我が家のちゃあこは『チュウ』が愛情表現だと知っている。
「ぐ~すかぴ~....え?ワタシのハナシ?」
それは、ことあるごとに、私たちが彼女の頭や、
時には口や、鼻にまで、ところ構わずチュウをするからなのだが、
ゴンザにいたっては、ときおり、うやうやしくちゃあこの手をとり、
まるでお姫様にするように、その甲にチュウをすることまであって(笑)
彼女がそれを愛情表現と理解するのも、自然といえば自然な流れではある。
昨日と今日は花冷え。
今年は、例年なら一週間かかって満開になる桜が、
二日で満開になってしまったそうだけど.....
この寒さで、もう少し、持ってくれるかな。
しかし、同時に私は、フツーは『前脚』と呼ばれるところのちゃあこのそれを、
『手』と、擬人化して呼ぶような行為や、極端に溺愛することに、
眉をひそめる人々がいることも承知していて、
「動物と人間は別」
「だって、猫でしょう?」
と、そう言う人のことも、もちろん、否定するつもりはない。
横浜、大岡川沿いでは艶やかに満開の桜が立ち並び。
だが、一方で毎日をちゃあこと暮らしていると、
どうしても彼女を擬人化せずにはいられないような出来事が起る。
それは、甘えん坊の彼女が私やゴンザの口にチュウをすることから始まり、
遊びながら文句を言うこと、具合の悪さを訴えること.....
家中追いかけてきて抱っこをせがむこと。
数え上げればキリがないのだ。
その見事な枝ぶりは川面に迫る。
と。
なぜ私が今日、ことことについて書くかといえば、
昨夜のこと。
いつものように、ちゃあこが、眠っている私の布団の中に入ってきて.....
普段なら彼女は私のおなかの上で眠るのだが、
昨日に限っては、今までもときおり、
気が向くとそうしていたように真横にくっついてきて、
ふと、私の手のひらに、自分の小さな手をすべり込ませてきたからだ。
淡き影は川面に映り.....。
そして、私が半分眠りながらもそのことに気づき、その小さな手を軽く握ってやると、
ちゃあこは安心したように小さな体の力を抜き、ぐっすりと眠り込んでしまった。
そのときの気持ちといえば、どう言葉で表現していいのか.....
私には、あまりに語彙が少なすぎて、わからないのだが、
かの『赤毛のアン』で、マリラが感じた気持ち。
アンがマリラの手に自分の小さな手をすべり込ませてきたときの
気持ちの表現を借りるなら、
『身内があたたまるような快いものがわきあがり』
『心をとろかすようなその甘さに心をかきみだされた』
と、そう言えるだろう。
桜見つめて、もの思う男が一人(笑)
そして、ちゃあこと暮らし始めてからの17年は、
そんな事柄と気持ちが毎日数え切れないほど重なり合った、
何物にも代えがたいものであることに間違いないのだ。
もちろん、17年、ちゃあこが猫であることには変わりがないけれど.....
それでも私には、彼女がいつか二足歩行を始めるのではないかと、
そんな風に思えて仕方がないのだ(笑)
あの時『もの思う男』が考えていたのは「腹減った...」だったのか!?(爆)
その後、近所の桜の木の下に場所を移し、シウマイ弁当をパクつくゴンザ。
(なにかといえばシウマイ弁当の我が家・笑)
こちらの桜の足元には、菜の花がたくさん~♪
そうでない人から見ればとっても変なことかもしれませんが、いつか二本足で立って、小学校へ通い始めるんじゃないか!?とか(笑)
ときには「うっせー、ババア!」とか反抗期が来るんじゃないか、とか(笑)
本当に考えちゃいますよねぇ~。
家族よりも、配偶者よりも密着して過ごし、こちらを全面的に信用してくれる相手ですから、そのつながりは言葉では言い表わせないものになっていくんですよね。
17年。
考えれば考えるほど、長くて短い時間に思えます。
だからまだまだ、これからもちゃあこには長生きしてもらわないと!
知恵ちゃんも一緒に、どこまでも頑張りましょう~!
...あ。
ゴンザの背中が寂しそうに見えたら。
それは「腹減った」のサインです。
背中で哀愁を語る男はいても、空腹を背中で語る男はなかなかいませんよ~。
やるな、ゴンザ(爆)
最初はね。
「飼う」という言葉にも、「ペット」という言葉にも違和感は感じなかったはずなのに、いつの間にか「共に暮らす」という感じに...。
某ペットフードのCMで「飼うというより一緒に生きてる」というコピーがあったけど、まさしくそうなんだよね。
人と密着して生きる犬や猫は(その子によっても違うけど)、どこか自分を人間と思ってるフシがあって、そんな面を見ると、ますますこちらも犬や猫、という感じがなくなっちゃうんだよね~。
鏡を見て不思議がるナッキーちゃんは、「あれぇ?ここに映ってるワンコはどこの子?」って思ってたのかもね。
人間としての目で。
あ、コーヒーフレッシュって、ポーションミルクのことだよね!?
ナッキーちゃんの好物はちゃあこと一緒♪
最初は「拾った猫」「預かった猫」だったはずが、いつのまにか、「ちゃあこ」という大きな存在になった小さな小さな猫。
最初から擬人化するつもりがあったわけではないけれど、気づいたら、こうなっていました。
初めは私も「猫は猫」と思っていたはずなのに、今ではもうすっかり変わってしまいました(笑)
今日も、私が畑から帰ってくると、ちゃあこは一生懸命「キャウッ、キャキャキャ」と、こちらの目を見て、しゃべるんです。
本人はたぶん、私と同じ言葉をしゃべっているつもりなんでしょうね(笑)
九太郎ちゃん。
イチゴが好きなんですねぇ~♪
ショートケーキの主役であるイチゴをご家族皆さんが九太郎ちゃんにあげるのは、やっぱり、大切な大切な家族だからなんですね。
ちょうど今は、イチゴが美味しくって、たくさん出回っている季節だから、九太郎ちゃんにとって最高の季節ですね♪
時に猫語も日本語に聞こえてしまい
「いつか2本足で立って、それでもってしゃべるかもしれない」
なんて思う時ありますものー!
なんだろう...私も旨く言えませんが
握りかえしてもらってホッとするちゃあこちゃん
わかってるんだなー人との繋がり以上のものですよね
そうかぁ...17年
ちゃあこちゃん
先輩三毛猫さんとして、ますます元気で長生きしてね~
ところでゴンザさん
哀愁漂う後ろ姿...は、腹減ってたんですかい!
桜に菜の花 春ですね~
でも、本当に愛情を持って一緒にいたら飼ってるとかペットって言葉では呼べないですよね。
ナッキーの場合はご飯やおやつの時間にはちゃんとテーブルに来るし(いやしいだけ?)他にもいっぱい自分で人間と思ってるところがありました。
鏡を見て不思議そうやったし
九くんはいちごが好きなんですね。うちは迷って来たのか喫茶店の横にいたのでバタートーストとコーヒーフレッシュが好きでした。
私も人間は人間・犬は犬って思ってます。
本質的には。
でも実際暮らしてると、息子とは違う存在でちゃんと九太郎がいる。
イチゴが大好きだから、イチゴを見ると、九太郎にって買う。今は、孫一家が毎週来るので、時々ケーキでじゃんけんするけど、ケーキを選ぶ時もイチゴショートケーキは、外さないし、じゃんけんでショートケーキ獲得した人は、暗黙の了承で、イチゴは九太郎にあげてる。
ちゃあこちゃんが、寝るときにお手々をすべりこませてくるなんて、ほんとうに一緒にネンネして安心して寝られるんだね。erimaさんとちゃあこちゃん お互いの愛しい気持ちが伝わってきます。