行われるというものではありません。これは失われた20年の間にも景気の回復期といわれるものはあったがそれが国民生活には波及せずに現実としてデフレがやってきたわけです。
政府は日銀の雇用問題の責任を負わせようともしていますが、大変な間違いです。政府が行わなければならない政策のはずです。しかしここの政策は示されずに社会の富の創出を言う。インフラ整備もまた無駄や箱ものにならなければ国民生活にも波及するものがありますが、ここには日常の生活向上は含みません。子育て支援はどうなるのでしょうか?福祉の拡充という言葉が見えませんね。

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞朝刊に「消印のない郵便、遅配続々、人で少ない局は常態化」という記事があった。
「消印を押さない「料金別納郵便」が対象で、郵便物の量に対する配達員の人手不足が主な理由」これに対して日本郵政は「、「郵便物の遅配や紛失につながり、あってはならないことだ」として、近く全国の郵便局に注意喚起する方針」だと。(「 」内は上記リンクページより引用)
失業と一方における人手不足や過度の労働がひとつの特徴となるのが景気が後退しているときのひとつの現象面でしょう。この状態を国や企業は生産性の向上だとも言うわけです。しかしこの人手不足とかどの労働が生産性を上げるとされているが実は生産性を落とす結果ともなるというのが経済法則の皮肉なのです。
そしてこのような状態は人口問題として働く人々が少ないからではなくて企業の人減らし合理化(これを生産性の向上と勘違いするが)からの状態といえるでしょう。
利益の確保・維持・拡大のために合理化を行うがそれが一定の限度に達すると非合理化となる。
考えすぎだといわれるかもしれませんが、企業の不祥事や食品偽装や食品事故が昨年は問題になりましたがこういったものもその非合理化に起因すると思います。
このような現われが社会全体になっていき賃下げにまで及ぶと社会的な合理化はデフレとなります。一方における失業(不安定雇用も含めて)と一方における過度の労働(それは低賃金でもあります)が進めば合理化の作用は府の方向に動き社会システムが崩れ始め、低賃金化と失業(不安定雇用)は必然的にデフレとなります。
デフレというのはただ単に商品価格が下がり続けるといった現象面ばかりに原因があるわけではなくて、なぜ商品価格が下がり続けなければ商品が消費されなくなるのかという原因を見なければならないのです。
ですから合理化は過度に進めば非合理化となるのです。
アベノミクスは頑張った人が報われる社会といっていますが、この頑張った人が過度の労働と人手不足の中で働く人々となるわけですから、社会全体がリンクした郵政の職場のような現象が出てくると見たほうがよいでしょう。でも、この郵政の職場も昔の郵政局の現業公務員の職場ですからその名残が残っていてまだましなほうかもしれませんが。
人口問題解決のために外国人労働者を入れたり移民さえ受け入れるといわれていますが、それは単純労働などでの労働力でしょう。では多くの日本人が単純労働以外で完全雇用をされるかといえば堂ではなくて一方における失業(不安定雇用)と一方における人手不足からの過度の労働におかれることに変化はないでしょう。人口問題が言われていますが、実は人口問題ではなくて合理化の強化なわけです。
日本をまともな経済に戻すには労働者全体の賃金を上げる底上げの賃上げが必要ですし、失業や過度の労働をなくすための反合理化の運動が必要であるのです。
経済が成長していたときは、この反合理化と大幅賃上げが言われていてある程度の成果もあったのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
10日ほど前、冬越しをさせるつもりのペンタスを少し刈り込みました。
新しい新芽の部分も一つ切ってしまったので指し芽にしておきました。今の季節ではだめかと思うのですが、部屋の中に入れておいたら小さな葉の芽が出てきました。どうにか大丈夫でしょうか?
ペンタスも東京の冬では冬越しをすることもできるそうですが、外の気温はいくら東京と言ってもマイナスにもなります。特に今年は寒さが厳しいし・・・・
平野部屋に入れたインパチェンスは元気に花を咲かせています。
晴れた日には窓越しの日が当たるところに。今日のようにどんよりとした日はカーテンで窓からの冷気を防いでいます。
指し芽をしたペンタスを含めて3月まで元気ならどうにか5月にはたくさんに花を咲かせてくれると思います。
時々花の育て方のサイトを見せていただくのですが、今は花の値段が安くなっていて無理に冬越しさせる必要もないと時々書かれていますが、もともとは多年草なんですからどうにか冬越しもさせてあげたいという気持ちにもなります。
でも、花も厳しいでしょうなぁ。。。。ガンバレ!
僕も冬は苦手です・・・・・
部屋の中の花に癒されています。

【2019年】ツイッターつぶやき
労働力の再生産というと、なんだか人の労働を物扱いしているように聞こえてしまうかもしれませんが、人も人間動物ですし、社会は人の労働によって成り立っています。こう見ると労働力は使い捨てをして消費してしまうような社会は持続可能な社会としては存在できなくなります。ですから、労働力の再生産というのは重要な問題なのです。
社会全体の中で、労働力を消費しながら労働するわけですから、消費された労働力を再生産しなければその労働力は消失してしまうでしょう。
単純なもので見てみると、寝て食って生活をしなければ次の日も次の月も次の年も働き続けることはできません。働き続けられないというのは労働力が再生産されないからです。商品社会やサービス社会は発展しますから、ただ食って寝るだけでは労働力の再生産はできんくなります。様々な娯楽や文化面でも消費をする中で労働力も再生産されます。
また労働力の再生産というのは、社会が持続するための次世代の労働力を再生産売る必要があります。自分自身の労働力を再生産しながら次世代の労働力としての子育てという面での労働力の再生産が必要となります。もちろんここでも子供は寝て食っていればよいというものではなくて、行動な教育や技能を習得しなければなりません。このすべてが労働力の再生産とあります。
再度書きますが、労働力の再生産というのは重要なのです。
労働力の再生産という言葉を使うから人の労働を物扱いをしているのではないのです。おととしあたりからブラック企業という言葉が多く聞かれるようになってきましたし、これは労働力の使い捨てという物扱いです。最近の外国人労働者の扱いも労働力の使い捨てという物扱いでないでしょうか。
そんな中現在の日本は人口が減少し、当然労働力が減少しています。
団塊の世代という豊富な労働力は一つの矛盾でした。さきのせんそうによりわかいいのちがう失われて労働力が減少する中産めよ増やせよとべびーぶむが起こりました。団塊の世代というのも戦争の災いでしょう。しかしこれまでの社会はこの豊富な労働力量を維持することをできないものになってしまいました。団塊の世代が減益から引退するし、バブルの崩壊あるいはリーマンショック後は就職氷河期が起こり労働力は使い捨てとなりました。
社会にもたらした悲劇は大きい。日本の人口ピラミッドは団塊の世代と、その子供たちである団塊ジュニアが2つのこぶになった「ひょうたん型」をしている。団塊ジュニアの子供世代がもう1つこぶを作っているべきだが、そうなってはいない。雇用が不安定化し、賃金も抑制された結果、団塊ジュニアの世代で出産が増えなかったためだ。日本の人口構造のゆがみはバブル崩壊と無関係に見えるかもしれないが、実はそれぞれ底流でつながっている。」
(ロイター「平成に積み残した三つの宿題」より引用)」

【2020年】ツイッターつぶやき
日銀はその景気判断を需給ギャップに軸足を置いている。
これまで需給ギャップがプラスになっていることから景気判断も強気になっていたが、そもそも需要=GDPのGDP自体が下駄をはかせた数字ではないか?
そのような実態である需要ギャップがマイナスになるのではないかと言われ始めている。
ここにきて中東城勢が悪化をし、アメリカの同盟国である日本の立場から原油輸入に影響が出るのではないかとされ始めている。このような国際情勢と同時に、国内では昨年10月の消費増税10%が実施されて需要の落ち込みが現実味をおびている。
日銀は国家財政の健全化を捨てるかのように政府の景気対策の支出増による内需の下支えに依拠せざるを得なくなっている。
しかしこの需給ギャップはすでにプラスから横ばいそしてマイナスへと動き始めているのだと思います。鉱工業指数の落ち込みが言われ、最近では飲食店チェーンの店舗数の削減やコンビニの不振が続いている。すでに需要の落ち込みが顕在化していると見たほうが良いでしょう。
国家独占資本主義は、国家が前面に出て経済を支えざるを得ない状態だと思います。国家財政を企業や富裕層そして不労所得者(株式など)に配分をし、経済の表面的な数字を人為的にコントロールする。そしてそのためには国民の生活実態や自由や平等という権利を抑え込まなくてはならない。それが改憲です。そして国家主義的な思想と経済のための戦争の道です。
バブル崩壊やリーマンショックなどとは質の違う資本主義の矛盾が噴き出てきているのでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京をはじめ医療崩壊の危機が本格的にはじまろうとしている。
そして市中感染の爆発的増加に検査体制自体も崩壊をはじめているようである。
神奈川県では自治体自体が県民に背を向けて「市中感染が広がり、濃厚接触者の追跡などに意味がなくなってきている」(TBS)と捨て台詞を語りはじめている。
市中感染が爆発して保健所も濃厚接触者を後追いできなくなってきたということでしょう。検査もできなくなっている状態を「意味がなくなっている」とするものです。意味がないどころか、市中感染をそのままにしたらさらに感染拡大は広がるでしょう。無症状者がたくさん日常の中で活動する。その中で軽傷をはじめ重症者数も増加をするでしょう。さらに医療崩壊が進む。
日本のコロナ感染防止策は、はじめからクラスターの後追い検査でした。またその後は濃厚接触者の後追いでした。これによりより多くの市中感染者を見つけることができず、そのうえGO Toなどの経済対策が優先され人の移動を政府自ら拡大させました。これにより現在の第三の波があるわけです。
クラスター濃厚接触者後追いの感染防止の過ちがはっきりしました。
東京世田谷区では確か明日からプール方式の検査がはじまるようです。一つの効率的な検査方法だと思いますが、より多くの検査を行うことができると思います。
しかしアメリカやヨーロッパでは感染者数が日本の10倍100倍もいるのに検査を行えるのはなぜでしょう?そして最近では医療崩壊もはじまった国もあるようですが、なぜ日本はこうも早く医療崩壊が始まったのでしょう?
日本の医療体制や検査体制に決定的な欠陥があるのでしょう。これは政府の初動行動の過ちから来るでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
去年の秋も深まったころだったか、スーパーに行ったら70歳前後の爺さんがスーパーの駐輪場あたりをうろうろしながら少しでも自転車の止め方が曲がったりしていると大きな声で注意をしまげて止めるとほかの人が迷惑でしょと大きな声で話をしていた。その後も大きな声で皆さんも自転車の置き方には注意をしましょうねというようなことを言いながら相変わらずうろうろしている。もちろんこのスーパーには何ら関係のない人だった。
まぁ、互いに注意をしあうことは大切ですが、注意をすることと晒すことは全く違うものです。
最近は少なくなりましたが、テレビのニュース番組で、交通ルールを守らないドライバーが多い道路の取材で、「アブナイ!アブナイ!」などと大きな声を出し、「またルールを守らない車が来ました」と言いながらその車を止めてドライバーに「この道路では・・・・・してはいけないのではないですか!」とインタビュー。
これも公共の電波を使って顔出しで晒しているようなもんです。
去年だったか、コロナが拡大したころ学校が休校になった時、公園で体を動かしたりしている子を学校に通報したりする人が多く出ました。これも一種の晒しです。
こういったものはツイッター上でも多くなり、マナー違反だとか、ポイ捨てだとか、迷惑行為だとか。。。。。
これをツイートという形で晒し、時には写真で顔を晒すツイートをしたりすることも。
一見良いことをしているようですが、実は端から見ると晒すような行為に気分が悪くなるわけです。
こういう人たちの心の中は複雑なんでしょうね。。。。。
名付けて「晒し族」。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
ある所に共働きをする夫婦がいて子供が二人。夫婦には互いに年金生活の両親がいる。
親の年金を支えるためだと夫婦の社会保障負担が増加した。子育て支援だからと親の医療費の自己負担が増加した。社会保障の充実だからと消費増税が一家に降りかかり、子供への手当てだからとさらに消費増ぜが検討される。夫婦の年金支給開始年齢が70歳になるという。
この一家のそれぞれを世代として見たら今の社会の構図が見えてくる。
庶民は庶民同士で助け合えということです。国民生活全体を見れば向上していませんね。
その中で軍事費だけが特別扱いで、たばこ代や酒代という楽しみの費用が増税として消えていく。
企業利益は空前の額となり不労所得は増え続ける。
庶民は庶民同士で助け合えというからくりでは日本はよくなりませんなぁ。。。。。

【2024年】ツイッターつぶやき
「どうする家康」が終わり、一気に頼朝の時代よりさらに平安時代まで歴史はさかのぼりました。
主人公は、紫式部ですが、藤原道長を通して源氏物語の摂生政治が描かれるのでしょう。
戦国時代は下剋上の武士の歴史ですが、頼朝の時代は、源氏と平家という貴族から分かれた武士の世界です。
道長が我が世の春と絶頂期にあった時代は、平将門の乱があったり、地方の荘園を守る武士団が強い力を得ていた。その武士の頂点が平清盛で藤原氏の政治が大きく揺らぐ。
頼朝の先祖たちが権力争いに右往左往していた時代でしょう。
武士の時代の仕上げには500年から600年かかる。
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2025年 1月 7日(火)「寒くなりました」

2025年01月07日 21時58分03秒 | 「思うこと」
暖房器具を点けていない北側の部屋に行ったら温度計が11度でした。
かなり寒いですなぁ。
正月前には13度ありましたから寒さもきつくなっていると思います。
外出にはダウンが温かいのですが、どうも風が通るような気がする。
先日風の通らないコートを買ってきたのですが暖かいですなぁ。でも、やはり中に1枚多く着ないと寒い。
だんだんと着ぶくれになってきます。
下着、ポロシャツ、その上に厚手のポロシャツそしてコート。。。。。。
昔から寒がりでしたが高齢になるにつれさらに寒がりになってきました。と言って、夏ぬなれば人一倍汗をかいている。
自律神経などが悪いのでしょうか。
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「1月 7日という日」

2025年01月07日 07時46分32秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
暖房器具を点けていない北側の部屋に行ったら温度計が11度でした。
かなり寒いですなぁ。
正月前には13度ありましたから寒さもきつくなっていると思います。
外出にはダウンが温かいのですが、どうも風が通るような気がする。
先日風の通らないコートを買ってきたのですが暖かいですなぁ。でも、やはり中に1枚多く着ないと寒い。
だんだんと着ぶくれになってきます。
下着、ポロシャツ、その上に厚手のポロシャツそしてコート。。。。。。
昔から寒がりでしたが高齢になるにつれさらに寒がりになってきました。と言って、夏ぬなれば人一倍汗をかいている。
自律神経などが悪いのでしょうか。

過去の日記

【2004年】
今夜はエリンギ茸の肉巻きです。
もう一品何か欲しいと思い、この間生協から買っておいたひじきの煮付けの元を使ってみました。いろいろな具を水で15分ほど戻してから使うのですが、大豆が柔らかくなるのかと心配でした。今作り終えたのですが、大豆も柔らかくなっていました。しかし・・・・大豆があの節分でまく大豆豆と同じ味がするのです。大豆を短時間で水に戻すには節分豆と同じ製法の豆を使うということみたいです。
なんか節分豆をふやかしたようなものであまりうまくない。。。。
【2005年】
七草
おかゆは食べませんでした。スーパーに行ったら籠に入った七草セットがありました。去年は買ってきて作ってみたのですが、何だかなぁ。。。今年はやめました。
初詣に行ったとき、この世にこれほどまずいラーメンがあるのかとびっくりするようなラーメンを食べました。麺はぐちゃぐちゃに柔らかく、スープは、もうなくなってきたのでお湯を継ぎ足したというような味も素っ気もないものでした。このラーメンブームの世の中に。。。。ううう・・・・・
何だか縁起でもないラーメンを正月から食ってしまった。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
七草
スーパーに買い物に行ったら、「七草がゆセット」なるものが売っていたので、今日はもう七草かぁと思い出しました。
七草粥セットを買ってきておかゆを作りました。
鏡餅(スーパーで買った味気ないビニールで包まれた鏡餅・・・)の食い方は難しいですね。。。。輪切りにして切っていくと達磨さんのような形になり、おかしなものです。。。。ハハハ・・・可愛い
今年は小さくきざみ、天日干をしてから油で揚げてみようかと思います。

【2008年】
七草
いちおう御粥を炊いてみました。
今の電気釜はおかゆも作れるので楽です。
七草はフリーズドライのものを使ったのですが、やはりうまくない。。。。。野菜が硬かった。スーパーには七草を入れたパック入りの生の七草も売られていて毎年これを使っていたのですが、今年は面倒なのでフリーズドライのものを使ってしまった。やはりものぐさは駄目ですなぁ。。。。。
東京の道路もいつもの渋滞が出てきました。
普段の生活に戻っていきます。
それにしても今年の正月は穏やかで気持ちのよい正月を過ごせました。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
以前にも書いたと思うのですが、自動車保険料が年代別に定められるようです。今朝の朝日新聞1面によると、60歳以上から69歳までが3000円、70歳以上は7150円それぞれ大幅に上がるようです。どうも高齢者の事故が多くなっていることと高齢者は医療費が高くなるといった理由からのようです。痛いですなぁ。。。。僕もこれから高齢者になるわけですから。そして年金暮らしですからなぁ。
しかし高齢者の事故が66.9%増加をしているといいますが、60歳以上のドライバー自体約60%増加しているそうですから60歳代のドライバーの数からして事故の増加数はパーセンテージではそうは変わっていない。支払った保険料の総額は横ばいだそうです。こう見ると大幅な値上げをする根拠がどこにあるのか?
まだ若い世代が値下げされたり横ばいにならわかりますが30歳からのすべての年齢も500円以上上がる。この意味では保険料の値上げなわけです。
また高齢者は長年保険に入っているから保険料を割り引かれているから安いと。。。。。この割引は事故などを起こさないから割り引かれているのでは?事故を起こしていると等級が上がらない?よくわかりませんが、高齢者の多くは注意をして運転しているということでは?
保険全般、その仕組みがよくわからないし小さな時の契約書をよく読まないといけないもので保険料の支払いも一時問題になった?
無事故で保険のお世話になっていない高齢者をも考えないで一律値上げとは。。。。。。少し変では?

【2012年】ツイッターつぶやき
テレビで倉本聡のインタビューをやっていた。
農薬を問題にした舞台を放射能を取り上げて書き換えざるを得なかったと。やはり3.11の原発事故は人々の暮らしや心に大きな傷を残したということだろう。
その中で今の暮らしを考えた場合、高齢者は昔に帰るというが、若い人は原発を選ぶといったようなことをお話しされていた。
高齢者のように昔の生活を経験してきた人々は昔に帰るという意識を持つことができる。昔の生活を経験してきたから昔に帰るという意識を持てるのであり、昔の生活を経験していない若い人々は意識的にも昔には帰れないのである。もちろん若い人にも昔はあるのですから、ここでの昔というどのくらいの時間の昔かはそれぞれあるのだが、この昔の時間差の隔たりは大きいですが、昔といった場合日本が貧しかった時代の生活様式というものが一つの目安になるだろう。原発に依存しない、石油エネルギーの枯渇。食糧危機、大気や海洋の汚染そして温暖化と原発問題などなどの課題は差し迫って(正しい分析かは別にして)おり今後の生活は質素にならざるを得ないことは確かである。この意味においての質素な生活というイメージが昔に帰るという意識でしょう。ここに高齢者と若者の時間差のある昔に一つの共通した認識の基本ができるだろう。
しかし、昔に帰るという認識だけでよいのだろうか?
昔に帰るという意味での生活は、日本の貧困時代に帰るということであってはならないはずである。貧困時代に帰るということと省エネルギー型の生活とは違う。
今の政治は先に書いた課題を国民の貧困化として行おうとしている。また公共事業は復活をされて税金の無駄遣いが心配される世になった。一方では震災の復興や社会保障のための増税がセットとなっている。実際は震災復興も公共事業と同じ役割を示すだろうし、その上に新幹線の整備や最近では首都高の工事やオリンピック開催といったものが出てきている。一見社会保障の維持が今の増税の理由と言われるし見えるのだが、実際は公共事業のための増税としてみてよいだろう。だから今年に入っての財界の経済予想は高いのである。増税は大衆課税という形に重きを置く。公務員の賃下げが言われ、その理由として民間企業に比べて条件や賃金が良いということからくるし国自ら増税の前に汗をかくという論理も働く。公務員の賃金も下げるからというのは条件の悪いほうに合わせるという意味で、今の民間企業で働く人々の生活向上は見えなくなるだろう。公務員も民間もさらに中間層は減っていき、同時に貧困化は深まるだろう。
まさに国民生活は「昔に帰る」のである。この中で国民自らがこれを受け入れて昔に帰ることが良いというなら日本には未来は見えなくなるだろう。
ここからただ単に昔に帰るだけではいけないのである。昔に帰るのではなくて省エネルギー型の発展した社会を見なければならないのである。
今は公共事業に税金を投入するのではなくてその金を社会保障に回して増税を少なくすべきで、累進性を高めて法人税は減税ではなくて増税にすべきでしょう。震災復興の公共投資の面は必要性が高いし緊急性がありますからこれは進めなければならない。しかしその企業に回る金を社会に還元し一部は国に税として戻されなければならない。国民生活の安定の中において個人消費は伸びて結果として企業の健全な(金融関連の利潤ではない)利潤をあげることである。それが国際的な競争に役立つだろう。ここで初めて省エネルギー型の質素さを考えるべきだろう。国民の理解を得た質素な生活である。
今国民は何を望むか、金だけではないという言葉が多くなっている。やはり労働時間の短縮による雇用改善が必要だろう。生活の質素さの中に物欲ではない生きることの楽しさを受け取ることに重点は向くだろう。
単なる昔に帰ることは不幸である。しかし未来に向けた省エネルギー型の生活は人々を幸福にするだろう。

【2013年】ツイッターつぶやき
朝日新聞4面にエコノミストのジム・オニールさんという方のインタビュー記事がありました。
12年前にブラジル・ロシア・インド・中国の急成長を考えこれらの国の頭文字をとってBRICSと名付けられた方だそうです。
現在、たしかにその通りに急成長を行った国です。特に中国は「先を見据えた」国としてあるいは「こんなことをした国は見たことない」と称賛しています。
この先を見据えた政策とは何かといえば、不良債権処理の迅速さや住宅バブルを意図的に止めたことを上げています。そして現在は高齢者や貧富の格差を見据えて成長率のスピードをわざと落としていると。成長率よりも高齢化や貧富の差の縮小に軸足を少しずらしたという事でしょうか。
たしかにリーマンショックからの立ち直りは早かったと言われていますし、住宅バブルの崩壊が言われていましたがどうにか今は沈静化の動きになっているのか?そして先の共産党大会でも貧富の差を問題にし解決することを計画の中に入れたと思います。
同時に現在の日本のデフレ克服に向けてのいわゆるアベノミクスをも評価しているわけですが、これは政府による介入の必要性から見た面での中国との共通点を強調したものだと思います。その違いについては語ってはいません。この点は、朝日新聞の解説ともいえる「試される民主主義国」の中に、中国の実情は置いて日本の実情は「買い被りに終わらないか」と危惧をしている。そして中国との体制の違いの強調ではなくて「民主主義国」の底力を言う。
中国の国家的な政策の中には国民や企業への大きな『規制』のようなものがあるのだろうが、一方では市場の自由さをつくりつつ市場の行き過ぎや矛盾が出た場合の「規制」も迅速であり、市場の自由の放置ではなくて逆に「市場を利用する」ような政策がとられているのではないかと思う。今の安倍内閣が行っているのは市場へのテコ入れであってもそれは市場の自由さを早く行おうとしているようなもので、そのために国民生活は犠牲にされ、景気の回復字には市場の自由さにおいて国民にも利益が「出るであろう」といったものにすぎないだろう。中国の高齢化や格差是正のためには成長が遅れてもここを解決するそしてそこに成長が支えられるというものとは同じ国家の介入にしても全く違うものではないかと思われる。
中国のような政治的自由の規制を伴わずに市場を利用する中に成長を維持するということが「民主主義国」という事になるでしょう。
今の日本は国民の政治的自由を拡大しながらの成長をつくろうとしているのか?どうも日本的中国課という政治的な力の増大の中に成長を求めようとしているのではないか?しかも経済は相変わらず国民の「自己責任」という新自由主義を拡大させながら。ある意味最悪の状態が現れるのではないか?これは「試される民主主義国」でも「先を見据え」た政策でもない。

【2014年】ツイッターつぶやき
安倍総理が再び賃上げを促した。それに応えるように経済団体も賃上げを会員企業に促すと。すでに証券会社は賃上げが言われている。
賃上げをせざるを得ない状況が生まれているということでしょう。賃上げ自体は歓迎すべきです。
しかしその賃上げは好調な企業において行われるという見方もある。昔から賃上げには支払い能力論が支配的でしたから、賃上げが全産業に及ぶかどうかはわからないだろう。もちろん春闘を見ても正社員の賃上げが主となりますし関連会社や派遣労働・バイトやパートの賃上げはどうなるかはやはりわかりません。
経済政策の上での賃上げですから全労働者の賃金水準の底上げが大切になります。一部の労働者の賃上げは歓迎しつつも全体の賃金水準が問題となるでしょう。
賃上げはある程度達成されても正社員数が減る一方では全体の賃金の総額では減ることもあります。合理化は賃上げ分を企業が吸収することもあります。アベノミクスはこうした動きを示しているでしょう。
都知事選も近いわけですが、こうした政治全般からも賃上げの動きを見ないとだめでしょう。春闘の妥結に注目したいです。同時にその波及がどのくらい進むかも。そしてこの一部の賃上げが較差の拡大とならないかを見なければならないでしょう。
こう見ると賃上げの動きを短絡的に評価はしないほうがよいのかもしれません。
連合も労働組合ですから賃上げや労働条件を最優先すべきですが、政治の流れ全体が組合員にどのような影響を及ぼすのかを見つめるべきですね。

【2015年】ツイッターつぶやき
ツイッターのまとめです。

「15年度国債発行は36~37兆円 税収増など受け抑制 - 朝日新聞デジタル」。。。「介護など社会保障や公共事業にかかる予算の伸びを抑えることに一定のめどが立ち、さらに減らせる見通し」増税も地獄、増税先送りも地獄。。。。。
しかし8%増税を見ても公共事業は別として介護や社会保障は低下する傾向でしかなかった。すでに「税と社会保障の一体改革」は反故にされてすべては成長戦略に向かい、その成長がなければ社会保障(賃金もだが)も充実しないという論理に。もちろんその成長自体が怪しくなっている。
その中で国民が置かれる位置は貧困化と格差の拡大である。国民生活の犠牲による成長を行おうとしているが、現実は国民生活の安定がなければ成長もないことを示している。アベノミクスは国民生活犠牲の成長戦略にさらに突き進む。よってさらに経済の混迷は深まる。アベノミクスは失敗に
アベノミクスが成功しているという根拠が企業利益・投資家利益そのための株価上昇。そして円安による悪性の物価高だけである。これらの根拠が経済そのものを好転させているかといえば、国民生活の安定にはもちろん結びつかずに輸出産業以外の企業の疲弊化にもつながっている。
貨幣量だけの変化による商品価格の上昇は商品価値量の上昇を示すものではない。表面的な貨幣量に利益の拡大を見ているが、現実の企業の利潤率に変化はないだろう。増大した貨幣量を企業や投資家が吸い上げているだけである。一方における国民の資産は吸い上げられる。
資本の集中とその一方における国民生活の低下、これを窮乏化法則という。アベノミクスはこの窮乏化を進める役割を担うことが唯一の役割なのである。ですから国民には耳触りの良い「期待」しか聞こえていないだろう。強い日本という空虚な「誇り」しか聞こえないだろう。
この空虚な「期待」や「誇り」での下部構造としての経済の現状は、政治という上部構造にも必ず現れてくる。これが戦後レジームからの脱却と言えるだろうか?どこにも発展性を見つけることができないだろう

【2016年】ツイッターつぶやき
通常国会が開かれましたが、3万円給付に対してはバラマキか経済政策かが論戦となっている。
3万円は参議院選挙前に給付されるようです。その3万円は一度だけの給付で恒久的なものではありません。
この一度だけの給付で経済政策としての国民所得が伸びて消費が拡大していくかを見れば無理でしょう。
アベノミクスは国民に期待だけを持たせるだけで維持されてきました。この3万円給付もやはり期待を与えるだけのものとなるでしょう。
こう見るとやはり3万円給付はバラマキ以外のものではないでしょう。それも参議院選直前に配布されるならなおさらです。

【2017年】ツイッターつぶやき
企業は株主から資金を集めてそれは自己資本となる。設備投資などでの銀行などからの借り入れは負債となる資本である。この自己資本と借入等の資本は総資本を形成し、その自己資本比率によって企業の信用が左右される。
ということだと思うのですが。。。。。。
企業の絶対的使命は自己資本比率が40%あたりを下回らないようにしなければならない。
企業は株主からの投資が急激に減少すれば自己資本比率が低下しますから必死に株主を保護しなければならない。現在は配当がどのくらいなのかよりも株価の維持が株主を引き留める道具である。
一方で企業利益に対する事業利益よりも自己資本の運用による利益が企業の業績を左右する。
企業は株式市場にがんじがらめとなる。
自己資本を他の企業にのっとりされないか気が気ではない。
ここで労働者への配分(賃金)は二の次となり、賃上げするとなると株主の猛反発が起きる。
そこへ投資家なるものが現れ、株価はその投資家によって左右される。
投資家はその企業を守るために投資するのではない。株価の変動による利益が目的である。
すると自己資本比率維持にはその投資家と闘わなければならない。市場を動かす投資家、そして企業の資金が動くことによる投資。
すでに資本主義はじみちに企業業績を上げることに集中できなくなる。
すべては市場に資金は吸い上げられていく。
国民の金までが市場に吸い上げられていく。

【2018年】ツイッターつぶやき
久しぶりに千葉県の清澄養老ラインを走りました。
走りましたと言っても意識的にこのコースをかーねびカーナビに入れたわけではなくて、カーナビが勝手(笑)にこのコースを入れてしまったのです。
このコースを走ったのはまだ子供たちが小さいころで、館山に海水浴に行った時以来です。まだ館山道がなくて大渋滞の国道を海に沿って走るのですが、どうにも動かなくなり山の中の脇道に入った。それがこの清澄養老ラインでした。冬至の山の中の410号に並び細い山の中の道です。車がすれ違うにもすれ違えずに互いにバックして道を空けなければならない道です。これ以来懲りて清澄養老ラインは使わないことにしていました。
しかし今日はその苦い思い出も忘れていたしまさかカーナビがこの道を選ぶとは思ってもいなかった。
途中まで生き清澄寺という看板を見て思い出したのですが、今更引き返すこともできずに心臓をバクバクさせながら走り続けました。山の高いところに行くと日蔭には雪が残っていました。
養老渓谷の方に出たときには疲れ切ってしまった。
南房総は一足早い春を満喫できるのですが、今年は屋は寒い。それでも晴れて風もないと暖かでした。
土産物店でサービスのワカメスープを飲んだり、道の駅でつみれ汁やらクジラコロッケを食べ、牧場で牛乳を。。。。いろいろなものを食いながら南房総を1周してきました。

【2019年】ツイッターつぶやき
フリーズドライの春の七草を買ってきて、今朝、おかゆを作りました。
七日正月。。。。。
今日でお正月も終わりですね。
でも、1月11日は鏡開きでお正月の余韻が。。。。。。
毎年12月に入り正月が近づくといやだなぁ。。。。と思うのですが、冬至が過ぎると気持ちも楽になって御節づくりに張り切ります。新暦の正月には「初春」というイメージは持てないのですが、冬至が過ぎて春を思うことに喜びとしての正月があるのかもしれません。
まぁ、正月も平凡なうちに過ぎていくようですが、正月用品では高い買い物をして、刺身も筋だらけのまずいものを買わされ、牛肉も筋だらけで焼いて食うとガムのようだったり。正月の気分も失せてしまいました。まぁ、金がある方はうまい刺身や肉を召し上がるのでしょうが。。。。。
初詣に行こうと思ったのですが、毎年駐車場のバカ高さに毎年気分悪く帰っていました。正月のそして初詣にどんよりとした気分を味わうのも嫌なので今年は電車で出かけました。
七日正月。。。。どんよりした気分にもなりましたが、まぁ、今年も当てもないけど毎日をこの社会に棲息をしていきます。

ゼラニウムがきれいになってきました。
春のように咲いては散っていくのではなくて、ゆっくり咲いてほかの花のつぼみが開くのを待っています。
もうじき赤い花に交じって白い花が咲きそうです。
東京は晴れの日が続いてたくさんの日差しがゼラニウムを包んでいます。
立春頃はたくさんの花が咲くかな。
4,5本のゼラニウムを秋に伸びすぎたので剪定をしてあげたのですが、茎の芽が伸びて葉っぱもたくさん出て形もよくなりました。切り取ったところは刺し芽にしておきましたがだいぶ伸びてきました。
3年ぐらいこのままでいいかな?

【2020年】ツイッターつぶやき
9月ごろに5種類の種が入った種の袋を買ってきて蒔きましたが、だいぶ成長して花をつけ始めました。

葉っぱが出てきたときはその形がサルビアに似ていたのでサルビアだと決めつけていたのですが、いざ花が咲いてみると全く違う花でした。
なんという花なのか、ここ数日ネットで調べているのですが見つかりません。
イライラしますなぁ。。。。。
デージーかなと思いましたが違う。「デージーに似た花」で調べて出てこない。
花が似ていると思ったら葉っぱが違う。
花の額の部分が特徴的なのですが、、、、、
見つけてみればよく名前は知っている花なのかもしれませんが、花の名前に疎い僕としては苦しんでいます。
今は枝も出てきてそこにも花のつぼみが見えます。
うん、なんという菜の花かはわかりませんが、ノースポールの白い花と一緒に咲くときれいだと思います。
寒咲き菜の花もだいぶ大きくなりました。
ナデシコの花芽が膨らんできました。
ビオラは花数が増えてきました。
ゼラニウムはゆっくりと咲いています。
フリージアはだいぶ茎をのばしました。
春が待ち遠しい。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
ラジオの速報で、東京の新規感染者数が2000人を超えそうです。
昨日が約1591人でしたが、増え方が異常です。
毎週木曜日の新規感染者数が一番多くなるのですが、それにしても前日よりも500人も増加するのは異常です。
≪追記≫
最終的な発表では2447人でした。
2000人超えとの速報でしたが2500人とは。。。。。
新規感染者の爆発的な増加は重症者や死亡者も増加をするでしょう。
これでピークアウトするのか?となると、陽性率はさらに14.7%に急増していますし、感染経路不明者もおよそ4分の3ほどとなっていますから検査もされていない市中感染者がたくさんいるということだと思いますのでさらに新規感染者は増加するでしょう。
全国でも7000人を超えたようです。
この中で緊急事態宣言が出ました。
なにも緊急事態宣言をわざわざ出すような中身ではなく、飲食店の営業時間を20時までとすることぐらいです。たしかにGO Toは11日以降も来月7日まで中止をするようですが、人手をどのくらい抑えられるかは疑問です。国民も疲れ切っているという面はあるでしょうが、政府に対する信頼がなくなっていることから国民も緊張感を持たなくなっているというのが実情です。
総理大臣は国会にも出てこないし、国会議員は4人以下の会食をルール化させるとかとか、ピークが終わればまたGO Toやるとかの位置合わせ。
政府が信頼できない中で社会は無政府化していく。

【2022年】ツイッターつぶやき
全国では前の週と比べて3.26倍と急速な増加となっています。
感染の急拡大でまん延防止等重点措置の適用が検討されている地域では、
▽広島県が24.69倍
▽山口県が11.11倍
▽沖縄県が6.95倍と特に急速な増加となっています。
首都圏の1都3県では
▽東京都で3.02倍
▽千葉県で3.96倍
▽埼玉県で3.32倍
▽神奈川県で1.50倍といずれも増加しています。
関西では
▽大阪府で3.01倍
▽京都府で2.04倍
▽兵庫県で1.91倍
▽奈良県で15.29倍
▽滋賀県で5.80倍
▽中京圏でも愛知県で3.78倍と増加しています。
以上NHKニュースより
感染速度が高いばかりではなく全国への広がりも早いですね。
新規感染者数から見ると欧米に比べると少ないですが、今が拡大期の初期ですから今後どこまで拡大するのでしょうか。
蔓延防止とか緊急事態宣言とか検討されているというニュースが出ていますが、また三密を避けるとか飲食店の時間短縮や休業が言われるのでしょう。そして経済対策と感染防止の兼ね合いが問題となる。
感染が縮小すればまん延防止や緊急事態宣言を解除し、拡大すればまた発令の繰り返しでは経済対策も結局は役立たなくなります。政府の予算支出が増加をして企業の救済へ。これは経済対策でもなんでもありません。

【2023年】ツイッターつぶやき
ワクチン接種も5回目に入りましたね。
僕はまだ4回目は打っていません。
ワクチンも副作用でなくなる方が出ているようですね。このような危険性もあるという理由だけで接種をしていないのではありません。
はじめはワクチンは感染予防のためといっていましたが、最近では予防効果は薄いらしく予防のための接種という言葉話あまり聞かなくなりました。今は重症化を防ぐためといわれています。早い話が死なないためにということでしょう。
ワクチン3回目ぐらいの接種率は高いと思いますし、特に高齢者は早く接種しろと言われていましたから接種率は高いでしょう。しかし感染の波が来るたびに重症者や死亡が多く出ています。この中でワクチンのヘイにおいてこれまでのワクチンでは聞かないとして新しいワクチンがはじまっています。
こう見るとワクチンが重症化を防ぐというのがほんとだろうかという疑問が出ます。重症化を防ぐとしても接種間隔が短くなっていますね。ワクチン漬けでなければ効果はないのか。
どちらにしてもワクチンの信頼度は薄れてきています。代わりに飲み薬が注目されています。
コロナも第5類になればワクチンも個人負担になり、年に2,3回の接種となります。検査薬も自費となります。
経済的にも大変ですね。
もう数十年インフルエンザのワクチンも接種したことがない。
そろそろコロナワクチンもやめたほうが無難かなと思いはじめています。

【2024年】ツイッターつぶやき
朝おかゆはできませんでしたので、夜にしました。
フリーズドライのものを使いましたが案外うまいですなぁ。
寒の入りとは言え、春も近くなり少しづつ植物も動きはじめます。
野菜は1年中ありますから、その恩恵もあまり感じなくなっていますが、萌え出た新鮮な野菜を摂取する喜びでしょう。そんなことを思い食べればありがたく体も喜ぶのでしょう。
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2025年 1月 6日(月)「雨 ♪」

2025年01月06日 21時28分06秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
東京は雨です。
11月の下旬からずっと雨が降りませんでした。
40日ぶりの雨だそうです。
のどや口の中まで乾燥して苦しかったですし、インフルエンザも猛威を振るっています。
これで少し落ち着くかな。
そういえば、乾燥肌がひどくて脛をかきむしっていました。
強い雨になってきましたので木々たちも喜んでいると思います。
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「1月 6日という日」

2025年01月06日 07時52分29秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
東京は雨です。
11月の下旬からずっと雨が降りませんでした。
40日ぶりの雨だそうです。
のどや口の中まで乾燥して苦しかったですし、インフルエンザも猛威を振るっています。
これで少し落ち着くかな。
そういえば、乾燥肌がひどくて脛をかきむしっていました。
強い雨になってきましたので木々たちも喜んでいると思います。

     ≪過去の日記》

【2004年】
窓際の日差しが当たるところで新聞を読んでいたら暖かくてぼうっとしてしまいました。でも、洗濯物を星にベランダに出たらだいぶ寒かったです。
今日は寒の入り。。。。
1ヶ月間冬眠したい。。。ハハハ

ルージュ角川文庫柳 美里  著
この小説の主人公谷川里彩に対して、若い女性ならいらいらするのではないか?化粧品会社の社員でありながら偶然に飛び込んだ将来が約束されたモデルの誘い。里彩は、祖母との平凡な暮らしを望んでおり、モデルは会社からの命令のようなもので仕方なく引き受けていく。いやだいやだといいながらずるずるとモデルとなっていく中に歯がゆさや苛立ちが出るのではないかと思う。
読んでいる男の僕でさえ少々苛立ちをおぼえる女性である。しかし里彩という女性になぜか惹かれるものがある。これが何なのか?
モデルとしての知名度や収入、これに見向きもしない女性。テレビのワイドショーなどで見るブランド品や流行にばかり走る女性にはないあるものが里彩にはある。
ブランド品や流行ばかりを追うような女性、モデルのような表面上は華やかな仕事にあこがれる女性から見たら、いらいらする女なのかもしれない。小説中の化粧品会社の上司は、美貌のある里彩が、飛び込んできたモデルの仕事に飛びつかないことを理解できない。表面上の華やかさを夢見るある一部の女性や、そのような女性を世間一般の女性と見ることへの柳さんの批判があるように思える。
里彩は、自分自身の強い世界を持っている。そんなところに里彩という女性に惹かれるのかもしれない。
「わたし、欲しいものがないんです」
しかしこの言葉の中に里彩という女性のもうひとつの面が出ている。自分自身の世界を持っている反面、「欲しいものがない」という言葉の中に自分がどこに向いて歩きたいのかがはっきりしない。自分の世界が何なのか理解できない。だからずるずるとモデルの仕事を引き受けてしまう。最後は「はい」と返事をして成り行きに身をゆだねていく。
僕としては、里彩という女性に惹かれるとともに、このような里彩にいらいらするのかもしれない。小説中の周りの人間もそうなのかもしれない。
これは恋にもいえる。
恋愛を欲しいとも思わない。しかし、その美貌と自分の世界を持つ雰囲気に男は引かれていくが、その男に対しても成り行きに身を任せる。40歳になる秋葉は里彩に恋をする。里彩はその誘いにはのるが、そこには恋愛感情はなくずるずるとした関係である。この優柔不断な関係を長々と書かれている。秋葉は振り回される。
そこにまた一人の男が現れる。CMディレクターの黒川である。
しかし黒川には慎吾という男の恋人がいる。また、黒川は「胸のなかに深い闇と哀しみをかかえこんでいる」。里彩は、こんな黒川に驚かない。里彩自身も両親の離婚や子供の頃の自閉に心の中に暗い闇と哀しみを持つ。このようなお互いが持つ心の中の共通性というようなものから里彩は黒川に惹かれ、黒川の恋人慎吾の純粋さのようなものにも惹かれていく。
このゲイの男とその男の恋人、そして一人の女性という関係は、江國さんの「きらきらひかる」と同じ構図であり、単なる恋愛感情だけではかたずかない人と人との心の結びつきや純粋さををえがいている。
里彩は、「わたし、欲しいものがないんです」というが、それは、先にも書いたように社会的な知名度や収入という世間一般の人間があこがれるようなものに欲しいものがないのであって、心の渇きの癒しというのか、人人との関係においての心の安らぎというのか、そのようなものを欲しがっていたのではないかと思う。
秋葉は、恋に対して緻密に計画性のある男である。と言っても打算的ではなく、里彩を自分のものにしたい、40過ぎの男という負い目からも緻密な計画性を持たざるを得なく、そこには純粋さはある。里彩の気に入ることは何でもするという男である。でも、里彩の欲しいものは、秋葉が与え続けたような物質的なものではなく、先にも書いた心の結びつきなのである。
秋葉は敗れる。
しかし黒川の心の暗闇は強く意外な結末を迎える。
里彩は、化粧品会社に勤めているのに化粧は嫌いだとしない。モデルとなったときに化粧をし別人のようになる。化粧をした里彩は、その美貌を含めて人間の表面的なものを現す。化粧をしない里彩は、その心の暗闇を持つ人そのものとなる。
飛躍的な見方をすれば、化粧をしてばかりいる人間だけを評価すし、そのような人間が社会を作っているという現実の日本社会への批判とも読める。
黒川は、CMディレクターという化粧を落とせない。落とせないなかに化粧をしない自分との矛盾がある。この矛盾が意外な結末を迎えたたのではないか?
ドラマの撮影中、里彩は、化粧を落として涙する自分をカメラに写させる。。。。。

今、柳さんの「言葉は静かに踊る」という読書日記を読んでいますが、そのなかに
「インタヴューでよく、夢は何ですか、1億円近いか大金が入ったらなんに使いますか、と訊かれることもある。私はいつも考え込んでしまう。欲しいものがないのだ。」
とあります。
「ルージュ」の主人公は、モデルという華やかな世界にあるが、柳さんは、売れっ子作家というやはり華やかな世界にいる。作家も迎合すればいくらでも化粧をした自分を出せる。ここに柳さん自身、化粧を落とした本当の自分を出すという決意のようなものを作品を通して暗示があるように感じます。

【2005年】
あまりにも寒いので風呂にウコンを入れました。香りもいいし温まります。
市販の入浴剤もいいですが、どうもあのどぎつい色に不安があります。
ウコンや柚子が安心です。
子供たちが小さい頃、風呂に浸かりながら牛乳を飲むというのが癖になっていました。いつも温まった頃になると「お父さん、ギュウニュゥゥゥ。。。」と。ある日のことコップにたくさんの牛乳をいれてもって行き、わざと「あっ、こぼしちゃったぁ」と風呂の中に入れたら、お湯が白くなっていくのが楽しかったようで大喜びしていました。牛乳風呂の思いで。。。

【2006年】
夕食を作りながら昨夜のおでんを温めなおし、それをつまみに泡盛を飲んでいました。おでんがおいしかった。コンニャクにまで味が染みているし大根はとろけそうに柔らかくてやはり味がしみてました。おでんというのは食べる日の前日に作っておくといいと聞きましたが、冬は腐らないしほんと前日に作っておくべきです。
今夜は豪華すき焼き。。。おいしかったです。
このところ料理の味がよく出ています。
料理というのもスランプがあるもので、何を作っても味がまとまらなかったり、どうも食ってみてまずいというときがあるものです。やはり体調もあるんでしょうね。その点プロはすごいです。毎日同じ味を出すんですからね。でも、プロはプロで微妙な素人にはわからないようなスランプもあるんでしょうか?
野菜が高いです。すき焼きに入れた春菊が1把260円ほどしましたし、長ネギも高かったです。キャベツも。。。。白菜はまだ4分の一で100円ほどでした。白菜は関東のものなんでしょうね。
肉も高いし。。。
まぁ、自然環境に影響されていることとはいえ庶民生活は圧迫されています。こういうのもデフレからの脱却?困難じゃ脱却とは言わないでしょう。。。

【2007年】
実家に行ってきました。
珍しく、息子も「俺も行く!」
車のキーを息子は握りしめて息子の運転する車ででかけました。
いつもなら「おれ行かない」という具合なのですが、目的はただひとつ。。。ううう
お年玉(笑)
もう年老いた親なので、一応小遣いをと思ってお年玉を二人に渡したのですが、その金が我が息子たちに?ムカッ。。。
3分の1ぐらいは我が子に渡ってしまった。。。。。
もうとっくに僕の身長を超えた息子と二人でコタツに入っていたら、お袋が「おまえ(僕のこと)も小さく見えるよ」と。。。。一緒に行った娘の身長も母親をとっくに肥えている。。。もちろん僕も10代には両親の身長を超えていましたが、親子3代これが順番ですなァ。
それにしてもお年玉というものに疑問を感じる。
親戚一同、自分たちのこのために財布からのの出所は違うが金を使っていることになる。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
明けましておめでとうございます。
遅くなりましたが新年のご挨拶をさせていただきます。
今年もよろしくお願いいたします。
金のなる木の花が咲き始めました。ミモザも花の芽が大きくなりました。今年は花も早いようです。
東京は年末年始とずっと晴れた穏やかな天気でした。この天気のように世の中も穏やかに晴れ渡るよとなってほしいものです。
今年もこちらの日記をどれだけかけるか。。。

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
ブラックホールを抜けると
違う世界にいけるらしい
吸い込まれてまたジェットのように噴き出されて
僕は新しい世界にいた
コーヒーでも淹れようか
僕は新しい世界でつぶやく
すごく遠い世界のようだけど
でもそこは空間が数センチ
時間がほんの数秒違うだけかもしれない
僕は君につぶやく違う世界で
コーヒーでも淹れようか

菅総理大臣の「小沢切り」が明確になってきました。もちろん金と政治の問題を明確に否定をしねじれ国会という中においての予算案などを速やかに通していくことはわかります。その中で仙石幹事長の交代という話も出ているようです。
その中で内閣改造をして新たに出発をするということでしょうが、菅内閣が何を切って何を再構築をするのかは政策が基本にあるわけです。対自民党・公明党という面ではスキャンダル的な議論に終始するわけですから国会運営を乗り切るには「小沢切り」「仙石切り」がその大きな課題となるわけですが、しかし国民の視線から見ると、そのようなスキャンダルにも目が向きますが一番の物は政策なのではないでしょうか?
「小沢切り」が小沢幹事長時代のマニフェストである「国民生活重視」切りにつながるものとして見えてくるわけです。「小沢切り」によってマニフェストも切り捨てる。この魔法のような手段によって国民の視線はよくやったとなるでしょうか?
マニフェストの変更は事実として進んでいるように思います。しかしその方向転換がなぜかは国民には見えない。変更してどうなるのかは明確に見ることができない。それは新しいマニフェストがないままに国会運営と党内運営を最重視した国民からはなれた現在の菅内閣なわけです。
国会運営をスムーズ二という面では、スキャンダル重視の議論ではいたちごっこの政局が続くわけで、政策の違いの中での議論が国会もスムーズに進められるということです。菅内閣にはビジョンがないということはずっと言われていましたが、権力の安定を「小沢切り」としてみるという何か勘違いをしたものに進みつつあります。

【2012年】ツイッターつぶやき
制御不能な心に翻弄される中に
制御するものを求めて神を置き
ひと時の安心を得るが
その神への依存心が高まると
心が神に支配されていく。
心の自由は失われる。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
「最も大きいのは単位労働コストの劇的な低下だ。日本ほど、1単位の付加価値生産にかかる労働経費が低下した国はない。血のにじむような現場の努力で労働生産性を向上させてきた成果でもある。」
     (世界の新投資秩序を担う日本株の上値余地)より引用。
「単位労働コスト」
「雇用者報酬」 
日本経済の特徴は「単位労働コストの劇的な低下」にあるとする。
単位労働コストとは、「ある量の物を作るのに必要な労働経費を示す指標」(上記リンクページより引用)だという。
雇用者報酬とは、「雇用者に対して、現金または現物で支払われた報酬の総額」(同)
すなわち「単位労働コストの劇的な低下」を生産性の向上としている。
ではこの生産性の向上とはどのような形で行われたかといえば、バブル崩壊後の失われた20年という期間を見れば、生産技術の向上はもちろんあったでしょうから本来の意味において生産性の向上もあったでしょう。しかし企業の設備投資は海外に多く向けられ国内は縮小に向かっていたと見える。そこに現れたのが派遣法による正社員数の低下と賃下げであった。日本の労働者の平均賃金は下がり続ける。労働環境はブラック企業という形でも現れているように低下をしていく。こう見ると、正社員の縮小・低賃金化・労働環境の悪化による「単位労働コストの劇的な低下」が行われてこれを生産性の向上として位置づけてきたということになる。
この考え方は賃上げの必要性は言うがアベノミクスの今後の方向性と一致をするのではないかと思う。
正社員の縮小・低賃金化・労働環境の悪化による「単位労働コストの劇的な低下」、これが失われた20年の中で行われたのですから、今ある経済の矛盾は「単位労働コストの劇的な低下」を生産性の向上としてきた結果とも言える。
小泉政権時も株価による景気の回復が言われて企業利益は増えたが国民生活は正社員の縮小・低賃金化・労働環境の悪化による「単位労働コストの劇的な低下」の中で悪化をしていたわけですから失われた20年の中のひとつの矛盾だったわけです。
今、アベノミクスでの公共事業の拡大が行われようとし、オリンピック開催への準備が必要となり、原発事故での作業のための労働力が必要となっている。ここに一部では労働力不足が生じていますが、ここから賃金の上昇を抑える必要も出てくるでしょうから正社員の縮小・低賃金化・労働環境の悪化による「単位労働コストの劇的な低下」の必要性が言われるでしょう。もちろんそればかりではなくてホワイトカラー層へもホワイトカラーエグゼンプションの導入が行われようとし、派遣労働は書くぢ傾向にある。賃下げもいまだに行われる。労働の規制緩和は、総労働者への正社員の縮小・低賃金化・労働環境の悪化による「単位労働コストの劇的な低下」として作用をするでしょう。
もちろん完全雇用などというものは行われない。高齢者・女性労度という低賃金層の活用とそれでも間に合わないなら外国人労働者(移民も含めて)の活用が行われて失業者数はそうは変わらないでしょう。それは何を意味するかといえば今の人口が減り続ける状態においても失業者数や労働の条件は下げられうるものだということを証明しているわけで、GDPも含めて経済の状態は生産人口で決まるものではないことを証明しています。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
日本は深刻な神話社会に入り込んでいます。哲学(考えること)よりも感情、足元を見つめるよりも「期待」、科学よりも心の持ちよう。。。。
唯心論や観念論、これは哲学ですから考えることを実践します。
しかし、社会の中で正しいか間違いかと言う考えることを抜きにして一つの作り上げたものを絶対として、その作り上げたものに作った人間自体が支配されるのが神話世界であり宗教性を帯びてくる。
例えば、原発政策においての安全神話がそうである。
日本の原発は安全であるという一つの神話が生まれると、誰もその安全神話に反対できなくなりその安全であるという神が人を支配し始める。そして安全であるという絶対的な神崇拝することにより冷却装置などの安全性がおろそかになったり自然災害に対してもおろそかになっていく。
哲学(考えること)よりも感情、足元を見つめるよりも「期待」、科学よりも心の持ちよう。。。。となっていくのである。
同じような神話が今はアベノミクス)そしてその政治的(な積極的平和主義というものや改憲)考え方となっている。
すでにアベノミクスは失敗だったという事実は経済学者の中でも多く唱えられはじめているが、一度アベノミクスが神格化されはじめると、失敗ではなくて道半ばなのだとされ、このアベノミクスを誕生させた経済学者や知識人そして政治家や官僚は、アベノミクスという神に対する神官となってしまう。
宗教性を帯びると、神官をはじめ一般大衆も含めてその神を絶対的なものとして排外主義となっていき攻撃性を強める。さらに一般大衆は、哲学(考えること)よりも感情、足元を見つめるよりも「期待」、科学よりも心の持ちよう。。。。に心の安定を求め始める。
ここに神話社会が完成するのである。
しかし、哲学(考えること)よりも感情、足元を見つめるよりも「期待」、科学よりも心の持ちよう。。。。
という神話社会は実際の社会特に経済法則と乖離し始めるでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
カテゴリーに「池に浮かぶ月」を入れました。ある方のブログを読ませていただいたらgooブログのメールサービスにある1年前の記事がありました。面白そうなのでやってみたら案外使えそうなのでカテゴリーにまとめることにしました。
去年1年かけて旧ホームページや旧ブログの記事を「何を思ってた?」のカテゴリーにまとめていき、暮れからはツイッターのまとめtwilogをリンクさせてみました。
これと同じようなものとなりそうですが、どこかに遊び心を入れたものを考えたいと思います。
「池に浮かぶ月」という言葉は、詩人銀色夏生さんの「夕方らせん」という作品中にある短編のイメージををお借りしました。
池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった
今日という僕という現実が池に浮かぶ僕という過去の現実を写して浮かび漂う
こんな思いのカテゴリーです。

    七草やしちぐさと読み親焦る 夕螺
ハハハ・・・・子供の頃の思い出です。
明日はドライブに出かけようと思いますので、今朝七草粥をと思っていたら、なんだかんだで食べれませんでしたので夕飯にしました。
あまり縁起は良くないのでしょうか。。。。。
スーパーに七草粥セットというものがりますので毎年これを買っています。
一応七草は入っているようです。香りが良いですねぇ。
節分そして立春まであと1か月。。。。。
じっとこらえて風邪やインフルエンザに負けず過ごしたいと思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロシアの世論調査で、「ソ連崩壊は残念」と思う人の割合が8ポイント上昇して66%になったそうです。(朝日新聞4面)
ロシアでも年金の支給年齢が引き上げられたそうで、格差が少なく生活に十分な年金が支給されたソ連時代のノスタルジーを掻き立てられたという分析もあるようです。
日本では55年体制の時代に社会党総評ブロックそしてそこに市民運動も結びついて一定の社会改良が進みました。またストライキを背景とした春闘では大幅な賃上げもされて反合理化闘争は労働者の権利や働き方を守った面がありました。高齢者にこの時代のノスタルジーもあるかと思います。労働者の賃上げと労働条件を守ろうとする社会は経済も好調でバブルにもつながりますが、同時にこのバブルが55年体制崩壊のきっかけともなりました。
ロシアだけではなくて世界中の国々で格差の拡大と貧困が問題となっています。そして政治的反動は強まっています。古き良き時代をたんなるノスタルジーではなく、そのノスタルジーから抜け出して今の時代に適応した社会づくりを考え始めなければならない時代に入りました。
2019年から2020年はそれを改元とともに考え直すような社会にならなければいけませんね。

【2020年】ツイッターつぶやき
(以下ツイッターより)
イランとは戦争はしないと、アメリカ。。。。。。
結局主権のある国の要人を殺害するというのは暗殺というテロです。
アメリカの国益のために。。。。。。
テロとの戦い。正義の戦争。民主主義を守る戦争。
これを行うことが自由とされる。
自由、民主主義、博愛という資本主義の理念はすでに歪曲されてしまった。
トランプさんはイランが報復したら51か所の重要施設を破壊すると。。。。。。
トランプさんのアメリカ1番のゆがんだ世界支配しそうです。
すでにイランはアメリカの攻撃を国家テロと規定した。
ロシアと中国は国際法違反だと。
アメリカ国内の政権も寝耳に水だったようだ。
トランプさんの個人独裁という大統領権限の乱用は続く。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
入院  3,090 人
 軽症・中等症 2,977 人
 重症      113 人
宿泊療養     924 人
自宅療養     4,901 人
入院・療養等調整中3,516 人
       (東京都ホームページ)
今日の東京の新規感染者数が1591人とまた過去最高となりました。
そして陽性率も14.4%。
東京とは重症にでもならないと入院させない方針でしたから入院を希望したり必要のある方が3516人となりました。そして家庭内感染の危険を強いられる自宅療養も5000人に迫っています。
こういう中で衝撃的なニュースがありました。
警視庁の発表によると、都内の変死者の中で122人が死後検査をしたらコロナに感染していたというのです。
入院もできない状態でいれば十分な医療も受けられずに亡くなる方も増加していくでしょう。
またこういう医療体制の実態ですから、例えば交通事故や急病になっても救急の受け入れ先の病院が見つからないということも出てきています。
すでに医療崩壊を起こしていると見たほうがいいと思います。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京や沖縄そして全国でも新規感染者数が毎日倍々になっているよう見える。
オミクロンの特徴はその感染力の速さだとも言われていますからすでに日本もオミクロンが主流になっているのではないでしょうか?アメリカやイギリスの感染者数がものすごいですが、一気に倍々に増加すればこの数字は納得できます。
感染力の強さですから活発に行動する若い人たちに感染が広がっているようです。
オミクロンは感染が早いということは一気に感染が広がり一気に減少するのかもしれません。その頂点がどのくらいの数字になるのかは予測できないようです。
重症者が少ないと言われていますが、感染者数が多くなれば重傷者人数の割合が低くても重症者数そのもは多くなるかもしれません。中等症もだいぶひどい症状ですからここも人数が多くなるかもしれません。すでに政府は方針を変えて中等症でも自宅療養や宿泊療養にするとしました。すると死亡者数も多くなるかもしれません。
ワクチンと飲み薬で重症化を抑えるようですが、多くの国でワクチンを接種しているにもかかわらず感染拡大が続いているのですから、自宅療養や宿泊療養では感染は広がりますね。自宅療養や宿泊療養では飲み薬優先となるのでしょうか?
ワクチン薬漬けの感染対策がどのくらい有効なんでしょ?そして人の体は大丈夫でしょうか。。。。。
日本はコロナ以前から薬漬けと言われていましたから危ないですね。

【2023年】ツイッターつぶやき


今日、1月6日が寒の入りでした。
明日は七草ですね。
東京は少し雲が多くてよく見えなかったのですが満月でしょうか。
今朝は寒かった。。。。。。

【2024年】ツイッターつぶやき
どうもこの円安は今年も続くかもしれないようです。もちろんドル安の中で円安も少しは改善されることはないでしょう。日本経済はアメリカ経済と同盟関係にありますから、ドル安も円高とはならずにドル安円安となるでしょう。
経済の落ち込みが続くわけですから、、、、
政府と経済団体は、3月は春闘ですから多少の賃上げを行うでしょう。しかしその後には増税や社会保障費の増加げとなる。去年と同じパターンが続く。
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2025年 1月 5日(日)「やっと、終わり・・・・」

2025年01月05日 21時58分30秒 | 「思うこと」
正月い休みもやっと終わりですなぁ。。。。。
年ごとに正月が嫌になるい。もちろん正月自体は嫌いではない。正月支度もそうは嫌いではない。何が嫌いかといえば、なんでも高くぼったくりの社会に生活せざるを得ないところである。
今日は出かけて十各近くのスーパーで買い物をしました。
このスーパーは日本海の海産物を取り寄せていて魚はもちろん寿司屋刺身もおいしい。
おいしい刺身が食いたくなり遠回りをして帰り道によりました。
しかし。。。。。
高い。
寿司3人から5人前で7000円とか9000円・・・・・・ウウウ
刺身も5000円から8千円。。。。。。ウウウ
いつもなら2000円ぐらいだよなぁ。。。。。ウウウ
でも食べたいので日本海産のぶりの刺身とあん肝を買って帰りました。
ぶりは脂がのってうまい。。。。。でも一切れ100円ぐらいです。
夕飯はこの刺身と2日ほど前に買った味付け肉。
さて焼こうと思いパンクからフライパンに入れたら思わずがっくりしました。
何度少しの肉の下にスライスした玉ねぎがどっさりと。。。。。。ウウウ
これが600円ほどでした。
毎年騙されないように気を付けるのですが必要なものは買わざるを得ないので年末の買い物にもうんざりしています。
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「1月 5日という日」

2025年01月05日 06時09分01秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
正月い休みもやっと終わりですなぁ。。。。。
年ごとに正月が嫌になるい。もちろん正月自体は嫌いではない。正月支度もそうは嫌いではない。何が嫌いかといえば、なんでも高くぼったくりの社会に生活せざるを得ないところである。
今日は出かけて十各近くのスーパーで買い物をしました。
このスーパーは日本海の海産物を取り寄せていて魚はもちろん寿司屋刺身もおいしい。
おいしい刺身が食いたくなり遠回りをして帰り道によりました。
しかし。。。。。
高い。
寿司3人から5人前で7000円とか9000円・・・・・・ウウウ
刺身も5000円から8千円。。。。。。ウウウ
いつもなら2000円ぐらいだよなぁ。。。。。ウウウ
でも食べたいので日本海産のぶりの刺身とあん肝を買って帰りました。
ぶりは脂がのってうまい。。。。。でも一切れ100円ぐらいです。
夕飯はこの刺身と2日ほど前に買った味付け肉。
さて焼こうと思いパンクからフライパンに入れたら思わずがっくりしました。
何度少しの肉の下にスライスした玉ねぎがどっさりと。。。。。。ウウウ
これが600円ほどでした。
毎年騙されないように気を付けるのですが必要なものは買わざるを得ないので年末の買い物にもうんざりしています。

     ≪過去の日記

【2004年】
今日から多くの会社も仕事始めだと思うのですが、着物を着た女性をあまり見ませんでした。こう不景気だと華やかな着物もかえってむなしくなるかもしれませんから着ないほうがいいのかもしれません。どうも見せかけの華やかさは苦手です。
そういえば今の日本も見せ掛けやはったり、見栄ばかりですね。
中国が有人飛行に成功したときに、日本のほうが本来技術力はあるのだというようなことを言っていた人がいましたが、日本の科学も含め全体のシステムは狂っているのであり、そこには目を向けない。経済大国の輝かしい過去ばかりを見てそこにこだわり、未来に向けて何が必要かがない。改革という言葉は流行っても、それは米百表のような我慢をしろという国民泣かせの精神論である。
これからさまざまな中にこの精神論が流行ると思います。現実を直視して未来を描けない中に精神論は忍び込んできます。

【2005年】
3日に妻と大きなお寺に初詣に行ったのですが、境内は混雑をし、賽銭箱前は電車のラッシュなみでした。
お参りを済ませて出口に向かったのですが、そのとき後ろからすごい力で押されて腰を痛めている僕としては辛かったです。どんなヤツだと振り向いたら細木数子そっくりのおばさん。。。。うううう・・・
何だか今年もあまり運勢がよくないのか?細木数子そっくりさんに押されて運がいいのか?
昨日娘と渋谷に行ったときに、娘が1000円の福袋を買ったのですがたいしたものが入っていませんでした。明日あたり妻と買い物に行ったとき安い福袋でも買ってみようかな。福袋って、買うときに値段から期待はしないように思うのですが、やはり買ってみると期待をしてしまう。そしてやはり中身を見てがっくりと。。。(笑)まぁ、これが福袋の楽しみなんでしょうね。

【2006年】
昨日干した洗濯物がまったく乾きません。いつもは合成洗剤を使っていないのですが、嫌な臭い防止のために使っています。
日本海側から東北にかけてすごい雪のようですね。お見舞い申しあげます。
寒さも記録的だそうです。でも、僕が子供の頃は外に干したタオルが凍っていたこともあり、それに比べればそうは寒さもきつくはないと思うのですが。。。
しかし、それにしても今年の冬の寒さは骨身にしみます。
今のところ風邪もひかずに頑張っています。
今朝、体脂肪計でデーターを採ったのですが、やはりこの年末年始で悲惨な結果となりました。今年もジム通いを頑張りたいと思います。しかし・・・1週間サボっただけで体は元に戻ってしまうなんて、ジム通いも一生やめられませんなぁ。。。
子供の頃、学校で身体検査があり「私のからだ」という身体測定結果をもらって帰り、保護者の印鑑を押して返していましたが、いつもお袋から「何でお前はこんなに痩せているんだ。飯もちゃんと食わしているのに」と笑われていましたが、いつ頃からだろう少し太りだしたのは。やはり結婚後かな?
HPにジム通いのページを作りましたが、平衡してメモ欄を作り体脂肪計の結果を残し始めました。メモのページ名を何にしようかと思い子供の頃を思い出して「私のからだ」にしようと思ったのですが、なんか検索サイトで変なサイトかと勘違いをして来てしまう人もいるかと思いやめました(笑)オヤジの体脂肪結果では申し訳ないですからななぁ(ガッハッハッハ・・・・)
しかし、馬鹿笑いをしている場合ではないですなぁ。。。
正月そうそうの新聞に衝撃的な記事を三つ見つけました。

1、「就学援助4年で4割増」
就学援助とは、学用品や給食費、修学旅行費などへの援助だそうですが、その援助を受けている児童が東京や大阪という大都市で4人に1人という。慢性的な不況が強いという北海道や沖縄でも高い数値が出ている。
この影響は、将来への希望を児童たちがもてないという結果にもつながっているようである。
2、「人口減の村・日本の将来」
昨年1年間で1人しか子供が生まれなかった村を紹介している。
70年代からの都会への若者の流出と村にいては結婚相手が見つからないといいその影響で村に子供がいなくなっている。
しかし、この子供の数の減少は、過疎の村だけではなく、都会に流出したという若者が集まる大都市も含めて出生率が1.29だという。200年後には江戸時代ぐらいの人口になり、1300年後には日本人がいなくなるらしい。
3、仕事に「満足は58%」
昔から仕事にあまり生きがいをもてなかったというものはあったが、今は大いに感じる人が19%、ある程度感じるが49%、合わせて68%。すべての生活内での生きがいは、合わせて76%。この差は生きがいを仕事以外に求めていることにあり、仕事と仕事以外をどちらを大切にしているかでは、仕事は23%、仕事以外の自由時間は60%となっている。家庭回帰は進んでいる。転職の是非は、転職したほうがいいが半数以上である。
今の生活レベルは、中の中がやはり一番多いが、中の上以上は20%に対して中の下以下は37%と、昔「一億総中流意識」といわれていたが生活レベルの悪化意識は進んでいるのではと思う。

子供を生むというのは、まったくの個人的なまたは夫婦単位の私的なものである。それにはいろいろな要因が重なってその意識もでてくるものだと思う。しかし、一つの大きな要因は経済にあるのではないかと思う。
たしかに昔の貧乏時代の日本では「貧乏の子沢山」という言葉があり、貧乏だから子供を作らないということにはならないのだが、昔と今とでは生活そのものが変化をしてきており、昔はほんとの貧困が存在していたが、今では豊富な中の貧困が進んでいるということである。この豊富な中の貧困というのは、有り余るものがあふれかえっているがその有り余る物を手に入れることができないという貧困である。昔に比べれば、科学力の発達と生産力が高まり、ある程度の物が手に入りやすくなっており、それが裕福という意識に見える。しかしその有り余るものを消費できるような庶民の経済能力があるかといえばそうではなく、無理をすれば他を犠牲にするしかないのである。共働きでやっとという(女性の社会進出というものもあるが)状況も昔と変わりないのである。そこにはやはり貧困があるのではないのかということが豊富な中の貧困なのである。
正月も終わらないというのに町の中では夏のボーナス一括払いセールのようなものが目に入るし、カードローンは当たり前になっているし、テレビコマーシャルではサラリーマンローンの宣伝も多く、銀行の関連会社か?と思われるサラリーマンローンも出ている。庶民の懐に今ある金がないから将来に入るであろう金をもあてにして企業も躍起なのであり、これが一つの豊富な中の貧困の現われなのである。
今は昔に比べて庶民も子供を育てるには、教育環境も豊富になっており、この豊富な中にやはり貧困も出てくるのである。生活環境を変えずに教育環境についていくには子供の数を減らさなくてはどうにもならないのではないか?
大昔には間引きというものがあったらしいし、近い昔は、食わすことはできるとしてできたものは仕方ないとし、そうは子供に金はかからなかったし、今は家族計画の普及と中絶技術がこれに替わっただけなのかもしれないと思う。
長寿大国といわれるにもかかわらず、バブルのはじけた頃の90年代に県によっては人口減が始まり、人工のピークが長引く不況をどうすることもできないで庶民を犠牲にする政策や企業意識が一層あらわになってくる2000年が人工のピークというのは皮肉である。
就学援助の増加というのは、意識の変化もあり、昔は肩身の狭い思いをしたもんだと思ったことがあるが、今は個人情報の保護意識も高まったし、あんがい気楽に受けられるのではないかと思うほどになっているのかもしれない。しかしこれだけの増加は異常である。庶民の生活レベルが下げられれば国がそれを面倒見なくてはならなくなる。何も就学援助だけではなく、
(時間がなくなりましたので明日にでも続きを書きます)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
なんだか、三度三度毎日「何食う?」というのも嫌になったので昼はデ○ーズへ。
一時デ○ーズも味が落ちたかなと思った時期もありましたが、最近はまたおいしくなりましたね。
ファミレスの中ではやはり一流でしょうなぁ。
午後からは初詣に。
そろそろすいているかと思いましたが、やはりすごい混雑でした。明日までは込み合うのでしょうか。
参道にはたくさんの屋台が並んでいました。
定番のお好み焼きやたこ焼き、チョコバナナにスモモ飴。。。
最近は焼きそばもあんかけ焼きそばになっていたりしてびっくりしました。屋台もいろいろと工夫をしたり若い人をひきつけようとしたりしているようです。屋台が並ぶ風景は好きだなぁ。。。。
厄除けのお札と交通安全の車に付ける破魔矢をいただいてきました。
昨日は、実家に行って来ました。
老夫婦が喧嘩をしながらも無事正月を迎えていました。
お互いに相手を「ボケた。。。」と嘆いていますしたが、どちらがまともでどちらがボケているのやら。。。ううう
正月も終わりですねぇ。。。。
七草も近い。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの句集「機嫌のいい犬」(集英社)を読み終わりました。
この句集のタイトル「機嫌のいい犬」は、
   徹頭徹尾機嫌のいい犬さくらさう  (144ページ)
という句からのようです。
徹頭徹尾という硬い言葉とはしゃぐように走ったり駆け寄ってくる犬の様子そして「さくさう」という柔らかな花の名(そしてひらがな)のコントラストに硬い言葉も生きてきて春のきらきらする光と暖かさなどが目に浮かび肌に感じるようようです。
電熱線のコンロというものがありますが、冬に鍋デモするのでしょう、仕度をして電気コンロのスイッチを入れたらしばらくして熱で膨張する金属のカチッといった音が。。。。こんな何気ない様子の中に冬の夜を強く感じます。
俳句は季節をスケッチするものと思いますが、きれいな風景といったものではなくてどこか生活臭や一瞬の心の動きといったものを感じさせます。
この心の動きというものではページを開くとすぐに
     はっきりしない人ね茄子投げるわよ
という句が目に入ります。ドキッとしますなぁ(笑)
ある句ではお風呂に入ったら乳房が少し浮くとか。。。。男と歩いた錦糸町をとか。。。。。。川上さんの小説は男が読むとドキッとします。女性読者ならフフフ・・・・と?この恋の句もたくさんありますが、これもまたすごく生活臭がするものが多いです。
時には一人の女として、時には母として。この中での生活の人場面の中の心の動きにドキッとします。
時には激しい心の現われと性。
そして死があります。印象的だったのは叔父の死ですね。短編集だったかな?中にもこの叔父の死を描いたのではないかと思う作品がありますが、それは美しい世界主人公と死んだはずの叔父が出てきます。句にもこの美しさを感じます。そこにも生活臭があるのでしょうか。
生活臭は時には句の中に捨てられた便器が出てきたり少し汚れたものを感じさせますが、これも川上さんの世界です。糞も出てきますが、これもまた生活に目を向ければ当たり前のものです。小説の世界でも同じです。そこにどんどん入ってきて生活臭をばら撒きながらその傍らにあるなんともいえない心の動きがあります。
心の動きという面では怖さというものが出てきます。正月飾りのプラスチックの伊勢海老やオカリナの音色に怖くなる。生活の中には恋や愛もあればきれいなもの楽しいものがたくさんある。でもその生活にはどんよりするような日常の汚れもある。そして怖さとか不安もある。喜怒哀楽という一言で済ませばそれまでですが、生活という一言の中にこの喜怒哀楽が凝縮をして流れていくことをあらためて感じます。
このような生活を俳句にする。。。。その中には俳句のもう一つの魅力である「おかしみ」があります。汚いものや怖いもの不安なものを含めたそれらをおかしみの中に表現をしてしまう。俳句の魅力です。そして「あとがき」の中に川上さんがお書きのように日本語にはこのおかしみを含めた少し不思議なそして美しい言葉がたくさんあります。それを意識した句集となっているのでしょう。この日本語の美しさは小説の中でも現れています。
言葉は面白い。。。。そして俳句は面白い。その意味において詩ですね。

【2012年】ツイッターつぶやき
「食べログ」。。。。残念ですね。ときどき覗かせていただき参考にしていますのでブログからもお気に入りに入れていたのですが。。。。
もちろん「食べログ」のサイト自体が悪いわけではないのですが。
食べログに乗っている飲食店から金をもらいランキング(口コミ)を意図的に上げるということでしょうか?
ネットで金儲けも言いづすが、このような行為はネットの楽しさを奪うものですね。
食も文化です。
この文化を皆が語り合って評価をするということですから、ここに今回のようなある意味「やらせ」が入ってくれば食の文化に傷がつきます。
逆のパターンもあるのでしょうか?ランクを下げる「やらせ」。。。。。
食の文化にランクをつけることでは有名なミシュランがありますが、なんとなく踊らされているような気持にもなり本を買ってみようとは思わないです。まぁ、僕のようなものには別の世界のような高い店でしょうから?
ヨーロッパでもアメリカでも、そして日本でも国債のランクに右往左往しています。一民間企業の格付け会社の格付けで国家の信用までは評価されてしまう。よくよく考えてみればおかしな話です。
ランク付けというのは、判断材料という面で素人には手早い情報なわけですからちび付きやすい面があります。
「食べログ」にしてもランク付けという手軽なものはなくした方が良いのかもしれません。口コミもある程度の中身のあるものに限るとかも必要かも。こうすれば今回のような「やらせ」的なものもなくなるのではないでしょうか?いちいち書かなければならないとなると手がかかりますからね。
朝日新聞夕刊には、ネット上での批判について書かれていました。よく見る「死ね」とか「辞めろ」とか「謝罪しろ」とかという言葉だけによる正義感の現れもランク付けのようなもので手軽な言葉の批判なわけです。「抗議」というものもありますが、デモとかでの抗議と同じように思われているのでしょうか?

【2013年】
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
生産性の向上というものが本来どのようなものかという考え方をもたないとならない。
賃下げという人件費をコストという面から捉えてそれを生産性の向上だとする論理はまったくの間違いである。労働力もひとつの商品ですからそれには価値がある。その価値どおりに売買されなければ経済法則を混乱させるでしょう。それは力のある者が商品を買い叩いて相手の損失分を自分の利益とするような社会は長続きはしないでしょう。ましてやそれを堂々と生産性の向上だと自己満足をするなら相当なひどい経済理論である。
生産性の向上とは、生産設備の改善などによる技術上の発展からより少ない労働力でより多くの商品を作り出し、その商品の価値を下げて価格を下げることにある。その生産性の向上は資本主義的競争の原動力なのですから法則性となる。よりやすくて大量の商品を市場に出すことによる特別剰余価値の生産。
しかしこの生産性の向上がひとつの限界に達すると企業の利潤は平均化をしてしまい生産性の向上が停滞する。それが経済矛盾として現れるわけで、生産性の向上と法則的だが同時に経済の桎梏ともなるという矛盾を表す。経済の法則性は、必要とされる労働力の減少を労働時間の短縮に向けろといっているのである。商品の価格下落は少ない賃金でも労働者の生活を安定化させろといっている。法則性はここにあるのですからその法則性に従うほかはないのです。
労働人口の減少を補うのもまたこの生産性の向上から解決を見出すでしょう。より少ない労働力量でというのは時短の条件と書きましたが、それは少ない労働力量を補うといった形にもなるでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
昨日のツイッターのまとめです。

「ロゴフ教授、黒田日銀の異次元緩和を支持 」。。。好景気での物価上昇傾向(消費の拡大)と今の悪性の物価高を混同すると大変なことになる。
「日刊ゲンダイ|水野和夫氏が警鐘 「今年は日銀が自ら資本主義に幕を引く」」そもそもアベノミクスの成果といわれるものは、円安とそれによる物価高。そして株価と企業への資本の集積です。それで経済が好転したのかといえば、矛盾は深まるばかり。
景気が拡大する中での物価上昇傾向(インフレ)があるということから、逆立ちして物価が上昇すれば景気拡大になると嫌やまった考え方は捨てたほうがよい。
経済法則によらない人為的な物価上昇政策は、国家による統制経済に導かれる。そのためには強力な政府が必要で、日本は年末の選挙でこの強力な数の力を持つ政府が出来上がった。
国家による統制経済は、その国家の富をある階級あるいは組織に集中させるだろう。もちろん国家による統制経済は本来の経済成長ではないのだから、集中すべき富をどこから作り出さねばならない。それは一般的勤労国民からでしかあり得ない。または支配することのできる他国からだろう。
経済の力が衰えた国家においてこのような統制経済が行われるとき、経済による他国への影響力がなくなればすぐに思いつくのは短絡した軍事力である。そして国内的には窮乏化する国民の当世統制である。
実はこのような国家は強い国家ではなくて弱さの露呈した国家なのです。何も日本だけではない。先進資本主義国が陥りやすい一つの傾向なのです。しかし政治思想的には先進国においては資本主義の理念が国民の中に定着をしている。それは第二次世界大戦を総括したものだろう。
ですから国家による統制経済は現代資本主義においては古臭いものになっており、資本主義の発展はその逆を求めているのである。

「資本主義的統制経済」の続きです。やはりツイッターより。
自由経済を自任する資本主義と統制経済というものは矛盾すると思われるが、実は密接に結びついている。何も統制経済が社会主義や社会民主主義に結び付けられるというだけではない。
資本主義が統制経済に結びつくことはどのように行われるか?「国家独占資本主義」という言葉は戦後の古くから規定される言葉である。自由な競争とグローバル化(これは古くは植民地種主義としても存在する)の中に競争は激化して国内だけではなくて世界レベルでの資本の集中が行われる。
様々な産業は独占化されていく。しかし独占化されてもそれが競争を排除するものではない。独占化されるが故に競争は熾烈になる。この独占企業と国家とは深く結びついてその熾烈な競争は進む。国家独占資本主義といわれる形をとる。
もちろん今ではこの独占企業はグローバル化の中で国籍を持たないとも言われているが、それが真に国家から離れた自由な行動としてのグローバル化かといえばそうではないだろう。一方に自由がると同時に一方ではその独占企業は国家(母国)と結びついている。
ここに後進国が追い付いてくるだろう。かつて植民地主義時代にその植民地を再分割しようとした国に日本もあった。今は植民地時代ではないが、商品の世界市場に進出する後進国は現れる。それは先進国がグローバル化することで加速されるだろう。
国家独占資本主義に突入する資本主義の競争の熾烈さは、その競争に勝つためにどのようなことが国内に起きるだろうか?GDP第1位と3位の国を見ると国民の相対的貧困率が高まっている。格差の拡大とその格差の醜さが表れている。国民生活は競争に勝つほどに貧困・低所得層は拡大する
また、その競争のためにはアメリカの軍事戦略や最近の日本の右傾化を見てもその答えは出ている。常に軍事的な衝突(かつての代理戦争のようなものも含めて)の危険性は増していく。同時に軍需産業への依拠も増大するだろう。冷戦が終わっても戦争の危機はなくならない。
国民生活を犠牲にした競争との排除と平和主義の存在感は増している。それが同時に資本主義の更なる発展と結びつくだろう。

日経平均の円建てとドル建ての差の拡大は進まざるを得ないのだろうか?日銀は緩和をさらに進める?円安は何も経済全般に好影響は持たずに国民生活は疲弊する。独占企業の生き残りのために。しかしその競争に勝つことが国民生活全体を豊かにしないだろう

【2016年】
(記事なし)

2017年】ツイッターつぶやき
GDPギャップは、個人消費の減少(これは絶対的ではない人為的なもの)により供給を減らすことからそのギャップは大きくなる。企業の供給は設備投資を抑えることは当然、工場や店を縮小させて失業者や低賃金を増大させる。するとさらにGDPギャップは大きくなる。経済学は逆立ちしてはいけない。
一般的なGDPギャップの拡大(マイナス)は、需要よりも供給が大きい場合に企業の設備や労働力が過剰になった時に起きるとされる。
しかし絶対的需要の縮小はあり得るのか?
多くの人々はほしいものがたくさんあるが懐の中にある貨幣量が足りないので消費しないだけである。
需要は多くの人々の懐にある貨幣量によって決定する。最低限の寝て食うだけの生活が国民に強要される場合を見ればその需要の大きさの減少がはっきりするでしょう。
ではこの国民の懐の貨幣量の減少はどのように起きるか?
まず、一定程度の賃金が保証されている場合を仮定するとしても、企業間の競争は生産性の向上による生産拡大が至上命令である。同じ商品量をより少ない労働力量で生産するのが生産性の向上である。この場合労働時間の短縮が伴わなければ労働力は過剰となる。ですから、GDPギャップの拡大は需要よりも供給が大きい場合に企業の設備や労働力が過剰になった時に起きるというのは間違いなのである。むしろ経済が成長しているときに労働力の過剰は作り出される要因となっているのである。
失業は不可避性となる。
失業は労働者の低賃金化を招く。
よって需要の縮小は始まる。
ところが低成長あるいはゼロ成長やマイナス成長下の今の日本の生産性の向上は、失業はもちろん労働者の賃金の切り下げと労働郷土の増大と長時間労働と考えられてしまったのです。
搾取の強化により労働者の賃金は生活もままならない層の労働者を拡大させた。
すると、この中での需要はさらに激しく減少するでしょう。
激しいGDPギャップが現れる。
企業は通常の消費もままならない中で大規模な生産縮小あるいは商品のダンピングに走る。
アベノミクスそしてこれまでの自民党の政策はこのような状態に労働者をここまで落としたのである。
同じGDPギャップの拡大としてもこの矛盾は相対的な生産の過剰が起きるでしょう。
成長は止まります。ますますマイナス成長に向かうでしょう。
商品市場における恐慌が発生します。
それは資本とならない貨幣量の増大は金融恐慌にいつの日か飛び火するでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
yahooニュースに「専業主婦も輝ける」という記事があった。
「専業主婦も輝ける」。。。。これは間違いないでしょう。
社会の中では働く女性が多くなり専業主婦も少なくなっているでしょう。その中で専業主婦は肩身が狭く、働く女性が輝く社会が言われる。
しかし女性が輝くという曖昧な言葉の中身をみなければならないでしょう。
女性だけではなくて男性もそうです。
輝く人間というものに行きつきますね。
社会中を専業主婦vs働く女性とか、女性vs男性、高齢者vs若い人、正社員vs派遣等々対立関係に置かれているのが国民全体です。
この様々な対立は社会の中で人為的に作られているものです。
「専業主婦vs働く女性」も専業主婦は肩身が狭いと感じているが、働く女性も肩身が狭いと感じている。子育ても福祉として社会から差別される「保育園の子」あるいは「学童の子」という差別化の中で肩身が狭い思いをさせられる。女性が働き続けることに対して結婚しても辞めないのか、子供が生まれても辞めないのかと企業の中でも肩身が狭い思いをする。このようなお互いに肩身が狭い思いをさせられる中で、「専業主婦vs働く女性」という対立が作られてそれが女性同士での対立から互いに差別化していくことになる。この状態では女性は輝けないでしょう。くすんだ心が強くなる。
主婦に生きがいがあるというのも真実でしょう。しかし働く女性も家事をする。主婦の生きがいもあれば働きながら夫と協力して家事を行う生きがいもある。ここに対立関係はないはずなのになぜか対立関係に置かれる。
ほんとは働きたいのに仕方なく主婦をしながら生きがいを見つけるというのでは輝けない。
専業主婦の方が楽できるのに・・・・と考えながらも生きがいを見つけるでは輝けない。
どちらもが社会の仕組みや常識から苦しんでいるのです。
人の生きがいなどはどうしても今の社会の中での経済問題にぶつかります。この経済問題の解決抜きに真の生き方や生きがいは生まれないでしょう。

【2019年】>ツイッターつぶやき
gooお題「あなたの家のお雑煮を教えて!」
東京です。
といっても東京でもいろいろなお雑煮があるかもしれませんが、わが家の雑煮は一般的な東京の雑煮かと思います。
薄味の醤油のだし汁です。
具は大根とニンジンのいちょう切りと鶏肉です。
四角い切り餅を焼いてから入れます。
トッピングは紅白の蒲鉾と三つ葉と柚子の千切りです。伊達巻を乗せることも。
クックパッドで調べてみたら、基本的には大根とニンジンで、トッピングでそれぞれのおうちの特徴があるようです。
御節料理を食いながら雑煮を食べますからあっさり系がいいかな。。。。。。
おせち料理は食いつくしました。

【2020年】ツイッターつぶやき
朝日新聞1面3面に若い人の政治参加とその中での民主主義の現状が特集されていました。
「対話をあきらめず 運命を委ねない それが民主主義」(引用)
政治と民主主義あるいは社会のシステムの中での民主主義これをどれだけ若い人が大切にしているんでしょ?
「自分で国や社会を変えられると思う」と考えている若い人は、多くの国では50%を超えていますが、日本は約20%です。
「社会課題について、家族や友人など周りの人と積極的に議論している」では、多くの国では60%以上90%ですが、日本は20%強です。
若い人は社会や政治を変えることにあきらめているのでしょうか。
それとも運命を一部の人々にゆだねているのでしょうか。
そもそも政治や社会について考えていないのでしょうか。
考えても仕方ないから楽しいことを考えているのでしょうか。
様々なことが考えられますが、一つたしかなことは、政治自体あるいは社会のシステム自体がすでに民主主義から離れたところにあると同時に、その中で若い人たちもならされているということではないかと思います。
もちろん全く考えていないわけではないのですが、民主主義から疎外されていると、政治的な考えもポピュリズムに利用されたり、みんながそう思っているから正しいのではと右へ倣えなったり、時にはそこから排外主義へ走っていく。
社会方経過と若い人の意識性が負のスパイラルに入っている。
でも、この現象は若い人の実態であるだけではなくて、若い人を育ててきた世代の現状なのです。世代にわたって政治離れが進んでいく。
そういえば、昔も政治の話や会社批判などすると、「お前はまじめすぎる」「損をするだけだ」といった言葉が返ってきた。それでも野党の力が大きかったですから多くの若い人たちは政治運動や、労働組合運動そして市民運動に立ち上がっていた。今この組織性とそこにある思想性がなくなっているんでしょう。
でも生活や社会実態は容赦なく若い人に襲い掛かってくる。
「おかしいと 声上げた高校生 政治は変わった」

【2021年】ツイッターつぶやき
一部報道では7日から緊急事態宣言が出されるようです。
たぶん東京、埼玉、神奈川、千葉の1都3県に限定され、中身は飲食店の営業時間を現在の規制である10時までを8時までにし、鉄道の終車を早めるぐらいになりそうです。
ですからGo To中止延期も1都3県に限定するという見せしめのようなものになるかもしれません。
このぐらいの処置ならば何も緊急事態宣言などの必要はないのですが、要請に従わなければ店名を公表するという強権が政府の目的でしょう。これを2月の国会で罰則を設けるという特措法改正に結び付けるでしょう。
結局これまでの政府によるコロナ対策の失敗を隠して飲食店をはじめとした国民の自己責任を求めることになる。
Go Toは続けられ、1都3県の新規感染者数が横ばいになればまた復活させるシナリオでしょう。しかしこれでは感染拡大は防止できずの第4の波が来るでしょう。
緊急事態宣言など出さずに、営業時間規制に対する協力金を十分出せばいいだけです。しかしこの営業時間規制も必要ではなくて、夜遅くまで働く人が一人で食事をする場が必要です。Go Toイートなどを中止して会話などを規制し食事を楽しむだけの場にすればいいんです。そのうえで会食の危険性を知らせればいいんです。

【2022年】ツイッターつぶやき
今日は寒の入りでした。
東京もだいぶ気温が下がり、今朝車に乗ったら車が低温注意という表示をしました。
明日は雨になりそうですがもしかしたらちらほらと初雪かな。
寒の入りで「小寒」ですが大寒よりも寒さが厳しいらしいです。大寒になれば春は近いですからなぁ。。。。
この寒さの中これと言って楽しみはないのですが、7日は七草がゆで、11日は鏡開きでお汁粉。15日は小正月で小豆粥。。。。。こういったものをつくったりして寒さの中に楽しみを持ちたいと思います。
そうこうしているうちに節分になり立春ですからなぁ。
今夜は寒いので熱々のおでんを作りました。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
一昨日、こんなことを書きました。
現在中国やアメリカでは感染力が高い変異株の感染拡大があるそうです。ワクチンの効き目も少ないとか。日本にもすでに入っているでしょうね。空港などの水際対策も簡素化されていますから。
ワクチンに頼る日本ですから今後どうなるか?
正月の連休がどう作用するか?
今日5日の東京の新規感染者数は20000人を超えました。そして全国では220000人を超えました。
特徴的なのは、大都市圏にはあまり変化はなく地方のほうで感染が拡大しています。日本海側や東北は雪が多いというのがあるのか、中国から九州で新規感染者数が増加しています。
本来政府による社会的規制があれば1週間物連休ですから新規感染者数をおさえられたはずですが、連休で感染者数が増加をすることに。
東京では新規感染者は20代から50代に多く発生しています。
連休が終わり社会活動も戻りますから今後感染拡大傾向が続くでしょう。
病床使用率も55%になっています。
家庭内感染の広がりなどで高齢者の感染が多くなるでしょう。すると死亡者も多くなり病床使用率も高くなる。

【2024年】ツイッターつぶやき
能登地震で、石川県の志賀原発で爆発音が起きたとされていました。爆発ではなかったものの冷却水関連の変圧器の脂が2万リットルほど漏れたそうです。原因については発表されていませんが、当初発表時より数倍多かったことが判明しています。また、原発周辺の線量計は線量をはかっていなかったようです。
なんだか原発の現状を正確に発表しているのか疑問になります。今後再稼働の話も出てくるでしょうが、正確な実態を隠すことがあれば日に大きな事故につながりかねません。
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2025年 1月 4日(土)「世界の亀山」

2025年01月04日 21時53分50秒 | 「思うこと」
我が家のテレビは世界の亀山も出る。
もう10年ぐらい前になるかな?家電量販店にテレビを買いに行ったら、店員さんが世界の亀山はいかがですか、もう我が店では最後の販売になりますと。
今調べたら亀山モデルは2012年で生産打ち切りのようでした。すると、我が家のテレビは清算後少なくとも13年になろうとしているはず。
テレビメーカーも多く残っていた時代最後の象徴的なテレビですね。
世の中はパソコン時代で半導体産業が伸びテレビをはじめとした家電が海外での生産に。
昔は日本の家電は世界で注目されていましたので、世界の亀山モデルも説得力がありました。そして、こうして10年以上も故障なしで写っています。
家電も使い捨てが追われ始めて久しいですが、大体が5年以上になるとダメになる。洗濯機なんか何台買い替えたか。。。。。
ちょっとした部品の故障で代替が買い替えとなる。町の電気屋さんもなくなり部品交換も大変ですし、数百円の部品交換で数膳円の費用がかかる。それでも来てくれるだけありがたいが。
先日世界の亀山の画像がおかしくなった。多分遠来の影響かと思いそのままにしていたら今はきれいに映っています。
15年以上使えるかなぁ。。。。。
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「1月 4日という日」

2025年01月04日 09時32分00秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
我が家のテレビは世界の亀山も出る。
もう10年ぐらい前になるかな?家電量販店にテレビを買いに行ったら、店員さんが世界の亀山はいかがですか、もう我が店では最後の販売になりますと。
今調べたら亀山モデルは2012年で生産打ち切りのようでした。すると、我が家のテレビは清算後少なくとも13年になろうとしているはず。
テレビメーカーも多く残っていた時代最後の象徴的なテレビですね。
世の中はパソコン時代で半導体産業が伸びテレビをはじめとした家電が海外での生産に。
昔は日本の家電は世界で注目されていましたので、世界の亀山モデルも説得力がありました。そして、こうして10年以上も故障なしで写っています。
家電も使い捨てが追われ始めて久しいですが、大体が5年以上になるとダメになる。洗濯機なんか何台買い替えたか。。。。。
ちょっとした部品の故障で代替が買い替えとなる。町の電気屋さんもなくなり部品交換も大変ですし、数百円の部品交換で数膳円の費用がかかる。それでも来てくれるだけありがたいが。
先日世界の亀山の画像がおかしくなった。多分遠来の影響かと思いそのままにしていたら今はきれいに映っています。
15年以上使えるかなぁ。。。。。

過去の日記≫

【2004年】
妻と初詣に行ってきました。
もうそろそろすいているかと思ったのですが、まだだいぶ混雑をしていました。境内には露店も並び冷やかしながら歩くのも楽しいです。
毎年車のフロントガラスに貼り付ける交通安全のお守りを買うのですが、1年のうちに数回ヒヤッとするときがあります。事故にはならないのもお守りのご利益でしょうか?できれば、このヒヤッとするのもなくなるほどのご利益があればいいのですが。。。。
やはりお賽銭が少なすぎるのかな?(笑)
まあ、ともかく無事故のお礼にお金を添えて古いお守りを返してきました。
境内で甘酒。。。。甘すぎで半分しか飲めなかった。

【2005年】
「約三十の嘘」という映画を観てきました。
詐欺師グループですが、お互いに疑いながらもそして裏切ろうとするのですが、最後にはなんともいえない人間的な信頼というのか友情を感じる映画でした。最初から最後までトワイライトエキスプレスの車内ばかりでした。久しぶりの映画でしたが楽しかったです。
それにしても渋谷の街の混雑にはびっくりしました。若い人達がたくさん歩いています。何だかエネルギーを感じます。おじさんもたまには渋谷辺りを徘徊することもよいかもしれません。

【2006年】
津田青楓の「漱石と十弟子」を今日から読み返し始めました。もう25年ほど昔に読んだ本です。
なぜ読み返す機会ができたかというと、ここ最近読みはじめた内田百閒が漱石の弟子であり、「私の漱石と龍之介」という著書もあり、漱石の門下生を思い出してこの津田青楓の本を開きたくなったからです。
「漱石と十弟子」を開くと、扉に漱石山房での木曜会の風景に漱石と十弟子が描かれた絵があるのですが、どう勘定しても弟子が11人描かれている。その中に百閒もいるのである。薄ら覚えなのだが、津田青楓が後に百閒を書き加えたものだと思う。若き百閒は髪を真ん中から分けて丸い顔をしている。その絵の横に「百鬼園」とある。百閒である。
以前は、この百鬼園と百閒が同一の人とは気がつかなかったようで、本を開いたときには驚いた。
津田と漱石の師弟関係も描かれてはいるが、津田と弟子たちとの交わりや木曜会の様子などがわかりおもしろい本である。
そして百閒と津田との親交もまたおもしろい。この辺でまた百閒を理解できるのではないかと思う。

【2007年】
なんだかついていないというのか変な一日だった。
朝、電車の中で席が空いたので座ったら、隣のじい様が。。。。
頭が痒そうで、ずっとかきむしっていた。それだけならいいがフケがぼろぼろ。
ううう。。。
帰りの電車の中でも席が空いたので座ったら。若いカップルが前に立ってきて網棚に荷物を乗せようとした。
その荷物の紙袋から缶のお茶がおちてきて僕の手に当たった。
ううう。。。
新年早々の初出勤というのに嫌な一日だった。
今年もあまりいい年ではなさそう。。。。
何しろおみくじが末吉ですから。。。。。
でも、このくらいの悪いことで新年が始まったというのは不幸中の幸いかもしれない。これが末吉という運勢かぁ(笑)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
気持ちのせいか

夕暮れが輝いています

明るい輝きを感じます

一日一日と春は近づいてきます

金のなる木の小さな花がたくさん咲きました

胡蝶蘭は小さな花のつぼみが

デンドロビュームは茎を伸ばしています

今が一番寒い季節

でも今が一番寒いということは

しばらくすれば暖かくなっていくということ

新年の迎春は少し戸惑いますが

来月になれば旧正月

春のはじまりですなぁ。。。。。。

今年は花粉が去年の10倍だとか

まぁ、我慢をしましょう

春は待ち遠しい

しかし頭の中に霞が漂うのは。。。。。

花粉症も頭の中の霞も

まぁ、風流と思えば。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
先日の続きです。
ですから「日本経済は、雇用を最優先し、ひたすら生産性を下げてきた」 というよりも生産性をあげてきた中に必要とする(訂正)相対的に雇用者数を減らしてきたと見るべきで、その範囲内に雇用を守ったというだけでしょう。雇用を最優先にするために企業は生産性を下げはしない。
生産性が落ちたのは、生産性の向上から商品価値が落ちて価格が下落していき同時の過剰生産を引き起こしたからでしょう。ですから生産性が落ちたというよりも生産性を上げられなくなったというほうが正しいかもしれない。その中で生産性をあげる代わりに経済のグローバル化を進めて低賃金労働力を求めて海外に向上移転をさせたり、国内も若い人の失業や就職難が進み、派遣労働の増加などで雇用の不安定性を含めた賃下げが行われた。安い労働力の確保とそれを作り出す社会システムをやはり生産性の向上として誤った位置づけをしていった。低賃金化というのは生産性の向上とは無縁のものなのですが、それにより企業利益が増大するという表面的なものだけを見て賃下げを生産性の向上としてしまったのである。ですから本来の意味での新しい優れた技術を導入してさらに商品を安く大量に生産するというものが減少してしまったのです。どうも先日引用した記事は、この生産性の向上の意味をぼかしてしまっているのではないか?
「雇用維持を優先して生産性を下げるという選択肢(皆で貧乏を分かち合う)も可能だったが、」
「この状況を回避するためには、産業全体の付加価値を上げ、労働生産性を向上させる必要がある。また海外投資を加速させ、海外からの投資収益を拡大することも重要である。だが生産性の向上や海外投資の拡大は、当然のことながら雇用者数の減少を伴うことになる。」
    (上記リンクページより引用)
やはり生産性の向上を雇用の減や賃下げにおいているようである。
このような論理からアベノミクスの公共事業拡大を批判して解雇規制の緩和や女性労働や(今では高齢者雇用や外国人労働者も)などの低賃金層の労働力確保という労働の規制緩和を強く押すこととなる。アベノミクス自体も誤りですし、労働の規制緩和での経済の好転を言うことも間違いでしょう。もちろんアベノミクスの第三の矢の応援となる。
では、アベノミクス自体を含めてこのような間違いを正すには何が必要でしょうか?
先日、本来の意味での生産性の向上自体が相対的に雇用者数を減らし商品価値の低下から価格の下落を招くと書きましたが、これを経済矛盾とさせない方法があるわけです。労働者数を相対的に減少させるならそれは労働時間の短縮の条件となります。商品価格の現象は労働者の生活の向上に役立つわけです。そして社会保障と一体となった社会システムが発展すればそのときこそ必要とする生活費が少なくなりますから賃上げも必要なくなり極端な場合には賃下げもできる条件となり国際的な競争力もつくのです。企業利益を社会に還元させることにより企業自体の競争力もつくのです。それは企業の社会的責任の位置づけによる社会民主主義という今のアベノミクスとは180度違う発想かrの社会の安定と発展を行うでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
どうも風邪をひいてしまったようです。

熱い風呂入って、早く寝ます。。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
「朝生ウーマン村本出演は良い実験」BLOGOS 。。。。どのような人がテレビやラジオに出るべきか?専門家が正しいとは言えない社会でしょう。誰でも考えたことを発現し合い、議論することが必要。それが民主主義。
間違いや知識不足などとフェイクを混同すると世の中はぎくしゃくしますなぁ。「わからないなら黙ってろっ!」という人が正しいことを言っているとは限らない。案外教科書的な常識的な人受けすることを言っているに過ぎないことがある。言葉に表せない人を大切にしないと今のような社会になる。
日本人の悪いところとして「わかんない」がある。全然わからないという事はないしわからないなら説明してもらうことができないこと。都知事がカタカナ語を連発しますが、その言葉を訪ねたりネットで調べればわかるはず。そうすればわかんないはずがない。「わからないなら黙ってろっ!」に負けるな!
「わからないなら黙ってろっ!」などという高圧的な態度も力ですね。ハッタリとしても。この高圧的に出る力の行使も今の社会の特徴です。立場上優位にあると判断すると高圧的な力を発揮する。誰も見ていないとなおさら。討議しないで「さらす」。短絡的な社会です。
ネット上でも、「匿名だ!」とか、「素人だ」などなど自分の立場を維持する人たちがいるような気がします。これはすごく楽な自分を守ることですね。まぁ、有名人ともなれば一人一人に対応などできませんから仕方ないのですが、どこか無視をする気持ちがあると大切なものを見逃します。
大切なものを見逃すと、その人も普通の人に戻ることになる。専門家というのは大切なものをたとえ欠片でも大切にして見逃すことがない人で、社会常識や特に損得勘定から離れて考え抜く人でしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
僕は外国人労働者が来日することには反対はしない。それは日本政府が言うように外国人労働者に日本の技術やサービスを習得してもらうという意味での「国際貢献」としてである。
司会しかし現実はベトナムの労働者に対する様々な不利益が生じており、政府はその他の国の労働者に対しても今後不利益が生じないようにする具体的な政策を示していない。
外国人労働者に対しても日本人労働者と同じ条件を付けて雇用するのではなくて、今後は外国人労働者の実態に日本人労働者が合わされていくことがはじまるでしょう。
さらなる長時間労働と低賃金が進み搾取率は上昇するでしょう。
このような労働者からの搾取強化が日本社会での生産性の向上といわれる。
さらにロボットのIT化は単にロボットがものを生産することだけではなくて人の労働力の代わりにサービスや考えることを行うようになる。製造業でのロボット化からサービス業などのロボット化が行われますから、さらに人の労働力を必要としないようになるでしょう。飛躍的に生産性の向上が行われる。
ここから日本の労働力不足を解消する動きとなるでしょう。
真の意味での生産性の向上とゆがんだ搾取強化という偽りの「生産性」が進む。
同時にこれらの生産性の向上を行うために国家が前面に出るでしょう。
国家の役割として社会保障の切り下げと負担の増加が行われる。税制面では消費増税と社会保障費の抑制。
国家は収奪を強める。
搾取と収奪目的での生産性の向上は資本主義の法則です。しかし、政治が変われば、生産性の向上は商品価値の低下から労働者に多くの富を与える条件です。同時に生産性の向上は労働力が余るわけですからその余剰の労働力を使って労働時間の短縮を行える条件ともなります。
政治が変われば生産性の向上でのパイは労働者をはじめとした勤労国民(過去の労働者=年金生活者も含む)に大きな利益を生じさせるはずです。
ロボット化やIT化はすでに富裕層や不労所得層を肥え太らせる条件ではなくなっているのです。

【2020年】ツイッターつぶやき
お節料理も元旦と2日でほとんど食べ終わり昨日は残り物を食べました。
黒豆がだいぶ余ってしまいましたのでどうやって食おうかと悩んでいたのですが、今日は午後から暇なので黒豆蒸しパンを作りました。
小麦粉にベーキングパウダーをよく混ぜていて、ボールに卵、牛乳、砂糖、はちみつ、オリーブオイルをよく撹拌します。そこに先ほどの小麦粉とベーキングパウダーを入れて球がなくなるほどやさしく混ぜます。
そこに残り物の黒豆をたっぷり入れてケーキ用のカップに流し込んでチンするだけです。
少し硬めになってしまいましたが、黒豆の風味がよく出ておいしかったです。
パン作りも面白いかもしれません。
まだ少し残っていますので、かき揚げにでもしてみようか。。。。。。甘すぎかな?

【2021年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
今日11時の菅総理会見では緊急事態宣言はこれから検討をするということですね。
これから緊急事態宣言を検討するとするが、前向きに検討する考えならばGo Toぐらいは今の感染拡大を見れば12日以降も中止をするぐらいのことは言えるでしょう。
コロナ対策に年末も年始もないと言っていたようですが。。。。。
正月明けも動きが遅いですよね。
特措法改正までこのままのらりくらりでしょう。
緊急事態宣言は出さないか骨抜き(飲食店の営業時間8時までの短縮など)になるでしょう。
基本的考えは罰則規定を強化することですから特措法改正が目的です。今の自公政権に罰則強化のようなものはやらせてはいけません
しかし野党も緊急事態宣言を要求していますから特措法改正に反対はしにくくなる
問題は自公政権のコロナ感染対策の過ちから現在の感染拡大が起きているということです。ここを追求しないで罰則強化しかないとさらに国民への締め付けに走るのが自己責任論です。
Go Toなど、これまでの政府のコロナ感染拡大防止策の過ちを是正させねべならないことは明白で、
これがない特措法改正は国民の負担が増えるだけでコロナ感染防止にはつながらないでしょう。
緊急事態宣言となれば・・・・という話ですね。
GoTo再開は難しいと首相

【2022年】ツイッターつぶやき
岸田総理はこれまで新規感染者は入院をさせ濃厚接触者は宿泊施設で隔離をするよう指示をしていたが、医療の逼迫が心配されるとして自宅療養も積極的に行うように変わったようです。
岸田さんも自民党総裁選から総裁になった時に手のひら返しをやってきましたからそうは驚かないのですが、これから六波が心配される中またこれまでの失敗を繰り返すことになります。
オミクロン自体が毒性が少ないと言われ、ワクチン接種によっても重症化しないと言われてきましたが、感染力が高いことから自宅療養を行うようにしたのかもしれませんが、自宅療養の過酷さはこれまでの経験でその過酷さが言われています。重症化が少ないとはいえ今後どのような症状が出るのか情報がないのでわかりませんが、また医療を受けられずに苦しむ人が多くなるのでしょう。家族も感染していく。

【2023年】ツイッターつぶやき
少子化が進んでいます。
このままでは労働力人口が将来極端に減少するでしょうし、急激に人口が減少する。
その中で国も子育て支援を強化するとして保育や教育への支援を行うと。東京都は子供一人当たり5000円の給付をしたり、台西からの保育費無償化を検討すると。1回限り5000円ではね。健闘ならだれでもできる。
東京都北区では給食の無償化を行事を検討し始めた。
こうした子育て支援はよいことだと思いますが、少子化を止めるにはあまりにも弱い政策ですね。
少子化の根本原因は、共働きでなければ食っていけないほどの低収入かにあります。低賃金化の是正に対する具体的な政治方針はありません。
少子化は抑えられないでしょう。
格差社会が言われていますが、富が企業や富裕層に吹きだってしまいました。
これが今の資本主義の根本矛盾です。

【2024年】ツイッターつぶやき
正月の名残といっても、まだ七草もありますし鏡開きもありますの正月もまだ終わってはいないと思いますが、4日からは仕事始めの方も多いでしょう。
でも、国道を走っていてもトラックはまばらでした。まだ正月の名残です。
スーパーには正月の食品が山になっていました。正月の名残。でもそれを買う人はあまりいませんなぁ。
その横には七草の野菜が。
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2025年 1月 3日(金)「どこか出かけたいなぁ・・・・」

2025年01月03日 22時05分29秒 | 「思うこと」
あと二日で皆さんの正月休みも終わりですね。
初詣は近くの氏神様に行きましたが、大きなお寺や神社は混雑しているのでずっと遅れていくことにしています。
初詣のもいかないとなると5日までにはどこか出かけたいです。
旅行となると金がかかりますから近くに身にドライブでも。
テレビで旅行番組やおいしいもの巡りの番組を時々見ていますが、B級グルメというのも面白そうですね。
何軒か行きたいと思っているところがあるので行ってみようかぁ。。。。。
帰りにでも道の駅によって買い物も楽しい。
明日にでも探してみよ。
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「1月 3日という日」

2025年01月03日 07時53分50秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
あと二日で皆さんの正月休みも終わりですね。
初詣は近くの氏神様に行きましたが、大きなお寺や神社は混雑しているのでずっと遅れていくことにしています。
初詣のもいかないとなると5日までにはどこか出かけたいです。
旅行となると金がかかりますから近くに身にドライブでも。
テレビで旅行番組やおいしいもの巡りの番組を時々見ていますが、B級グルメというのも面白そうですね。
何軒か行きたいと思っているところがあるので行ってみようかぁ。。。。。
帰りにでも道の駅によって買い物も楽しい。
明日にでも探してみよ。

     過去の日記

【2004年】
たまった洗濯物が干しきれないほどベランダにぶら下がっています。幸い天気はいいので助かります。
ほんと、今年の正月は天気に恵まれています。
湯本果樹美さんの「ポプラの秋」を読み終わりました。
湯本さん、さすがという感じです。文庫本ではあまり作品は出ていないのでしょうか?「夏の庭」は読みましたが、他の作品も読んで見たいと思います。
そういえば、この前読んだ柳さんの「ルージュ」も、感想を書いていないし「ポプラの秋」も感想を書かなければ。。。。。
あまりたまってしまうと書ききれなくなりますからね。
そう、そう、夏生さんの「君のそばで会おう」もまとめないと!!
今年もたくさんのよい作品にめぐり合いたいと思います。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
風もなく暖かな一日でした。
こう穏やかな正月というのも珍しいのではないかなァ。。。。
高速道路や新幹線、飛行機の混雑がニュースで流れてきますが、これといって遠くには出かけることもない僕にとっては別世界のようにニュースが耳に入ってくるだけです。
明日からはまた東京も普段の喧騒が戻ります。
経団連の「希望の国、日本」という2007年に向けた文章があるが、その中に「精神面を含めより豊かな生活」という項目がある。
たしかに今のような世の中にあっても精神面の豊かさは持ち続けないければならなし、こうしていろいろなことを考えたり生活を少しでも楽しめるような気持ちだけは捨てたくない。
この意味では、個人の精神面の豊かさが求められると同時に、社会全体としての精神面の豊かさのあれわれも出るわけで、それが今の国や経済界の中では「美しい日本」「希望の国、日本」という形での「言葉」として表れるのだろう。
この希望とした理想としたものと現実との乖離をどのように埋めていくかの具体性がないと、言葉だけとなってしまう。ここには個人の努力だけでは解決しない問題のほうが多く、個人が個人的に解決する事が強調されればされるほど、競争の激化となり、この競争の激化はつぶしあいのものとなり、それは今の格差社会の更なる進展になるだろう。
2007年もいろいろなことがおきるだろうが、少しでも庶民の生活向上に向けたものが出てくるような明るい本来の「希望」が出てくればと思う。

【2008年】
家族で茨城県の北茨城に行ってきました。
目的はこの地方の名物(郷土料理)「どぶ汁」(金波楼さんという旅館のページにリンクさせていただきました)。。。
アンコウ鍋なのですが、普通の鍋と違い、味噌とアンコウの肝をすりつぶしたものに野菜を入れてこの野菜から出る水分だけの鍋です。アンコウは、七つ道具といってアンコウのいろいろな部位が入っています。
すごく濃厚なうまい汁の鍋ですよ!!
もう1品。。。。もちろんアン肝!家族そろって大好物です。
お近くにいらしたときは是非!!
このあと福島県小名浜まで足を伸ばしアクアマリン福島という水族館へ行きました。
すごく楽しめる水族館でした。
近くに海産物を売っているところがありましたのでよりました。
そこで見つけた名物。。。。。
「ウニの貝焼き」
ハマグリの貝殻に山のように盛り付けられた蒸しウニです。
磯の香りがすごくて味は甘さがありおいしかったですよ。お土産にも買いましたが、ちとよいお値段
「紫蘇巻きタクアン」
細いタクアンに紫蘇の葉が巻かれています。美味です。。。。
この地方の名物ではないかもしれませんが、珍しいものとしては「数の子たっぷりのニシンの干物」
いやぁ。。。。初めての味でしたがおいしかった。。。。
「塩皮くじら」
懐かしい味でした。くじらの皮がついた脂身の塩漬けです。
塩抜きをして大根と一緒に味噌汁。。。子供の頃のお袋の味

新春の日帰りドライブは、めいぶつざんまいでしたぁ。。。。。
ご馳走様♪
        (今夜はブログから引用。。。。どもども)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
鮟鱇(あんこう)・・・・・関東では茨城県が有名ですがほかの地域ではどうなんでしょ?深海魚で提灯のような発光するものを頭に乗せて、光りに近寄ってくる魚をあの大きな口でひと飲み。グロテスクな魚ですね。
テレビ番組で見たのですが、大きな鮟鱇はメスだそうでオスは小さな魚です。オスが近寄ってくると下手をすればメスの皮膚にくっついてしまいそのまま同化してしまうという恐ろしい魚でもあります。
そんな鮟鱇の鍋とアン肝を食べたくて毎年茨城県に食べに行っています。
今までは福島県の県境の五之浦(この字だったか?)まで行っていたのですが、なんとなく鍋の中の鮟鱇の身が少なくなったようなので今年はやめて那珂湊に行ってきました。
鮟鱇鍋は「どぶ汁」とも言いますが、アンコウの肝と味噌をすってそれを土鍋に入れて水分は野菜からだけのものです。鮟鱇の肝の風味がとてもよい鍋です。このどぶ汁は今まで行っていた店が本格的でおいしいのですが、やはり身が少ないとね。。。今回食べた鍋は肝は入っているのですが醤油味のスープでした。ですからどぶ汁ではない。でもおいしかったです。鮟鱇の身が多くて。鮟鱇の身といっても肉の部分は「とも酢」という住み育ったかで食べ、その他の部位を鍋似れるような感じです。この部位を「鮟鱇の七つ道具」というらしく、皮やヒレ、胃袋や肝などのアラともいえる部分を使っています。いい出汁が出ておいしかったです。シメのオジヤでスープも全部完食。
アン肝は好物なので楽しみにしていましたが。。。。大きくて安いのはいいですが、少し大味というのかなめらかさが。。。。。。やはり毎年行く店のほうが高いが滑らかな味が好きです。
市場の中にある店ですから刺身やその他の海の幸も安いです。
鮟鱇は3月ぐらいまで食べられるよう?ですから一度お試しを。

【2012年】ツイッターつぶやき
大阪市の橋本市長がツイッターに新たな統治機構についてつぶやいていた。
統治機構を作り直すのは課題解決のためで「解決するためのキーワードは、決定できる民主主義。日本の統治機構は決定できない民主主義に陥っている。」としている。
たしかに今の国会はねじれ国会と言われて民主党はマニフェストを保護にしてその政策を実現できずにいる。これは政党間の問題ではなくて官僚や財界の意向も働くことでしょう。そして労働界の意向もある。また国会運営は政策論争ではないスキャンダルや失言問題などで政策の議論ができない状況もある。今の国会の状況(統治機構)は決められない民主主義だろうか?
決められる民主主義と決められない民主主義。。。。
決められない民主主義とは、民主主義が作用しすぎて何も決められないことだろうか?このような解釈ならば民主主義は邪魔なものでしかないという極論も出る。決められる民主主義とは民主主義そのものを言っていることでしかない。結局は民主主義であるか民主主義が作用していないかでしかない。今の国会の現状は決めることができない民主主義の欠如あるいは民主主義自体の形骸化と見た方がいいだろう。
だから今の形骸化した統治機構の再構築が求められているわけで、それは民主主義の再構築ともなる。
新たな統治機構で決められる民主主義を作る。。。。新たな統治機構は大阪都であったり道州制だとか言われるが、その新たな統治機構がどのような形で決められる民主主義を作るのか?

【2013年】ツイッターつぶやき
明日から温泉に行ってきます。
風邪は大丈夫かなぁ。。。。。うううう
最悪の体調ですが、源泉かけ流しの温泉にでも浸かれば治るかも。
湯時気分で温泉に入りよく寝てこよう。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
BLOGOSに「日本経済が人口減少の影響を受けるのはこれからが本番」という記事があった。
「経済成長モデルにおいて、経済成長を実現する2大要素は人口(労働投下)と資本投下である。イノベーションによる生産性の拡大は、あくまでこの両者の増加分を超えた差分として理解されている。」
「日本経済は、雇用を最優先し、ひたすら生産性を下げてきた。2012年の労働生産性はリーマンショック前の2007年と比較すると5%以上下がっている。日本では賃金低下が問題となっているが、生産性が下がっているので、賃金が増加しないのは当然の結果なのである。」
「人口が増加あるいは横ばいという状況であれば、雇用維持を優先して生産性を下げるという選択肢(皆で貧乏を分かち合う)も可能だったが、人口の絶対値が減少する状況では、こうしたやり方を維持することは難しい。人口が減少する中で生産性を下げ続けると、経済のパイが加速度的に縮小する危険性がある。」
「この状況を回避するためには、産業全体の付加価値を上げ、労働生産性を向上させる必要がある。」
    (以上上記リンクページより引用)
「経済成長を実現する2大要素は人口(労働投下)と資本投下である」というのはある意味において正しい。しかし本質的な部分において間違っている。「経済成長を実現する2大要素は人口(労働投下)と資本投下である」これは単純な再生産においての経済成長を言うだけである。ある企業が1億円の設備投資をして1億円の賃金で労働者を雇うとする。この場合において経済成長の中で設備投資を2億円にして賃金も20億円出して雇いその中で生産の拡大をすると労働者数もやはり2倍になるわけですから、このような状況が日本全体の産業で起こる様な経済の成長においては人口問題が大きな経済への影響ともなるでしょう。
しかし現実の経済成長においては、このような単純な生産関係において現れることはない。生産性の向上は、新たな技術などを導入することによるもので上の例の企業で言えば、1億円の設備投資と1億円の人件費というものを1億円の設備投資で7000万の人件費で抑えようという作用があるのです。もちろん7000万円の人件費は賃下げではなくて70%の労働者数に抑えるということです。その中で同じ商品量を生産して1個あたりの商品価値を下げて市場での競争で特別な剰余価値を得ようとするものです。ですから「生産性の拡大は、あくまでこの両者の増加分を超えた差分」ではないでしょう。
ですから「日本経済は、雇用を最優先し、ひたすら生産性を下げてきた」 というよりも生産性をあげてきた中に必要とする雇用者数を減らしてきた」と見るべきで、
(すみません。続きます)

【2015年】ツイッターつぶやき
正月も暇なので千葉県南房総に行ってきました。
今は館山道も館山まで延びましたのでゆっくりと日帰りで行って来れます。
どこへ行くとも当てがなかったのでうまいものでもと思って道の駅潮風王国に行きました。
目的はイカの一夜干しと?「はな房(ぼう)」。。。
イカの一夜干しは南房総に行くと必ず買って帰ります。肉厚のおいしい干し物です。さっと焼いてマヨネーズをつけて食べるのが好きです。
さて、はな房ですが、いつも混んでいてはいるのをやめることが多いのですが、今日は暇なので待ってみようと行きました。でも正月中のためでしょうかあんがいすいていてほとんど待たずに入れました。12時ちょうどです。
海鮮丼を頼んだのですが、ものすごく多い刺身が乗っています。昼飯時かな?アジフライがサービス。刺身はだいぶ種類が多くて飽きませんでした。
正月休みの最後何かうまいものでも食べに家族で行こうかという方、明日あたりどうでしょう?
南房総は暖かいですよ♪もう、花摘みができるところがあります。

【2016年】ツイッターつぶやき
アベノミクスは失敗ではないのかという声が大きくなり、あるいは懐疑的になりつつある。
しかし自民党は選択肢が狭く身動きが取れなくなっている。参院選は政策よりも国民の気を引くことに集中するでしょう。ある意味アベノミクスを話題にせずにその中でアベノミクスを擁護するでしょう。
なぜ選択肢は狭まるのか。。。。
すでに経済の好転よりもアベノミクスを成功に導きたいという願望に、そしてアベノミクス批判は自分の利益にならないから。。。。
また保守的経済理論に対案がないからという中で野党にも対案がないから。しかし自民党内にも対案がない。
対案を出してもアベノミクスで突っ走るにしても資本主義的経済システムはくるってしまっているのでしょう。
社会民主主義勢力は微々たるものですが、この微々たるものに正解があるのかもしれない。社会民主主義は対案ではなくて敵対的とみられますが、資本主義内での立派な対案なんです。
ただ本気に考えないだけでしょう。学者の評論家もマスコミも。。。。

【2017年】ツイッターつぶやき
民主主義とは何か?
一般的に考えられている民主主義とは「多数決」であるとされる。
この考えは一般的であると同時に政治をはじめ社会の隅々にまではびこっている。
たしかに民主主義は多数決であるという側面を持っている。しかし民主主義はこの単純多数決ではない。
今の政治を見ると、選挙による議席数が重要視され、その議席数(与党の数合わせも含めて)による数の力による強行採決としての単純多数決が民主主義であるとされる。選挙も公約が守られるか、重要政策が公約化されているかとなるとそうはなっていない。政策よりもテレビに顔出す知名度のある芸能人やスポーツ選手などという票になる人材が重要視される。あるいは地盤・看板を引き継ぐ二世議員も。
この政治は民主主義の悪用ともいえる。
多数決は単純多数決ではない。
多数決をとる前に十分な討議がされたかが重要である。
多数意見に間違いがある場合は少数意見を採用しなければならない。
常に多数が正しいかと言えばそうではない。だからこそ十分な討議が必要なのである。この討議の中で一つの意見に煮詰まってきた状態により必然的に多数決ではその一つの意見が採用されることになる。しかしこの意見が正しい結果を産まないことが分かった時点で少数意見を再度検討しなければならない。
この過程自体が民主主義なのである。
討議によってより正しいと思われる結論を出していくこと自体が民主主義である。そこで初めて多数決も採用される価値が生まれる。
ポピュリズムもまた民主主義の悪用である。
国民の感情面に訴えかけた多数派工作は民主主義ではなくて扇動です。
扇動は民主主義ではなくて民主主義の悪用です。
ネット上にもこの民主主義の悪用が用いられる。マスコミはこの扇動をさらにあおることがある。

民主主義が問われる時代になっている。
単純多数決というそしてポピュリズムという民主主義の
悪用を見直さねばならない。

【2018年】ツイッターつぶやき
初夢をみた。。。。。。
嫌な夢3本だて・・・・・ウウウウ
今年もいいことがないかな。
毎年階に行くお茶屋さんが暮れに初夢のお札というのかチラシをくれた。
2日の夜にこれを枕の下に入れて寝ると良い夢を見ると書かれていたので、もしや御利益があって初夢宝くじが当たる夢を見ることができるかと思い一緒に宝くじを入れておきました。
だめですなぁ。。。。。
せめて茄子でも夢で出てくれるかと思ったのですが。
今の世の中、こういうご時世ですからせめて夢でも持たねばいけないのですが、結局去年は夢とは言わないが「期待」を持たされてだけで、結局はひどい社会になってしまった。
夢〈期待〉から覚めて現実を直視している時期に来ているのではないかと思います。
戦争の危機が大きくなっていきますが、日本政府が言う「積極的平和主義」という力(武力・暴力)による平和は詭弁です。
現実的な段階的な平和主義でもよいから子の詭弁を排除していかねばなりませんね。
という事で、僕の初夢宝くじという期待が消えてしまったわけですが、毎日の節約しかないのでしょうね。

【2019年】ツイッターつぶやき
アレクサに指示をしたら「里親を殺せ」(ロイター)と答えてきたようです。
人工知能も発達をしてきて、里親の悪口を言ったら「里親殺せ」とブラックジョークも言うようになるのかもしれません。
アレクサも様々な行動を起こすようになっていますから、銃を持たせたら大変なことになりかねませんね。
アレクサに限らず車も自動運転に向かいますし様々なロボットが現れて兵士ロボットも。
機械やコンピューターには心はないといいますが、その心を植え付けるのが人間ですし、学習をしていく。
科学の発展が人の社会の発展を超えてしまうことはこれまでもあったでしょう。
ロボットに虐待したら仕返しをされることも出てくるかもしれません。かといってロボットが人間を道徳的に変えてしまったら人は奴隷になりますなぁ。
人とその人が作る社会を発展させねべなりません。

【2020年】ツイッターつぶやき
アメリカがイラン革命防衛隊の要人を空爆によって殺害した。
これは戦争とは違う。
暗殺です。
暗殺というのも一つのテロです。
アメリカはイランと戦争を始めたのではなくて、テロを仕掛けたと見るほうが自然です。
アメリカ中東でアメリカに対立する国々をテロ国家とし、これまで北朝鮮も以前はテロ国家としてきた。
それに対してアメリカは民主主義の国として正義の戦争を行ってきた。
しかしこの正義の戦争も結局はテロのよう形になっている。
イランがアメリカをテロ国家と規定をして正義の戦争といっても違和感はなくなる。
これを聖戦と呼ぶのかもしれない。
しかし圧倒的な軍事力を持つ国であるアメリカに対しては正義の戦争はできない。
テロとテロの対立が激化していく。
ここでイランを擁護することはしない。
イランとアメリカの現在の状況を思うのである。
北朝鮮の金委員長暗殺も言われていたが、これも同じテロである。
アメリカから民主主義という言葉を最近聞こえてこない。
資本主義は一つの理念として民主主義を持っていた。
内政も含めてすでに民主主義を言ってはいられなくなっているのでしょう。
国益を守るという自由とは。。。。
この自由の行使が民主主義を隠す中で優先される。

【2021年】ツイッターつぶやき
どうも菅総理は緊急事態宣言には消極的なようです。
昨日も書きましたが、緊急事態宣言を今の内閣では出さないほうがよいでしょう。
菅総理が緊急事態宣言に消極的なのは、Go Toを12日以降も中止したくないからでしょう。感染が拡大している間もGo Toを止めず経済効果を成果としてきました。すでにGo To追加予算もつけていますから。緊急事態宣言を発令するなら東京を除外したものになるでしょうが、東京を除外しては経済効果が薄い。
しかしそうこうしているうちに感染拡大は下降傾向を示していない。勝負の三週間は菅内閣の経済効果優先というコロナ対策にコロナウィルスの感染拡大が勝ってしまった。
今後専門家の意見を聞くとしていますが、専門家も経済を出されれば思い切った行動には出られないでしょう。
現在の状況は緊急事態宣言がどうのということではなくて、菅内閣自体のコロナ関連政策の抜本的な変化なのです。そうでなければアクセルをふかし続けて対処は国民の自己責任となりそれが続くでしょう。
どうも、夜の飲食店の営業を午後10時から8時に早めることぐらいで終わりそうです。

【2022年】ツイッターつぶやき
今日は少し車を飛ばして親水公園で散歩をしました。
ネットで調べておいしい寿司屋さんに行ってきました。
明日から平日に戻ります。
正月中は意外と人出が多かったようですが、これからオミクロン感染も広がっていくでしょうね。

【2023年】ツイッターつぶやき
今年の年始はスーパーも3日間休みになる所が多かったです。他の企業はどうだったのでしょうか。そうすると物流も少なくなったでしょう。
東京も我が町は閑散としていました。
だいぶ人と人との接触も少なくなりコロナの感染も広がりにくくなったかもしれません。
まぁ、東京は繁華街がありますからそこがどうだったのかは報道されていませんでした。また、東京腹地方へ帰省や旅行などでの人の移動が多かったですから地方は心配ですね。
鶏アズ1週間の連休がありましたので今後感染者数はどうなるか?少しは減ると思うのですが。
現在の新規感染者数は第六波の頃と同じ状態ですが、国も検査体制も全数検査をしなくなりましたので、濃厚接触者の検査はないかもしれません。すると新規感染者は無症状者を含めてだいぶ大きな数字となります。
現在中国やアメリカでは感染力が高い変異株の感染拡大があるそうです。ワクチンの効き目も少ないとか。日本にもすでに入っているでしょうね。空港などの水際対策も簡素化されていますから。
ワクチンに頼る日本ですから今後どうなるか?
正月の連休がどう作用するか?
手洗いや消毒そしてマスクなど基本的な対策と免疫力アップを心掛けないと。。。。。

【2024年】ツイッターつぶやき
年末年始の休みも、ほとんどの方は今日で終わりでしょうか。
東京などへの帰宅ラッシュらしいです。
しかし能登での大地震そして東京羽田空港の旅客機と海自の衝突事故。
鉄道も飛行機もダイヤが乱れているでしょうね。
新幹線は年末から全席指定席にしていますが、なおさら乗れない方が増えるでしょう。
僕は風邪気味でどこも出かけなかったのですが、だいぶ調子も戻り氏神様に初もうで。
帰り道洋食屋さんが開いていたので昼食を食べスーパーで買い物をしてきました。
正月はなるべく家にいたほうがいい。。。。。
夕食はすき焼き。牛肉は年末に勝って冷凍しておきましたが、1日に食べるというので解凍したのですが、予定が変わり食べなかった。また冷凍もよくないと思い冷凍庫へ。昨日も予定が変わってしまい喰いませんでした。
回答した肉を3日もそのままで心配でしたが食ってしまいました。
風邪の後に食中毒ではシャレにならないが。。。。。
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2025年 1月 2日(木)「サイバー攻撃?」

2025年01月02日 21時54分49秒 | 「思うこと」
午前中gooブログが開けませんでしたね。
正月だから込み合っているのかと思ったのですが、今の時代そういう現象は起きませんよね。
スマホのニュースを見たら、どうもNTTにサイバー攻撃が仕掛けられて大量の情報が襲い掛かったらしい。
ブログだけではなく、d払いなんかもできなくなったようです。
サイバー攻撃のニュースは時々聞かれますが、顧客情報などが盗まれると大変ですね。
警視庁もだいぶ前にサイバー犯罪に特化した部署ができたと記憶していますが、サイバー犯罪は手を変え品を変えできてきますし、kれを阻止するのも国家の安全にかかわります。サイバー攻撃だけではなく、記録装置などを使った犯罪も増えていてこのほうが大きな問題にもなっている。
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