みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

大切な人の死

2018-05-23 14:27:20 | 日記

20日(日曜日の朝)学生時代の友人からメールが来て

彼の死を知りました。

ショックでした。

彼は学生時代からの大切な友人です。

大学時代、サークル活動をしていて、そのサークル活動は大学連合という複数の大学の

参加で集まりを作っていました。

私は私立の女子大の学生でしたが、国公私立の集まりのため、多くの男子学生と

知り合いになり、活動のほかにも飲んだり遊んだり、楽しいおつきあいをしていました。

4年も終わりに近づいたとき、就職も決まり、かなり みんながくだけた集まりの時、

就職先が関西に本社がある会社に決まった彼から「一緒に来てほしい」と言われました。

驚きましたが、私は彼のことをそういう対象で見たことはなく、

むしろ教養が深く紳士的でいつも優しい彼を『先生』と呼んでいたくらいで、

「考えられないから」とお断りしました。

その時の悲しそうな彼の表情をずっと忘れることができませんでした。

私はまだ若くて就職を決めたばかり、そのことでいっぱいで、彼でなくても

結婚など考えられなかった私は、ときどき思い出しては

「もう2,3年経っていたら、答えは違っていたかもしれない」と

思うのでした。

 

それから25年くらい経ち、その大学連合会の会合が開かれ、

それまでも開かれていましたが、私は出かけることができませんでした。

友人から電話をもらい

「たまには顔を見せなさいよ。みんなあなたに会いたいってよ」という言葉に

背中を押されたように出席しました。

そして、懐かしい彼の顔を見つけました。

彼は私を見つけると寄ってきて「あぁぁ、やっと会えた。変わらないから

すぐわかったよ」なんてお世辞を言いましたが、

過去に何があっても、こんなふうに変わらない態度で接してくれる人でした。

そのとき小さな声で「あなたにフラれたから結婚が遅くなって子供がまだ小さいんだよ」

と笑いながら言うのです。

そのとき、住所と電話を交換して別れたのです。

 

その後 年賀状を交換していましたが、私が初めて個展を開くときに

招待状を差し上げました。

彼は奥さまと二人で観に来てくれました。

その時のことが今でも心に強く残っています。

麻布十番のギャラリーで、ざっと観た後、「君らしいね。昔のイメージのままだよ。」

と感想を述べてくれました。

第1回の個展は【青の時間~Bluemoment】といい、青い色でいっぱいでした。

そして、個展が終わった数日後、彼から小さな小包が届きました。

手紙が入っていて「個展、素晴らしかったです。作品を見せてくれたお礼に

僕の大好きなCDを贈ります。大好きでずっと聞いているMiles Davis『Kind of Blue』です。

個展はこの音楽の世界に似ていると思いました」

と書いてあり、Miles Davis の『Kind of Blue』CDが入っていたのです。

この時の私の気持ちは、言葉で表現できないほどで、幸せな気持ちでした。

今でも時々『Kind of Blue』を聞いています。

 

お互いに違う道を歩き、大事な日常と家族を持っていても、気持ちは通じている・・・

私はそんな風に思ってきました。

その後の個展も毎回来てくれましたが、その間、脳梗塞で倒れたり、

3年前は肺ガンの手術をしたり、それでも個展には顔を出してくれたのです。

前回の個展のとき「これで個展は終了するわ」と言う私に

「元気でいるうちはしてほしいよ。ここへ来れたら、また元気で来れた、

という気持ちになれるからさ」と言うので

昨年も個展を開きました。

「今度こそ最後にするの」と言う私に「もう、会えなくなるね」と言う彼に

「そのうち、飲みに行きましょう」と言っていたのです。

 

それから半年。。。

彼は帰らぬ人になってしまったのです。

昨日(22日)、葬儀があり、行ってきました。

お互いに近くに住んでいたのですが、葬儀・告別式のお寺は遠くにありました。

電車とバスとタクシーを乗り継いで、お寺につくまで、見知らぬ街の景色は

寂しいものに映りました。

お寺につくと、奥さまが近寄ってこられ、お悔やみを申し上げたのですが、

奥さまから意外なことを聞きました。

3年前の肺ガンのあと、定期的な検診をしていたにもかかわらず、

3月末「体の調子が良くない」と病院へ行ったときには

もうガンが全身に回っていて手の施しようがなかったとのこと。

即、入院生活が始まって、その中で死後のことが話に出て、

「自分が死んだら、Mさん(私のこと)に知らせてほしい」と言ったそうです。

闘病中も「Mさんに会いたい」と彼は何度も言ったと奥さまから聞いて、

言葉もありませんでした。

そして奥さまは「もし、差し支えなかったら、今日は火葬場で”お骨上げ”も、そのあとの

初七日もお付き合いいただけませんか?」とおっしゃるのです。

そういう場所は肉親だけの厳かなものではないでしょうか?

「私なんかが・・」と思いましたが、お引き受けしました。

 

棺の中の彼は、安らかに眠っていて、揺り動かしたら起きそうでした。

清らかなお花で埋もれた彼を大学時代の男友達が担ぎました。

彼らは「Mさんがずっといてくれて、彼はきっと喜んでいるよ」と

肩を叩いて葬儀社の車に乗り込む私を見送ってくれました。

彼らから 「脳梗塞で倒れて、肺ガンの手術をして、大変だったと思う。

俺たちの飲みの誘いは断るくせに、君の個展だけは必ず行ったんだよ」と

聞きました。

そうだったんだね。

 

人間は生まれたからには死ぬんだ、とわかっていても、改めて思い知らされました。

火葬場で時間が来るのを待っていながら、この人間の生きる終わりの営みを考え、

小さな自分を考えていました。

 

初七日にも加わらせていただき、帰るときに奥さまから

「ずっといてくださってありがとうございました。主人が喜んでいると思います。

これからもずっと忘れずにいてやってくださいね」とご挨拶いただきました。

 

忘れませんよ。

今日1日、彼の時間の中にいて、彼がこの世にいなくなっても、私の心の中には

彼の笑顔や優しい言葉が生きていますもの。

いつか、また会おうね。

コメント (14)
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