月曜のこと。
横浜美術館にルーブル美術館展を見に行ってきた。
日曜がお休みのゴンザにとって、大好きな絵を見に行けるのは鑑賞環境が最悪な大混雑の日曜しかない。いや、出勤時間は夕方なのだから、平日の昼間も行けないことはないのだが、主要な美術館は都内に集中しているし、朝6時頃帰宅する彼の睡眠時間を考えれば無理はさせられないしで、なかなかにこれが難しいのが現実。
しかし月曜日なら、前日が休みなのだから睡眠時間も充分。平日に美術館を訪れる大チャンス!なのだが...
残念なことにほとんどの美術館が月曜休館。
結局、いつも日曜に仕方なく出かけて行くことになる...。
それが。
横浜美術館は木曜休館。しかもゴンザの職場からは歩いて行ける距離♪なのだ。これは本当に大チャ~ンス!
だが...人間というのはおかしなもので、いつでも行けると思えばなかなか行かないのも現実。
結局最終週に出かけて行く羽目に陥ってしまった(苦笑)
しかし、後数日で会期が終わる企画展としてはそれほどの混雑もなく、スムースに見て回ることの出来たこのルーブル美術館展は、歴史画・時事的絵画・オリエンタリスム・動物画・肖像画・風景画・風俗画の順に、19世紀のフランス絵画、「新古典主義からロマン主義へ」をテーマとして展示されていたが、正直、私にとってはそれほど楽しめるものではなかった。
なんというか、どうも絵が説明くさいというか、愛や情熱が感じられないというか...。
まあ、フランスの、自国の文化や歴史を記録するための意味もあっての絵画でもあろうから、それはそれで充分に価値はあるのだろうが、どうも...ね。
プシュケとアモルを扱ったものなどはとっても美しいのだが、常々思うに、やはり歴史的背景、宗教的背景を同じくした者でないと(私は無神論者だが)、理解できないこと、感じられないことってあるはずだから。...美しく、素晴らしいんだけど感動しない。
ただ、「サン=ドニ聖堂でフランソワ一世の出迎えを受けるカール五世」の、人物たちの表情の対比は大変に面白く、思わずクスクス笑ってしまった。(見た人にしかわからない話題で申し訳ない)目玉となっている「トルコ風呂」も、異国文化に憧れていた当時の人々を魅了する妖しさを見事に漂わせ、それを見た人々が遠い東方に思いを馳せたであろうことが想像できた。
そして、前述の<歴史的背景、宗教的背景>に話はつながっていくのだが、動物画に対して私はある疑問を抱いた。そこに飾られている動物画には、ジェリコーの「描いた白馬の頭部」を除いて、生き生きとした生命力が何ひとつ感じられなかったから...。
やはり、<一寸の虫にも五分の魂>が宿ると考える日本人と西洋人の考え方は違うのだろうか。
そこにあるのはテクニック。巧く描こうというエゴだけがあったように見えた。
デフォルメされているとはいえ、鳥獣戯画や北斎の描く動物の方が、私にとっては断然感動出来る。なぜなら、そこには愛や、優しさ、慈しむ心があるからだ。
どんなに何かが巧く出来ても、誰かに評価されようと。
どんな高値がついたとしても。
愛がなくちゃね。国を越え、宗教を越え、時間を越える...
やっぱり、愛がなくちゃ!
横浜美術館にルーブル美術館展を見に行ってきた。
日曜がお休みのゴンザにとって、大好きな絵を見に行けるのは鑑賞環境が最悪な大混雑の日曜しかない。いや、出勤時間は夕方なのだから、平日の昼間も行けないことはないのだが、主要な美術館は都内に集中しているし、朝6時頃帰宅する彼の睡眠時間を考えれば無理はさせられないしで、なかなかにこれが難しいのが現実。
しかし月曜日なら、前日が休みなのだから睡眠時間も充分。平日に美術館を訪れる大チャンス!なのだが...
残念なことにほとんどの美術館が月曜休館。
結局、いつも日曜に仕方なく出かけて行くことになる...。
それが。
横浜美術館は木曜休館。しかもゴンザの職場からは歩いて行ける距離♪なのだ。これは本当に大チャ~ンス!
だが...人間というのはおかしなもので、いつでも行けると思えばなかなか行かないのも現実。
結局最終週に出かけて行く羽目に陥ってしまった(苦笑)
しかし、後数日で会期が終わる企画展としてはそれほどの混雑もなく、スムースに見て回ることの出来たこのルーブル美術館展は、歴史画・時事的絵画・オリエンタリスム・動物画・肖像画・風景画・風俗画の順に、19世紀のフランス絵画、「新古典主義からロマン主義へ」をテーマとして展示されていたが、正直、私にとってはそれほど楽しめるものではなかった。
なんというか、どうも絵が説明くさいというか、愛や情熱が感じられないというか...。
まあ、フランスの、自国の文化や歴史を記録するための意味もあっての絵画でもあろうから、それはそれで充分に価値はあるのだろうが、どうも...ね。
プシュケとアモルを扱ったものなどはとっても美しいのだが、常々思うに、やはり歴史的背景、宗教的背景を同じくした者でないと(私は無神論者だが)、理解できないこと、感じられないことってあるはずだから。...美しく、素晴らしいんだけど感動しない。
ただ、「サン=ドニ聖堂でフランソワ一世の出迎えを受けるカール五世」の、人物たちの表情の対比は大変に面白く、思わずクスクス笑ってしまった。(見た人にしかわからない話題で申し訳ない)目玉となっている「トルコ風呂」も、異国文化に憧れていた当時の人々を魅了する妖しさを見事に漂わせ、それを見た人々が遠い東方に思いを馳せたであろうことが想像できた。
そして、前述の<歴史的背景、宗教的背景>に話はつながっていくのだが、動物画に対して私はある疑問を抱いた。そこに飾られている動物画には、ジェリコーの「描いた白馬の頭部」を除いて、生き生きとした生命力が何ひとつ感じられなかったから...。
やはり、<一寸の虫にも五分の魂>が宿ると考える日本人と西洋人の考え方は違うのだろうか。
そこにあるのはテクニック。巧く描こうというエゴだけがあったように見えた。
デフォルメされているとはいえ、鳥獣戯画や北斎の描く動物の方が、私にとっては断然感動出来る。なぜなら、そこには愛や、優しさ、慈しむ心があるからだ。
どんなに何かが巧く出来ても、誰かに評価されようと。
どんな高値がついたとしても。
愛がなくちゃね。国を越え、宗教を越え、時間を越える...
やっぱり、愛がなくちゃ!
と、矢野顕子さんのうたの
フレーズを思い出したくなるような
見つめ合う2人。
いや、緊張感漂う空間とでもいいましょうか。
ネコ、飼いたい……
ルーブル美術館展、いかれたのですね。
アングルのトルコ風呂だけは
実物を見たかったんですけど、
家からは若干遠いので、
多分足は運ばないと思います。
会期中の終わり頃に
駆け込んでしまうのは、
ホント、なぜなのでしょうね。
過去に海外の美術館へ行った時の
開放感あふれる空間と、
人の少なさ、
素っ気ないくらいのさりげなさで
名画が壁にかかっている状況を知ってしまうと、
日本の、芋の子洗い状態の企画展は
どうしても足が伸びなくて…
所詮言い訳ですが…
最近この二人、なぜか見つめあうことが多いんです。
面白いことに、対人間だけではなく、猫同士、
関係が微妙に変化していってるようで、
彼らもそれなりに、折り合いをつける意味を知って
いるのでしょうね。
時折「ウギャギャッ」となるのもご愛嬌です。
ルーブル展なのですが、
アングルのトルコ風呂は、とっても美しかったです。
金髪巻き毛の方が大変に好まるような妖しさで(笑)
丸い縁の演出が、昔も今も、人のどこかにある
覗き趣味をほどよく刺激してくれるのも、魅力のうち
でしょうね。ただ、企画展としてはそれほどの内容
ではないと思うので、遠方から足を運ばれた場合、
がっかりしてしまうかも、といった感じです。
それにしても、美術館では混み具合も鑑賞する側の
気分を大きく左右するものですが、客の層もしかり
だと思います。美しい絵を眺めながら、うがった
見かたをし、連れている女性に下品で卑猥な考察を
述べているオヤジ、乳飲み子を連れてベビーカーで
そぞろ歩く主婦連れ、絵そっちのけでご近所の噂話
悪口に余念のないオバサンなど、まさに公害です。
噂話がしたいなら、入場代金でお茶を飲めばいいし、
子供がいても絵が見たいなら、交代で預かるなど
すればいいのに。このときも泣き出した乳飲み子
に「し~っ!」なんて言ってる母親がいましたが、
赤ん坊に場所とか、親の都合とかわからんよ!って
感じです。そう思う私は心が狭いですかね...。
素っ気ないさりげなさ。
日本じゃ夢のまた夢、ですな。
トルコ風呂レポート、ありがとうございます!
(ちょっと前では危険すぎて言葉にしにくい
言い回しですが)
今から20年以上も前ですが、
アングル展があった際、TVで画家の特集があってですね、
その時に紹介されていたのがトルコ風呂でした。
(企画展では未出展でした)
このアングル展は大変すばらしいもので、
当時大阪で高校生してた私、部活の顧問の先生が
たくさん招待券を持ってましたので
わけてもらって可能な限り通いました。
(また、展示会場が学校から自転車で10分少々の
万博公園内にあったので通いやすかったのです)
アングル晩年の作とかで、
過去彼が描いてきた様々な絵の女性がもれなく配置された
集大成的作品として名高い、とのことでしたので、
一度実物にお目にかかりたいと思っていたのです。
ちなみに、この絵を見た依頼主の奥様は仰天どころの
騒ぎではなかったそうですが……
確かにセンセーショナルな絵柄ではありますね。