これまでに、これほど長きにわたって『読破』を試みた本が、他にあっただろうか?
子供の頃に挫折した、
『カモメのジョナサン』や『戦争と平和』に始まり、
「もういいや」の諦めは、
私の小さな脳みそには、もはや常習だったはずで...
だから今回も、いつかはそうなるかと、
何度も危うい思いをした。
何しろ、わからない単語だらけ、名称だらけだ。
上下巻を読み終わるまでに、
これほどの調べ物をしたのも初めてである。
まあ、諦めなかった最大の理由は、
これが『宿題』、
すなわち、とある人から「読むと面白いよ」と貸して頂いたものだからなのであるが、
確かに、理解しようと努力した甲斐あって、
書かれていることの本質は、とても面白かった。
ただ、同時に、とてつもない苦痛がこの読書に伴われたのも確かなことで、
これはおそらく、翻訳のせいであると思われる。
何しろ日本語の体をなしていない『文章』が多々あって、
(体を成していないのだから、正確には『文章』ではないが)
しまいには、私は自分で、それを正しいと思われる文章に再構築してから、
『読み直し』、理解を進めるというやり方をするしかなかった。
これは、聞くところによれば、翻訳本にはよくあることなのだそうだが、
まあ、英語に堪能のみならず、その作業には、
対象となる本のテーマに関する専門知識なども必要になるのだろうと思えば、
適任者の数が限られてくるのも、致し方ないことなのだろう。
けれど、事実、こうして無事読破した本の『本質』が、
とても面白く興味深いものであることを知れば、
だからこそなおさら、その読み辛さ故に、
本そのものが敬遠されてしまうのが、大変惜しくも思われる。
実際、私自身も、回り道、寄り道、調べ物の山で、
たくさんの知識の拡がりを貰い、
多いに好奇心を刺激されたわけだから、
単純な、「て、に、を、は」の間違いのせいなんかで、
(または句読点の抜け落ちなんかで)
そのページが閉じられてしまうのは、
あまりに勿体無いとおもうのだ。
そもそも、書き手が想定している『読み手』の対象が、
一般人なのか、その分野の人々なのか...
もし対象が一般人なのだとすれば、
理解の遅い私は、よっぽどの馬鹿なんだろうなぁと、
そんな風に落ち込んでもみたくなる(笑)
まあ、そんなわけで、
長いこと、この本をお借りしてしまったOさんには、
本当にすみませんでした&ありがとうございましたと申し上げなくては。
結果、大苦戦はしましたが、非常に面白かったですし、
おかげさまで興味の幅も、大いに拡がりました。
世の中には知らないことがいっぱい、
知りたいこともいっぱい、
知れば面白いことがいっぱいなんですねぇ!
ま、翻訳家の方々、編集の方々には、
もう少し一般人に『親切』にして欲しいなぁとは思いますが(笑)
作家冥利につきるってこういう事なんでしょうね。
喜んでいますよ。
私も本を読むけど、好きな本ほど進みが早くて、
難しい本ほど遅いし何故か眠りを誘う。
辞書を調べてまで読んだら、その苦労が知恵になりますね。
私は諦めちゃうな~
erimaさん 素晴らしいです。
偉いというよりは、ある意味意地、でした(笑)
数ページ読んでは寝落ちし、
また数ページ進んでは、という感じで...
酷い時は、一ページ読み進めるために、
数時間調べものをするといった風だったり、
本当に苦労しました。
でも、おかげさまで、また少し知識が増えて、
楽しむことの出来ることも増えました。
元々、主題は面白いはずの本なので、
翻訳さえ、もう少しちゃんとしていれば、
読者の幅も広がるのになと、そこが少し残念でした...
読書にはリズム感も大切ですよね。