夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2025年 1月16日(木)「ガソリン価格」

2025年01月16日 22時14分33秒 | 「政治・経済」
車で買い物に出かけ、途中にあるガソリンスタンドを通り過ぎるときにガソリン価格をちらっと見たら170円ほどでした。
東京ですからこのぐらいの値段だから、地方のほうではさらに高いでしょうね。東京から一歩隣の県に入るとやはり高く感じます。
Xを見ていたら200円と書かれていました。どこの県なのかぁ。
国の補助金が段階的にs苦言されているために急激な値上げとなっています。
でも、値上げといってもガソリンの値段は価格プラス税金ですからね。
ガソリン税とそのガソリン税にもかかる消費税が価格として値段を釣り上げています。
政府はこのガソリン税と消費税をいじらずに補助金でごまかしていましたが、本来は税率を下げるべきなのです。
特に消費税はゼロにすべきですね。
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「1月16日という日」

2025年01月16日 07時58分53秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
車で買い物に出かけ、途中にあるガソリンスタンドを通り過ぎるときにガソリン価格をちらっと見たら170円ほどでした。
東京ですからこのぐらいの値段だから、地方のほうではさらに高いでしょうね。東京から一歩隣の県に入るとやはり高く感じます。
Xを見ていたら200円と書かれていました。どこの県なのかぁ。
国の補助金が段階的にs苦言されているために急激な値上げとなっています。
でも、値上げといってもガソリンの値段は価格プラス税金ですからね。
ガソリン税とそのガソリン税にもかかる消費税が価格として値段を釣り上げています。
政府はこのガソリン税と消費税をいじらずに補助金でごまかしていましたが、本来は税率を下げるべきなのです。
特に消費税はゼロにすべきですね。

≪過去の記事≫

【2004年】
ペットショップに行き、ハムスターの餌、熱帯魚の餌と水の浄化財を買ったら、3500円。。。。。月末に近づくと痛いです。
なんだか一日が早くて・・・・仕事をしていると長いのですが、休みの日はすぐに終わってしまいます。

【2005年】
お年玉月年賀状の当選発表日です。
切手シートでした。
小学生のころ、切手集めに夢中だったのですが、毎年この切手シートを郵便局に行きもらうのを楽しみにしていました。だいぶ古いものが切手帳に残っています。
寒い雨でした。一時激しく降りました。もっと気温が下がっていたら吹雪状態ではなかったか。。。。しかし東京あたりは風が強いとほぼ雪にはなりません。
これも子供の頃の思い出ですが、東京も2,30センチの雪がよく降りました。池にも厚い氷が張り、子供が乗っても割れませんでした。
温暖化現象ですなぁ。。。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
「真鶴」
         講談社
         川上 弘美  著
先に読んだ「ハヅキさんのこと」の感想に、次のように書いた。
『「でも、どのひとも、ほんとうに生きているひととして認識していなかった。生きて、自分と同じように雑多な時間を過ごしているのだとは、考えていなかった。」(「センセイの鞄」より)
子から見た両親は、お父さん、お母さんという切り取られた人間を見ているのであり、○男○子という生きている人間を見ているのだろうか?40歳後半はそれが見えてくる。自分というものを通してなんとなく分かってくる。その自分を見つめたとき、死はそうは近くもないがそうは遠くもないという中途半端さを感じる。人生を振り返ったりこれから先を思う。そうは短くはないがそうも長くはないこれからを。
結局雑多な時間を過ごしていくのでしょうが。。。
40歳後半の女性の心の激しさは、「真鶴」という長編となっていったのだと思います。』
主人公の「京」は、40歳半ば。
70になる母親と高校生の娘「百」と3人で暮らす。夫「礼」は、百が幼いころに失踪をして行方不明。青茲という50代後半?の恋人がいる。
母・・・京・・・百。母娘3代で暮らすが、はじめに「三人の女の肉体」(25頁)という衝撃的な言葉が出てくる。京は、娘であり同時に母親でもある。母そして娘というものから離れれば、それぞれが女である。世代は違うが、女が3人住む家なのである。
百は少女から女になっていく。その母親は京という女である。
京の母親という部分と女という部分には、男への接し方にも微妙さが出る。失踪した夫である礼に対する京と、恋人である青滋に対する京には違いがある。夫礼に対しては、母親としての自分が出るのかもしれない。それは妻・嫁という微妙な女の位置ともいえるかもしれない。青滋は、男だけであり、女としてだけの関係を持てる。
「ハヅキさんのこと」36頁『ネオンサイン』には48歳の「私」に次のように語らせる。
『年とったもんねえ、とか、女としておしまいよねえ、とか。それでは余裕に満ちて成熟した女としての人生を謳歌しているのかといえば、これもちょっと違う。
中途半端。
それが今の私の感じにいちばん近い言葉である。』
ここでは平凡さの中にさらっと心のうちを吐露しているが、この『中途半端』さの中にある心の葛藤は強いだろうし、それをさらけ出したのが「真鶴」ではないかと思う。
京は、娘百のような若い肉体はすでにない。同時に皺の寄った肌を見せる母親の肉体でもない。精神的には、娘でもあり母でもあり、一方では女でもある。夫が失踪しているとしても妻・嫁という意識もあるだろう。毎日は母娘三代の生活の中に平凡に過ぎていく。この京の心の中はどうなんだろ?心の動きは激しさを増す。ここに「中途半端」さの一つの表現があると思う。
母親と一人の女としての深い狭間。。。妻・嫁と一人の女としての深い狭間。。。
腹を痛めた子という言葉があるが、女性は、妊娠に気づきつわりがはじまったときからその体に変化が出、出産という中に母親という意識は決定的である。ところが男は、父親という意識はあってもそれは体として感じるのではなく、子の成長過程の中に意識は高まる。この意味において父親と一人の男の狭間は女性に比べれば深くない。
84ページの2行目からの二人の言葉。。。
妻から見た夫の中にある父性と、夫から見た妻の中に母性は、そうとうづれているのかもしれない。父親母親になった夫婦関係。男女の関係。。。。
ここに男と女の違いの決定的な違いの一つがあるのかもしれない。
この男女間のお互いに完全に理解し得ない奥底にあるもの。男が愛する女が母親になった瞬間に感じる不思議な変化に戸惑うと同時に、女にとっても男は謎なのである。
この男へ対しての謎の部分と、一人の40歳後半を迎えた複雑な立場にある一人の女の葛藤が幻想的な世界として描かれていく。
京の後ろには、「ついてくるもの」が出てくる。同時に礼の残したメモには「真鶴」という文字。
作品は、この不思議な世界に入り込みながら京の心の葛藤を描く。
今日は真鶴に引き込まれるように何度も行くが、その中で「ついてくるもの」の姿はだんだんと一人の女の姿として明らかに見えてくる。京の中にある女という部分が現れたのだろう。不思議な世界にいざなわれる中に自分の心の中にある自分と話しをする。壮絶である。「蛇を踏む」では、母親と娘である自分との葛藤を壮絶に描くが、ここでは母親である自分の心が壮絶に描かれる。
作品は、平行して京と礼との夫婦関係の流れを描き、京にとっての夫としての礼と男としての礼を思い出すように描く。ここにも京から見た礼という一人の夫・父親と一人の男としての二面性が出る。その礼も真鶴での不思議な世界に現れてくる。
真鶴での不思議な世界は、京自身の心の葛藤の世界であると同時に、その心の葛藤から導かれる生死の境目の世界かもしれない。それだけ、京の心は追い詰められていたのかもしれない。それだけ壮絶な世界だったのである。
「真鶴には、いったい何があったの」
今日は百に聞かれる。
百も「ついてくるもの」としての父親礼に会っている。作品中には表れていないが、それは当然百の失踪した父親への激しい心の葛藤があったものとみるべきだろう。京の母親にも。
京はつぶやく。
「からっぽになっちゃった」
青滋との関係も終わる。
青滋は、今はもういない礼に京がまだ礼のことを考えていると別れていく。しかし青滋は、妻子からは離れられない。礼の失踪。。。。
逃げる男、離れていく男。
これは未だに今日にとっては謎を残すのだろうが、真鶴での不思議な世界から逃れた京の心はからっぽになったのである。
京自身が母親であると同時に女の部分を感じていたと同じく、男である礼にも青滋にも父親の部分と男の部分が同じようにあったのだと理解する中に京の心は男への葛藤から解き放たれたのではないか。
先に『センセイの鞄』から引用した言葉
「でも、どのひとも、ほんとうに生きているひととして認識していなかった。生きて、自分と同じように雑多な時間を過ごしているのだとは、考えていなかった。」
その中の「干潟ー夢」では幻想的な世界が広がり、センセイはこの世界を好み時々来るといいます。そして境の世界だといいます。現実の生きている世界と死の世界や無機質な世界の境かもしれない。そこでは、ツキコさんとセンセイは永遠に湧き出るカップ酒を飲み永遠の命があるのかもしれない。しかしツキコさんは、現実の世界に帰りたいという。
京も現実の世界に帰ってきた。
そこにあるのは、雑多な時間があるだけだが、京の心は満ち足りたものとなる。
人は、「何もないところから来て、何もないところへ帰っていく」(266ページ)京の人生のこれからは、そうは永くもなくそうは短くもない。ただ京は百の肩を抱きしめる。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
大寒も過ぎましたが今が一番寒さが厳しいとき。
それでもだんだんと春の気配を感じます。金のなる木は花が咲きはじまり、ミニバラは新しい芽を出しはじめています。デンドロビュームも花芽かな?
節分・立春はもうすぐ!!

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
内閣改造も済み、民主党のマニフェストもチャラになり日本がどのような方向に向かうのかが混沌としてきました。
これからの政治の一つのキーワードはデフレからの脱却でしょう。
その意味ではじわじわとあらゆる分野での値上げ行われてくるでしょうし、自己責任による負担増が行われ増税となっていくことは間違いないと思います。
その中でいち早く内閣が提起をしているものの一つが年金問題を中心とした高齢化社会に対処するための消費増税があります。それは法人税減税という国民生活重視から企業重視にという方向転換でもあります。
マニフェストを放棄する。この中で何を国民に新たな提起をするのかの民主党政府による知らせる義務があるはずです。
消費増税は年金問題をはじめとした老人医療費や介護の問題として増税と「福祉」がセットとなったものとして出てきていますが、それがあたりまえなものという先入観がすでに社会の中に定着しつつあります。それは、若い世代がどう高齢者を養っていくかという相互扶助という形で提起をされています。それは世代間格差という言葉でも表されている。
しかし、もう少し丁寧な中身の状態を公表するべきでしょう。その中でしか国民的合意は得られないでしょう。
年金問題で何を明らかにしなくてはいけないか?
まずは、年金制度というのは、収入(掛け金と国庫負担)があり、その収入の積立金の運用がありそして給付があります。
年金制度が赤字化しているというのをこの収入・運用・給付というそれぞれの段階でどのようになっているのか側からないと議論できません。収入が減って赤字化しているのか、運用面で赤字化しているのか、給付が増えて赤字化しているのか?そのそれぞれの赤字がどのくらい割合になっているのか?こういうものはまったく判らない中に年金の赤字や舞った無し待ったなしの増税が言われているわけです。
高齢化社会ですから年金の支給額は増加をしていくことはわかります。収入の減少や横ばいからこれだけを見ると赤字化は目に見えてくるとされますが、ここで問題なのは年金とは現役世代が需給高齢者を支えているということだけで見ていいのでしょうか?問題は積み立てられた年金の運用にもあります。そもそもこの運用されている「積み立てられた年金」とはなんでしょうか?積立金があるということは黒字なわけです。
僕たちの世代は、若い頃には高齢者の年金を保証しながら団塊の世代が高齢化をしていくことは明らかだから自分たちの年金は積み立てをしていこうとされて積み立てをしてきました。それが200兆円とも言われています。現在ではどこでどう減ったのかわかりませんが150兆円とも言われています。今の団塊の世代を中心に賦課方式で年金を支えて自分たちのために積み立て方式を同時にしてきたということではないでしょうか?それがいつの間にか年金制度の考え方が変わり年金は現役世代が負担をするという論理に摩り替ってしまいました。
消費税を10%にするという案が出ていますが、それは税収を約5兆円から10兆円にするということです。
この増税分5兆円を積立金200兆円あるいは150兆円と絡めて考えると、今の団塊の世代は自分たちが積み立てた年金を5兆円づつ食いつぶしていけば、40年なり30年は消費税増税はしなくてもいいという事ではないでしょうか?
団塊の世代を中心とした世代は、現役時代はその当時の高齢者の年金を保証し、自分たちの年金を積み立て、そして自分たちが給付を受けるようになったら若い世代の年金も考えろといわれる。若い世代は厚生年金に加入できる人が少なくなっていき国民年金も滞ざるを得ないからと。または今までも国民年金を支払っていない階層がいるからと。そして公務員の共済年金がどうなっているのかもわからずじまいでなんだか赤字らしいというので。
ここには世代間での損得なんてないでしょう。長年の積み立て金とは今の若い人たちがまだ子供だった頃からのものでほとんどは今の高齢者が積み立てた金ですから。
問題は、今の若い人の将来に心配される無年金化です。
そのために今から積み立てをしよう(ある試算では500兆円。だから今までの積立金200兆円なり150兆円も今の高齢者に支給してはいけないということ?)とか、今の老人が年金額を減らせとか、消費増税が必要だとか、年金の次方式だとかが出てきているわけです。今の若い人の中には国民年金もとどこうっていたり払っていない人も将来は年金をもらえるようにしようということです。その意味では年金問題の将来は同世代間矛盾なわけです。自己責任が頼む純矛盾なわけです。しかしそこには政治や経済の矛盾があるわけですから自己責任形と考えてはならないし、世代間格差を言っていてはだめで、それは自己責任ではないのですから今の政治や経済にしっかりと目を向けねばならないということです。

【2012年】ツイッターつぶやき
福島県浪江市の採石場の石を使ったコンクリートで新築された同県二本松市のマンションから高い放射線量が測定されたという。
5000トンを超える採石ですからかなり広く流通されているのでしょう。
流通経路が判明されていく中で原発事故後に建設されたマンション等や今後建設されるマンションなどの売れ行きにどのくらいの影響が出るのでしょうか?このような新築マンションへの不安から買い控えが出たときにまた風評被害でかたずけられるのでしょうか?
東北のガレキを多くの自治体でで燃やしていますが、その灰の使い道も心配なわけですが、このような形でも放射性物質が拡散されていくわけです。
この拡散により高い放射線量を浴びることになった方はどこに補償を求めてよいのか。また「すぐに健康に害を及ぼす値ではない」からと我慢をさせられるのでしょうか。
放射能と経済。。。。経済が放射性物質を拡散していく。

【2013年】ツイッターつぶやき
こちらの三橋さんの記事はどうなんでしょ?
現在をデフレギャップとして見るべきなのでしょうか?
河野さんという方の文章への批判なのですが。。。。。
なんだかまとまらない批判です。
もう少しゆっくり読んでみたいと思います。

【2014年】ツイッターつぶやき
日銀の会合で「景気回復」の宣言に近いものが出た。
年末や年始は消費の拡大はありますし、高額品は消費増税前にという駆け込み需要がある。安倍総理の賃上げ要請がまた出たこともありますし経済界もそれに応えるような発言が出ていますから、これまでのアベノミクスの流れの中に漂うなんとなく景気はよくなるといったものがまた出てきたと思われます。
しかしこれまでのアベノミクスによる景気回復は庶民生活にとっては具体的な賃上げ(実態はボーナスですが)も限られた産業でのものでしたし、実感の伴わない景気の回復でした。実感の伴わない景気回復は実は「期待」でしかないということです。
また景気回復も格差を広げる中に現れてくるでしょう。
小泉政権時の景気の回復もやはり実感のない景気回復でしたし不安定雇用の増加による中での雇用の拡大でした。
また同じことが繰り返されるのかもしれません。
日銀の景気回復宣言もまた「期待感」は作り上げるでしょう。春闘での賃上げを財界が容認したといわれますが、実際は企業別で見るとそうは多くの企業が積極的ではない。これもまた期待感でしょう。実際連合の要求がどのくらいなのか?そうは高い要求ではないでしょう。ですから賃上げが実現してもわずかなものになりますし、連合の妥結が広がりを見せるかというとそうでもないでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
日本人はアメリカが日本を守ってくれているという考え方をずっと持ちながら日米安保の重要性や必要性を考えてきたのではないか?
しかし今や日本がアメリカの安全のために戦争に巻き込まれる可能性の方が大きくなってきているのではない妥当か。
今までも沖縄の米軍基地の役割を見ればアメリカの対アジアの軍事戦略の中に置かれていた。
しかし日米安保は日米同盟として日本全体がアメリカの安全のために存在することがはっきりと見えてきたのではないか。北朝鮮や中国そしてロシアとの軍事的対立がアメリカだけではなくて日本を巻き込んだ形で形成されはじめている。今後は莫大な軍事費と自衛隊の活用がはじまるでしょう。
gooニュースに「半島有事の場合、邦人・米国人ら対馬に一時退避」という記事があったが、邦人・米国人「ら」とあるので他国の観光客も含めて退避させるのでしょうが、詳細はわからない。日米同盟から米国人優先となるのか?対馬もホテルなどは民間のものですしそこには宿泊者もいる。もちろん住民もいる。日米同盟は民間にもその軍事的行動の範囲が及ぶことになるでしょう。
朝鮮半島では南北の階段も始まり半島の平和的安定を望む国は多いはずですが、アメリカは軍事的解決は捨てておらず、そこに同盟国としての日本が歩調を合わせている。
軍事面での日本のイスラエル化が心配です。

昨日15日が小正月でした。
昨日は忙しかったので、今日小豆粥をつくることにしました。
大納言の小豆を買ってきましたが、昨夜から一晩水につけて午前中に一度にてアクを取っておきました。
おかゆもコトコト炊くと美味しいのですが時間の節約のために炊飯器でつくります。炊飯器で多めの水で小豆を茹でて、そのゆで汁を使っておかゆをつくり最後に茹でた小豆を入れて出来上がり。
おかゆだけに使うには小豆が多すぎましたので残りの小豆は餡子にしました。
コトコトと1時間ほど炊くとふっくらした茹で小豆になります。一度ボールに小豆をとってから鍋に水と砂糖を入れて沸騰させ小豆を戻して強火で水分がなくなるように煮詰めれば出来上がり。
甘さは相当控えめにしました。
出来上がった餡子は少しボソッとした感じがありますが、この餡子の具合は僕が好きな田舎饅頭の餡子そのもの。。。。。
水を足してお汁粉にします。
というわけで餅も買ってきてしまいました。
餅はいくら食べても飽きませんなぁ。。。。。昼は昼で磯部餅に。。。。。アハハハ
磯部餅と言っても砂糖がたっぷり入った醤油を使いますから甘めです。これがうまい!!

【2019年】ツイッターつぶやき
嘘も方便(うそもほうべん)という言葉がありますが、「ほうべん」は仏の救いだけではなくて世渡りのための「たつき」とも読むそうです。
嘘も方便だと自分を仏に例えて実際は世渡りのための嘘を利用するということでしょう。
これが集団的になれば「嘘をつかねば仏になれぬ」とうその世界が広まってそこでの私利私欲に走っていく。
去年アメリカのトランプさんが大統領になった後にポピュリズムという言葉が出てきました。
大衆の利益を守るという方便(ほうべん)としながらも実は権力を手に入れるという方便(たつき)になっているという政治の世界が広がりました。日本も公文書の隠ぺいや改ざんが言われていましたが、統計も怪しくなっています。この中で国会内では議論されてばれないうちに数の力での強行採決という政治に見えますね。
「嘘をつかねば仏になれぬ」。。。嘘の上塗りがはじまります。
「嘘も方便(ほうべん)は、仏教の教えで「三車火宅」の例えから来ているそうです。
家が火事になっているから逃げろと言っても逃げない子供がいる。仕方ないか外に出ると三つの車のおもちゃがあるから逃げろと嘘を言って逃げさせる。本来はこのような使い方だったのでしょう。
しかし子供は仕方ないとしても大人が火事で逃げないのは仕方ないですが、いい大人が逃げないというのはおかしなものです。方便(ほうべん)という嘘で逃げているのに慣れてしまうと方便(たつき)でも騙されてしまいますね。

【2020年】ツイッターつぶやき
1月15日は小正月。
小豆粥を食って無病息災。。。。。。。
昨日は忙しくて作れなかったので今夜作りました。
ネットで炊飯器だけで作れる小豆粥というのがありましたので参考にさせていただきました。
まず小豆だけを炊飯器で炊きます。残り汁も含めてこれを研いだ米に入れるわけですが、我が家はもち麦をたくさん入れます。もち麦の粒粒感があるお粥はうまいですよ。
そういえばすぐに1月20日の二十日正月ですなぁ。
二十日正月には麦飯を食わねばならぬ。
でも、今日もち麦を食ってしまったので、二十日正月は省略です。
二十日正月までには餅などもすべて食い尽くさねばならないそうです。無理・・・・・餅はたくさん残っている。今はカビも生えないようになっていますからのんびりと食ってもよいでしょう。
すーぱスーパーに早くも菜の花が出ていました。
小豆粥に菜の花のからし醤油和え。少し酢を入れました。春までもう少し(^^♪
小豆粥に菜の花の和え物。写真を撮る前に食ってしまいました・・・・・

【2021年】ツイッターつぶやき
12月末にGO Toが中止になりましたがなぜ感染者数が減らないのでしょうか?
ピーク時に鞍手比べてわずかでも減少傾向が見え、例え横ばいでもある程度Go To中止の効果があったのではないかと思います。しかし大幅な減少傾向は見えていません。
なぜ新規感染者数が減らないのかの前に、GO Toの中止が遅れたことにより何が起きているか?
ある程度爆発的な感染者の拡大ですから当然重症者や死亡者が多くなります。これも大きなGO Toの後遺症でもありますから今後も新規感染者が減少するまで重症者や死亡者がある程度多くなるでしょう。
新規感染者数が減らないことについては、前回の緊急事態宣言よりも在宅勤務や人出が減らないことがあると思います。これは飲食店での会食にも現れているでしょう。
GO Toは政府が人の移動や密を前提としたもので、人の移動や密を政府が促進しました。カネをもらえれば心配ながらも旅行に行ったり会食をしたりします。同時にこのようなアクセルと同時に感染予防では国民の自己責任を問い続けました。すると経済効果という錦の御旗で移動することが正当化され、自己責任で気をつければいいのでしょうという言葉は悪いですがいいわけができてしまいました。ですからGO To中止後も金は政府からもらえないが人の移動の促進と会食についても変化がなく、自己責任で所で済むような風潮が出来上がってしまいました。それは自民党の政治家自らが実践してしまい国民への一つの範と見えました。
以上のようにGO Toの後遺症がなくなるまで新規感染者数は大幅には減らないのではないかと思います。

【2022年】ツイッターつぶやき
ワクチンを打たなければ社会的な活動を制限するって、雇用も含めてですよね。。。。。
これでは接種するしないは自由ではなくて接種を強制です。
ワクチンから離れますが、喫煙は自由ですよと言われる。しかし喫煙者は雇用しないという企業が出てきていますし、モンスター嫌煙者は雇用するなと声高に叫ぶ。
このような自由だぞと言いながら強制をするという醜いものが社会の根底い流れ始めている。
それで日本は自由を認める民主国家だと。
(以上ツイッターから)
14日に『アメリカ 企業のワクチン義務化』というものを書きましたが、日本でも今後ワクチンを接種しない人たちへのワクチンの強制が行われるかもしれません。
自由を保障するのが自由と民主主義の国だと言われていますが、たしかに法律などでは自由だよと言われる。しかしその自由を上記したように雇用しないとかの方法でその自由を抑えるならその行為は強制となり自由を奪うことになります。
こうしたワクチンや喫煙は特別な事柄だからと見えるかもしれませんが、たとえば、日本は休暇を取ることは法律で決められ自由に取れることになっています。しかし日本は休暇の取得率が極端に悪いです。自由に休暇がとれることができるはずですが、いざ休暇を取ろうとすれば仕事を他の人が行わなければならないから迷惑だという雰囲気が企業の中で作られているから休暇をとれないわけです。
こうした例はこの社会の中でたくさんの事例があるのではないでしょうか。
これが自由を認める民主国家日本です。

【2023年】ツイッターつぶやき
僕の唯一の持病といえるものが眼病です。
毎年医者に行くのはこの目の病気だけです。毎年多額の健康保険料を納めるのですが、医者に行くのも眼科だけですからもったいない?(笑)健康が一番ですなぁ。でも、健康診断にも行かないのでほんとに健康かというとわかりませんが、これといって痛いところもないし。。。。。 
ウィルス性のものではないので家族や人にうつす心配がないだけ気楽なのですが、痛みがありますからうっとうしい。
雨の中医者に行ってきました。
健康診断も受けていないと医師に言ったら、血液検査ぐらいは受けたほうがいいと。
以前、目に注射をしますよと驚かされましたが少しは医者の言うことを聴いたほうが良い年齢になりました。

【2024年】ツイッターつぶやき
東京も総長早朝は1度から3度ぐらいに気温が下がっています。
今日は一番寒かったかな。
日中も10度以下だったと思う。
炬燵に潜って昼寝。
風呂に入ろうとしたら、太ももや腕に欠陥が浮き出たように少し赤くなっていた。
これも寒さのためで、風呂に入ったら治りました。
血行が悪くなっているんでしょうね。
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2025年 1月15日(水)「もうすぐ大寒」

2025年01月15日 21時33分57秒 | 「思うこと」
立冬が過ぎて苦手な11月12月も過ぎやっと、もうすぐ、大寒ですね。
今年は1月20から。
大寒に入ればあっという間に節分と立春です。なんか、ほっとします。
節分が大晦日で立春が正月。僕には、というよりも日本の季節からして旧暦のほうがいいですなぁ。
梅も先小鳥も出てくる。新春の季節。
俳句の季語もこの旧暦によるわけですから、俳句が人々の心をとらえ続けるのでしょう。
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「1月15日という日」

2025年01月15日 07時46分23秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
立冬が過ぎて苦手な11月12月も過ぎやっと、もうすぐ、大寒ですね。
今年は1月20から。
大寒に入ればあっという間に節分と立春です。なんか、ほっとします。
節分が大晦日で立春が正月。僕には、というよりも日本の季節からして旧暦のほうがいいですなぁ。
梅も先小鳥も出てくる。新春の季節。
俳句の季語もこの旧暦によるわけですから、俳句が人々の心をとらえ続けるのでしょう。

≪過去の記事≫

【2004年】
昨夜のニュースで札幌の映像がありましたが、北海道はすごい雪みたいですね。東京も寒いです。昨日はものすごい北風で、体感温度は氷点下じゃなかったかな?肩がこってしようがないです。。。。
さこんな寒い昨夜、キムチ鍋を作りました。豚肉や魚を入れて作りましたが温まっておいしかったです。なんだか毎日体の温まる汁物が欲しくなり、今日も思わず餃子スープにしようと思い買ってしまいました。
あと、欠かせないのが入浴剤。なるべく蛍光色など添加物の少ないものを買ってきています。お気に入りの色は乳白色。赤や青のどぎつい色より乳白色は温泉らしいと思って。。。。ハハハ

【2005年】
今は小雨が降っていますが、もしかしたらよるには雪になるかもしれません。そういえばもうじき大寒ですね。それにしても寒いです。
だいぶ偽札が出回っているようです。昨日の日記に書いた貨幣の使いにくさもそうですが、何だか貨幣というものの重みがなくなっているような気がしています。この重みというのは、やはり汗水流して働いて受け取るという貨幣だからこそ重みが出るのですが、バブルを経てそれがはじけた頃から、悪いことも含めて貨幣というものが汗水流さないところへ吹きだまっている感じがします。
世の中、平凡に汗水たらして働いている人々が圧倒的に多いのですが、この人々は社会的には弱いです。だから我慢をしろと苦しい生活となっています。総中流意識はなくなっています。一方にはセレブという言葉が流行っているように、もちろんその人たちもがんばっているにはいるのですが、安く労働力を使っている所へ貨幣は独占されるようになっている。
さまざまな犯罪の傾向もそうですが、国の政策も大きな企業の経営体質も、みんな弱いところから吸い上げるという体質になってしまいました。何事も分捕りきょうそうという内に向っています。貨幣というのが生きていないです。

【2006年】
暖かい一日でした。
   梅一輪 一輪ほどの 暖かさ
うまい句だと思います。正月用に買った梅の寄せ植えがきれいに咲きました。甘いよいにおいが出窓に近づくと香ってきます。
ほんのちょっぴりの春気分でした。
寄せ植えの梅は、盆栽のようになっています。梅の盆栽の育て方でもネットで探してみようかと思います。我が家はどうも植物を枯らしてしまうので。。。
調べてきました。。。
ありました、ありました。。。。
「ウメの育て方」
盆栽としては育てやすいようですので少し頑張ってみようかな。
盆栽といえば、時々みる機会があるのですが、小さな木なのに大木を感じたり自然の力強さや安らぎを感じますね。
あぁ。。。盆栽なんかに興味を持ったらジジくさくなる。。。
でも、今はお年寄りの趣味が主なのでしょうが新しい感覚での盆栽も流行っているようです。
目の廻りに緑があるというのはリラックスしますね。

【2007年】
風もなく暖かでした。
窓を全部あけて掃除をしたり布団を干したり。。。。
植木に水をやったり洗濯を干したり。。。。
主夫の喜び。。。。(笑)
この前、急にアジフライが食べたくなり、いつものスーパーにはフライ用のアジがいつもあるので買いに行ったのですが、その日に限ってそのアジがなくてがっくり来たことがありました。今日また行ったらありました。。。。
揚げたてのアジフライにソースをかけて。。。。うまいですなァ。。。。

【2008年】
この3日ほど寒い日が続いています。
これが本来の寒さなんだろうと思っていたら、平年より低いらしい。この平年というのもここのところ暖冬が続いていたので平年の気温というのが高くなっているのかもしれない。だからこの寒さが平年以下となるのか。。。。
少なくとも僕が子供の頃の記憶から見ればこの寒さは東京の冬としては当たり前だと思う。
池には厚い氷が張り子供が乗っかっても割れないぐらいだったし、選択をしたタオルを干していると、午前中は凍っていた日も珍しくなかった。吐く息が真っ白で畑には高い霜柱もあった。シモヤケの思いでも。。。。
この年になると暖冬続きの冬は楽でいいが、ずっと東京に住んでいると東京の温暖化を肌で感じます。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
  拝啓 川上弘美 様

あけましておめでとうございます。
「あけましておめでとうございます」とはいつまで使ってよいものかわからないのですが、とりあえず年明けで初めてのお便りですので使ってみます。
日記を拝読させていただきました。
お訊ねの「首を振るパソコンの必要性の根拠」についてですが、以前お書きになっていた首を振るテレビのことを勘案いたしますと、
首を振るテレビの必要性=パソコンはテレビ化していく=首を振るパソコンは必要
という必然性が出来上がると思います。
これはパソコンでテレビを観るということを前提とした必然性であります。もしこのテレビを見るという前提がないならば、ううう・・・・ん(笑)
パソコンで原稿をお書きになった場合、これでよいのかと推敲されると思いますし、クリックを躊躇されることもおありかと思います。そのときに「よし!これで良しとしよう」と独り言を言うのではなくて、パソコンに力強く首を縦に振ってもらうというのはどうでしょうか?
または、出来上がった原稿を隣の方に目を通してもらう必要性がある場合、クイっとパソコンに横を向いてもらうとか。そうすれば耳元に顔を寄せられずにすみます。もちろん隣がすてきな男性ならば横を向く機能をオフにすればよいわけです。
こういう機能がほしいと思ったときは、具体的なものがなくても心の奥底にあるものがどこかしらから沸き起こっているわけですから訳のわからないことでもそこには必然性があるということでしょう。
訳のわからない首振り機能の必要性ですが何かの参考となっていただければ幸せです。平凡社のページにということですが、恥ずかしいのでこちらにひっそりと書かせていただきました。

           敬具

寒の入りも過ぎて寒い日が続いていますが、今度はインフルエンザで歯医者をキャンセルとなっては大変です。お体にはお気をつけください。
あさって17日は冬土用だそうです。
土用には「う」のつく食べ物を食べるといいらしいのですが、夏土用な「う」なぎとすぐにわかるのですが、冬の「う」のつく食べ物は・・・・いろいろと悩みながら探しております。是非「う」のつく「これだ!!」というものがありましたらお食べになって元気で歯医者にご通院ください。
(追記:やっぱり平凡社にメールで送ってみました(笑))

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
個人の自由や生活を楽しむといったものが揺らぎ始めている社会になっています。もちろんこの不安定性は昔からずっと続いていたのですが、今はその不安定性が増大するようになってしまいました。
貧困化や格差、マスコミでは絶対的貧困も伝えられていますし、格差の拡大からの相対的な貧困も様々な角度から伝えられています。街に出ればたくさんのほしい商品やサービスが氾濫していますがそれを手に入れにくくなる経済的な問題が多くなっているのではないでしょうか。
しかし何も貧困だけではなくて中間層といわれる人々にもこの不安定性が忍び込んできているのではないでしょうか?中間層も減っている実態があります。
社会保障の後退や先の見えぬ年金。社会的にも様々な不安定性が出ています。
この不安定性は大きな実際の生活不安や精神的なストレスにもなっています。
窮乏化という言葉がありますが、何も絶対的な窮乏に向かって国民生活が進んでいるというわけではなくて国民の要求なども政治には反映できますからこの絶対的窮乏はある程度防げます。しかし先に見たような不安定性は、社会からの窮乏化の作用は常に突きつけられている。
これは個人の努力(自己責任)ではどうにもならないものがあります。もちろん中にはこの自己責任で克服する人も多くいると思いますが、それはあくまでも個人差として社会に現れます。全体的には社会からの作用の中では基本的には解決できない問題です。
国民同士が競争だけに走ったり、互いの損得勘定で動いていれば解決は遠のくでしょう。
今の政治に必要なのは、このような国民の声を結集させることでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
個人の自由や生活を楽しむといったものが揺らぎ始めている社会になっています。もちろんこの不安定性は昔からずっと続いていたのですが、今はその不安定性が増大するようになってしまいました。
貧困化や格差、マスコミでは絶対的貧困も伝えられていますし、格差の拡大からの相対的な貧困も様々な角度から伝えられています。街に出ればたくさんのほしい商品やサービスが氾濫していますがそれを手に入れにくくなる経済的な問題が多くなっているのではないでしょうか。
しかし何も貧困だけではなくて中間層といわれる人々にもこの不安定性が忍び込んできているのではないでしょうか?中間層も減っている実態があります。
社会保障の後退や先の見えぬ年金。社会的にも様々な不安定性が出ています。
この不安定性は大きな実際の生活不安や精神的なストレスにもなっています。
窮乏化という言葉がありますが、何も絶対的な窮乏に向かって国民生活が進んでいるというわけではなくて国民の要求なども政治には反映できますからこの絶対的窮乏はある程度防げます。しかし先に見たような不安定性は、社会からの窮乏化の作用は常に突きつけられている。
これは個人の努力(自己責任)ではどうにもならないものがあります。もちろん中にはこの自己責任で克服する人も多くいると思いますが、それはあくまでも個人差として社会に現れます。全体的には社会からの作用の中では基本的には解決できない問題です。
国民同士が競争だけに走ったり、互いの損得勘定で動いていれば解決は遠のくでしょう。
今の政治に必要なのは、このような国民の声を結集させることでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ポピュリズムと扇動はイコールの関係にあるのでしょう。
しかし大衆の支持を受けること自体は政治の務めでもある。これは大衆の生活実態などを正確に把握としてその改善の方法を知らせながら支持を広げることである。
しかしポピュリズムとしての扇動はこれとは全く違うものです。
たしかに大衆の不満を把握するのですが、危機をあおったり、特定の人に対する批判(時にはヘイト的)など、主に大衆の感情をあおることにより支持を広げようとします。
そして結果としてはポピュリズムは大衆を支配することに向かいます。そして現実の生活上の国民の不満には我慢や精神論が入ってくる。
日本だけではなく世界中にこのポピュリズム=扇動の政治が広がっています。
しかしこれをポピュリズム批判としてだけ批判することだけでは片付かない問題です。
保守政党による経済政策が格差社会を拡大して貧困(相対的にも)を作り出さざるを得ない状態になっている反動でもあります。
ポピュリズムは先にも書いたように現実の国民生活の改善にはつながりません。大衆扇動により結果としては格差の拡大や貧困の増大をさらに進めるでしょう。そしてそれは政治的自由や民主主義を形がい化させていきます。今、保守を含めて何が必要か?本気で国民生活の実態を見つめることであり、その改善を行わなければならない。

【2018年】ツイッターつぶやき
車の中でラジオを聞いていたら、銀行員の方の希望退職が増加傾向にあると言っていた。ネットでも調べたらやはりその傾向があるようだ。
「銀行員の転職希望急増 収益悪化でリストラ不安」yahooニュース
たしかに統計上では雇用者数の増加が目立つ。
しかしこれは、景気が良くなって企業の事業拡大によるというよりも長年の少子化傾向からの労働者数の減少や年金支給年齢の引き上げによる高齢者の就労(配偶者も含む)あるいは「女性の活躍」といった甘い言葉ではなくて経済的理由による女性の就労の増加【だから待機児童問題も解決しない)などからでしょう。
この中で政府は労働の規制緩和を行うという。1月22日からだったか?その国会は労働の規制緩和国会だとも。
この動きが銀行に現れているのでしょう。
日銀のマイナス金利の導入から銀行の収益を圧迫させているともいわれ、内需関連の伸びが悪い中銀行からの借り入れも少なくなっているのではないかと思われる。銀行はサラ金化をしている。
景気が良くなったと言われるが現実は景気の足を引っ張るようなことが続く。
銀行員という比較的高収入の中間層が減るという事が続けば景気に大きな悪影響が出るでしょう。
これから政府が行おうとしている労働の規制緩和がどのような者かははっきりしないが、これまでも過労死容認時間外労働や、ホワイトカラーへの【1000万円以上だったか?】残業代ゼロそしてIT化。
ITかというと目新しい動きのようだが、早い話が第二のOA化で、人工知能による更に強烈な人員削減が行われるでしょう。
政府の管制賃上げや労働者不足による賃上げ傾向を抑える作用が出るでしょう。
昔NTTが電電公社だったころ、町のあちらこちらに電話局があって料金の支払いや相談を行うことができたが、民営化後にはOA化も進んで今では電話局というものがなくなった。
同じように銀行の窓口もなくなっていくのでしょう。またマイナス金利により預金にも預かるための手数料が発生するかもしれない。これまでの銀行の役割が終わりかけている。
経済は縮小に向かわざるを得ない動きです。

【2019年】ツイッターつぶやき
「被害者の適切な賠償がより迅速かつ円滑に行われるとともに、原子力損害の被害者の保護を着実に図ることができる」(柴山昌彦文部科学相 昨年12月4日、参院文教科学委員会で)
朝日新聞
しかし福島原発の事故での保障は、国の原子力損害賠償紛争審査会が示した和解案すら東京電力は拒否をし、被害者は訴訟に訴えるしかなくなっている。
もちろん被害者への賠償は、東京電力や国が保証するのですが、税や電力料金という形で国民の負担である。
事故が起きれば国が保証をするという神話は絵に描いた餅でしょう。これが第二の神話です。
事故が起きても責任の所在が明確にならずにうやむやになっている。
原発事故事態も収束をしているわけではなくて汚染水問題など8年がたつのに解決はしていない。
この中で国は原発の再稼働を進める。
再稼働に対しては避難など住民の安全は遅れたままで自治体任せとなる。
九州では太陽光発電買取が電力の過大で買取が規制されているという。
事故が起きてもだれも責任は問われない仕組みの中で、だれも安全宣言を出さずに再稼働は進む。

【2020年】ツイッターつぶやき
小泉大臣が男の育休を取るらしい。
諸外国では育休で休む政治家も多いらしいですから、大臣が男の育休として初めてとることは大切です。
大臣が育休を取ることについては、大臣が不在になる不安などいろいろな面での批判もあるでしょう。でも、そのために副大臣がいるわけですからね。
しかし問題点の本質は、大臣が育休を取ったという表面的なパフォーマンスで終わってしまわないかにあります。環境省の官僚や職員が男の育休をとれるか。ほかの省庁は、地方公務員は。そして何よりも民間企業に波及するかどうかが問題です。
最近は就職の希望に公務員が多くなっているそうです。
公務員は民間に比べて育休も取りやすい環境がありますが、民間となるとどうなんでしょうか。

【2021年】ツイッターつぶやき
去年1月15日。
中国から帰国した男性が始めてコロナ感染がわかり、翌16日にマスコミに発表されたそうです。
「初確認から1年。発生当初から厚労省の医系技監として対応を指揮した鈴木康裕氏は、最初の感染者が確認されたときは、「これほどの大きな騒ぎになるとは思っていなかった」と当時を振り返った。」(FNNプライムオンライン)
僕もテレビで中国武漢で変な肺炎がはやっていてのしに新型肺炎だと報道されているのを遠い国の話ぐらいに思ってみていました。武漢では感染が広がり武漢はロックダウン。道路も封鎖をされ武漢からの侵入を阻止しているニュースやマスクが足りなかったのかマスクをしない人を押さえつけてブラジャーを口にまいているニュースに笑ってもいました。
それが入国者にコロナ感染が発見され、2月には中国からの観光客や豪華客船のクラスター。そして屋形船の市中感染。。。。。。
中国という遠い国の話が日本も直面するようになってしまいましたね。
今や、中国は感染者を抑えましたが日本はいまだに第三の波が来て感染者の増加。
このブログでもツイッターでもだんだんとコロナ関係の記事を書くようになりました。
コロナとの戦いは2年目に入ります。
政府も自治体も右往左往しています。そのために国民も右往左往させられています。
アメリカでは中国との貿易戦争もありましたし、トランプ政権の国民の分断が大きくなっていました。コロナによりその国民の対立も激化して大統領選ではアメリカの民主主義の脆弱性が見えてきました。日本では政治的対決は自民党の圧倒的多数の中見えませんが、アメリカ追随の日本の保守の脆弱性がはっきりしてきました。
コロナ2年目はコロナによる災いが拡大しつつ経済も落ち込んでいき、それは政治面で大きな動きになるかもしれません。
アメリカの民主主義
これは現代の資本主義の民主主義として存在をする。
アメリカの経済と民主主義が揺らぎはじめている中、次に資本主義をけん引するのはどのような経済と民主主義だろうか?
戦争に向けばそれは歴史の歯車を逆回転させる。
社会民主主義に進むのが法則。

【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
古くなって壊れてしまった冷蔵庫。。。。。。
仕方なく新しい冷蔵庫をお買いになったようです。長年使ってお世話になった冷蔵庫が川上さんのおうちから運び出される。心の中で「さよなら音頭」を歌う・・・・・あははは
機械ものが壊れてしまった状態は死ではない。しかし、新しい冷蔵庫が来る時に引き取ってもらうので中身を出してコンセントを抜くとうなっていた冷蔵庫が静かになる。やはり機械ものにも死がありますなぁ。。。。
川上さんの「さよなら音頭」だったか?以前にも何だったか忘れましたが踊りを踊る日記がありましたなぁ。
2004年から2007年の東京日記をまとめた「東京日記 ほかに踊りを知らない。」が出版されていましたが、この時には東京音頭。。。。
人は生きていれば大きな出来事があり、その中に心が大きく揺れる喜怒哀楽があります。しかし、このような大きな喜怒哀楽というものはそうは毎日起きないものです。かと言って毎日がまったくの平凡かと言えばそうでもなく、心が小さく揺れる小さな喜怒哀楽があるわけです。それが「東京日記」で書かれているおもしろさだと思います。
さよなら音頭を歌ったり東京音頭を踊ったり。。。。。
毎日の中の喜怒哀楽が。。。。
そういえば我が家の冷蔵庫もそろそろかな。。。。。
去年は洗濯機を買い換えました。
今年は冷蔵庫とエアコンと風呂とキッチンの蛇口の交換と。。。。
不思議なことにいろいろなものが一斉に壊れる。
盆踊りのようにいろいろな踊りを踊らねばならない。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
第八波の感染拡大が続いていますが、全国的にも医療の逼迫が言われはじめています。東京でも病床が埋まりはじめているようです。やはり重症化するのは高齢者が多いのですが、高齢者ですから回復は遅く入院が長期化し介護も伴うのでその面でも医療の逼迫が出ているようです。
しかし、ワクチン接種率では高齢者は高いはずですが、その高齢者が重症化してしまう。
ワクチンの効果が少ないのか。
高齢者への感染は子供たちも含め若い人からの家庭内感染などがあるでしょう。若い人の中にはコロナなんて風邪のようなものだという方もいますが、人には感染をさせてしまいますしそれが高齢者への感染です。
ワクチン効果も期待外れですから、国のワクチン一本の感染防止対策は間違いとなります。
感染防止対策としての社会的規制が必要なのですが、春節の中国からの観光客をあてにする経済効果が優先されこのままだらだらと感染は広がるでしょう。特に新たな変異株が心配されています。

【2024年】ツイッターつぶやき
昔、日本人が海外旅行に出かけて金を落としていましたが、今は外国人が日本に金を落としてくれる。
ラーメンが2000円だそうです。食べ歩きで食べるようなフランクフルトも1000円だったかな?テレビを見ていて驚きました。
ニセコは世界的にも有名な良質な雪があることから観光客が多いそうですが、今では9割が外国人だそうです。高級ホテルで2000万円も落とす。
昔日本人がアジアの国々に旅行をしてその物価の安さにびっくりして遊んでましたが、今では外国人が物価の安さに喜んでいる。この物価の安さは、為替にありますが、通貨安は後進国の悩みです。
企業がこの円安に喜ぶ。輸出を円安に依拠する。
なんだか。。。。
この今の日本は途上国並みになっているんじゃないかな。
もちろんその中で国民は苦しむ。各社の拡大で国民が苦しむのも途上国の特徴でしょう。
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2025年 1月14日(火)「川幅うどん」

2025年01月14日 21時56分01秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)


    《川幅うどん 味噌煮込み》
先日埼玉県鴻巣市にあるめん工房 久良一の川幅うどんを食べに行きました。
薄くて幅の広いうどんです。
近くには利根川がありこの一帯の川幅が広くて日本で一番川幅のあるということです。
この日本一の川幅にちなんで名づけられたそうです。
臼居うどんですがもちっとした触感があり、おいしかったです。
梅雨はみそ味ですが、ハマグリが3個も入っているからかハマグリの風味もよかったです。
うどん好きの方は一度お試しを
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復活

2025年01月14日 15時18分37秒 | ご挨拶
やっぱりダメかな

ふっかつ!!!
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「1月14日という日」

2025年01月14日 08時25分30秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき


    《川幅うどん 味噌煮込み》
先日埼玉県鴻巣市にあるめん工房 久良一の川幅うどんを食べに行きました。
薄くて幅の広いうどんです。
近くには利根川がありこの一帯の川幅が広くて日本で一番川幅のあるということです。
この日本一の川幅にちなんで名づけられたそうです。
臼居うどんですがもちっとした触感があり、おいしかったです。
梅雨はみそ味ですが、ハマグリが3個も入っているからかハマグリの風味もよかったです。
うどん好きの方は一度お試しを

≪過去の記事≫

【2004年】
ほんのちょっぴり日が長くなったように感じませんか。
秋がなぜ寂しいかというと落ち葉に季節だからではありません。日がだんだんと短くなるのが何をおいても寂しい。逆にこの時期の寒さは辛いのですが、何が楽しみかといえば日がだんだんと長くなってくることです。
日が長くなると春は近い!!
小春日和。。。。気持ちがいいですね。
でも、今日は木枯らしピューピュー。
                 ガマン、ガマン。。。

言葉は静かに踊る新潮文庫柳 美 里  著柳さんの読書日記です。
本の紹介と感想というような程度の読書日記ではない。柳さん自身が生きていく上で必死に本と格闘をしているというようなすご味を感じさせます。
それは、柳さん自身の生い立ちや家族のことなど語りながら、その人生そのものと本との格闘です。
柳さんがどのくらいの本を読んだかはわかりませんが、柳さんが生きていくうえで本の中から何を必要とし、自分の人生から本をどのように感じ取ったか、これが本来の読書感想なのでしょう。
銀色夏生さんが、「つれづれノート」の中で「自分の作品は出版されたら私の手から離れて読者のもの」(正確な引用ではありません)というようなことを書いていましたが、たしかに作者と読者がひとつの作品を挟んだとき、その意識の差はあるでしょう。何を表現したか、何を読み取ったか。この対話となるわけですが、ここにはある程度の限界はあります。そうならば、本から読み取ることはまさに主観が入ります。それぞれの読者の主観、これは生活環境に大きなつながりがありますが、この主観によって読まれるという意味では、作品は読者のものです。
柳さんの読書感想もこの柳さんの主観によるものであります。作品自体の主題と柳さんの主観が一体となってそれはまた別なひとつの作品となっています。ですから、僕たち読者は柳さんが紹介をする本を読んでいなくても、この「言葉は静かに踊る」を一つの作品として読めるのです。
このような意味での読書日記としては優れた作品だと思います。
「言葉は静かに踊る」は、二部構成となっています。
はじめのは、「読書日記」です。主に外国の翻訳書が多くあります。あとのほうは「言葉は静かに踊る」で、こちらは主に日本の作者が多くあります。形としては、外国の作品日本の作品となっていますが、柳さんが何を表現したかというと、「読書日記」は”死”であり、「言葉は静かに踊る」は”生”を感じます。
そしてこの本全体を貫いているのは柳さんの審美的な生き方というものかと思います。審美的といっても、宗教的な心に美や、ロマンチズム、ヒューマニズム、自然などなどさまざまありますが、柳さんの美は、崩壊していく過程あるいは崩壊そのものの中に感じます。その端的なものが死です。
「読書日記」は、さまざまな本から死が取り上げられ、柳さん自身の自殺の失敗や妹さんが手首を切ったこと、家族の崩壊(死)を重ね合わせながらかかれます。死への憧れさえ感じてしまいます。死を客観視するというのか、使徒性の境目が薄れて死を怖さとしてとらえられなくなるような、死をひとつの表現にするというのか、うまく言葉にできませんが、独特な死感があります。
「言葉は静かに踊る」は、”生”であると書きましたが、柳さん自身の小学校のときのいじめの体験と本のことが書かれていますが、その後の人生の中で圧倒的に影響された作家が取り上げられています。その中で柳さん自身生きてこれたような感じを受けます。
しかしこの”生”も、積極的なものではありません。
やはり崩壊していく過程、太宰治の弱さの美学というようなものです。また割腹自殺をした三島由紀夫もそうか?
このような崩壊していく過程の美学の中に柳さん自信の美学もあり、それは私小説家として自分自身の崩壊過程や弱さを自身で暴露していく中に作家としての美学があるのかと感じます。死直前の太宰や芥川のように。
柳さんに足りないものは、生活であり家庭なのではないでしょうか?小説「ルージュ」の中で主人公に、「私、欲しいものがないんです」と語らせていますが、「言葉は静かに踊る」の中でもご自身の言葉として同じ言葉が語られています。たしかに物欲に走る必要はない。しかし生活を捨ててはならない。
五木寛之さんの「生きるヒント4」という本が紹介されていますが、その中で「五木寛之の言葉は決して熱を帯びていない」「説諭や煽動など粗野な言葉とは無縁なのである」「生活こそが生の実態であり根拠なのだ」と書いています。
しかし柳さんがこのことをどのくらい理解をしているのか?
生活者から見たら、そこには崩壊する過程などという審美的な生き方は入る余地はないと思う。もっと温かみのある美がそこにはあるはずです。
しかし生活は、社会から切り離してはありえない。
生活、過程という中での真の意味での人間らしさ、これを見ると同時に社会と鼻を突き合せなくてはならない。
柳さんは、日本という国が崩壊していく過程にあると思っているのかもしれない。それは今のままで行けば正しい。しかしこの過程をやはり審美的とはいわないが崩壊する過程をながめているだけでは足りないだろう。
夏目漱石は「こころ」の中で、明治の世に「先生」を殉死させる。しかしこれは、明治という世と「先生」という人間を崩壊させるだけが目的ではない。弟子とも言える主人公「僕」に次の世をゆだねる。

【2005年】
タバコを買おうとして自販機に1000円札を入れた。しかし何回入れても戻ってくる。つり銭切れかと思ったがそうではない。新札は使えないのである。
そういえば、自販機では旧500円玉は使えない。
新札×。。。旧硬貨×。。。どんより
旧札でタバコを買ったら、お釣りに旧500円玉が出てきたこともある。何で旧500円玉が使えない自販機でお釣りに旧500だまなの?
スーパーでも旧500円玉でお釣りをもらったときには、タバコを買いたいから新硬貨にしてという。
何だかめんどくさいです。
そういえば自販機で買うというのが当たり前になっているけど、こんなに自販機が多いのは日本だけなのかな?
タバコ屋の看板娘の顔を楽しみにという古きよき時代はなくなっています。

【2006年】
一時雨が激しく降りました。カラカラの東京も息を吹き返したようにしっとりとしています。
「漱石と十弟子」読み終わりました。女性作家に戻ります。まずは川上さんの「此処彼処」。今日から読み始めました。
内田百閒の「百鬼園日記帖」の感想は半分ぐらいかな?
ううう。。。夏生さんの「つれづれ②」のまとめの続きがなかなか進まない。
まぁ、ゆっくりとね♪
今夜はカレーでした。久しぶりです。
市販のカレー粉を使ったのですが、トマトやミルクで少しインド風。牛肉ではなくて鶏肉にしたほうがよかったようです。。。。

【2007年】
風が冷たかったです。
大寒はもうすぐ。。。。(20日)
それが過ぎれば節分・立春ですねぇ。。。。そして花粉症(笑)
時々、冬は本気で冬眠がしたいと思う僕ですが、こうして春が遠くにでも見えてくると少しは気持ちが楽です。
11日の日記に書いたお供え餅を天日干にし、油で揚げたおかきはおいしかったです。きつね色になるぐらいに揚げてから多めの砂糖と醤油で絡めました。あとを引くおいしさでした。あまりにもおいしかったので、今度は網で焼いたせんべいに挑戦をしようと思い、切り餅を四角に薄く切って天日干にしておきました。今日、これを焼いてやはり砂糖醤油を塗って食べたらやはりおいしかった。海苔を巻いたらよかったかな。。。
残りは油で揚げました。
餅自体も時々海苔を巻いて食べています。
しばらくは餅は買い続けることとなりそう。。。。
そういえば、これからは海苔餅や豆餅が出てくるなァ。。。これも楽しみです。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)


【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
第二次菅内閣が発足をした。
この前、今の民主党内閣は「小沢切り」=「マニフェスト切り」という魔法を行うのではないかと書きましたが、まさにそのとおりになってきました。それはマニフェストという縛りをチャラにして消費増税という180度違った方向に持っていこうとするもので、その具体化が今回の内閣改造というものの性格のひとつではないか?
小沢和基幹事長の証人喚問かと仙石前幹事長の問責決議案というもので国会が運営できないというものが表面的なものですが、内実はマニフェストの放棄と増税路線ではないか?選挙も考えれば民主党もごり押しで消費増税はできない。どうにか国会の総意という形にもっていきたい。それは自民党も増税には反対ではないのだから?その議論の持ちようによっては民主党だけが汚れることもなくなる。

【2012年】ツイッターつぶやき
だいぶのんびりと哲学史の本を読んでいます。
懐疑論というものがあります。自分の存在すら確かなものではないという感覚からくる懐疑。完全に知ることはできないから完全なる知はない。今の科学も一つを解明すれば次の疑問が出てきます。たしかに完全なる知は存在しません。この懐疑論に対して、感覚的なものでは不確かなものはたくさんあり、たしかなものだと思っていたらその感覚は欺かれることがあるが、しかし欺かれることがあるということは、今ここに欺かれた私は存在をする。その意味において私の存在は懐疑を許さない。
面白い論理です。。。。。。
しかしこのような感覚的なものの不確かさは残ります。そこで何に確かなものを求めるか?
懐疑論者は完全なる知を否定するのだから神を否定している。神の存在の確かさに人はたしかな真理を求めることができる。哲学にキリスト教という宗教が入ってきます。「哲学は神学と別物ではない」。ここまで来るとすべてがさかさまになります。人の心が求め作りだした神がすべての存在の確かさの根拠になっていく。
哲学の観念論が神を求めた神学として長い歴史を通過してきたのでしょう。
人は確かなものを求める。しかしその瞬間における絶対的な確かさなどというものはない。そこで懐疑論が出てくるわけだが、絶対的な確かさは今の科学を見ても人間の発展という運動の中に高められていく確かさなのである。以前の瞬間の中にあった不確かさがつぎの発展した瞬間には確かさになる。この発展の運動において神を置く必要性は薄くなる。
観念論ではない唯物論。その唯物論の不確かさを形而上学的に見るのではない弁証法。

【2013年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターのまとめです。

商品価値の低下は経済法則で、価格の低下傾向は企業間競争でこれも必然。
労働の生産性の向上は、商品生産に必要な労働力量を少なくしますから商品の価値低下は必然です。そのうえ海外の安い労働力や国内の低賃金化による経済法則無視はさらに(価格に現れる)商品価値の低下を起こします。価格維持の困難は企業間競争に。ここに景気の後退が重なるとデフレとなるでしょう。
デフレという景気後退は社会にとっては有害ですが商品価値の低下による価格の低下自体は多くの富を国民に分配できる条件ですしそれは法則性のあるものです。デフレで困るのは、企業の平均利潤の低下です。同じ量の商品をつくっても価値低下の中で利潤は下がる。そこでさらなる賃下げでデフレスパイラル
デフレによる不況は価格低下にの関わらず消費は伸びず生産規模(産業内の倒産という形でも)の縮小を伴います。その中に金融資本も無関係ではなくなりゼロ金利に。当然金融資本の利潤率も低下をします。ここに恐慌の危険性があるわけです。商業恐慌から製造恐慌へ、そして金融恐慌へと。
ここに安倍内閣の成長路線が出てきて銀行をはじめとした企業へのテコ入れがはじまりますが、しかしこのテコ入れ自体がカンフル剤のようなもので、赤字国債の資金は企業にだぶつき労働者への懐に入る貨幣量はさらに低下(インフレならばなおさら)して拡大したデフレ傾向が現れるでしょう。
今のデフレの基礎を築いたのは自民党の政策だったことを忘れてはならないし、第二次安倍内閣の政策は、第一次安倍内閣の挫折を取り戻すことでしょう。失われた30年に向かって。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
どうも都知事選は枡添さん・細川さんとの対決といった流れで進んでいきそうですね。
国政選挙が保守二大政党という枠組みの中での対立というになっていた流れと同じ減少として都知事選もあるわけです。国政レベルでも社民・共産の主張は正しいのですが、結局は二大政党制による保守の論理が残る形です。
枡添さんと細川さんの対立点は今のところ原発問題だけが目に付きますが、その他の政策は出揃わないとわからない。政策的には宇都宮さんがいち早く立候補をして出していますが、この面でも枡添さんや細川さんは「後出しじゃんけん」で脱原発も含めて政策的なものも後出しになる。
まだ保守二大政党制の中での政治でしか動かない。

【2015年】ツイッターつぶやき
人間は自由に空を飛ぶようになった。
今では宇宙にまで行けるようになった。
その空を飛べるという人間の自由はなぜ実現できたのだろうか?
空を飛ぶ自由は空想の世界に存在した。それを実現するために翼を腕につけて動かしたりもした。しかしそれでは鳥のようには飛べなかった。
空を飛ぶには科学的な自然法則を利用するしかない。
飛行機が飛べるのは自然法則に沿うからである。
その法則性に縛られる中で空を飛べる自由を人間は得たのである。
だから自由とは何をしてもよいという事ではなくてある法則性に沿うからこそ得られるものである。法則に沿わなければ自由は得られないという事である。
法則性は何も自然法則だけではない。
人の社会の発展もまた法則性を持つ。
その法則性の中に人は自由を得ることができるだろう。
人格を悪魔に売って表現の自由を得た。。。。。悪魔に売るものは個々人が自由に決めるものだが。
自由は法則に沿って自由であり得る。法則は人をより良い方向に進ませることである。悪魔に人格を売ることは人の進歩の法則に反する。だからその自由はどこかで矛盾にぶつかるだろう。
フランスの自由はどこへ進むのか?

【2016年】
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
いろいろ忙しくてやっとやるべきことがぎりぎりで終わり肩の荷が下りました。
あとは語るに任せよと。。。。気楽に。

【2018年】ツイッターつぶやき
遅い初詣に行ってきました。
遅くなったと言ってもまだ日曜日はお参りの方が多いですね。
お寺の境内には屋台がたくさん隙間がないほど出ていました。
東京も昔は縁日や盆踊りなどにたくさんの屋台が出ていました。焼きそばやたこ焼きなどの食べ物の屋台はもちろん、お面や金魚すくい、風船釣り、日めくりカレンダー屋、詰将棋、パチンコ、占い師、フウテンの寅さんのようなバナナや七味唐辛子などのたたき売り。。。。。。。
楽しかった思い出がたくさんあります。
最近はめっきり屋台というものをみなくなりました。
このお寺は平日にばかり行っていたのですが、今日日曜日に行ったらたくさんの屋台があり楽しかったです。
もちろん立ち食いをしてきました。
一番おいしかったのがすいとん。
具たっぷりですいとんもたくさん入っていました。寒いベンチに座り熱々のすいとんはたまりませんなぁ・・・・・
そういえば、このお寺には毎年車を飛ばしていくのですが、駐車場が高い!。。。。ウウウ
ぼったくりとは言いませんし正月料金と言えばそれまでですが、帰りは必ず嫌な気分で帰っていました。せっかくお参りをしてすっきりした気分が駐車場の料金で心が沈みます。去年はあまりにも高いので管理人と討論に。むなしいですなぁ。。。。
という事で、今年はお寺から少し離れたコイン駐車場が運良く空いていましたのでそこに止めました。
だいぶ長く駐車したのですが、600円♪毎年に比べると5分の1ぐらいです。
今日は気持ちよく帰ることができました。

【2019年】ツイッターつぶやき
料理といったものではないのですが、お供え餅を切って天日で干しています。
今日で二日目ですが、明日晴れれば餅が透き通るように乾燥しますから油で揚げてかきもちにします。
ボールの中に甘めに醤油と砂糖を入れてかき回しておいてあげたてをじゅっと入れます。醤油と砂糖がまんべんなく絡むように素早く。
揚げたては美味しいです。
粗びきコショウと塩で作ってもあっさりして美味しいです。
今日は小正月でしたねぇ。
小豆粥を作るの忘れていました。

【2020年】ツイッターつぶやき
一昨日、買い物に行ってカリフラワーを買ってきました。
最近ブロッコリーは時々食べますがカリフラワーはめったに食いません。
しかし、買ってきたのはいいけれど、どうやって食うか?
ゆでてサラダにというのもありきたりだし。
正月にカブの甘酢漬けを作ったことを思い出して甘酢漬けにしました。
甘酢といっても市販されている黒酢の甘酢を使いました。
ブロッコリーは一口大に切りさっと茹でます。
お湯を切ってまだ熱いうちにビニール袋に入れて黒酢の甘酢を入れて全体になじませます。
冷めたらそのまま一晩寝かせておけば出来上がりです。
今夜夕飯の一品にしたら好評でした。

【2021年】ツイッターつぶやき
12月28日やっとのことで全国一率でGo Toが中止になったが、東京でも全国でも感染拡大が急激に増加した。
年末年始の連休後には1月7日より1都3県に緊急事態宣言が出された。
その後今日14日より2府5県の緊急事態宣言が追加された。
今後感染拡大はどうなっていくのでしょうか。
12月28日のGO To中止は評価できますが遅すぎたという意見も出ていますし、緊急事態宣言も遅すぎたという意見が多く出ています。
これは感染拡大を招いたことや重症者や死亡者が増加した保途への批判ですが、同時にこの遅すぎたという批判は、今後の感染拡大防止にも影響が出るというものだと思います。
GO Toが中止になりましたが、税金の補助がなくなったというだけで帰省や旅行を規制する呼びかけではありませんでした。コロナ以前よりは出かける人も少なくなっていましたが、5月の緊急事態宣言時に比べると人出は多くなっていると報道されていました。GO Toを11月ごろには中止をし連休や土日、年末年始の連休の移動を自粛させる呼びかけが必要だったでしょう。
ですからせっかくGo Toを中止してもその効果は薄くなります。
今だに東京でも全国でも新規感染者数は高い状態です。
東京の新規感染者数は先週の木曜日と比べれば少し減ったようにも見えますが、瞬間に1000人を割った曜日もありますがすぐに1500人台です。
GO To中止の延期の効果がどうなるか、年末年始の人出が関係していくでしょう。
頭打ちになってもかなり高い感染者数が続くでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
アメリカバイデン大統領が100人以上の企業に対してワクチンの義務化又はワクチンを打てない人に対してでしょうが毎週検査をする措置を出した。これに対して最高裁は「連邦政府の権限を逸脱している」として差し止める判決をくだした。(以上日テレニュース)
企業にワクチン接種を義務付けるということは、企業が従業員に接種を強制することにもなる。この強制は雇用しないというものに結びつく。
個人への国家あるいは企業の権限の正当性を逸脱する。
これは現在日本社会の中に現れ始めた企業による強制禁煙と同じでしょう。この強制禁煙は雇用しないという企業の権限を逸脱するものにも結び付いている。
ワクチンの強制も禁煙の強制も「国民の健康の維持」という前提があるが、雇用まで持ち出す強制は強権的なもので、これを許してはいけない。
日本もアメリカもコロナ感染拡大に対してワクチン接種を進めている。もちろんワクチン接種も対策の一つであろうが、ワクチン接種も広範囲での検査と隔離がなければコロナが自然に消滅するまでワクチンを打ち続けることになる。ワクチンとともにロックダウンや日本の緊急事態宣言があるが、感染が高まってから国民生活や経済に影響のある対策をするのではなくてやはり広範囲での検査と隔離がなければ、これを繰り返していかざるを得ない。
日本もアメリカも間違った方向性を示している。
この中で国民へ義務化や強制を行うなら、国民を統制することの強化だけであり自由と民主主義に反した国家になっていくでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
電気ガスの12月分使用料の請求がそれぞれきました。
これまでニュースでもたびたび値上げの話が出ていましたが、実際請求が来るとその値上げ幅にびっくりします。
ざっと計算すると、30%近い値上げではないかと思います。
また前年度使用料より今年の使用量はかなり少ない中での請求額のアップですからね。
低所得層をはじめ年金生活者や社会保障を受けている方々はこの寒い中で我慢を強いられるような死活問題にもなってくるでしょう。
企業は高圧契約で電気料金はだいぶ安くなっているでしょうが、それでも値上げされると商品やサービスの値上げとなるでしょう。
これまでも様々なものが値上げされてきていましたがさらに値上げの波は高くなる。
ユニクロが大幅な賃上げをするとしていますが中身はどうかわかりません。でもこの賃上げがどこまで広がりを示すか。しかし賃上げがあったにしても今後防衛費などで増税もありますし、消費増税の話も出はじめています。
国民生活を犠牲にした政治経済の動きはさらに悪化しますね。

【2024年】ツイッターつぶやき
島根県から百貨店が消えたそうです。秋田県や徳島県に続いて三県目だそうです。
このように百貨店が消えるのは何もこの三県に限ったことではなく、東京でも池袋から百貨店が一つ消えました。
大型店が進出することにより商店街がシャッター街になり、大型店やインター年とにより百貨店も消えていく。
関東のベッドタウンと呼ばれた地域でも大型スーパーが消え買い物難民が増えたということもありますが、遠く離れた場所で車がないと買い物にも行けない大型店が増加。
便利さを求めて発展した地域に密着したスーパーも消えていく。便利さとは何か?
地方の町や村も買い物もできない状態になればさらに若い人は消えて廃村も増える。
最近はあまり行かなくなった商店街を通ったのですが、ほぼシャッターが下りていて、今まで店だったところが民家になっていた。1軒、肉や揚げ物を売る店が頑張っていましたが、すでに商店街ではなくなっていた。
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やっぱりダメかな

2025年01月14日 08時23分35秒 | ご挨拶
やはりパソコンからはダメかな?
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「1月13日という日」

2025年01月13日 07時50分21秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
夕方4時ごろだったか?
雷が鳴りました。
急に暗くなり、しばらっくすると雨が降りだしました。
気温がだんだんと下がり風も出てきて、6時ごろには雪になりました。
30分ほどでやみましたから積もりませんでしたが。
去年も東京は乾燥した日が続いていましたが、今年もだいぶ湿度が下がり、時々「カンカン」と消防車が走っています。朝起きると口の中まで乾燥している。。。。。
寒波が降りてきていますから急な寒気で雷もなるのでしょうね。
小寒、大寒と過ぎて2月4日は立春ですね。
ホウジロやムクドリが来て盛んに鳴いていました。木蓮の蕾も少し膨らみました。

≪過去の日記≫

【2004年】
朝起きたらあまりにも寒いので、雪になったかと思いましたが雨でした。久しぶりの雨で異常乾燥注意報も解除されたようです。インフルエンザもそろそろ流行りだしたとニュースでやっていましたので、このお湿りもいいのかと思います。
それにしても鳥インフルエンザって怖いですね。一瞬、狂牛病で牛を食えなくなり、そのうえ鶏もかと心配をしてしまいました。まあ、気をつけてよく火を通してから食べたいと思います。
成人式、また荒れたところがあったようです。
ニュースの中で、若い人がどなっていましたが、その中に「景気をどうにかしたらどうなんだ」というようなものがあったような?また、あるところでは、政治家や役人の挨拶やら紹介で50分も時間を使い、成人代表が怒り出して批判演説したらしいです。
若い人たちも子供っぽい騒動をおこすのではなく、もっと自分たちの要求や考え、あるいは成人式のあり方を考えての発言が必要ですね。とはいっても大人たちはそんな場は与えないでしょうが。。。。。
若い人たちの一部の中には、心の中のもやもやをどうしたらいいのかわからないで騒いでいるのではと思います。大人はこのもやもやを見つめないとだめです。
若い人たちだけではなく、大人社会にもこのもやもやが広がりつつあると思いますが、今はこれを受け取るような組織がなくなっています。昔は総評・社会党というものがありましたが、今のように失業問題や平和問題が深刻になったときには、どうにかしようとするものがありました。
「現実路線」この言葉に総評・社会党がなくなりましたが、今、現実路線というものがどういうものかが端的に表れています。現実追随路線でしかなくなった。
若い人たちにはいろいろ問題点があるかと思いますが、好むと好まざるとにかかわりなく、今の若い人たちが社会を引き継いで生きます。
僕は、そうは落胆していません。
社会の弊害が、毎日の生活に極端に現れてくると、人は考えざるを得なくなります。

【2005年】
夏生さんの「つれづれノート13」を読んでいたら、おいしそうな料理があったので作ってみました。もちろん詳しいレシピがないのでだいたいの味を真似ただけですが。
鶏の唐揚を甘酢味にし、そこにタルタルソースをかけるという物です。揚げたての唐揚を甘酢の中にジュッと入れたら香ばしさが出ました。甘酢の酸味とタルタルソースの甘さがマッチしていましたよ。甘酢にとろみをつけたらもっと美味いかも知れません。

【2006年】
ううう。。。13日の金曜日
何事もなく過ぎ去ろうとしています。1年から2年に一度は13日の金曜日がありますね。キリスト教?ではないが気になります。
そういえば日をみるというのもありますが、祝い事の大安とか、葬式の友引はよくないぐらいで、あとは毎日気にせずに生活してます。
別に気にもせずに迷信だとは思っているのですが、いわれてみると気になってしまうことってあんがいあります。スポーツ新聞や雑誌を広げると運勢を見てしまうとか。。。おみくじとか。。。。
暗示にかかりやすい僕としてはなんとなくその後気になってしまいます。
それにしても寒い一日でした。明日からは雨という予報ですが、雪になるんじゃないかな?一応明日からは暖かくなり雨だと入っていますが。。。
曇りや雨だとまったく洗濯物が乾きませんが、ここのところずっと雨がなかったのでうれしくもあります。

【2007年】
娘と車で買い物に行きました。
これといった買い物はないのですが、のんびりと夕食の材料を買いに行きました。
買い物を済ませて外に出たら夕焼けが。。。。
娘がちょっと遠回りをして帰ろうよというので、夕焼けを見ながら帰り道とは逆方向に半泥を切りました。少し走ったところで右へ右へと。。。。。だいぶ遠回りになってしまいましたが、夕暮れの道のみにドライブものんびり出来ました。
そういえば、ほんの少しですが心持日が延びたような?
今までは晴れた日でも4時半にはライトを点けたのですが、今日は4時45分頃。。。ハハハ・・・感覚として15分日が延びたことに?
寒さはこれからですが、日が延びていくと気分が和らぎます。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】
タイガーマスクの伊達直人と名乗るランドセルの寄付からそれが全国に広がっているという。
このような寄付が組織だって大規模に行われているのが赤い羽根やユニセフそして目に付くところでは24時間テレビだったりするがこの寄付という形をどう見ればいいのか?ただ善意が広がっているとだけ今のような報道でよいのか?
もちろん一人ひとりの善意というものは大切で、広がっていくこと自体はよいと思うのだが、どうも僕はひねくれ者だからただ善意が広がっているとニコニコしてテレビを見ることができない。このような善意による寄付が広がるところに反面不幸というのか貧しさを感じる。善意が大きく広がれば広がるほどこの社会には不幸や貧しさが広がっているということである。
ほんとは福祉という言葉も嫌いなのですが。
この寄付行為というものの中にある深層部分は何だろ?
年末の朝日新聞の連載にいろいろな今の社会の問題点が書かれていましたが、このような問題点を掘り下げて一人の人間をとりあげてどのような常態になっているかを記事にするのはいいのですが、読者はそれにより今の社会や政治に怒りをもつかといえばそうではなくてこのような人もいるのだからなんだかんだといって家族で正月を迎えられるのは幸せだで終わるのではないか?なんだかんだと言ってもまだ俺のほうが幸せだ意識の貧しさ。後退する意識。寄付行為はこのような意識も働いているのではないか?
あとは今の政治に期待ができなくなっている現状などからの反発意識というのか。。。。
繰り返しますがなにも伊達直人現象が悪いといっているわけではないです。その寄付をされた方は真心からと思っています。でも、報道されるとそれが違った形になってしまう面がある。うまく表現できないのですが、このような人の善意ばかりをとりあげるとそれは福祉のためなんだから消費増税もいいのではといった相互扶助的なものばかりが意識に植え付けられるのではと危惧するわけです。
相互扶助はよい面とその裏側があります。国民通しは助け合っていこうという裏に政治は悪い方向に行く。。。。それを見過ごしてしまうような気がします。

【2012年】ツイッターつぶやき
統一戦線などというと堅苦しいもののように思われるが、一つの目標に向かってそれぞれの党派などを越えた運動を支持するものです。もちろんこの言葉にはいろいろな意味合いがありますが、今現在の日本における緊急な問題としての原発問題や経済的格差(総体的にも絶対的にも)の拡大に見るような経済問題そしてこれらの問題に対する政党の動きなどを改善しようとする運動の統一が今現在の統一戦線となります。
たとえば一番わかりやすい例が、放射能に汚染された野菜を出荷する農民とそれを消費する市民において、市民が農民をなぜ出荷するのだと非難することではなくそして農民が市民に対して風評被害だと批判するようなものを排除して互いに原発事故の被害を受けているのだという一致点において統一しようということです。ここでは市民は自身の立場を変える必要はなく、農民も買える必要はありません。自分の考え方や原発に対しての批判をその市民的レベルで行い、農民もまた農民という自分自身の意識性において原発に向かい合えばよいのです。しかしそのそれぞれの運動が原発事故の対処問題や脱原発に向けて統一性を持てるということです。たしかに大同団結かと言えばそのようにもとらえられますが、そうではなくてもっと意識性を持った形に作り上げるということです。たとえばデモにしてもそこに市民と農民が一緒になるようなことも必要ということです。
市民と農民との統一戦線です。
上のような例だけではなくてこの社会には様々な階層の人々がいて職業も違います。市民といってもそこには賃金労働者もいれば自営業もいる。知的労働者もいれば公務員もいる。小零細企業の社長もいれば大企業の管理職もいる。漁師もいれば林業もいる。このようなすべての階層による意識性の違いはあるものの脱原発への意識が一致をするならばそこで統一すべきということです。
この統一戦線を作りだすのはただ単に主観の問題だけではなく、それぞれの階層にどのような原発事故の影響が出ているかという客観的な事実が統一を実現する条件となります。
企業でもそうでしょう。スーパーで放射能を気にする客が増えれば自主測定をしてより安全な食品を売ろうとします。電力の買い取り制度が始まれば太陽光発電(メガ・ソーラー)などの開発が進み、より安く効率的なパネルが開発をされます。こういった企業の動きもまた統一戦線を有利にするでしょう。
東電の一般社員を批判するのではなくてその東電の労働者の働き方を見ながらそこにも統一をしようというものも必要になります。
脱原発はうったえることだけでは実現しませんし、国民投票という形だけでも実現は難しいでしょう。脱原発は早急に実現しなければならないのですが、しかしそうは早急にはできない問題です。なぜならば、客観的な脱原発への条件はあってもなかなかそのための主体的な条件が出来上がりません。統一戦線はこの主体的な条件を高めるでしょう。今必要なのは主体的な条件をどう大きくしていくかなのです。もちろんこのためには客観的な矛盾の高まりというが後からあとから現れてくるのですからそこに視点を確実に合わせていく運動が必要です。客観的なものと主体的なものが相乗的に高まるものを見つめたいと思います。

【2013年】ツイッターつぶやき
ある企業が100億円という資本で1年間でこの資本を回転させて売り上げが110億円だったとする。極端な例になるが、この100億円という資本を1年間に2回転させたらどうなるか?当然企業利益は2倍の20億円になる。
このような資本の回転を上げるには、時間のかかる巨額な設備投資をするような製造業では無理があるが、商業資本はありえないことではない。
現実にデフレ下での商品価値の低下の中ではこの資本の回転を上げることがされている。利益維持にはより安いものをより多く販売することはずっと行われてきたことである。
この商業資本の回転が上がるという事はその企業の利益の増加という事だけではなくて、回転が上がるという事は大衆消費財としての商品自体の量が増えるという事である。商品量の増加は言うまでもなく消費の拡大であり、その商品を製造ずる企業の生産数の拡大である。ここにデフレの脱却の基礎があるし、経済法則にのっとったインフレ傾向も出る。
今の政府が行う政策は製造業資本の拡大だけを支援するものであり、そこで生産される商品は流行やデザインなどの差から生まれる企業ごとの利益増はあるものの産業全体では商品をさばける量は決まってくる。それは商業資本の回転数により決まってくる。そうならばこの商業資本の回転数を上げることに政府の政策は向かわねばならないという事でしょう。
商業資本の回転数が上がるという事は先にも書いたように大衆消費財の消費の拡大です。しかしこの消費は、国民の多くが賃金を得てその賃金内で消費を行うという事です。同時に将来への不安があれば将来の消費目的である貯金に回ってその消費量は低くなります。
政府の政策はここに目をつむります。現在の安倍政権は露骨にこの傾向を示しています。
大衆消費財の消費を行う賃金労働者の賃金を商品製造におけるコストと見る現在の矛盾からは改善されないでしょう。これは企業間競争という競争の合理性の裏返しの矛盾です。
今求められる政策は、赤字国債を発行して企業特に公共事業関連企業に金をばらまくことではありません。同じ赤字国債を発行しての政策ならば、商業資本の回転数を上げることに向けねばならないという事です。国民生活の安定と将来への不安をなくす政策が求められるといいことです。もちろん何も商業資本の回転数を上げることに赤字国債が不可欠かといえばそうではなくて、民間活力の視点を変えるだけでできることです。企業の社会的責任は企業自体を助けて結果としてその活力は国際競争にも生かされるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
スーパーで買い物をしてレジを済ませた時、品数の少なさに比べた買い物額に驚いてレシートとにらめっこをすることがある。大手スーパーならば食料品のほかにも衣類や雑貨も買いますが、その時にも値札と割引率とにらめっこをする。
このにらめっこをすることが多くなるという事が生活実感を現しているのではないかと思う。
円安が生活実感を厳しくしている。
円高のころはデフレとも言われていたが安さにひかれて消費も伸びて(あるいは少なくとも維持)されていたはずです。それは実質賃金が一定程度高くなっていたという事です。
安売りで得かと思いつつ買い物をするのと、レシートとにらめっこして節約を考えるとでは消費意識には天と地の差がある。
デフレは企業の利益を下げるといわれていますが、では今のような物価高になったら企業は利益が上がるのかといえば、やはり生活実感をもろに感じるスーパーなどではそうではないようである。
「イオンの3-11期営業利益47%減、通期は「難しい数字」」
もしかしたら物価高ですから売上額自体は伸びているのかもしれませんが消費量自体が落ち込んでいるのでしょうか?
節約意識は将来への不安を現します。
政府が賃上げをやるといってもその恩恵を受けるのは少数の労働者でしょう。それでも現実は物価に追い付けないわけです。
アベノミクスへの消去法から出た支持は、安倍政権発足時の「期待」の大きさとは違うものに変化をしているのではないか。消去法の支持ですからそこにはそうは期待はない。
すると期待を持てないとすれば節約しかないわけです。あるいは消費をしたくてもできない貧困化が生まれている。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
キッチンの様々な配線がごちゃごちゃになっていたので整理しました。
まさにタコ足配線状態でした。
どの足がどこにつながっているのか・・・・・
1本1本確認しながらコンセントをつなぎいなおしました。するともういらないコードが何本か出てきてしまい何がなんやら?
家具の後ろにまわした長いコードをどうにかたどって行ったらまだ捨てずに使わなくなっていたビデオデッキにカセットデッキ。
捨てるものは捨ててすっきりしないとだめですね。
タコ足と言えばパソコン回りもだいぶひどい状態です。
一つのコンセントに3口に分配するコンセントが2つ。そこからパソコンやらプリンターやら電話やらが・・・・・
これも明日6口ほどあるコードを買ってきて整理したいと思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
「貧困率を決める可処分所得の中央値は、ここ数年245万円程度で推移しているが、20年前の1997年には297万円だった。つまりこの20年の間に 可処分所得の中央値が52万円も下がっているということになる。52万円といえば、月額にして約4万3000円」(引用)
普通の日本人が知らない貧困の深刻な実態 (東洋経済)
日本の相対的貧困率はわずかに改善されたとはいえ15.6%といぜん先進国内では大きい。
母親とこの世帯の貧困率は50%を超えている。
高齢化社会になり年金生活世帯は生活保護儲けられない程度の貧困となる。妻一人の年金世帯となればその貧困は厳しいものとなる。
貧困率は減少したとはいえ、可処分所得の中央値が下がれば貧困率も下がる要因となるでしょう。
日本の貧困といっても貧しい国の絶対的な貧困ではなく相対的貧困ですが、社会の中の商品やサービスを授受できない状態ですから貧困に相違ありません。
貧困をなくすには賃上げと社会保障の充実が必要でしょう。
同時に社会的な負担を軽減する必要があります。
しかし今の社会はこれに反する傾向を示しています。これは貧困層だけではなくて中間層にも影響は大きく、中間層も減少していきます。何かの要因やトラブルがあれば貧困層の仲間入りです。

【2020年】ツイッターつぶやき

        大相模不動尊大聖寺の梅
梅でしょうか?寒桜でしょうか。。。。。
今年は暖かいですから花も早いのかもしれません。
今日は天気も良くてあたたかなので車で出かけました。
目的は虹だんご です。
gooブログのある方の記事に紹介されていたので行ってみました。
大聖寺の山門を入るとすぐにお団子屋さんがあります。
でも、だんごは少し我慢をしてまずは大聖寺にお参り。
本堂の前の参道の横に「ぴんころ地蔵尊」があります。
元気に生きてあの世に行くときはコロッと。そんな老後を願ってお参り。
まだ新しい地蔵尊だと思いますが、見た途端家族みんなで「かわい~~~い」と。

七福神の彫刻がある本堂でお参り。
さて虹だんごですが、思ったより大きなだんごで、注文するとその場で焼いてくれます。生醤油とみたらしを1本づつ食べましたが、だんごの表面の焦げが香ばしく中はかじってみると湯気が出てきてもちもちでした。
おいしかったです。
帰りはレイクタウンも近いので寄ろうとしましたがやめて草加に出てせんべいを買って帰りました。

【2021年】ツイッターつぶやき
車で少し離れたところのホームセンターに買い出しに行った。
帰り道、パトカーが止まっているのが見えた。
近づいて行くと、何やら防護服を着た人が2人。
まぁ、コロナとは断定できないけど。。。。
今まではこのような風景を見たことがなかったのでコロナでは?と。
事実はわかりませんが、コロナも身近になってきたなぁと思いました。
東京の感染者数もだいぶ増加をしていますからコロナの包囲網もだんだんと狭まっては着ていますね。
感染経路不明が多くなっていますから、どこでどう感染するかわかりません。
なるべく外出はしないようにと思いますが、日常の生活は維持しなくてはいけないし。
毎日外食もせずに家で食べるのですが、食べるには買い物ぐらいはしなくてはいけない。食べ物だけではなくていろいろな日用品も。

【2022年】ツイッターつぶやき
1月になり年代別コロナ新規感染者数を見ると、どうも若い人の感染率が高いようです。特徴的なのが若い人と同時に子供たちの感染も。高齢者の感染割合は相対的に減っている。
このような状態はこれまでのコロナの波がはじまった時の特徴ではないでしょうか。
若い人たちは社会の中で活動的です。中高年層も社会の中で仕事面でも中心的です。
ここからクラスターが発生したり、家庭内感染や老人施設内感染として高齢者にも広がっていく。
現在入院をするような中等症以上の感染者は少ないと言われていますが、これから高齢者や持病を持つ人に感染が広がっていきますから中等症以上の症状うったえる人が多くなりその中で重症者数も増加するでしょう。そして最後に重症者が増加すれば時間差で死亡者が多くなる。
もちろんオミクロン株は重症化しないと言われていますし、ワクチンの効果も言われますが、新規感染者数が爆発的な増加をすれば重症化率が少なくても重症者数は多くなるでしょう。
全国的に新規感染者数が増加していますが、大きな波のはじめとしては新規感染者数が一桁多いような気がします。
今日東京都では3000人を超えましたが、増加傾向が出てから3000人を超えるスピードがかなり速いです。
この3000人という数字が増加傾向の中での数字とすれば1か月後にはかなりの人数となってしまうかもしれません。
コロナは風邪のようなものだというような見方がまた出てきています。危ないですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
夜に入り道路が少し濡れる程度の雨が降りました。
東京は23日ほど雨が降らなかったそうです。東京に住んでいるので雨が降らないなぁとは思っていたのですが23日間も。日本海側で大雪でしたが、昔から高い山を越して雪雲が関東南部に入りこむことはなく、冷たい空っ風が吹くというのが東京の気候なのですが、、、、、
火事と喧嘩は江戸の華。。。。。。
今週に入って喉がガラガラでした。空気が乾燥して喉も乾きます。
今夜の雨ぐらいでは空気の乾燥も緩和されそうもありません。
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2025年 1月12日(日)「べらぼう」

2025年01月12日 21時50分29秒 | 「思うこと」
大河ドラマ「光る君へ」が終わり、一気に時代は進み文化の花咲く江戸時代に。
「鎌倉殿と十三人」は貴族社会から武士社会の夜明けでした。
時代は下って「?」なんでしたっけ?徳川家康の武士国家の仕上げが。
時代は江戸も終わり明治の渋沢栄一の資本主義社会に。
また時代はさかのぼって「光る君へ」と平安の文化が花咲く時代に。
そしてまた時代は下って江戸の文化が花咲く「べらぼう」へ。
これまで戦国時代にだれが天下を統一したかの大河ドラマでしたが、最近は時代が移り変わっていく暗示を最後に表していますね。
「光る気にへ」のラストには、若武者が出てきます。それが時代が大きく変わる暗示でした。
摂関政治が終わり院政に。そこに平家が結びついてさ武う者の力が大きくなる。その平家は同じ武力集団の源氏の世に。その総仕上げが鎌倉殿。
北条市とそれを破る足利尊氏の武士社会。そして戦国時代を経て徳川家康の武士国家の仕上げ。
しかし江戸時代も貨幣国家に移り「べらぼう」に資本主義の準備。そして渋沢の時代に。
こうした時代の返還を暗示させるドラマの流れが見えます。
歴史はだれが天下を取ったかよりもどの階層が社会を動かすようになったかで進んでいきます。
今の資本主義はさらに腐敗をして社会を維持できなくなっています。
次の時代は100年ぐらいかかるかもしれないけど、いや、もう少し早いかもしれないけど、次の社会に進むでしょう。
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つながりました。

2025年01月12日 08時19分40秒 | ご挨拶
今朝、gooブログにつながりました。よかった。。。。。。
スマホは大丈夫でパソコンからはだめだったようですが、暫定的にも復旧したようです。
ネットやプログラムの復旧という作業は大変でしょうね。
僕なんか、「ちょっとパソコンがどうなっているの?」でパニックになる。
本格的な復旧まで応援します。
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「1月12日という日」

2025年01月12日 08時17分20秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
大河ドラマ「光る君へ」が終わり、一気に時代は進み文化の花咲く江戸時代に。
「鎌倉殿と十三人」は貴族社会から武士社会の夜明けでした。
時代は下って「?」なんでしたっけ?徳川家康の武士国家の仕上げが。
時代は江戸も終わり明治の渋沢栄一の資本主義社会に。
また時代はさかのぼって「光る君へ」と平安の文化が花咲く時代に。
そしてまた時代は下って江戸の文化が花咲く「べらぼう」へ。
これまで戦国時代にだれが天下を統一したかの大河ドラマでしたが、最近は時代が移り変わっていく暗示を最後に表していますね。
「光る気にへ」のラストには、若武者が出てきます。それが時代が大きく変わる暗示でした。
摂関政治が終わり院政に。そこに平家が結びついてさ武う者の力が大きくなる。その平家は同じ武力集団の源氏の世に。その総仕上げが鎌倉殿。
北条市とそれを破る足利尊氏の武士社会。そして戦国時代を経て徳川家康の武士国家の仕上げ。
しかし江戸時代も貨幣国家に移り「べらぼう」に資本主義の準備。そして渋沢の時代に。
こうした時代の返還を暗示させるドラマの流れが見えます。
歴史はだれが天下を取ったかよりもどの階層が社会を動かすようになったかで進んでいきます。
今の資本主義はさらに腐敗をして社会を維持できなくなっています。
次の時代は100年ぐらいかかるかもしれないけど、いや、もう少し早いかもしれないけど、次の社会に進むでしょう。

今朝、gooブログにつながりました。よかった。。。。。。
スマホは大丈夫でパソコンからはだめだったようですが、暫定的にも復旧したようです。
ネットやプログラムの復旧という作業は大変でしょうね。
僕なんか、「ちょっとパソコンがどうなっているの?」でパニックになる。
本格的な復旧まで応援します。

≪過去の日記≫

【2004年】
妻と買い物に出かけた帰り、駅に降りたら和服女性が何人か歩いていました。今日は成人の日でしたね。。。。
まだニュースを見ていないのですが、またどこかで騒ぎがあったのでしょうか?
和服の二人連れの女性・・・歩きタバコで闊歩していました。
若い人たちだけを責められません、2,30年昔に成人式をおしとやかに祝ったであろうおばさん。。。。今じゃぁ我が物顔で町をうろついています。
ものすごい車やバイクの運転をするおばさん、自転車となると無法状態です。買い物が選り、両手に荷物をもってとぼとぼ歩いていたら、おばさんとすれ違ったのですが、僕は少しよけたがおばさんは猪突猛進、肩がぶつかったらガンをつけられた。。。ハハハ・・・ハァ(タメイキ)
今夜はおでんです。ううう・・・・好きな餃子巻きは売り切れていました。
寒いからおでんというご家庭も多いのでは?

【2005年】
妻と二人で山のほうの日帰り温泉に行ってきました。
源泉かけ流しです。
山道のはうっすらと雪がありました。ノーマルタイヤでは心配でした。
温泉宿に着いたら。。。なんかうら淋しい湯治場のようなところでした。休憩室に入ると、女将さんが「今日は女風呂が掃除の日だから、男湯で家族風呂で入浴してください」と。。。。
(*^^*)何年ぶりだろ家族風呂。。。。子供たちが小さい頃は時々入ったけど。
温泉は、熱くもぬるくもなく気持ちがよかったです。
休憩所では、けんちんそばを食べました。これまた素朴な味でおいしかったです。

【2006年】
陽射しの中に出ると暖かでした。
会社の中で競争に勝つには、少なくとも落ちこぼれにならないためには自分だけを大事にすればいいというようなものを見た。まぁ、会社の方針だからそれに従わなければならないのはよくわかるが、それに消極的に対応するか進んで対応するかにその人が出る。
自分を守るというのは、本来競争ではなくて協調のはずなのだが。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
エンジンオイルの交換をしにいったら、エンジンオイルが染み出るように漏れているとのことでした。オイル交換に行き早めにわかりよかったです。
修理も無事に済んで帰ろうかとしたとき、新車が目にとまりました。
いいですなぁ。。。。新車。
この前書いた住宅展示場の新築住宅もそうですが、新車にしてもみているだけで気持ちがよくなります。
車はいつも10年以上乗っていますが、今度買うときは60を過ぎてしまうかな。。。。。その時人生最後の新車を・・・・かぁ。。。。
(リンク)
「給油支援法」の成立は、自民・民主の対立激化というような印象がありましたが、結局は自民党はもちろん民主党も本音では給油活動が再開されて対米関係ではほっとしたのかもしれません。対立しているようで根っこは同じという感じがします。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
サラリーマンは体が資本。昔からサラリーマンは体を壊したら潰しがきかないわけでしてその意味では体が資本なわけです。もちろん今の社会は職業の自由があるわけですからサラリーマンができなくなったら商売でもすればいいという論理もあります。もちろん何かしら食うための仕事を探さなくてはいけないのが現実ですから商売をする問い運も選択の一つですが、元手も何もなければやはりそれなりの仕事を見つけてサラリーマンを続けるほかはありません。それはサラリーマンというのは労働力を売るしか生きていけないということです。この労働力を売る側の人々を労働者というわけです。ですから労働者というのは何も肉体労働に限ったことではなくてサラリーマンも労働者なわけです。
労働者は労働力を売る。誰に売るのでしょうか?生産はこの労働力と生産手段(資本金を持って工場や原材料など)を持つ人に売るわけで、ここではじめて労働という形の具体的な生産が行われることになります。その生産手段を持つ人が昔から資本家といわれてきましたが、今は資本家はいないといわれています。たしかに財閥というのも解体をされて会社組織は株主によって経営をされて社長もサラリーマン化をしています。しかし会社組織は組織として生産手段を所有をして労働力を買って生産をしていますからその生産様式は資本主義であり、明確な形での資本家は見えづらくなっていますが株主総会自体が資本家層の集まる議決機関とし、そこで選任をされる役員総や会社の経営自体を動かす部分の人が高額の報酬を得ている中に相対としての「資本家層」というものは見えるわけです。株を持っているから資本家層かといえばそうでもなくて小額の株を所有して株主優待や配当を受けているような部分の人は層ではないと思います。そういう人は主に労働者であったり他の商売でその生計を主にその労働によってまかなっています。また資本家層といっても株で生計を立てている個人の株主だけではなく、今では銀行などの金融関係の会社やグループ企業での下部の持合などもあるわけですから株主層はこのような企業自体でもあり資本家層というものになります。
こう見ると、企業というものをみる時は今の社会は生産手段を持つ者と労働力を売る者という人と人との関係が成立をしており、それは労働者と資本家層という関係として社会の富を作り出していきますしその富の配分がされていきます。
企業がその富をどのように作り出すかはこの人と人との生産関係にあり、その富は生産性の向上の中での企業の競争として発展をしその矛盾を作り出してしてきたことは(7)でも書きましたが、この生産性の向上が労働者にどのような影響を及ぼすでしょうか?
それにはまず、労働者が労働力を売るとしたとき、その値段はどのように決まるかが問題です。それは労働力の価値によって決まるわけです。それはあらゆる商品がその価値を基本にして売買されるのと同じで労働量もその価値によって売買されます。売買などというと労働者は奴隷のようですが、労働者は人間丸ごと売るわけではなくて労働力を売るわけですから古代の奴隷とは違いますし自由はあります。しかし生産手段に結びつかなければ失業して生きていけないわけですから生産手段にそしてその所有者に対しては半奴隷状態です。土地(生産手段)を支配する殿様と農民(労働力)のような構図はその形は変えて残存しています。では、労働力の価値はどのようにして決まるか?それもあらゆる商品と同じようでその商品が生産をされる過程でどのくらいの労働力を消費したかによって決まるのと同じように労働力を生産するためにどのくらいの労働力を消費したかで決まります。労働力を生産するためにどのくらいの労働力を消費したか?なんだかわかりずらくなりましたが、企業内で労働をするために必要な労働力を生産するという労働(労働力の消費)とは労働者の具体的な「生活」にあります。衣食住やさまざまに必要な生活という労働によって作られます。衣食住もままならない中では次の日も会社で労働することはできません。生活をするということ自体が企業内においての労働力を作り出します。生活をして労働力を作り出すわけですからその労働力の価値は生活に必要なものを消費をしていくわけで、その消費をする過程で必要な物は商品として売られているさまざまなものが持つ価値を次の日にも労働をするという労働力の価値に移転をする作業となります。どのくらいの商品量の持つ価値を労働力の価値に移転をするかということは、視線を変えれば労働力の価値はどのくらいの商品を消費したかということになり、それは労働力の価値は生活費によって決まるということになります。
ですから資本家層としての企業は労働者の生活費という価値額によって労働力を買うわけです。
しかしこの労働力の価値としての生活費は、食べて寝るだけの最低限度でもいいはずだと言うような資本家層の見方でも、俺の生活はベンツを乗り回して軽井沢に別荘を持ち夕飯は豪華フレンチのコースだというような資本家層を思い描く労働者の要求でもありません。やはりあらゆる商品の価値が(7)でも触れたように平均化された中に形成をされると同じようにある時代の社会における平均的に形成された生活費となります。
以下、この労働者の労働力の価値としての額、すなわち賃金はこの価値どおりに支払われていると仮定をしていきます。もちろんこれは理想論だ!!という方もいらっしゃいますが、まぁ、ここではこのように話を進めます。労働の生産性の向上の中でどのようなことが起きるかが大切なのです。理想論の中にでも。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
ツイッターを見たら脱原発をうったえる方たちの中で脱原発を進めるうえでの国民投票制の是非による意見の違いが出ているようです。具体的にはどのような中身かはわかりませんし、どのような組織体による意見の違いかも判りません。ネットでもリアル社会でも気をつけねばならないのは、このような姿の見えない中に意見の違いが出ているというものだけが広がることです。しかしある組織体の姿が見えないとしてもネット上には自然に集まる意見の集約的なものは存在をするわけですからそれが意見の違いが出ているという一言に現れることも注意深く見る必要はあります。
国民投票制は一つの直接民主主義ですから良いものだと思います。しかしこの直接民主主義も一度の結果だけで今後の社会が動くわけですから注意は必要です。選挙という直接民主主義一つ見てもその危うさは感じ取れると思います。また脱原発での国民投票といっても白か黒かを決めることはできないでしょう。だいたいが今の雰囲気としては40年の耐用年数まで安全性を高めて使用するという原発維持が設問のやりかたによっては多数となるでしょう。
本来は白か黒かとはっきりした設問により国民の意思を決めてからその結果に向かって政府などが動いて具体化していく義務を負うのでしょうが、今の日本では白か黒かの国民投票ではなくて新聞の世論調査のように電力不足をどうするなどというものから原発の白黒が問われるのではないでしょうか。「原発を今すぐに止めて廃炉にする」「原発は今後も建設をしていく」「耐用年数内は使い将来的な脱原発を目指す」と訊かれたらどこに丸を付けるか。。。マスコミや様々な情報形態から電力確保をどうするとか様々な情報が入るでしょう。
現在は九州の原発がすべて止まっていますし稼働率は相当低くなっています。その中でも冬の電力不足の不安を煽るようなものがあるにしてもどうにか需要は収まっているわけですし、電力買い取り制度が始まるのに合わせて太陽光発電によるメガソーラーは経済を発展させるものとして市場を動かし始めています。日本の家電産業は省エネを一つの武器にしています。今年の夏の電力需要をどう抑えるかで議論は進むでしょう。この現実もマスコミはとらえています。ですから国民投票よりも省エネ型の社会と脱原発をセットしたものからの再稼働反対(再稼働できない状態)を堅持する世論を作るべきでしょう。
また国民投票制は、改憲にも導入されています。
改憲と脱原発のセットで国民投票となることも考えておくべきかと思います。その意味において今の日本の特殊性と現状から積極的な国民投票制は考えない方が良いと思います。

【2013年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様
日記を拝読いたしました。
なんだか「ヒイテしまう」ようなお話。。。。。
大仏様やマチュピチュ遺跡よりも『君の方がきれいだよ』という男
「純金の観音様売り」の男
「白鳥の卵は美味しい」という男。。。。
現実に存在する男として何の疑いもないが
しかしどこか現実離れをしてもいるし
やはり、ヒイテしまうようなこの世の出来事ですね。
しかしそれ以上にその男たちの世界に自然に巻き込まれている女性もどこかヒイテしまう。
最後のインフルエンザの注射は「ちくっ」とする感覚と言葉に真実の世界に戻った感じです。
     敬具

なんだか。。。本来は現実ではないと思うようなものが現実として目の前に現れて一瞬たじろいでヒイテしまうことが多くなっているのでしょう。それが自然に感じられていく自分にもヒイテしまうのかも。しかしそのような現実が身の回りに起きてしまう。
たじろぎヒイテしまいながら思わず引きこまれる。

【2014年】ツイッターつぶやき
都知事選の候補が出揃いました。オリンピックのあり方をはじめとした都政はもちろんですが、東京都の予算を見てもひとつの国の予算額にも匹敵する大きな政治組織の選挙ですし首都でもあり都知事の権力は強いのですから日本の将来を決める選挙でもあります。
その中で枡添さんと細川さんの立候補も決まったようです。それに対する宇都宮さんが立候補する。

都知事選は枡添さんと細川さんが立候補するようですが、この両候補の違いはどこにあるのでしょうか?今見えているのは「脱原発」ですが、改憲や消費税などはどうなんでしょうか?保守系でどちらが勝っても保守色の強いとせいが生まれる。これは自民・民主の保守二大政党制の延長でしょう。
両候補は自民党とは対立する部分があったわけですが、国民にウケやすい政策の中に保守色を強くする。これに対して宇都宮さんがいるわけです。細川・枡添両候補は保守の分裂ではなくて政策の対立点を保守の政治論理として土俵に上げる働きをする。宇都宮さんに土俵入りはさせない?
マニフェスト選挙も影が薄くなりましたし選挙が終わればないもの同然となってしまい国民の政治参加の意義を薄めてしまいました。政治不信はますます強まり、残っているのは感情的な精神的な勇ましい言葉が先立ち、これが政治を語ることと勘違いがされる。これも都知事選での争点です。
      (今朝のツイートから)
枡添さんも細川さんも保守色をオブラートに包んだような保守層だと思いますが、自民とや民主党の露骨な保守色はないとはいえ、やはり保守の中心となる選挙になっている。それに対する宇都宮さんの位置づけは、昔の保守対革新の構図から見れば革新の統一候補となります。二人の保守候補と革新候補の対立。いろいろと報道はありますが、目に見えにくい対立点はここにあります。
自民・民主の保守二大政党制による矛盾が特に安倍内閣の発足後に大きくなりました。この二つの保守二大政党がマニフェスト政治として機能しているでしょうか?国民から見て「そんなはずではなかった」という政治が行われていないでしょうか?
都知事選は政策的な違いを中心としながらも二枚舌政治・政策隠しをなくす選挙としなければならないでしょう。
これを各候補に公約を大切にする約束と改憲や消費税など国政にも関するものも含めて明らかにしてもらうことが大切でしょう。これが今回の都知事選の役割・位置づけともしなければならないでしょう。
日本の民主主義を守るために。。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
米軍 「これから戦後の復興支援活動をはじめる。日本側の計画は?」
自衛隊「それはなんでしょうか。計画の用意はありません。」
(1月11日朝日新聞朝刊3面「戦傷医療構築急ぐ自衛隊」より引用)(朝日新聞デジタル)
戦争で荒廃した土地では民間医療が復旧するまでは軍隊が民間を支援することが常識だそうです。想定での佐渡島を侵攻してきた中国から取り戻したとき荒廃した佐渡島においてこの軍隊としての自衛隊が医療活動としてどのような行動をとるかは未成熟のままだという。
このことは戦争により国民を守るというよりも、戦争で国民は国を守ることが優先されて国民を国が守ることがおろそかになっているということでしょう。おろそかどころかそのような考えはないといえる。少なくとも戦時の医療活動では。
これを国家主義の現れという。
福島原発事故は絶対に起きない事故だとして事故時の対応や処理がおろそかになっている。
原発の再稼働にしても皮内経路や方法は自治体任せになっている。
日本という国は国民は国を守ることは当たり前のように強調されその思想は広まっている。しかしその国民をどのように国が守るのかは見えない。
米軍「あなた方は何の専門家なのか。自覚がないならもう一緒にはやれない」 (上記引用と同じ) 
日米同盟の中身としてもこのようなもの。。。。。

【2017年】ツイッターつぶやき
今日の朝日新聞4面に「年をとっても働ける幸せ」という記事がありました。
作家の佐藤愛子さんが90歳を過ぎてもお元気に執筆活動をしベストセラーを出しているそうです。高齢者が元気に働き続けることは大切なことです。
昔は高齢者はどうにか年金等で食っていける世の中でしたから、定年後「毎日が日曜日」になり何をしてよいのかわからないとか、奥さんは「毎日が家事曜日」になって定年後の夫の面倒を見るのが大変と。その中で趣味を持とうとかボランティアを行おうとかという専門家などのアドバイスがたくさん出ていました。もちろんそのころから退職金の運用などという勧誘もありましたが。
しかし現在は年金支給年齢が引き上げられて60歳から65歳になっています。あと数年すれば厚生年金部分も65歳支給となります。さらに政府はこの65歳支給を引き上げる動きを見せています。また支給額を抑える動きもあります。こうなると「働く幸せ」というものから外れて「食うために生存するために働かざるを得ない」労働となってしまいます。
「我々は何を目指して生きているのか、それを考えることも忘れて、便利、快適、物質的満足ばかり追いかけている」 (引用)
「何を目指して生きているのか」
この生き方と言っても一昔前のサラリーマンのように定年後どうにか食えるから趣味やボランティアで生きる喜びを見つけよう」というのと、「65歳にならなければ年金がもらえないで死ねと死ねと言われているようなものだから働かなければならない」とでは同じ働くにしても「生き方」の中身は全然違ったものになっています。
安倍内閣での一億総活躍は、もちろん後に書いた中身による労働の提供と老後に来方の生き方を目指している。
年金だけでは食うだけで「便利、快適、物質的満足」の豊かさなどありませんし、一定程度働かなくてはなりません。その中で65歳まで無年金になるから低賃金で働けという仕打ちが今の社会です。
作家の佐藤愛子さんのような生き方をされる方も増えていってほしいと思うのですが、現実社会に生きている圧倒的な人々は生存していくための生き方を選ぶしかないのです。

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「鏡開きはしましたか?」
昨日一応しました。
1月11日記事「鏡開き」
徳川家康の命日か何かが1月20日のために早まったという説がありますね。
関東では11日で関西は15日になったようです。
上のリンク記事にも書きましたが、スーパーで買ってきた鏡餅はそのままにして丸餅を焼いてお汁粉にしました。
東京は毎日良い天気が続き湿度もだいぶ低くなっています。スーパーの鏡餅は縁起が悪かろうと細かく切って天日干しにと思っています。午後からやろうかな・・・・・
カリッと揚げて塩と粒コショウで味付けもうまいし、なんといっても砂糖醤油をまぶすのもうまい。きつね色になるまでカリッと揚げると香ばしいです。
そういえば正月からずっと餅を食っています。
豆餅をもらったのですが、正直言ってあまり好きではない。でもこのもらった豆餅は黒豆がふんわかしていておいしかった。砂糖醤油をつけながら完食。
四角の餅があと6個ぐらい残っているので雑煮でもやりたいです。

日銀はずっと量的緩和は通貨安競争ではないと言ってきた。
しかし現実として円安になり、その円安を背景に輸出産業を中心に株価が高騰した。
先進国の通貨安競争特に日米の通貨安競争の結果はドル・円の相互安ともいわれ、ドルに対する円安は飽和しているのかもしれない。
ロイタに「日銀出口と世界同時引き締め」という記事があった。
その中に
「振り返れば、緩和競争とは、自国に通貨安を呼び込むための競争ではなく、自国の通貨高を避けるための競争である」 (上記リンクページより引用)
と、書かれているが、これまでの日本の金融緩和が適正な円安に向かうものだったのか?
軍事でいえば、防衛のためあるいは正義のための戦争だというのと同じように、適正な通貨価値を維持するための金融緩和だというような理屈ではないか?
各国がこの理由を挙げて金融緩和を行えばそれがまさに通貨安競争層で、結果として金融緩和は通貨安を目的にしたものとなる。
その結果は何か?
現在は世界的な経済の好転と言われているが、すでに出口に向かう動きがアメリカやヨーロッパで起きている。それは金融の引き締めと同じ結果を生むでしょう。
その中で上記リンクページに書かれる「引き締め競争」に陥る危険が出る。
日本経済を見ても金融緩和での「適正な円の価値」づくりは出口が見えなくなり、経済の好転は株価の高騰と企業の内部留保を高めるばかりだった。
金融の「引き締め競争」と言えば言葉は良いが、下手をすれば金融恐慌である。
有り余る貨幣資本のはけ口がなくなり、それが国民生活の中に生かされない状態が加速をするわけだから、貨幣資本のはけ口がないという状態は激しい金余り減少となるでしょう。不況とは市場において貨幣量が足りないから起きるのではなくて、貨幣資本のはけ口がなくなるという意味での金余りです。
金融緩和はこの金余りを加速したわけですから、激しい引き締め競争が起きた場合日本はかなり厳しいのではないかと思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
作家宮部みゆきさんへのインタビュー記事自分が怖いと思うことを書いてきたがありました。
その中で「日常に忍び寄る同調圧力」について語っています。そして
「戦前、戦中の日本についても、私の親からよく話を聞いていたんですが、そういう仕組みの中に入ってしまうと異常なことが日常になり、意外とピリピリしないというのが、また怖いことだなと思います。
今後、おそらくファンタジーの形だと思いますが、そういう全体主義みたいなものが個々の人間にどう働きかけるのかという話は書きたいですね。」(引用)
と語っています。
国家自体が全体主義とならなくても民主主義といわれる社会においても同調圧力が社会全体の雰囲気として作り上げられている場合がある。それは日常の中にも表れるでしょう。こういう社会は民主主義であるから強制はしないという建前の上に立っての同調圧力となる。
民主主義といえば多数決だというのが常識化している。たしかに人が集まる社会だから多数決による判断も一つの民主主義ですが、多数が正義あるいは正しさなのかというと疑問が出るでしょう。正しいか正しくないかを抜きにしての多数決は民主主義ではなくなります。意見交換を形式的にしてすぐに多数決で決まる。人々が多数についていれば安心できるわけですから少数意見に正しさがあっても多数決となれば少数意見に手をあげることができない。ここに人間関係や損得勘定も入るわけですから、ここに多数決の非民主主義性が出ます。
人間関係や損得勘定、これが出てくること自体が同調圧力になっているわけです。
去年は国会運営にこの非民主主義性が露骨に出ましたね。数の力は民主主義ではない証明でした。
人間関係や損得勘定は、例えば日本人はなぜ有給休暇を取れないかというものにも現れます。
休暇で休めば同僚に迷惑がかかる。仕事と家族(私用)のどっちが大切なのか。この答えは人に迷惑をかけないことや家族より仕事だろというものが集団の常識になるとそれ自体が同調圧力です。
定時に帰れない、仕事終わりの酒などのコミュニケーション。。。。。などなども
社会は人と人との関係において成り立ちますから、ある程度自分を引っ込める必要もありますが、この自分を引っ込めることが美徳
かといえば違うでしょう。
休暇も取れない人間関係あるいはそれを利用する企業、この中に人間の一体感が言われます。みんな我慢して苦しいけど働いているんだと。しかし家庭の用事があるなら休んでもいいんじゃないかという人間関係も一体感でしょう。ここでは迷惑ではなくてお互いさまとなるでしょう。ここには同調圧力は働かないのです。
社会自体が全体主義になっているかどうかは、一人一人の人が日常において同調圧力を感じているかどうかにあります。この同調圧力の大きさや幅において強くなればその社会は全体主義になっているということです。
ネット上で、「反日」とか「日本がいやならば出ていけばいい」といったような言動がありますが、こういったものが日常化すればそれも同調圧力です。
同調圧力については一人一人の人が考えるべき重要なものですね。

【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記「サーモンの直行便。」が更新されました。
この世の中には共感が持てるうんちくと、どうでもいいかと思ってしまううんちくと、余計なお世話だといううんちくと、様々なうんちくがありますなぁ。。。。。
サーモンの直行便などは忘れない興味あるうんちくの一つになりますね。眼鏡ケースいっぱいのスライムの夢に出るほどに(笑)
去年家電店でエアコンを買おうと思い行ったら、店員さんがものすごく高いエアコンの便利さなどのうんちくを長々としゃべりはじめた。僕は安いエアコンを見つけたいので、せっかくの店員さんのうんちくも僕にとってはどうでもいい話になってしまいました。
やっとその長いうんちく話が終わりやすいエアコンの売り場に行ったら、そうはうんちく話も出ませんでした。
まぁ、店員さんは職業のうんちくですからなぁ。。。。。
また、うんちくも政治などの話になれば、そこには思想性なども入るわけで余計なうんちくにも興味あるうんちくにもなりますね。でも、うんちくはうんちくであり、求めているのは討論ですね。

【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記 まだ知らない・・・・・。」が更新されました。
コロナの感染が拡大する東京。
ステイホームが言われ、友達と会う機会も少なくなった方も多いと思います。
川上さん宅から見えるお隣さんの庭で男三人がテントを張ってキャンプの様に食事。
ラーメン、サラダ、コーヒー。。。。。。
川上さんは夢を見る。
サラダ、ラーメン、コーヒー。。。。。
サラダやラーメンにこだわっているのではなくて友達がいないことの寂しさが。。。。
友達にLINEで連絡。。。。しかし・・・・
「まだ知らない・・・・・」
友達と連絡してあえないことを。。。。
コロナもさらに感染拡大していくことも?

【2022年】ツイッターつぶやき
振込があったので郵便局に行ってきました。
すいていて気持ちよく振り込みを終わらせたら、係の人が
「今度から110円いただきます」と。。。。。
消費税込みですから100円ということだと思います。
えっ!?と驚いて話を聞いてみたら、現金で振り込みをした場合でATMでカードで振り込めばいいような?(この辺ははっきりしません)何しろ現金で振り込みをすれば100円取られるということらしい。
なぜなんだろと訊いてみたら、現金を取り扱うと手間暇がかかるということらしい。
でも、振込は振込手数料をを取っているはずですよね。
手間暇がかかるとはいえ、銀行というのは現金を扱うのが仕事でしょう。。。。。
だから100円いただきますというのは相当ひどいもんです。
100円というのはそうは高くない値段ですが、今の銀行での預金利息を考えれば相当高額な現金取扱手数料です。
銀行もゼロ金利時代ですから苦しいのはわかります。
それでも利息は、0.00いくつの時代ですが、金を借りれば2%とか3%とか最低取られます。この差額はすごい額ですよね。
公共料金も現金で振り込むとやはり110円だと思いますが、コンビニで振り込めばいいんですよね。
郵便局は手数料で稼ぐことをやめるのでしょうか?
今日行った振り込みは確か郵便局指定だったような?今度は確かめて他で振り込みできないかよく見ようと思います。

【2023年】ツイッターつぶやき
全国旅行支援がはじまってマスコミもいろいろと取材をしています。その中で現在の感染の状態も影が薄くなっていますが、すでに第八波に入っているのは確実で深刻になりつつある。
全国の今日1日の死亡者数が過去最高になりました。新規感染者数も時期に第七波を上回るでしょう。これからピークに向かうなら死亡者数はピークとは時間差がありますからさらに増加をしていくでしょう。
中国の感染状態が大きく報じられていますが、アメリカも深刻のようでこのアメリカから入ってくる変異株はワクチンが効かないとも言われています。すでに日本に入ってきているようです。ワクチンは感染を防止するというのは死語になり、今は重症化しないと言って接種を速めています。しかし第八波を見ればワクチンの効き目も薄いようです。ワクチンを接種すると死亡者が増加するおいう方もいますが、まぁ。ここまでは言いませんが接種をしても効き目はないと言えるのかと思います。
年末年始で大都市から地方へ人の動きがありましたがこれと全国の感染者増とは無関係ではないでしょう。今の旅行支援もそうですがさらに感染を広げます。これはワクチン効果を前提にした社会的規制の緩和なのですが、そのワクチンの効果が薄いとわかれば感染防止策はお手上げで無となります。
第八波が新たな変異株に置き代わっていくとすればさらにピークはこれからとなるでしょう。

【2024年】ツイッターつぶやき
20年。。。。。前。
若くて元気でした。
このブログに今まで書いたホームページの日記などを残してありますが、ちょうど20年前からの日記になります。SNSだけのものですが、残しておいてよかったと思います。と言っても、大したことを書いているわけでもないのですが、1日の本の一コマであっても思い出すこともあります。2011年の福島原発以後は、政治的なものが多くなりますが、それもまた思い出です。
20年前、おでんを作って食っていたようですが、偶然にも明日はおでんを作ろうと種を買い込んできました。
コメント (2)
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ダメかな?

2025年01月11日 16時01分40秒 | ご挨拶
パソコンからgooブログに入れません。
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「1月11日という日」

2025年01月11日 07時58分19秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
パソコンからgooブログに入れません。

≪過去の日記≫

【2004年】
木枯らしピューピューです。
コタツのほかにはほとんど暖房をつけない我が家は、コタツに集まっています。さっきまでコタツにもぐりこんでいたのですが、やはりコタツはいいですね。。。。
あと1ヶ月、時々コタツにもぐりこんで一時の冬眠気分で過ごしたいです。

【2005年】
寒いけど穏やかな一日でした。
インド洋での津波のニュースがたくさん流れています。プーケットだったか、ニュースによると津波映像をCDにして売っており、それに対しての賛否両論があるそうです。このような行為がよいのか悪いのか。。。。むずかしいと思いますが、しかし国内のニュースもスポンサーが付き金儲けのために津波映像を流していることに違いはないです。CDを売る自由も報道の自由も、自由とはイコール金儲けをのぞいては語れないものです。
ニュースは非常に大切なものです。しかしそこに偽善性を入れてはいけない。
北朝鮮からの魚介類の輸入が100億円ぐらいだそうで、不買運動も有効かと思いますが、問題はその魚介類の安全性と値段にあります。安全と値段はいまの国民にとって死活問題です。物というのは需要と供給によって値段が決まります。肉や農業もそうですが、魚介類も国内産ではものすごい不足を生じます。だから国産は高い。ここをどうにかしなければならないし、ここを問題として取り上げないと偽善となります。
経済は意識の問題ではなく、合理的なものです。この合理的なものから意識が生じます。

【2006年】
なんとなく陽が長くなってきたように感じます。
4時半ごろ暗くなり、5時には真っ暗でしたが今は5時でも空は明るくなりました。まだ大寒にも遠く、立春はなお遠いのですが、陽が長くなってきたことはうれしいです。冬の寒さは仕方ありませんが、何が嫌いかといえば日が短いことです。だんだんと陽が長くなることを楽しみにしています。
春近し!という気分になります。
スーパーの駐車場に車を止めて歩き出したら、ばあ様の運転する車が僕に向ってくる。。。。あぶねぇ。。。と思った瞬間、止まったのですが、そのばあ様は、愛犬を抱っこして運転していた。。。。何が愛犬家だ!!ムカッ!
犬はきれいなセーターを着せてもらっていた。
片手で犬を抱っこして片手でハンドルを切っていたらしい。。。
だいぶ前、こちらが優先の道路をノロリと通過しようとしたところ、一旦停止のはずの道路からばあ様の運転する車が飛び出してきた。やはり「愛犬」を抱っこしたばあ様。。。
何が愛犬家だ。。。ムカッ!
携帯を持ちながら運転する、とある会社の名前の入った車のサラリーマン。。。。
センターラインを超えて向ってきた。。。ムカッ!
あハハハ。。。どんより・・・

【2007年】
寒いけど、穏やかな一日でした。
朝から日差しが強いので掛け布団を干し、お昼過ぎからは敷布団を干しましまた。羽毛の掛け布団は、こんなに軽かったの?というほどに気持ちよく干せました。こういうときは乾燥した関東の空っ風も良いものです。
鏡開き。
お供えのお餅でお汁粉を作りました。
娘はアンコが苦手なので、天日干をしていた餅でおかき。
政府は、ホワイトカラー層の20万人ほどに対して残業代不払い法案を提出するらしい。年収900万円以上のサラリーマンは540万人いるらしい。そのうち、労働時間対象外の管理職が300万人。さらに上司から業務内容を指示されているサラリーマンをのぞいた人が40万人。そのうちホワイトカラー層が20万人という。
(以上朝日新聞11日朝刊)
一方では、同紙に寄れば、「2007年問題」として団塊世代の定年退職の記事がある。まぁ、団塊世代はそうは多くはないが、その後の50歳代のサラリーマンの待遇が問題になるということだろう。ここに、年収900万円以上の残業代不払いが関連することになるのか?
50歳を過ぎれば若い人と同じようには働けない。仕事が遅ければ人一倍多くの時間を葉たらなくてはならないかもしれない。そこに残業代0円。。。。。?
団塊世代後の僕たち50代はきついですなァ。。。。。
2007年問題は、年寄りの技術の伝承の困難にあるらしいが、僕のように若い人に何も残せない人間にしても、企業を維持し、拡大してきた「過去の労働」の蓄積はあるはず。若い世代が最新技術特にコンピューター関連が出来たとしてもそのソフトは年寄りが足で稼いだもの。
今は仕事は遅いが、「過去の労働の蓄積」はある。
企業も若い人もここを見ようとはしない。低賃金で働いていた時間を。。。。。
年功序列を今は悪いというが、年功序列には年齢を重ねるに従い子供の教育費や住居費に金がかかることへの配慮があったはず。これを否定をするなら社会的な消費に矛盾が出る。生産の低コストばかりを考えて消費を忘れた社会はうまくはゆかないだろう。生産は国内的だけど、消費は国際的に?要するに国内的には消費を押さえて製品は国外で売って儲けを出すということ。
おおっ!!「希望の国」

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】
寒い夜だった。
寝床に入ると北風がガラス戸を揺らしていた。ガタガタと鳴るガラス戸に誘われるように起き上がり窓を開けてみた。北風が渦を巻くように空に舞い上がっている。僕は見上げてみた。星は瞬き月は煌々と照っていた。北風は月の光を集めて渦を巻きその光の粒子は帯となって空を駆け巡った。そしてヒューと僕の足元をかすめて行った。
ふと足元を見ると黄色い冬のバラが一輪咲いていた。
贈り物かい?

【2012年】ツイッターつぶやき
    拝啓 川上弘美様
日記を拝読いたしました。
俳句の季語に「春の蚊」という言葉がありますが、深まる秋に力尽きましたかぁ。。。。
川上さんの血を最後の力で吸うことができて箪笥の裏にでも暖かい場所を探して越冬できればよかったのに。蚊にとっては無念であったことでしょう。
我が家の蚊は秋に僕の血をたっぷりと吸ったのでどこかで冬を越せると思います。
春には時々出窓の陽ざしの中よたよたとした蚊を見るときがあります。たぶんそのうちに死んでしまうのでしょうが命を全うした老衰ですから仕方がない。
東京は木枯らしの夜です。
北側の窓がカタカタと鳴り冷気がすっと降りてきます。
川上さんも東京のどちらかで木枯らしの中炬燵に潜って越冬をされていることでしょうね。。。。
風邪など召さないようお気を付けください。
そろそろ冷たい布団にもぐりこもうと思います。
          敬具

深まりゆく秋にカマキリですか?卵でも持っているのでしょうか。
グッチ。エルメス。セリーヌ。シャネル。。。。さすが名門学校のお子さんですね。我が住む町の子供たちはしわしわになったスーパーのビニール袋に何か入れて持ち歩いています。たぶんお母さんがぎゅっと縛って取っておいたビニル袋でしょう。まぁ、グッチやエルメスの袋もお母さんがとっておいたものでしょうがカマキリにとっては同じでしょう。。。。。何を思い固まっていたのでしょ。
昔、机の隅のところに何かの卵を発見しました。初めはそれが何かわからなかったのですが、暖かくなったら小さな小さな子カマキリが数十匹出てきました。。。。。声もなき「うわっ」を連発しておろおろしてしまいました。

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍首相はインタビューで“史上最大規模の経済対策”を行うと話したようです。
「デフレ・円高からの脱却のためには、政府と日銀の連携による大胆な金融政策が不可欠だ。合わせて日銀が供給したお金を使うことが必要であり、まずは政府みずからが率先して需要を作り、景気の底割れを防がなければならない」
「いつまでも国の財政で需要を作り続けることはできない。持続的に成長するためには、雇用や賃金を増やすという好循環を生み出していく必要があり、成長戦略が極めて重要だ。同時にプライマリーバランス=基礎的財政収支の黒字化も目指していく」
「われわれは古い自民党から脱皮をした。」
(以上、上記リンクページより引用)
日銀の金融政策により市場に金をばらまく。その資金は公共事業によって使われてその財源は赤字国債の発行である。
ここに古い自民党とは違うものがあるだろうか?
もちろん「持続的に成長するためには、雇用や賃金を増やすという好循環を生み出していく必要があり、成長戦略が極めて重要だ」として60万人の雇用をつくるとも言っているが、これも以前の自民党の論理で、企業の業績が上がれば雇用も増えて賃上げにもなるという論理である。
これまでも政府のテコ入れで景気の回復が行われたが、企業の業績が伸びても雇用や賃金は自民党政権の中で切り下げられてきたのではないか。社会保障はどうか?ここでは安倍総理は語っていない。
企業に金をばらまき、赤字国債による公共事業(この中には当然原発の存続や新たな原発の建設も含まれるし、仮にオリンピック誘致が決まればそれも)によって企業利益を保証するわけですから、企業の救済という意味では企業は濡れ手に粟である。しかしその中に雇用や賃上げというものが自然に行われる保証は何もなく、安倍内閣の政策ははっきり示されない。ある意味この保障がない無策な中にあるのは空手形である。
雇用や賃金を増やす具体的なものが具体的な政策と数値目標が必要なのです。それにはこの間自民党が行ってきた派遣労働の拡大(改悪)による賃下げが最も大きな改善点であり、現在の格差社会をどう埋めていくのかという点でも重要なわけです。しかしこのような具体的なものについては何もないでしょう。
高齢者の雇用(厚生年金部分の年金支給年齢の引き上げもはじまります)や女性の就労支援といったものもありますが、結局はこれらの層の雇用は低賃金層となります。当然この低賃金層の拡大は若い人たちの賃上げや正社員化の足を引っ張ることになるでしょう。女性労働の拡大は政府による子育て支援あるいは企業動力がなければ達成はされません。
日銀による資金のばらまきとその資金の運用としての公共事業は一時的には景気刺激策とはなりますが、企業利益はどこに行ってしまうのでしょうか?
今政府も企業も中国に代わる資本輸出国としてミャンマーの債務をボウけしにしたり新たな融資を持ちかけて日本企業の誘致を狙っていると思いますが、またもやこういった海外進出に金は使われていくのかもしれません。投資先がなければ株や外国の国債あるいは金融商品に流れるでしょう。
結局は日銀の資金も1回きりのばらまき効果に終わると見た方が良いのではないかと思います。
資金は回転をしないとその効果は出ません。
日銀の資金供与そして政府による赤字国債による工業事業。ここで潤った企業がきちんと法人税を出して労働者の雇用と賃上げを行う。そうすると資金は国にも戻りますし、労働者の支出増によりその資金は市場の中で回転をします。しかしケインズの論理も実際の経済政策として金融政策と公共事業は高く評価をされますが、その後の資金の回転についての政策は道もはっきりしない。企業に流れた資金が企業を潤すがその企業の資金を国民や国の中で同回転させるかの経済政策がないわけです。国や国民生活に資金を回転させることは企業の両親に任される。今の安倍政権も同じわけでして、その意味でも昔の自民党との違いは見えないわけです。
企業の利益の拡大という景気回復と置き去りにされる国民生活(社会保障も含めて)からのデフレ作用が同時にまた社会の中に現れるでしょう。もちろん今回はインフレになるまで金融政策や公共事業を行うわけですし、企業の業績だけを見た景気回復に消費増税は正当化されるわけで、そして社会保障は公共事業優先の中で切り下げられる。景気回復字の恩恵はわずかで、その先にある早い段階での景気の下げがまた悲惨な結果を今よりも格出して国民生活に現れるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
今夜はしゃぶしゃぶでした。
我が家のしゃぶしゃぶの時の〆はきし麺です。ちなみに鍋の時は味噌仕立てのおじやですが。。。。。
男の手料理というほどではありませんが、〆のきし麺は家族に好評です。
お椀に味覇と粗挽きこしょうをたっぷり、刻み長葱もたっぷり入れておきます。
しゃぶしゃぶのグザイを食べ終わりましたら、きし麺を入れます。
きし麺が茹で上がりましたら火を止めて、スープを先ほどのお椀に入れてよくかき回します。
このスープできし麺をズルッと。。。。。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
今日の朝日新聞4面に「年をとっても働ける幸せ」という記事がありました。
作家の佐藤愛子さんが90歳を過ぎてもお元気に執筆活動をしベストセラーを出しているそうです。高齢者が元気に働き続けることは大切なことです。
昔は高齢者はどうにか年金等で食っていける世の中でしたから、定年後「毎日が日曜日」になり何をしてよいのかわからないとか、奥さんは「毎日が家事曜日」になって定年後の夫の面倒を見るのが大変と。その中で趣味を持とうとかボランティアを行おうとかという専門家などのアドバイスがたくさん出ていました。もちろんそのころから退職金の運用などという勧誘もありましたが。
しかし現在は年金支給年齢が引き上げられて60歳から65歳になっています。あと数年すれば厚生年金部分も65歳支給となります。さらに政府はこの65歳支給を引き上げる動きを見せています。また支給額を抑える動きもあります。こうなると「働く幸せ」というものから外れて「食うために生存するために働かざるを得ない」労働となってしまいます。
「我々は何を目指して生きているのか、それを考えることも忘れて、便利、快適、物質的満足ばかり追いかけている」 (引用)
「何を目指して生きているのか」
この生き方と言っても一昔前のサラリーマンのように定年後どうにか食えるから趣味やボランティアで生きる喜びを見つけよう」というのと、「65歳にならなければ年金がもらえないで死ねと死ねと言われているようなものだから働かなければならない」とでは同じ働くにしても「生き方」の中身は全然違ったものになっています。
安倍内閣での一億総活躍は、もちろん後に書いた中身による労働の提供と老後に来方を目指している。
年金だけでは食うだけで「便利、快適、物質的満足」の豊かさなどありませんし、一定程度働かなくてはなりません。その中で65歳まで無年金になるから低賃金で働けという仕打ちが今の社会です。
作家の佐藤愛子さんのような生き方をされる方も増えていってほしいと思うのですが、現実社会に生きている圧倒的な人々は生存していくための生き方を選ぶしかないのです。

【2018年】ツイッターつぶやき
今日は鏡開き。関西では15日でしょうか?
鏡開きと言っても、昔のようにカビが生え始めてひび割れがしたお供え餅というものは我が家からは消え去ってスーパーで売っている真空パックのようなお供え餅ですが。
昔親父が金槌で割っているのを覚えています。
お供え餅は下げてそのままにして毎年天日干しをしてお書きおかきにしています。
餅は丸餅を使いお汁粉にしました。
お汁粉ですからかなり水分量が多くてまさに「汁」です。善哉のように餡子に汁がない者もおいしいですが、やはりお汁粉の方がうまいですなぁ。。。。
餅を焼いてそれを入れます。餡子は缶詰です。
なんとなく雑煮を食いたくなりました。
夜にでも残りの餅で雑煮でもしようか・・・・・・

川上弘美さんの「東京日記 デートスポット。」【平凡社】が更新されました。
このサイトは川上弘美さんが月に1回ほど更新している作品ですが、これをまとめてこれまでに5冊発行されています。
夏目漱石の弟子である内田百閒の「東京日記」に刺激されて書かれたもののようです。
内田百閒の「東京日記」も川上弘美さんに「東京日記」も日常の中の不思議な世界に引き寄せられる世界が描かれていると思います。
川上弘美さんは日常の中にある隙間というのか割れ目というのかどこか異世界ともいえるものに引き込まれると同時に、現実とは少しずれたところに迷い込みます。
現実に生きているのですがその現実が少しずれている。
これは、あんが皆が時々迷い込む世界だと思うのですが、それを文章などで残すことが稀なのかもしれません。と言っても、100%が現実ではなくて誇張もあるかと思いますが、それが文学作品というものでしょう。表現です。
今回の「デートスポット。」は現実の中にしっかり棲息している川上さんがいるような気がしますが。。。。。
ちなみにこのブログのカテゴリー「東京日記」も真似をして。。。。ハハハ
日常の中の不思議や面白いことを残せればいいかなと思っています。

【2019年】ツイッターつぶやき
東京は雨がずっと降っていません。
記録的な晴れ続きだそうです。
晴れた日が続いてお日様の暖かさはよいのですが、空気も乾燥して唇がガサガサします。
家の中は湿度が50%以上あるので良いのですが、一歩外に出るとのどが痛くなります。
こういう時はマスクがいいらしいですね。
東京は空っ風が吹いています。気温自体はそうは低くないのですが体感温度はぐっと下がります。ポストの上は土埃で真っ白。
週間天気予報も外れて土日の雨もなくなるようです。
朝早くから花に水をあげました。
こういう年はもしかして・・・・・
2月や3月に雨や雪が多くなるかもしれません。
東京の雪は立春も過ぎた春の雪。。。。

関東は今日が鏡開きです。
小豆をコトコトと・・・・とはいきませんので缶の小豆を買ってきました。
お供え餅はトンカチで割るそうですが、ビニールパックのお供え餅は柔らかいし包丁で切ってしまいました。ご利益ないかなぁ。。。。。
まぁ。形はどうであれ、鏡開きを忘れていないことを神は笑いながら包丁切っている僕をほめてくれるでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
大きなお寺に初詣に行ってきました。
境内にたくさんの屋台が出ていて焼きそばやタコ焼きあるいはイカ焼きという定番からケバブの屋台までいろいろなものを食えます。昔ながらのトウガラシや食い物ではないですが縁起物の句までも。昔は東京もどこかでお祭りや盆踊りがあるとたくさんの屋台が出ていましたが、今はこのお寺の境内ぐらいでしかお目にかかれません。たしかに衛生面や裏の決まりやらいろいろと問題はあったのでしょうがなくなっていくと寂しさがあります。
もつ煮込みにビールと行きたいところでしたが、ビールは我慢してもつ煮込みだけ食ってきました。
近くの氏神様には二日に行きました。
そういえば、初詣とはいつまでに行けばいいのでしょ?
ネットで調べたら、三が日・七日・15日までと初詣に行く期間は分かれているようです。まぁ、中には除夜の鐘を聞きながらのお参りが初詣だという方もいらっしゃるかもしれませんね。関東では七日までが松の内で、関西では15日までが松の内らしいですから、初詣は松の内までにということでしょうか。
今ではなじみのなくなった二十日正月というのがあるそうですが、昔は二十日正月の前15日までが松の内だったそうです。ところがお江戸では、三代将軍が亡くなった後、月命日の関係で松の内が七日になってしまったそうです。しかし三代将軍に忖度したというよりも、江戸っ子はせっかちで気が短いので「いつまでも正月やっていられるかぁっ」という面もあったのかもしれません。主都首都江戸の経済や政治の動きもあったのかもしれないかなと思ったりもします。
七日までが松の内ですから鏡開きも早まって11日になったそうです。
関西では15日までが松の内で同じく15日が鏡開きだそうですから、これが本来の習わしだと思います。
関東は松の内と鏡開きが一致しませんが、まぁ、11日の鏡開きまでに初詣に行けばいいんじゃないかと思います。
というわけで、夕螺家では午前中に初詣に行って、正月も終わる夜に鏡開きでお汁粉を作りました。夕飯がお汁粉ではさみしいので正月最後の日にお雑煮も作りました。
これで夕螺家のお正月も終わりです。
成人式そして節分で恵方巻食って春ですなぁ。。。。。。
関西の恵方巻が関東でも広がっています。。。。。
コンビニののぼりばたに大きく恵方巻の文字がだいぶ前から目につき始めています。
そういえば大寒にもなりますが、冬の土用の入りは18日だそうです。丑の日には「ウ」のつく季節の物を食わねばならない。。。。。
あははは・・・・・・
忙しいですなぁ。

【2021年】ツイッターつぶやき
トランプさんが大統領になってからアメリカは分断が続いている。
その分断が大統領選でトランプさんが負けると暴力的にもなってきた。
報道ではアメリカの民主主義が壊れているとも。
戦後アメリカの民主主義観が世界を覆っていたが、このアメリカの民主主義が揺らぎ始めているということでしょう。
政治的な民主主義が揺らぐ根底には経済があるでしょう。超経済大国のアメリカですが、同時に超債務国です。その経済がトランプさんの保護主義から世界で孤立しはじめて中国との経済戦争にも苦戦をしている。中国と日本がアメリカ国債を紙くずにできる状態。
経済に続いて政治力も衰退を始めた。するとアメリカ式の民主主義も発言力をなくすでしょう。
アメリカの民主主義は軍事力はもちろん力による民主主義です。アメリカの国益を守るためにテロとの戦いでの正義は民主主義におかれた。大統領選においてこの力による決定が暴力を含むとしても不思議はない。
アメリカの影響力は急速に弱くなるのではないでしょうか。
しかしその軍事力は維持される。経済の衰退と政治がどこに向かうかでアメリカが世界で一番驚異の国となるかもしれない。

【2022年】ツイッターつぶやき
沖縄では医療従事者への感染も広がり、500人程度が勤務できない状態のようですが、アメリカでは感染の拡大により生活面全体への影響が懸念されはじめているようです。
日本もアメリカもワクチンに頼る感染防止を取っていますが、すでに2回のワクチン接種では感染を防げず重症化も今後あり得るようです。オミクロン株は重症化する割合が低いそうですが、重症化する割合が低くても感染者自体が大幅に増加をすれば分母が大きくなるわけですから重症者数自体は増加をすることになります。またコロナ感染では重症化しないまでも中等症でも軽症でも症状が現れるわけですから休業する人々が増加します。
政府は在宅勤務を呼び掛け、テレビでも在宅勤務の報道は多い。しかし社会というのは在宅勤務で仕事をすることができる人はわずかでしょう。実際に社会の中で活動し仕事をしている人が圧倒的に多い。社会生活はこのような人によって維持されていますからここに感染拡大が顕著になればすぐに社会活動が停滞あるいは停止をすることになる。
ワクチンに頼るコロナ対策には限界があります。

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
犬が案外苦手であまりかまわない川上さん。
でも、犬もあまりかまってもらうことが好きではない。
互いに高感度が上がる。
もう一軒の家にも犬が。。。。。
犬の好感度を上げた川上さんは親しげに「やあ」と声をかける。
なぜか思いっきり吠えられた。
人との関係でも親しくなるといった気持ちよりも互いに自分を正直に出すことが好感度を上げることになるのかもしれない。
センスの良い家にも埃が貯まっている。
好感度アップ。。。。。。

【2024年】ツイッターつぶやき
今日は鏡開きですね。
お供え餅を買い忘れ、慌ててスーパーに行ったら冷たい声で「売り切・・・」と。
仕方なく小さな丸餅を飾りました。
その餅で妻とお汁粉を作りました。炬燵で熱いお汁粉、、、、、
東京も寒の入りから冷え込んでいます。
今は鏡餅もビニールパックのものが売られていますが、昔は、米屋に鏡餅を頼み鏡開きごろには、ピンクや緑のカビがきれいに出ていました。お袋がたわしできれいにカビを洗い落とし、オヤジがノミとトンカチで割っていました。
カビもとり切れずに部屋のカビの匂いが漂っていました。
今、思えば気持ち悪いですが、よく焼いてお袋がコトコト煮た餡でお汁粉を食った。。。。
それでもうまかったなぁ。。。。。
コメント
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「1月10日という日」

2025年01月10日 06時04分23秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

     ≪過去の日記≫

【2004年】
水羊羹、硬さといい控えめな甘さといい、われながら傑作だと思います。
しかし作りすぎたようで、弁当箱二つ出来てしまいました。
日持ちがしないと思うので急いで食べます。
そういえば以前、豆腐にも挑戦をしたのですが、もちろん大豆豆からですが、硬すぎて失敗でした。また挑戦をしたいと思います。
暇なときに一寸した手作りの食材はおもしろいし、見た目は売っているものにかないませんが、素人の味が出ていいのでは?

【2005年】
ユニクロに行ってきました。
息子がジャンパーをほしいと言うので買いに行ったのですが、案外いい値段でした。しかし質はよいようです。スパーでは娘の春先のジャンパーを買わされました。
スパーもそうですが、もう真冬のものは少なくなり、だんだんと春先のものが多くなっています。数年前、2月の半ば頃だったか、冬物が汚れて欲しいのでスーパーに行ったらもう春物ばかりで買えなかったことがありました。ワンシーズン前に買うべきものなのでしょう。そういえばファッション界は真夏頃に秋・冬物ですからね。。。。
ううう。。。。僕のものは、2枚990円のパンツ・・・・ハハハ

【2006年】
「先生はえらい」
                      ちくまプリマー新書
               内田 樹  著
先生はえらい。先生だからえらいのではない。先生と呼ばれる人はいろいろある。医者や学校の先生、弁護士や政治家先生もいる。そうではなくて人生の師とも呼べるようなそんな先生のことである。
先生だからえらいとなれば、そこには先生と呼ぶほうの主体はなくなり、何が何でもえらいと思わなくてはならなくなるという強制でしかない。
だから先生はえらいというものも、世間がみんな先生というものはえらいものだと決めたから先生はえらいのではない。
しかし先生はえらいのである。
様々な先生といわれる人たちの中にも犯罪を犯す人もいる。犯罪とは言わないまでも人生の師と呼べるような先生は見渡しても本当にいるのか。先生はえらいと思うようなそんな先生がいるのか。いないのである。
先生と呼ばれる人も人の子である。理想を追い求めた観念的なえらい先生はいないのである。
しかし先生はえらいのである。
居もしないえらい先生。しかし先生はえらい。
ここに矛盾があるが、この矛盾を解くのが「私にとってあの先生はえらい先生なのだ」という主体から見ることからしかできない中にそこではじめて「先生はえらい」というものが実在できるのである。
それにしても、いくら主体的なものだといわれても人生の師といわれるような立派な先生がいないことには自分にとっても先生はえらいということにはならないだろうという疑念は残る。しかし、内田さんは恋愛のことを例に取る。
男女が恋愛をしているときは、相手が絶世の美男美女でもないし、性格も100%とはいえない。そのほかの点を見ても100%の相手に恋をするわけではない。しかしアバタも笑窪なのである。互いにこの人しかいないと思い(打算的な恋愛はぬきにして純な恋愛)燃えるのである。それと同じように100%完璧な人格者でなくとも先生として恋焦がれてしまったらその先生はえらいのである。自分個人という純然たる主体において。
恋愛相手を紹介されてのろけ話を聞かされたとき、のろけ話を聞かされ合わされても、下手をすればどこにもいる女(男)じゃないかと「はいはい」を聞いてばかりいるだけだろうが、同じようにえらい先生に会わされてもどこにでもいるようなただのおやじじゃないかと思うこともあるのではないか。そう考えれば恋愛もえらい先生にめぐり合うのもまったくの主体的なのである。
このような意味でえらい先生にめぐり合うには発想の転換が必要ではないか。そしてこの発想の転換から主体も生まれるのではないかというのが本書の語るところだと思う。
この本の目的が中学生や高校生に語ることを目的にされたものだから難しい言葉はない。わかりやすい本である。いろいろ話が脱線しながら楽しく話しをするといった本で読みやすい本である。
しかし、わかりやすく楽しく書かれた本とはいえ、そこには内田さん独特の哲学が展開されているのだと思う。その意味では大人が読んでもおもしろいと思う。その点でまた難しさがあると思う。
この主体的、主体性というものは、ある日彼女彼氏をめぐり合って一目ぼれというものはあるにしても、主体的にこの人と結婚をしようとはじめから思って付き合い結婚をするわけではない。付き合ってみていろいろなことを知りその中で盲目的な恋愛感情が生まれてきて、初めて結婚をしたいとなる。赤い糸で結ばれていたという意識はこの後になって感慨を込めて見つめたときに見えるのである。そうすると、ここでの主体的というのは、彼女彼氏に引かれていく自分自身にあるわけだ。あの人のことをもっと知りたい。あの一言にどんな意味があるのか。草津の湯でも治せぬ恋の病になってしまうのである。主体的に彼女を見つめていくのである。
これと同じように先生との出会いは偶然であるかもしれない。そしておもしろそうな先生というだけだったかもしれない。ここでもこの先生を人生の師にしようと主体的になるわけではない。やはり先生と付き合う中にあの言葉の中に何を言いたかったんだろ?と自らが知りたいという気持ちを起こすこと自体が主体性なのである。先生は人生の師であるという気持ちは、これを教えてくれたという後になって思うことなのである。崇拝に近いものになっていくのであり、主体的に先生を見つめていくのである。
ここではじめて自分にとって「先生はえらい」のである。主体において「先生はえらい」のである。それを「学びの主体性」と書いているのではないかと思う。
はじめに「人生の師と呼べるような先生は見渡しても本当にいるのか。先生はえらいと思うようなそんな先生がいるのか。いないのである。」と書いたが、ここから「学びの主体性」「先生はえらい」という矛盾したものを解決するのが発想の転換なのである。この発想の転換をわかりやすくいろいろと脱線をしながら導いていくところにこの本のおもしろさがあるだろう。
ある意味「先生はえらい」と漱石をしたって集まる弟子たちがいた。その弟子たちは、何も小説を学ぼうと集まっているだけではない。弟子たちは、それぞれに画家であったり物理学者であったり政治家だったり出版社を経営したり雑誌を出したり借金生活をしたりと様々まであり、その専門の道において師がいたわけだろうが、それでも漱石のところに集まってくる。もちろん漱石が有名な小説家になってから近づいた弟子もいただろうが、それもあるひとつの機会であり、やはり漱石の何かに惹かれて集まるのであり、弟子たちのとっては漱石は「先生」なのである。
弟子たちはそれぞれの道において学んでいるのだが、その専門的な学問を学ぶのとは違う意味で漱石のところに集まってくる。ここに弟子たちの「学びの主体性」があるのかもしれない。漱石にはいろいろな底知れない深さがあり、その言葉にまた自分の専門的な道のヒントになるようなものを弟子たちは見つけたのだろう。漱石は漱石で、物理学や絵などを弟子たちに学び、コミュニケーションがあり、世話を焼く中にもコミュニケーションがあったようである。
このような師弟関係をこの本は言おうとしているのかもしれない。
しかし、「学びの主体性」は、言い換えればその主体の持つ価値観によってということになる。
先の恋愛の例を見ても、「そうすると、ここでの主体的というのは、彼女彼氏に引かれていく自分自身にあるわけだ。あの人のことをもっと知りたい。あの一言にどんな意味があるのか。草津の湯でも治せぬ恋の病になってしまうのである。」と先に書いたが、「すごくいい人だと思うけど結婚までは。。。。よいお友達でいてください」という結論も出るわけで、結婚をすれば幸せだと思うけどやはり価値観が最後には出てくるわけだと思う。
会っていれば楽しいし会話も弾む。しかし結婚までは。。。というのは、まったくの主観であり価値観である。
本書では「帳良」という中国の物語(能楽)を例にとるが、そこには帳良の「太公望の兵法を学びたい」という主観と価値観があるわけで、この主観と価値観があったからこそ禅問答のように師の靴を拾い続けて悟り、兵法を会得するわけである。老いぼれたじい様が帳良にとっては「先生はえらい」ということになるのである。
帳良は、師から太公望の兵法とはこういうものだと直接に教えてもらわない。ただ、なぜ師はいつも靴を落として履かせるのだろうという疑問やその意味を考えさせられただけである。師の行動にどんな意味があるのか、何を語っているのか、ここに帳良の「学びの主体性」があるのである。
武者修行中の帳良は、兵法を学びたいという価値観を持っている。価値観を持っているから老いぼれたじい様の靴を拾い続けその意味を主体的に考え学ぶ。そしてその価値観に沿って老いぼれたじい様がえらい先生となる。まずは帳良の主体的な価値観がそれが漠然としたものであってもまずは存在をするということだと僕は思う。男女にしてもまずは自分の価値観において一目ぼれもあるのである。漱石の弟子も、漱石の作品を読んだり、漱石の人となりを聞いたりした中に価値観の一致も生まれるだろう。
しかし、この本では、この価値観をまず捨てよというのではないか?
物事を根源的に見なければならないと、交易をはじめて行ったクロマニョン人の沈黙交易を例に取り、この交易は交換物の価値において行われたのではなく、交易が愉快だから行われたのではないかとする。
この「交易が愉快」だというものは、一つの価値観において愉快なのである。5万年も昔の人たちは、そうは余裕ある生活をしていたのでもないだろうし、ましてや人を喜ばすような様々な種類の物を持っていたわけではないだろう。交換するには余剰の物が必要であり、またはどうしても交換したいとなれば、自分たちが必要とする物を節約して余剰としなくてはならなかっただろう。5万年も前だから贅沢をする王様もいないし一つの家族やそのグループほどの人たちの交易である。その中に物と物とを交換すること自体への喜びはないだろう。喜びがあるとすれば、自分たちの持っていない食い物や道具という物の使用価値を手に入れることである。
ましてや交易は一つの家族同士が行うわけではないだろう。山の家族が余剰のどんぐりの実1000個を沈黙交易に出したら、ある海の家族は10枚の干し魚を置いていき、ある家族は15枚置いていったら、そこにはどんぐり1000個の価値の違いが起こり、そうはゆとりのあるわけではない山の家族はどんぐり1000個は干し魚15枚の価値ありと見るのが普通である。海の家族が干し魚10枚を置いていったら、どんぐり700個だなとか。。。。といったものになるだろう。
いくら沈黙交易といっても言葉を持っていなかったのではないし、お互いにお得意さんともなれば、どんぐりは粉にしてクッキーにして食べればおいしいとか、干し魚はあぶって食ったほうがうまいとかの人との交流も出てくるわけで、クッキーを教えてくれた、あるいはあぶった干し魚を教えてくれたそれぞれの家族は偉いとなっていく。海の家族の奥様が山の家族の奥様に貝のネックレスをプレゼントしたり。。。。
「交易が愉快だ」というのは、こういう使用価値や交換価値に基づいたものであり、これが根源的なのではないか。その根源的なものから人と人との関係が深まりあの人はえら、ある意味お互いに先生になっていくだろう。
えらい先生というのはたしかに後になって感じるものである。
これは先の沈黙交易と同じで、まずは自分自身が持つ価値観からの人と人との交流が根源的であり、自分のやりたい学問があるとか、技術を学びたいとかの価値観から出発をする。この価値観を否定すること自体にえらい先生というもの、人生の師だといえるような先生を考えることに矛盾が出るのである。観念的になりわかりにくくなるのである。
ある学問や技術を学びたいと師事するだろう。その中で多くはただの学問や技術を教えてくれただけの「先生」に出会っただけかもしれない。また、優れた先生だとその分野だけを見れば尊敬できる「先生」もいるだろう。これが根源的なものである。この根源的なものからは必ず派生がある。それが人と人との関係である。自分の学びたいことという価値観がその先生の持つ人生観とつながったりもしていく。そこが見えるとただの生徒と先生ではなくなる。ここからえらい先生が、主観から主体から生まれる。
えらい先生というのは、先の沈黙交易の例をとるなら、どれだけ余剰のものを持っているかということである。
だから、「あの先生は学問的あるいは技術的には劣るところもあるが、人生観やその道へのこだわりやら何かその余剰な部分にひかれ、自分にとっては多くのヒントになるしなんとなくひきつけられるんだなぁ。。。」ということもありえるわけである。
学ぶ主体は、その自身の価値観と、その価値観からやはり派生するものをどれだけ持つか見ることができるかにある。
余剰なものを受け止めるだけの主体が必要だということであり、ガリ勉君や食うため金のためだけに学ぶ人には、えらい先生は見えてこない。せっかくのえらい先生の余剰なものがただの無駄話にしか聞こえない。
しかし、余剰なものを豊富に持っている先生だからといって、すべての人にえらい先生にはなれない。その余剰なものに引き付けられる人だけがその先生をえらいと思うことができるのであり、それはその人の価値観から来る。だからその先生はその人だけのえらい先生となりうるのである。
ここにコミュニケーションがあり、このコミュニケーションは、得体の知れないわからないものに基づくのではない互いの価値観のぶつかり合いであり、価値法則に基づくものなのである。
先生が何を言いたいのかわからないだけなら生徒・弟子は永久に何を言いたいかは見えてこない。
知らないことを話しているが、そこに自分の知りたいことのヒントを見つけるのが自分の価値観である。時には見当はずれに考えたりもするし、誤解もあるかもしれない。しかしその誤解や見当違いが自分の価値観においてヒントとなるのである。
人の持つこの価値観、これをあいまいにした「学び主体性」は、どこか観念的な個人主義を感じ、同時にそれは「先生はえら」というその先生自体が薄ぼんやりとした人間として現れ、どこの親父かわからないような人間もえらい先生となってしまう。
価値観というのはもちろん個人の中にあるのだが、この個人の価値観は今ある社会や人間の関係の中にあり、規定される。まったくの個人的価値観は存在しない。これは歴史的な経過の中にもあり、未来を見つめる基礎ともなる。社会性や人間の関係においた中にこそ「学びの主体性」はあり、これから離れた観念的な自由から来る主体性は存在しないのである。

【2007年】
足の裏。。。魚の目かな?
タコのように硬くなって、中心に白い根っこのようなものが。
そういえば、おやじが若い頃、魚の目が生長すると痛いからと剃刀でけずりとっていたっけ。。。。
僕も前にも出来たけど、そのときは抓めてとれば治ったけど。。。。
今度のは頑固そう。
夕食を作ったけど、なんだか味付けが濃すぎたようで、まずかったです。
時々スランプになる。。。。
もしかしてスランプというよりは、疲れているときに味付けが濃くなってしまうのかな?

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
今夜はキムチチゲ鍋
肉やアサリ、白子を入れて豆腐や油揚げ、そして野菜をたくさん。最後にきし麺を入れ仕上げはキムチ。キムチはあまり火を通さないほうがうまいです。
東京は暖かい日が続いていましたが、昨日から寒波がやってきました。これが本来の東京の冬。。。。空っ風ぴゅーぴゅー。。。。こういう日はキムチ鍋に限ります。
簡単ですしね。。。。そうそうスープはいつも市販のものを使います。

珊瑚の島で千鳥足(続ばらとおむつ)
                               角川文庫
                 銀色 夏生  著
2008年10月25日角川文庫より初版発行。
「ばらとおむつ」の続編です。
「ばらとおむつ」は2007年4月に発売になりましたが1年半ぶりの続編でした。「ばらとおむつ」という題名は、母親「しげちゃん」が脳梗塞で倒れ、その病状と介護の様子を兄「せっせ」がご兄弟たち(夏生さんは4人兄弟ーー「せっせ」、夏生さん、「テル」、「エミ」)にメール通信として出した通信の題名でした。今回の「珊瑚の島で千鳥足」もやはり「せっせ」の通信の題名です。珊瑚の島というのは、「せっせ」が「しげちゃん」を連れて南の島に移住すると言い出し、その計画から次の通信は「珊瑚の島で千鳥足」か!ということで名づけられたものです。さいわい?というのか、南の島への移住はまだでしたが、「せっせ」のいつか実現したい夢といった形で通信の題名としたのではないかと思います。本文中には南の島とはいわないまでも宮崎県の海の見えるような場所にとも。
ということで「せっせ」の通信「珊瑚の島で千鳥足」1号は、2007年3月12日にはじまります。(うん?夏生さんの誕生日?)
通信「ばらとおむつ」は、2007年1月3日100号で終わっていますから、約2ヶ月ぶりに通信が復活したようです。「ばらとおむつ」の夏生さんのあとがきには、「ばらとおむつ」101号が載せられています。その中で「せっせ」は次の通信の題名を「珊瑚の島で千鳥足」にと。このように「せっせ」の通信「ばらとおむつ」と「珊瑚の島で千鳥足」はほぼつながった形で、夏生さんの作品としての「珊瑚の島で千鳥足」もまさに続きなのです。そして今年7月8日の100号まで「せっせ」の通信は続きます。
「日々の出来事は
 ふりそそぐ雨のように
 あますところなく
 涙と笑いを届けてくれる」 (背表紙より引用)
銀色夏生家もいろいろと。。。。。
生きていればそこに家族がいて親戚がいて周りの人に囲まれて生活をする。その中に日々いろいろな出来事が起きて一つひとつに喜怒哀楽が。
毎日が大きな出来事にあるわけではないけどその中で一喜一憂しながら過ごしていきます。平凡のようでもありあわただしくもあり。そのあわただしさも平凡に。でもこの平凡を見つめるとそこにはまさに笑いと涙があるわけで、そして怒ったりぼうっとしたり。そのような日々をつづることの面白さをこの作品は教えてくれるのかもしれません。それは通信として自分と母親との暮らしを通信として兄弟に送る「せっせ」の書くものの中にも言えることだと思います。
夏生さんのご実家は、宮崎県と鹿児島県、熊本県の県境にあるようですが、小さな温泉町のようです。多分のんびりとした時間が過ぎていく町なのでしょう。そのような町に住みながら日々起きる事々。。。それを見つめる夏生さんと「せっせ」の生活への考え方というのか生き方が出ています。もしかしたらそれ以上に「しげちゃん」の毎日の生き方が出ているのかもしれません。
「つれづれノート」という作品が発表されたときからそれ自体が詩人・作家としての銀色夏生の日記エッセイではなく、一人の女性として生きる銀色夏生の世界でした。ですから読者は詩人や作家と向き合うというよりも自立して仕事をして子育てをしていく一人の女性と向き合うわけです。もちろん作家ですから収入や時間的な自由はありますし、時々は作品の話やプロとしての作家意識も語られますが、基本的には日々の生活や人間関係の中でどんよりと過ごす銀色夏生なのです。
この日々をどんよりとしながらも見つめる視点、そこに人生の楽しさを発見したりするその生き方ですね。それも肩を張って生きるのではなくて自然に過ごし見つめられること。それが魅力でしょうし、読者も自分のことを見つめることの大切さを読後に感じるのです。
その点は、「せっせ」の通信にも現れています。たぶん介護や家の整理などは大変なことだと思うのですが、その大変さは見えつつどこかその大変さをもクスッと笑ってしまうように書いていく。それも変にニヒルではなくて心から時には楽しんでいるようにも感じられます。介護を必要な「しげちゃん」に時には癇癪を起こしながらもお誕生日のささやかなイベントを兄弟に問う。土地問題では怪しげな不動産屋にはらはらしたり。生活パターンからの「せっせ丼」(笑)などなど。なんだか人生って面白いなぁと感じます。弟の「テル」も心臓に異変が。もちろんみな心配しますがどこかユーモア的にも読めます。「しげちゃん」ももちろんなのですが、ご家族みんなが人生を楽しんでいるように。。。。視点を変えれば苦しさも後になれば笑ってしまうようなことはたくさんあります。ここには日常を文章にするということの特殊性もあるのかもしれません。特に人に読んでもらうというまったくの私的な日記ではない性格の文章に。自分を客観視できるというのか、感情をある程度抑えられたときにしか文章にはなりませんから。
夏生さんは、人生はゲームのようなものと他の作品で書いていますが、この作品をお読みになるだけでその意味の深いことが読み取れると思います。ゲームのようなものとはぜんぜん不謹慎な言葉ではないのです。漱石が作品において、人は喜劇を演じると書いていますが、客観視をすればすべて滑稽なのかもしれません。もちろん漱石は死だけが悲劇だと。日常の中に怒るいろいろなこと。。。。そのときには激しい喜怒哀楽があるけど、それを文章にする余裕が生まれたとき、人は喜劇を演じることが見え、ゲームだよなぁ。。。と許したり落ち着いたりできるわけです。でも、それは根底に日々の出来事や社会の出来事を見つめる目を持っていて考えぬける方が持てる視点ではないでしょうか。
悲劇を見つめられるから喜劇として見える。。。。
東京に出てきた銀色夏生一家。。。。
今も
「日々の出来事は
 ふりそそぐ雨のように
 あますところなく
 涙と笑いを届けてくれる」 
ということを感じながら日々を生きていらっしゃることでしょう。

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞1面に公立学校の先生の数が足りなくい状態が出ているとあった。
世紀の先生と常勤の代替先生そして非常勤といろんな先生がいるようですが、今は正社員が減って派遣社員やバイトといった人たちが増えている社会ですから教員の世界も同じ自体が発生しているのでしょうか。子供の頃、先生が風邪などで休んで自習となると喜んだものですが、今の子供たちはこの喜びを満喫できる幸せな状態なのか(笑)
今は失業時代といわれていますが、その反面人手が足りない状況が出ている。これはいろんな産業に出ているのではないかと思います。たしかに教員は資格を持った人しかできない職業ですからその資格を持った人が減ってくれば公立校などは人手が足りない状況にもなるのかもしれませんが、それが理由とはいえないのでは?
失業者が多い中で人手が足りない状況というのは、一方における過度の労働と一方における仕事がないという状況ですが、これは一見して矛盾ですね。なぜこの矛盾が起きるのか?
学校も例外ではないと思うのですが、日本全国利潤を上げるためには(あるいは公立の学校のようなところでは予算がありますから)人件費を「節約」使用とします。それは人件費を一人ひとりの額を下げるということでもありますが、より少ない労働者でより多くの仕事をさせるということでもあります。とうぜん労働は過密化したり時間外労働が増えたり中にはサービス残業も増える。このような方法が随所に見られる中に労働力の節約が出ているのですが、そうすれば必然的に職につけない人が増えるわけです。職についてもきつくて低賃金で正社員に比べて差別化されたりしていては辞める人も出てくるわけです。職がないなら何でもやれという今の社会の論理のある意味破綻です。よく失業とは言うが何でもいいから働くという意欲があれば食はあるといった論理を言う人がいますが、そのような論理は空論です。労働意欲がなくなるほどに低賃金と労働強化・長時間労働が続けば矛盾は出てきます。
学校の先生もいろいろと報道されるようなことがたくさんあったり、モンスター保護者(お客様)や主任制度の競争やら教員免許の更新やら大変らしいし、いろいろと精神的なものでダウンする先生も出ているという。先生という職業に憧れがあってもいざやるとなると正規の先生としては雇われないでやることは同じでは。。。。。。
失業時代の人員不足は矛盾ではなくて今の社会の考え方や動きからすれば何の矛盾もない必然なわけです。
こういう状態が長引けば労働の質の低下は出てくるでしょう。同時に同じようにさまざまな「節約」は商品やサービスの低下を招くことでしょう。低賃金層にはそれなりのものを、高賃金層には質の良い物。。。。。これが定着をしてくる。社会全体が衰退をしていく。。。。。
ここから飛び出ようとする人々が集まりつつあるのか?
政治や経済・文化などさまざまな分野の規制されたもの(権威なども含めて)に見切りをつけ、ただニヒルになるのではなくて何かを始めようとする動き?

【2012年】
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
先日も書きましたが、安倍内閣が推し進める経済対策には企業優先の景気対策はありますが、国民生活への対策がありません。もちろん企業優先の景気対策も公共事業でのばらまきが主なもので、そこにはオリンピックの開催も含まれています。
今のデフレの分析をしないままにデフレをいきなりインフレに持って行くという誤った発想のもとに行われるわけですから、現在のデフレの原因である勤労国民の懐にある貨幣量の不足をどう解決するかがありません。
当然そこには失業問題や低賃金化がありますし社会保障の問題もあります。ここをどうするかが見えないのが今の安倍政権でしょう。
企業が発展あるいは利益を上げれば雇用も増えて賃金も上がり、税収は増えて社会保障に回るといった条件はどこにも見えないわけです。
経済の発展とデフレ対策は一致をするわけではなくて、新たな企業優先の景気回復と同時にその条件のもとにデフレは続くでしょう。もちろん見せかけのインフレ傾向が出るかもしれませんがそれも景気の回復といえるものではなくてそのインフレの中にデフレ傾向が発生するでしょう。貨幣の発行量(貨幣価値の低下)の中でのデフレですから影響は悪いほうに拡大するでしょう。
景気の回復と不況が同時に発生をし、国民生活はさらに追い詰められます。

【2014年】ツイッターつぶやき
日銀の調査によると12月の個人景況感が二期連続で悪化したという。その中で現在の収入が減って、物価は上がったと感じている。安倍政権が誕生して1年が過ぎ、政府や日銀・一部企業そして富裕層は景気の回復傾向を言っていますが、今回の個人景況感はその景気の回復傾向という認識と乖離したものとなっている。
円安は日銀の量的緩和により進んだが、実はこれまでの円高はドル安だったわけで、アメリカの景気回復(それも実体経済を反映しているかどうかはわからないあるが)によるドル高によって円安傾向は固定化しそうです。するとこの円安傾向はさらに輸入品目の値上がりとそれが原材料やエネルギーなどの場合はじわじわとさまざまな商品の値上がりとなる。そして消費増税が実施をされる。悪性の物価上昇はさらにひどくなり、それに加えて政府はこの悪性の物価上昇をデフレからの脱却として歓迎をしているわけですから一般国民の生活はさらに低下をしていくでしょう。賃上げは政府によるとボーナスが上がったと宣伝していますが、実態はこの景況感に表れているようにその効果は一部の業種に限られて多くの業種においてあるいは就労状況において収入は低下をし続けています。春闘などでの賃上げもやはり業種別あるいは就労環境において格差が生じるでしょう。そして全体的には低下するかもしれない。
この収入の低下と悪性の物価高を背景ともいえるようにスーパーの売れ行きは落ちて利益は大幅に落ちてきている。
こういった一般国民の生活の低下はスーパーなどの売れ行きに作用してそれは産業間に徐々に広まる危険性があります。それは景気の拡大の足を引っ張るでしょう。それは株価にも通貨にも影響が出るでしょう。するとまた政府・日銀は更なる緩和策と企業防衛のための低賃金化を行わざるを得ない。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
床屋に行ってきた。
昨日は暖かくて床屋日和でしたがあいにく休み。
仕方ないので今日行くことにしました。天気も良くて風もないのでまぁいいかと思って。。。。
床屋に行くと店内の暖房があまり効いていない。。。。
椅子に座ると親父がいきなり霧吹きで冷たい水を頭にまんべんなく吹き付けた。おでこあたりに滴が垂れる。
ぬるま湯ぐらい使ってくれればいいのに。。。。体が震える。
我慢をして髪を切ってもらっていると、親父が咳き込んでいる。
顔を剃ってもらうときも。。。。。
この時体はまだ寒いし。。。
風邪の予感・・・・・
帰りはパーカーの帽子を深くかぶって帰りました。煙草を切らしていたのでコンビニへ寄りましたが、たぶん女性従業員はコンビニ強盗かなと思ったに違いない。
まぁ、いつも行くコンビニですから店員の女性もほっとしたかも。
年末年始も風邪をひかずに過ごせたのはいいけど、ここにきて風邪もいやですなぁ。
うがいでもしてこよ・・・・・

【2019年】ツイッターつぶやき
2014年に消費税が5%から8%に増税された。
この中で便乗値上げがあったか、どのように便乗値上げがされたかが2014年の東京新聞に書かれている。
問題なのは政府がこのような便乗値上げを防止する法的なものを持ち合わせないということでしょう。というよりも、政府自体が2%の物価目標を立てていたわけですから物価が上がることを容認していたとも見えます。
同時に政府・日銀は量的緩和による円安誘導を行ったことから輸入品目の値上がりがありました。
個人消費は増税前の駆け込み消費がありましたが、増税後に消費は急激に下がっています。
今年10月にはさらに10%の増税が行われることになっていますが、政府は消費の落ち込みを減らすためにいろいろと対策を立てていますが、一時的な対策であり庶民生活は増税にさらされます。もちろん便乗値上げがないとは言い切れません。
以前に何度も書きましたが、賃金にも消費税をかけて労働者の益税にしなければ景気は落ち込むでしょう。社会保障の給付にも消費税分を上乗せするぐらいのことが必要です。
貧乏人泣かせの政治に歯止めが必要でしょう。

毎月勤労統計の不適切さにより失業給付金が過少給付され総額数十億円に上るという。その後過少給付金が膨れ上がり数百億円に上るという。
失業手当というのは失業した人にとっては命綱です。これを統計の変更をいつの間にか行って給付額が減少するというのは失業をした人たちの苦しさを国はないがしろにしているといってもいいでしょう。
「厚労省の担当者が2004年に本来とは異なる調査手法に変更した後、担当者間で15年間引き継がれてきた可能性があることも判明した。調査手法を正しく装うため、データ改変ソフトも作成しており、厚労省の組織的な関与の有無も焦点の一つだ。」(共同通信
2004年といえば、小泉内閣だと思いますが、このころに年金制度改悪が行われていますが、強い内閣というのは無茶苦茶ですね。もちろん今の安倍内閣もですが。

【2020年】ツイッターつぶやき
今夜東京テレビで栃木県の真岡市など東京から近い都市のぶらり旅をやっていました。
そういえば東京テレビは漫才の千鳥が出演する「いろはに千鳥」という番組がありやはり埼玉県などの都市をぶらり旅というのか散歩というのか訪れる番組があります。今夜の旅番組も同じ系統の構成なのかもしれません。
これといって全国的な観光地や名物があるわけではなく、行ってみればどこにでもあるような小さな都市。そこで何を見つけるか、そうは感動するものはないのですが、それなりに1日楽しめそうです。
そういえば、僕も2005年前後に東京周辺の小さな観光地を巡ったことがありました。お寺に行っても京都や奈良の寺に比べようがないようなところ。でもそれなりに楽しめました。思わぬところにお地蔵さんなんかがあってしばらくその周りの景色を眺めたりしてのんびりできました。
今夜の東京テレビの番組を見ていて思い出しまたぶらっと出かけるのもいいかなと思いました。
昔、当時の交通公社だったと思いますが、そこから分厚く全20巻以上の観光ガイドブックがありました。そこには観光地だけではなくて市町村単位で小さなお寺や神社公園なども載っていて面白かったです。たしか東京から近い都市なども載せてあったと思います。今はこういうガイドブックはあるのでしょうか。
そういえば、「私の石仏散歩」というやはり10巻以上そろった本がありましたが、これも面白かった。ぶらっと出かけた先にこの本で紹介されていた石仏を何度か差がいた記憶があります。
できれば「ぶらタモリ」のような散歩ができれば最高なんでしょうが、まぁ、自分なりに興味をもって退屈しながらもぶらりと出かけるのもいいかなと思います。

【2021年】ツイッターつぶやき
飲食店が営業時間を守らないと罰則
コロナ感染で自宅待機・療養などで出歩けば罰則
感染者が保健所の指示に従わなければ罰則
2月になると思いますが国会が開かれてコロナ関連の特措法改正が予定されその中で罰則が次から次へと出てくるようです。
この間政府はずっとコロナ対策では国民に自助や自己責任を押し付けてきました。
政府はGO Toを強行して人の移動や密を作り出す政策を行ってきました。その結果が現在の第三派です。これについては政府への不満が大きくなり内閣支持率は下がり続け、現在は不支持が逆転しました。
政府の政策の失敗でもその責任は認めずにまるで国民が悪いとして罰則を強めます。
たしかに性具や自治体の要請に従わないことへの批判もあるでしょう。しかし現在医療のひっ迫から崩壊に向かい自宅待機や療養者がものすごい人数になっています。飲食店への補償も具体的にはなっていません。保健所もすでに手一杯状態です。こうした実態は政府の先を読まない無策からのものです。自己責任で何とかしろと言われてもできることできないことがあるでしょう。自宅療養で死んでいる人も出ています。その中で自宅から出れば罰則なんてありえない話です。
政府の無策に国民は当惑しています。その当惑は政府を信頼できないところまで来ています。
国民の実態を無視して国家権力が国民に対して罰則を強化する状態はすでに現政権が政権を維持できないところまで来ていると見たほうがよいでしょう。
以前このブログに自民党政権は経済において自壊すると書いたことがありますが、経済矛盾に加えてコロナへの無策が出てしまいました。強力な数の力を背景とした自公政権の自壊は早まっている。それは自浄能力が働かないところからきています。

【2022年】ツイッターつぶやき
午前中ぼうっとしながらスマホでコロナ情報をニュースサイトで読んでいた。
すると同じページに小池都知事の写真と感染対策という文字が。その隣に中国天津市でクラスターという記事があった。
中国もオリンピックを控えて大変だろうと思いながらニュースを開いたら、天津市で25人オミクロン株のクラスターがあったという。そこで天津市は1400万人全員を2日間で検査を行うと。。。。。
続いて東京都のニュースを見たら、木の発表の新規感染者数が1200人を超えたとして都知事はこの三連休を都民がどのようにして過ごすかによって違うから感染対策を行ってくださいと。。。。。
天津市の人口は東京都とほぼ同じですが、この対応の違いに愕然としました。今日の東京都の新規感染者数は800人ほどで昨日よりだいぶ減りましたが、これは検査件数が少ないことによります。三連休明けの明日もだいぶ減るでしょう。検査件数が減りますから。陽性率は一気に5.8%まで上がりました。危険域です。
中国もコロナにより経済の落ち込みが見えますが、それでも経済は成長をしています。検査を行って感染者を多く見つけてしまうと医療崩壊になり経済が止まってしまうという日本の論理が正しいのでしょうか。

【2023年】ツイッターつぶやき
昨日は暖かでしたが、今日は言って冷え込みました。風も強く日陰を歩いているとかなり寒かったです。
帰宅を急ぎながら笑える寒さ。
こう寒くなると鍋ですなぁ。。。。。。
今夜はキムチ鍋にしました。
白菜、チンゲン菜、エノキ茸、長ネギ、ニラ、豚バラ肉、牡蛎、結び蒟蒻、トッポギ。
〆はわが家の定番リゾットです。
残りのスープにご飯を入れてひと煮たち。
上にトマトのスライスととろけるチーズをたっぷり。
仕上げにオリーブオイルを振りかけて出来上がり。
鍋の具材でだいぶ満腹感があるのですが、リゾットは別腹。。。。。。

【2024年】ツイッターつぶやき
能登の地震の被害は日を追うごとに被害の状況が拡大しています。
地震ではいつも避難所の問題が大きく取り上げられます。
被災地では、いろいろな支援がはじまっているようですが、やはり避難所の状況が悪い。
震災関連死をされた方が6名ほどいるようですが、相変わらず体育館にござのようなものを敷いて寝ている。
以前、段ボール箱のベッドがテレビで紹介されていましたが、こうした避難設備はなかなか広がらないですね。
一つの町でそろえるのは大変ですが、周辺自治体の在庫を集めるような仕組みも必要でしょう。
岸田さんが明日当たり被災地に行くようですが、ただ行ったというだけで終わってはね。。。
コメント
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