今も昔も庶民が集う。
少年の頃、水商売の世界に入ったゴンザが。
師と仰ぐ人から言われたことがあるという。
「【銀座・ライオン】の『生ビール』、
そして、【浅草・神谷バー】の『電気ブラン』を飲んでなきゃ、
一人前のバーテンダーとは言えない」.....と。
銀座・ライオンのビールサーバーの前には、
それを注ぐ専門のおじさんがいて。
その人の注ぐそれは、とても旨いのだそうだ。
行ってきました、浅草へ。
私も乗り換え以外では久しぶり。
「.....で?ゴンザはライオンの生ビールを飲んだことがあるの?」
客でいっぱいの【神谷バー】の座席に腰掛け、私は尋ねる。
「うん.....。だからここにも、ずっと一度は来てみたかったんだ」
明治期に開業した、この老舗を。
私も外から眺めることはあっても、
こんな風に訪れる日が来るとは、思ってもみなかったが.....。
こうして、ゴンザの配偶者として、
彼のバーテンダーとしての節目に、立ち会うこととなるとは。
いろいろ見て、歩いて、食べて。
今日の最終目的地はこちら、【神谷バー】。
『美味しい』とは、決して言えない、電気ブランやハチブドー酒でも。
彼にとっては、特別な味がしたことだろう。
「なんか、感無量だな.....
二十年で、やっと一人前になれたか」
甘ったるい液体を飲み干し、呟くゴンザは。
......きっとそのうち、師であるその人に。
片の小指が少し曲がったその人に、
それを報告に行くのだろう。
『電気』が最新のものの頃に、
ブランデーの味を真似たから【電気ブラン】。
日本人の味覚に合うよう、蜂蜜を加え甘くした
【ハチブドー酒】は、大いに人気を呼んだという。
「この小指は、
聞きわけのないコイツを殴ったときに、曲がったままなのだ」と、
ゴンザを顎で指し、笑う、その人に。
私には、『一人前』の報告を聞き、
その人がするであろう遠い目が、思い浮かぶようだ。
ちょうど今、電気ブランを飲んだゴンザがしたのと同じ、遠い目つきで。
.....その遠さの間には、彼らの歩んだ道がある。
1880年、酒の一杯売りをはじめ、1882年、電気ブランを発売。
現在建つビルは、1921年落成のもの。
かつての少年は大人となり、
師である人の髪が、すっかり白くなっても.....
カウンターとグラスの前には、
その道が、まっすぐ、あるいは曲がりくねって伸び、
二人の関係だけは、いつも変わらぬままだ。
......人生の節目は、いつも、思いがけなく訪れるもの。
私とゴンザが出会ったのも、その人の前でのことだった。
五平餅と安倍川餅に大喜びの三歳児だけど。
二十年、いっぱい頑張ったんだね。