長々書いてきた旅行記も、今回で終了します。
〇8月25日
ダブリン観光
憧れのアイルランド旅行は今日が最後です。
昨日、ローマから教皇がやって来て、市内は厳戒態勢で人っ子一人いないし、
大通りなのに、車も姿を見せません。
私たちのバスが異様な感じで市内を走ります。
バチカンでは、相次ぐ贈収賄の事件と、幼児に対するおぞましい性的暴力で
揺れています。
ホテルの横に聖堂があり、そこではその協議も行われていたという噂が出ていました。
毎度のことですが、世界中で教皇がどんな行動をするのかは発表されないので、
市民は困惑するばかりです。
聖パトリック大聖堂
アイルランドで最大の教会です。
ここは一般人の家ですが(といってもよくよく見たら、どこかの大使館でしたが)
”美しい館”としてガイドさんから紹介されました。
歩いてトリニティ・カレッジへ向かいました。
学内のオールド・ライブラリーへ
ここはアイルランドやイギリスで発行された本の納品が義務付けられています。
日本の国会図書館と同じではないでしょうか。
とにかくその数のすごさと言ったら、表現が浮かびません。
入口から奥までビッシリ、両側に本が床から天井まで並びます。
偉人の胸像が並んでいました
まずはニュートン
ソクラテス
シェイクスピア
ほかに『ガリバー旅行記』のスウィフトの胸像もありました
また面白かったのは15世紀に制作されたアイルランド最古のハーブも展示されているんです。
これはアイルランド発行のユーロ硬貨のデザインになっているのは知られています。
ビール会社のギネスがこれを商標にしていたのに「禁止」されたときに
「それでは、これなら文句ないだろう」とハーブの裏の形を写したものを
商標にしたという話です。これです、裏です。
本物のハーブはこれです。ついに見ちゃった!!
トリニティ・カレッジをでて、その横にある国立考古学・歴史博物館に行きました。
ここへどれほど来たかったか!夢がかなったのです!
紀元前2000年から現在に至るまでのアイルランドの秘宝のコレクションがあります。
タラのブローチ ー 金で出来ています。
僧衣を留めるためのもので、ケルトの文様が彫り込まれていて
アイルランド金細工の最高峰と言われています。
アーダの聖杯
この首輪は目が眩むような輝きでした
こんなふうに使っていた
コングの十字架
十字架の下の部分です
すべてにケルトの文様が刻まれ、ガラスにくっ付くほど顔を付けて見ました。
腕には入れ墨ではなく、このように彫った金を穿いていたようです。
さて、ここからは勇気のいる写真です。
”生贄(いけにえ)のミイラが発見され、この人たちの食生活や身分が解っています。
「この写真撮るの?」とツアーの男性に言われましたが、これは記録ですから。。。
ケルト人はオレンジ色の髪の毛だったという説が、このミイラで証明されたそうです。
このミイラは胃腸がそのまま保存されていて、何を食べていたのかが分かったそうです。
首を刎ね、上半身だけというのは、身分が高い人で、民衆に見せつけるためのようです。
これはほとんど全身の残ったミイラです。
ガイドさんはこの国の人と結婚して二十数年という女性でしたが、
チャーミングな面白い人で、「これを見た後、チョコレートケーキが食べられますか?」
とおっしゃるのでした。
ミイラが見つかった地形の説明文です
最後は昨日行った ”タラの丘” のジオラマです
このあとはケルズの書を観に行きます。
ケルズの書とは4つの福音書のことです。
マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝がここには納められているのです。
アイルランドの最高の宝とされ、トリニティー・カレッジの図書館に300年に渡って
保管されています。
表紙は150頭分の牛の皮で造られていて、全部で340枚あるそうです。
もちろん触れないですが、分厚いガラスのケースに入っていました。
信者の方々が何重にも取り巻いていて、いつ眺められるかわからないので、
ちょっとズルして入り込んでチラッと見てきました。
本物は見られませんでしたが、「こんなもの」みたいにレプリカが飾ってあるので、
動物の絵や組みひも模様、などは見れました。
これはアルファベットです。装飾文字です。
キリストも装飾文字の中に組みこまれています。
美しい文様
そして驚いたことが!
ずっと、染色の青はラピスラズリだと言われてきましたが、このほど、青は藍で染めたものであった
ということが解ったそうです。
藍はジャパニーズ・ブルーと言われているのに・・・と衝撃でした。
染色の見本
すっかり堪能した今日の観光はこれでお終いです。
このあとは自由時間です。
テンプル・バーの通り
ここは1540年、ヘンリー8世による『修道院解散法』を受けて修道院を開放し
テンプル一族に返したことによる名前の由来だそうです。
各国の料理屋があり、ライブハウスがあったり、小物店があったり、
若者に人気の街です。
この一角で私たちはお昼を食べました。
解散したので自由に歩けるのですが、ローマ教皇が来ていて道路の制限があり
仕入れをできなかったという店が続出していて、やっと海鮮料理を食べさせてくれる
お店を見つけて食べました。
写真は忘れましたが、アイルランドではムール貝の養殖が盛んで、
いちどたっぷり食べたいと思っていたのがかないました。
大皿に大盛りのムール貝は酒蒸しであっさりと塩味、そのくせクリーミーでおいしかったです。
街を歩いていると見知らぬ男性が旗をたくさん持って来て「一緒に振ってくれ」と言うのです。
つまり、間もなく教皇が通るらしかったです。
旗を振るのはお断りしました。 教皇もお迎えしませんでした。
その後、お店を覗いて家族や友人たちにお土産を買い、
さて、帰ろうか・・と思うのですが、皆さんとの待ち合わせは午後5時半!なのです。
そうです、夕食も自分たちで調達なのです。
偶然 街で出あったツアー仲間たちは「パンでも買ってホテルで食べる」と言う人や、
「日本からカップ麺を持ってきたから」と言う人もいました。
いずれにしても夕食を調達しなければなりません。
それも面倒、5時半まで待つのも面倒・・・鉄道でホテル近くの駅まで行く・・
考えたところでタクシーが、1台 客待ちをしていましたので迷わず乗りました。
なにしろ、道は車1台も通っていないので、すいすいとホテルまで行きました。
ゆっくりと帰国の準備をして、5時にはホテル地下のバーへ行き、
思い出の最後のギネスビールとクラブサンドを注文して、
のんびりと時間を過ごしました。
ビールを飲み干して、夫が「例のオシャレなお好みの酒を注文したら?」
と言うので、私はスタッフを呼び「ベルモット ドライ with ice & piece of lime 」
と注文してみました。
これで通じました(笑)。夫にはグラスのシャルドネを。
夜はゆるゆる更けて行き、今日は終わりです。
テレビを観ているとアイルランドのチャンネルでは教皇がアイリッシュ・ダンスを
楽しんでいるものばかりです。
あーー、確かにあの子たちが教皇の前で踊っています。
〇8月26日
早朝のため、BOXの朝食です。
大雨の中、空港に行きます。気温は13℃で、皆さんダウン・ジャケットを着込んでいます。
ゲート前の窓から大雨の滑走路を。帰る時まで雨に祟られる。それとも別れの涙か・・・
フィンランド機は一路 ヘルシンキへ →成 田へ
さようなら、アイルランド
旅は終わりました。
帰りの飛行機ではビジネスクラスのフルベッドで爆睡。
成田へ着いたら気温34度だって!! 13℃ → 34℃
体が驚いて、帰宅の次の日に熱を出して1週間寝込みました。
疲れすぎて、旅行は当分いいという気分です。
長きにわたって、旅行記を読んでいただきありがとうございました。